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第12話『夏休みの目標』

 突然の話だが、大学生の夏休みというものは意外と余裕がある。そもそもの期間が長いのはもちろん、大学から出される課題も高校の時に比べれば軽いからだ。サークルにでも入っていればまた話は変わってくるが、優人は特に興味を引かれるものがなかったので所属はしていなかった。

 無論、三年生ともなれば、そのぶん就職活動を始めとする己の将来と向き合うことに時間を注げということなるのだが、優人に関しては明確な目標とある程度の道筋には目処(めど)がついているので、そういった意味でも気楽な方ではあった。


 とはいえ、優人が一緒に暮らしている相手は他でもない頑張り屋な雛だ。時間や余裕があるからといってそうそうだらけた生活を送る気はない。

 そういうわけで、優人は今年の夏休みに一つの目標を立てていた。


「おつかれー。ってなんや天見くん、大学の勉強?」


 バイト先での休憩時間のこと。一足遅れて休憩に入ってきた達人が、優人がテーブルの上に広げているテキストを見て眉を持ち上げる。そんな達人に「これですよ」と優人は答えると、テキストを持ち上げて表紙を見せつけた。


「ほうほう、なるほど。天見くん免許取るんか。車の?」

「はい。椎葉さんは免許持ってるんでしたっけ?」

「二輪やけどな。で、どこまで進んどるん?」

「教習所自体はもう卒業できたんで、あとは免許センターでの本試験だけです」

「おー、ええやん。そこまでいったんならもう楽勝やな」

「……だといいんですけどね」


 優人は眉間にうっすらと(しわ)を寄せる。達人はその向かいに座ると、テーブルに頬杖をついた。


「なんやそない難しい顔して。実は教習所の学科試験ギリギリやったんか?」

「いえ、問題なくパスはしたんですけど……本試験となるとまた不安になってくるというか」

「まあ、試験には金かかるし、わざわざ遠い免許センターまで行ってやらなあかんしなあ。それでもし落ちて、また違う日にってなるのは結構面倒やし。……いまどきの合格率ってどんなもんなんやろ」


 そう言って仕事中はロッカーに仕舞っていたスマホを取り出す達人。しばし操作した後「七割やって」という答えを達人から聞かされると、優人は背筋を伸ばしながら天井を見上げた。

 確率だけを見ればそうハードルの高い試験ではないだろうし、必ずしも一発で合格しなければならないというわけでもないのだが、どうにも不安は拭えない。

 優人はその理由の原因である目の前のテキストに視線を戻すと、への字に曲げた口を開いた。


「……ぶっちゃけ免許の試験問題って、かなり理不尽なところありません?」

「それな」


 優人の恨み言には共感するところが大いにあったのか、達人は腕を組んでうんうんと頷いた。


「引っかけ問題が多いんよなあ。死に覚えゲーみたいなところがあるっちゅうか」

「やっぱりそうですよね。例えばこれとか、『夜間は――」

「あ、ちょい待ち天見くん」


 不意に達人が待ったをかけた。不思議に思っているとロッカールームに華がやってきて、達人は彼女を見てニヤリと意地の悪い笑みを浮かべる。


「確か華さんは免許持ってなかったはずやから試しに問題出してみようや」

「いいんですかそれ……」

「まあまあ、何も知らん人が引っかかってこそ理不尽さを再認識できるってもんやないか」


 そんなからかうような真似をして後で何か言われないか、と優人が憂慮している間に、達人は「華さーん」と若干含み笑いで声をかけてしまう。呼ばれた華は首を傾げながら、今日も変わらないショートボブの髪を小さく揺らして近付いてきた。


