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第17話『放課後の勉強風景』

 気付けば、雛が優人の隣に引っ越してきてから早二週間が経とうとしていた。最初の数日こそ色々と偶然が重なって雛と接する機会に恵まれたものの、やはりそれはあくまで偶然の産物だったらしく、ここ一週間ぐらいは特にそういったこともない。


 小唄が言うところの『運命』に昇華されることはなかった。


 学校ではクラス自体が離れているから基本的に顔を合わせることもなく、自宅の方でもたまに玄関先ですれ違い、簡単な会話を交わす程度。別に意図して生活サイクルをズラしているつもりはないし、雛もそれは同じだと思うが、隣人になったからといってそうそう関係が深まるものではないだろう。


 優人だって、引っ越しを機に雛とお近付きになってゆくゆくは……なんて思い上がった考えは持ち合わせていないので、現状にこれといった不満なんてない。むしろ静かで常識的な隣人が来てくれてありがたいぐらいだ。


 避けるでもなく、無闇に絡むこともない。そういった一定の間隔を保つことが、きっと(隣人)との適切な距離の取り方だ。


 ――そんな日常にも馴染んできた、ある日の放課後だった。


「分かった。――ううん、気にしなくていい」


 料理同好会の活動もないのでさっさと帰ろうと肩に鞄をかけた優人が教室を出ると、同級生と話しているエリスを見かけた。会話も終わり際だったらしくすぐに二人は別れたのだが、その場に残ったエリスはどうにも浮かない表情を浮かべている。


「どうかしたのか?」


 気になって声をかけると、優人の方を向いたエリスは形の良い眉を寄せた。


「困ったことになった。お母さんから用事を頼まれて、できるだけ早く帰らなきゃいけないのだけど……」


「無理なのか?」


「私、今日は図書委員の担当日。図書室の受付をしなきゃいけない」


「あれま」


 頻繁には利用しないのでうろ覚えだが、昼休みや放課後、図書室の受付カウンターには生徒が一人常駐していたはず。恐らくその役目のことだ。


「他の委員に代わってもらうとか」


「さっき空振りに終わった。向こうも用事があるみたいだから仕方ない」


 腕を組んだエリスがふむぅ、と難しげに唸る。なるほど、先ほどの会話はそういうことだったらしい。


「俺でいいなら代わるか?」


「……いいの?」


「構わねえよ、今日はこの後暇だし。まあ、そもそも委員でもない奴でいいのかって話になるけど」


「それは大丈夫。受付の仕事は簡単だし、先生にさえ一言断っておけば問題ないから」


「分かった。なら俺がやっとくよ」


「ありがとう。助かる」


 そうと決まれば善は急げだ、と優人が鞄を担ぎ直して図書室へ向かおうとするれば、エリスが何か言いたげな様子で紅い瞳を向けていることに気付く。


「なんだ?」


「……優人はやっぱり、いつの間にかしれっと恋人を作ってそう」


「その話まだ続いてたのかよ。だから勘違いだっての」


「いいや、私の勘は結構当たる。ともかく本当にありがとう。次のお昼は私が奢る」


「はいよ」


 妙に自信たっぷりなエリスからの申し出には手を上げて答え、優人は図書室へと繰り出した。









 エリスの言う通り、図書委員の仕事は簡単なものだった。基本的にはカウンター内で置物のように座ってるだけでよく、時折本の貸出や返却で立ち寄る生徒の対応をする程度。あとは適度な頃合いで返却スペースに貯まった本を棚に戻す作業があるぐらいで、それだって一人で問題なくこなせる量だ。本の背表紙には棚の番号がシールで振られているから、どこに戻せばいいか迷うこともない。


 カウンター内でどう時間を潰すかも自由。勉強するも良し、読書するも良し。何だったら仕事さえしっかりこなせば、スマホでゲームをしていても咎められない。意外と自由度のある楽な仕事だ。


 代理を買って出た以上、任された役目はきっちり果たしつつ、スマホで適当に料理動画でも見て時間を潰す。その間に返却を何件か対応し、ここらで本を棚に戻す作業を挟もうと腰を上げた優人は、『ご用の方はベルを鳴らして下さい』という札を置いて数冊を手に取った。


