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第11話『時には立場を逆にして』

 ぽこぽこぽこ――。

 小さく音を立てながら水面に広がっていく無数の泡は、湯船に投入したバスボムから発生していた。雛のチョイスで選ばれた記念すべき一個目は柚子(ゆず)の香りがするもので、泡立ちと共に柑橘系の良い香りが浴室内に広がる。

 やがて水面が大小様々なサイズの泡で覆い尽くされた頃、優人の隣に立つ雛が、一足先に湯船の中へと足を踏み入れた。


 つま先からゆっくりと、心地良さそうな吐息を漏らしながら身を沈めていく雛。ただ湯に浸かるというだけでもそこはかとなく色っぽさを漂わせる彼女は、胸の先ぐらいまでを泡に沈めて両肩を弛緩させる。けれどすぐにいそいそと居住まいを正すと、湯船の端の方へと身を寄せ、広くスペースを取ってから優人に向けて両手を広げた。


「優人さん、はいどうぞ」


 続きは湯船の中で――先ほどが雛が口にした言葉の意味は、つまりこういうことだった。

 ふわりと、まるで天使のような優しい微笑みでこちらを迎えようとする恋人の誘引力といったら、もはや筆舌に尽くし難い。予告された分期待を煽られていたし、そうでなかったとしても一目で優人は(とりこ)になってしまう。

 というわけであっけなく(ほだ)された優人は、雛の魅惑の誘いに導かれるまま、彼女を背もたれにする形で湯船に入る。それでも念のため体重はかけすぎないようにと気を付けていたのだが、背中が雛に触れればすぐに細い両腕が優人の上半身を絡め取り、ぎゅっと後ろへ抱き寄せられた。


「ようこそ、いらっしゃいませ」


 雛が耳元で、実に嬉しそうに囁いた。

 ふわふわとした泡の感触が混ざった適度な加減の湯。そしてそれ以上に優人の意識の割合を占めるのは、雛の素肌から伝わる温かさとなめらかさ。それを背にこうしてくつろぐことが許されるなんて、とんでもない贅沢をしていると思う。


「ふふ、いつもと逆なのもいいですね。優人さんはどうですか?」

「いいどころか最高」


 こうして雛とお風呂に入る時、今までは優人が雛の背もたれになる形ばかりだった。体格的には当然だし、それが好きでしていたのだから不満があるわけでもなかったのだが、いざ逆の形になってみると今までしてこなかったのがもったいないと感じるほどの心地良さだ。


「けど、これって雛は苦しくないのか?」

「いえまったく。壁を支えにできますし、お湯で浮力がある分重さもちょうどいいぐらいです。むしろ、ふふふ、優人さんの頭が目の前に来てくれるから撫でやすいのも好きですね」


 いつもは優人さんの方が背が高くてちょっと撫でづらいですもん、なんて不満というには可愛らしい文句を口にして、雛は濡れた髪の上から優人の頭に触れた。

 先ほど手ずから洗ってくれた髪の流れを揃えつつ、じんわりと愛情を伝えてくるような優しい手付き。ともすれば子供を相手にするようなひどくゆったりとした力加減だが、頭も身体も甘く溶かされては何も言えない。


「あー……癒されるー……このまま寝落ちできる自信ある……」

「お風呂で寝ちゃうのは危ないからダメですけど、お気に召して貰えて何よりです。むしろ、もう少しこうして欲しいとかありますか?」

「相変わらず向上心たくましいなあ……。いやもう、何一つ注文のつけようなんてございません。なんか、こう、びっくりするぐらい収まりが良いし」

「収まり? ――ああ、なるほど」


 優人の言葉の意味を計りかねていた雛が、すぐ得心がいったように頷く気配を見せた。彼女の打った相槌はちょっぴり恥じらいが混じりつつも、得意げな色も帯びていた。


 この体勢になった当初から、優人は後頭部に驚くべきフィット感を感じている。

 安定感と言い換えてもいいだろう。ふんわりと柔らかく包むように受け止めながら、ほどよく反発して支えてもくれるその弾力。全体的な体格は華奢なはずの雛なのに、彼女が誇る二つの山は、その谷間で優人の頭の中心をしっかりと捉えている。


 そしてむしろ、よりアピールするかのように優人を抱き寄せる力は強まった。ほっそりとした両腕のしなやかさと、質量のある柔らかさが、前後から優人を挟んで意識を(あぶ)る。


「言うなれば、胸枕(むねまくら)ですね」

「……改めて口にされると恥ずかしいんだけど」

「なんでされる側が恥ずかしがるんですか。こういう時、男の人なら大手を振って堪能するものでは?」

「堪能するのは大前提だけど、あからさまになるには体裁ってもんがあるんだよ。鼻の下を伸ばした姿なんてかっこ悪くて見せらんないだろ」

「……つまり、むっつりすけべ?」

「……否定はしない。ただ、俺はその気になればいくらでも雛に溺れる自信があるから、時と場合を弁えて自制しとかないとマズいんだよ。……ほどほどに」


 最後に曖昧な言葉を付け加えたのは、実際に雛に溺れた経験が一度や二度で済まないからだ。

 甘えてくる雛が抜群に可愛らしいのは自明の理だが、逆に甘やかしてくる立場に回った時の彼女は底なし沼のように深い愛情を向けてくる。気を付けないと、まさしくその沼にずぶずぶと沈んで浮かび上がれなくなってしまうだろう。


 唇を尖らせて拗ねるように答えてしまったせいか、雛がくすくすと可笑しそうに、少しだけ肩を揺らして笑った。人の頭を胸に抱き抱えたまま笑われると、その都度ふよふよとした感触でくすぐられて非常によろしくないのだが。


「そういうところは今も昔も優人さんって感じですねえ。まあ、そんな誠実すぎるぐらいなところも好きになったわけですし、だからこそ私もいっぱいサービスしたくなっちゃうんですけど」


 優しく抱き締められながら、頭をゆっくりと撫でられて、顔のすぐ横で「大好きですよ」と真摯(しんし)な想いを囁かれる。

 俺も、と返そうとして向けた口はすぐ雛によって塞がれ、言葉に続いて甘い吐息と潤いのある感触が愛を伝えてきた。

 

 どうやら一度浸かってしまったこの湯船(ぬま)、這い上がるにはまだしばらく時間がかかりそうだった。

 読者の皆様、いかがお過ごしでしょうか。

 私は二、三日風邪を拗らせてくたばっていたので、皆様もこの季節はどうぞお気を付けくださいm(_ _)m

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