「なに?」

「いやね、天見くんが今度免許の試験受けてくるっちゅうことで問題について話してたんですけど、試しに華さんも一問やってみませんかって思いまして」

「……なんだか唐突だね。何か裏でもあるんじゃないの?」

「僕のことどんだけ疑ってますのん。ただの○×問題ですって」

「まあ、それぐらいならいいけど」

「おっしゃ。天見くんよろしゅう」

「……じゃあ、『夜間は気をつけて運転しなければならない、○か×か』」


 優人はテキストに目を落としながら、達人との会話で挙げかけた問題を口にした。免許の試験問題がどういう傾向かを把握していなければ、まず間違えるであろう一問だ。

 普通(・・)に考えれば答えなど決まりきっている問題を前に、華は訝しげな表情で腰に手を当てた。


「何それ、そんなの○に決まってるでしょ」

「はい華さんぶっぶー。正解は×でしたー」

「は?」


 達人が両手の人差し指を向けながらした正解発表に、華は愕然とした声を上げた。


「冗談だよね? 本当は○だよね?」

「いやほんまに×ですって。テキストにも書いてますし」

「なら誤植でしょ。×なんてありえない。だってそれだと、夜は気を付けなくてもいいってことになるし、そもそも時間帯に限らず車の運転はいつも気を付けなきゃいけないんじゃないの」

「えーと……華さん、まさにその通りだから×なんです」


 なぜ答えが×なのか。理由は奇しくも華が口にした通りであり、テキストに記載されている解説はこのようになっている。


『答え:× 昼夜問わず、常に気を付けなければならないから』


 テキストの該当欄を指さしながら伝えると、華は能面のような表情でその部分を見つめた。ここまで分かりやすい反応こそしなかったが、優人が初見でこの問題に引っかかった時も似たようなことを感じたものだ。

 間違っているわけではないけど、それはちょっと、なんかズルいんじゃないかと。


「……天見くん、もう一個問題出して」


 能面のような表情は変わらず、しかし瞳の奥に静かな敵愾心(てきがいしん)を宿した華が唸った。彼女のとても珍しい様子を見られているわけだが、実際にそれを向けられるとひどく居心地が悪い。あと達人、口元を抑えて笑いを押し殺しているあなたの姿が、余計に華を煽っているのだと自覚してほしいのだが。


「じゃ、じゃあ……『制限速度が時速30kmの道路では、その制限速度を越えて走行することは許されない、○か×か』」

「…………○」

「×です。非常時はその限りでないから」

「そんなの言い出したらキリがないでしょ!?」


 達人がとうとう、声を上げて笑った。








「あはは……まあ、確かに納得しがたいところはありますよね」


 その日の夕食後、優人は食器洗いをしながら今日のバイト先での出来事を雛に話していた。雛はガスコンロを使い捨てのお掃除シートで拭いつつ、優人の話に苦笑いで言葉を返した。今日の夕食が揚げ物だったので、コンロに残った油汚れが気になったらしい。


「だよな。死に覚えゲーってのはよく言ったもんだよ」

「ある程度は傾向として捉えるというか、もうそういうものだと割り切って覚えるしかないって感じですよね」


 雛の言う通りだ。正しく知識が定着しているかを計る試験への対策としては裏技気味になるかもしれないが、真っ当に問題文を読解するよりも、この手の問題の答えは大体こうだとセットで覚えてしまった方がやりやすい。つまりは暗記である。


 ところで、雛は当然のように運転免許の試験問題に理解を示しているが、実はまだ教習所に通っているわけではない。なのになぜ理解しているのかと言えば、優人の持つテキストを空いてる時に使って独学で勉強しているからだ。

 免許を取ることはまだ少し先の予定になるものの、興味自体はあるし、今から覚えておいても損はないというのが雛のお考え。相変わらずの勤勉さに愛する彼女ながら畏怖すら感じる。


「試験はいつなんでしたっけ?」

明明後日(しあさって)。明後日は一日休みだから、しっかり勉強して試験に臨むとするよ」

「優人さんなら大丈夫ですよ。私も微力ながら応援します」

「はは、ありがとな」


 微力だなんてとんでもない。我ながら単純だとは思うけど、こうして笑顔の雛から応援してもらうのが一番やる気を引き出される。「大丈夫だ」と太鼓判を押してくれた雛の信頼に応えるためにも、試験は一発で合格してみせよう。


 ――そうして迎えた明後日、試験前日。朝食を済ませて午前中から勉強に励もうとした優人を待っていたのは、


「さあ優人さん、準備はいいですか?」


 首の辺りで()わえた髪と眼鏡、そしてシルエットを引き締めるタイトめなスカートスーツ。

 家庭教師・空森雛のその御姿。

 微力だなんて、本当にとんでもなかった。

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