 背表紙を見ながらテンポ良く戻す中、参考書の類が並んでいるコーナーに通りかかった時だ。


「――お」


 雛の後ろ姿を発見した。以前に比べて見慣れるようになった背格好に気付くのも束の間、棚から一冊の参考書を抜いた雛は自習スペースへと向かう。


 勉強の途中だったのだろう。すでに筆記用具を並べている窓際の席に腰を下ろすと、参考書を開いた雛はノートにシャーペンを走らせ始めた。


(いつもあんな感じで勉強してるわけか)


 優人は棚の影、雛からは見えない位置でその様子を窺う。


 すぐに深い集中状態に入ったらしい雛は、周囲の音など聞こえてないような素振りで黙々と勉強を続ける。定期テストで学年一位に輝くのが納得の集中力であり、ぴんと伸びた背筋からも雛の勤勉さが伝わってくる。


 なんとなく両手の人差し指と親指で「」を作って雛に焦点を合わせてみれば、これぞ優等生のお手本とも言える一枚の完成だ。


 雛の雰囲気は周囲にも影響を与えるのか、その一帯にぽつぽつと着席している他の生徒も、彼女を見習うように机に向かっている。そもそもこの時間帯の図書室にいる時点で真面目な生徒ばかりだろうけど、ここまでくると感心を通り越して恐れ入る。


 そんな彼ら彼女らの集中に水を差さないよう、優人はもう一度雛に労いの視線を送り、音を立てずにその場を後にした。








「すいません、これの貸出をお願い……あれ?」


 最終下校時刻を告げる放送が聞こえた後、カウンターの前に立った雛の声で優人は顔を上げた。不思議そうにこちらを見下ろす整った顔立ち。普段と違う目線の高さに妙なくすぐったさを覚えつつ、中途半端に差し出された状態の本に手を伸ばす。


「先輩って図書委員なんですか? 今まで見たことありませんけど……」


「ただの代理だ。委員やってる知り合いが用事あるらしくな。この一冊でいいのか?」


「そういうことですか。はい、お願いします」


 雛から受け取ったのは一冊の参考書。分厚い冊子に見合った重さは、優人からしてみればそれだけで辟易としてしまう。


「帰っても勉強するつもりなのか。すごいな」


 わざわざ借りるということはそのはずだ。留まることのない雛の勤勉さを賞賛すると、雛はふと自嘲気味に口元を歪めた。


「そうでもないですよ。家事以外、それぐらいしかやることがないだけなので」


「そうか? 学生の本分を全うしてるわけだし、謙遜することもないだろ」


「……ありがとうございます」


 ふっと息を吐いた雛が微笑みを浮かべる。こっちが礼を言われる理由はよく分からないが、気を悪くしてないならまあいいだろう。


「よし、手続き完了。返却期限は一週間後な」


「分かりました。私はこれで帰りますけど、先輩もあまり遅くならないうちに帰らなきゃですよ?」


「母親か。心配せんでも、空森のちょっと後に帰るよ」


「はい。それでは」


 時間をズラして帰ることを暗に告げれば、雛が申し訳なさそうに眉尻を下げた。そうして小さく手を振る彼女と別れ、優人は最後の仕事である図書室の見回りを行う。生徒が残っていないことを確認した後、隣接している図書準備室にいる教員に報告を入れて完了だ。


「……ん?」


 簡単ながらも不慣れだった仕事に若干の疲れを感じていると、不意に優人の耳に気になる音が届いた。外から聞こえるらしいその音は次第に強くなり、優人は近くの窓から外の様子を確認するとげんなりと肩を落とす。


「マジかよ……」


 曇天から降りしきる雨。天気予報での降水確率は低かったのでにわか雨だとは思うが、帰宅を狙い澄ましたかのように降り始めるのはタイミングが悪すぎる。こちとら傘の持ち合わせがないというのに。


 というわけで下駄箱に直行していた優人は進路を変更。こういう時のために学校側ではビニール傘の貸出を行っているので、それを目当てに職員室に立ち寄れば、運良く最後の一本を借りることができた。ギリギリで神に見放されることはなかったらしい。


(……あれ? そういや空森は大丈夫なのか?)


 タイミングを考えれば雛もこの雨に見舞われているはずだ。それとも鞄に折り畳み傘なりを常備していたか、と考えながら下駄箱に辿り着いた優人を待っていたのは、目の前の光景に呆然と立ち尽くす少女の背中だった。

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