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第2話『ほんのきまぐれ』

 辿り着いたのは校舎の端っこ、第二資料室。生徒からは『モノオキ』なんて通称で呼ばれるだけあり、資料室とは名ばかりの完全なる倉庫と化している。室内にある棚はもちろん、床の至るところに段ボール箱やビニールひもで縛った紙の束、ひいては用途不明のガラクタみたいなものまで置かれていてなかなかにカオスな空間が広がっていた。


 埃っぽさに顔をしかめながら、雛と共に足を踏み入れる。


「これはどこに置けばいいんだ?」


「棚の上の方に空いてるところがあると……あそこですね」


 雛が目線で示した先には、確かにちょうど良さそうなスペースがぽっかりと空いている。女子の平均的な背丈の雛はともかく、優人なら踏み台無しでも届きそうだ。


「それにしても、相変わらずここはぐちゃぐちゃだな。……俺たちが持ってきたの置いたらまとめて消えたりしねえかな」


「テ○リスじゃないんですから」


 適当な冗談にもツッコんでくれる雛である。呆れたような声に肩を(すく)め、優人は二人で運んだ段ボール箱を棚の最上段に置く。これで片付いた。


「ありがとうございます」


 ぱっぱっと手を払っていると、雛は優人に軽く頭を下げた。


「ん。それにしたって空森に、というか女子に頼むような仕事じゃないだろ、これ」


「仕方ないですよ。先生も忙しそうでしたし、安請け合いしたのは私ですから。そもそも横着して一度に運ぼうとしたのも――」


 そこで不意に言葉を切った雛が首を傾げる。その動きに追随して伸びた横髪がさらりと揺れ、窓から差し込む夕暮れでその輪郭がほのかに輝いた。


「どうした?」


「いえ……私、名前を言いましたっけ?」


「空森雛だろ? 俺たちの学年でも有名だし、この学校じゃ知らない奴の方が少ないんじゃないか?」


 ネクタイの色を見せつけるようにトントンと指で叩くと、ぱちりと一度目を瞬いた雛は「そうですね」と苦笑を浮かべた。自分の有名度合いはおおよそ理解しているらしい。


「それで、先輩は?」


「……は?」


「はじゃなくて、先輩の名前を教えてください」


「別に知る必要なんてないだろ。これを機にどうこうってわけでもないんだし」


「それでも、助けてもらった人の名前ぐらいは知りたいですよ」


 じっと優人を見つめて先を促す雛。こうして面と向かって話してみると、なかなかに頑固者の雰囲気が感じられる。


 ここは折れた方が得策かと思ったものの、素直に口にするのも何だか負けたような気がすると感じた我ながら面倒な優人は、制服のポケットから学生証を取り出して無言で雛に突きつけた。


「天見……優人さん、ですか?」


「顔に似合わない名前だと思ったろ?」


「思わないですよ、こうして助けてもらった後なのに」


「けど本当は?」


「……まあ、少し目が険しいかなぐらいは」


「だろうな」


「今のはもう、そういうフリじゃないですか」


 我ながら意地の悪い質問をしてしまっただろうか。


「片付いたんなら俺は帰るぞ。じゃあな」


 先ほどの宣言通り、これ以上雛と特別関わるつもりはない。所詮は学年も違うただの先輩と後輩だ。


 そうして部屋から出て行こうとした、その瞬間。


 ぐきゅるうううぅぅぅ……。


 えっらいデカいお腹の音が室内に響いた。


 優人ではない。ここまで大きく鳴るほど空腹を感じてない。となると、残された可能性はただ一つ。


 優人は何も言わず、ゆっくりと発生源であろう方へ目を向けると――


「……な、なんですかっ」


 頬どころか耳まで真っ赤に染め上げた、ちょっと涙目の雛がこちらを睨んでいるのだった。肩がぷるぷる震えているし、ご丁寧に両腕でお腹を押さえているから大変分かりやすく白状なさっている。


「……ぷっ、ふふっ、く、はははっ……!」


「わ、笑うことないじゃないですかっ!」


「いや悪い、結構主張が激しいんだなと思ったら、つい……ふぐっ」


「~~~~っ!」


 引き結ばれた桜色の唇からは、雛の羞恥がこれでもかと伝わってきた。


 いや本当、目の前であからさまに笑うのは悪いと思うのだが、物静かな才女の抜けてる一面はかなり破壊力がある。


「仕方ないじゃないですかっ! さっきまでずっと図書室で勉強してましたし……それに先輩に会ってからというもの、なんだかやけに良い匂いがして……っ」


 焦った様子で言い訳をまくし立てる雛が自分の鼻をくすぐる。鼻がおかしくなってしまったのかと疑っているみたいだが、心配しなくても彼女の嗅覚は正常だ。


 優人は手にした手提げの小さな紙袋を見る。


(……まあ、いいか)


 どうせ作り過ぎたと思っていたところだし、雛を手伝ったついでの最後のきまぐれだ。


「良かったらいるか?」


 紙袋から取り出したのは、ビニールパックに小分けされた小さなクッキーの詰め合わせ。ほんのりバターの風味が香るそれを雛の目の前に差し出すと、綺麗な金糸雀色の瞳はきょとんと瞬いた。


「……クッキー、ですか。彼女さんにでも作ってもらったんですか?」


「いねえよそんな相手。作ったのは俺だ」


「え」


「予想通りの反応ありがとさん」


 いかにも『意外だ』というように目を見開く雛。何度も優人の顔とクッキーを見比べるが、いくらやったところで事実は変わらない。さすがにここまで見事な反応をされると癪にも障るが、優人も先ほど雛のお腹の音を笑ったのでここは割り切ろう。


「これ、出来立てですよね? なんでまた……」


「こっちはさっきまで部活だったんだよ。料理部――いや、正確には同好会だったな」


 何せ部員総数たった二名の小規模団体。おまけに今日は片割れが休みだったので、一人寂しくお菓子作りに勤しんでいたわけだ。自分で言っててちょっと悲しくなってきた。


「そんで作り終わって帰ろうとしたら、目の前で派手にこけた奴がいて今に至るわけだ」


「……蒸し返さないでください。そもそもそこまで派手でもないですから」


「そいつは失敬」


 肩を(すく)めて降参の意を表明すると、ふくれっ面だった雛の頬から空気が抜けた。


「で、どうすんだ? 無理に押し付ける気もないけど」


「……別にいらな――」


 ぐきゅるうううぅぅぅ……。


「…………ください」


「はいよ」


 危ない、今度こそ大声出して笑いそうになった。


 表情筋に力を込めながら、顔面真っ赤な雛の手にクッキーの袋を置く。それを大事そうに両手で抱えた雛は上目遣いで優人を見上げた。


「……食べてもいいですか?」


「え、ここでか?」


「だって、すごく良い匂いなんですもん。一、二枚ぐらいなら」


 家に帰ってからの夕飯までの繋ぎにでもと思って渡したつもりだったが……本人が食べたいなら止めなくてもいいか。優人は「お好きにどうぞ」と言って振り返る。食べるところをじろじろ見るのも失礼だし、これで本当にお別れだ。


「いただきます」という小さな声に背中を撫でられつつ、室内から廊下へ。だいぶ距離の離れてしまった職員室へ向かおうとすると、背後から声がかかる。


「あのっ、ありがとうございました!」


 そんな言葉にひらりと片手を振るだけで答える。わざわざ振り返りはしない。きまぐれに対する返礼なんてその一言だけで十分だ。

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