第132話『頑張り屋さんのお誕生日』
記念すべき雛の誕生日当日、優人の朝は早い。
予定としては昼過ぎに雛が優人の部屋に顔を出し、それから恋人二人水入らずのお誕生日会に洒落込む流れとなっている。つまりはバースデーケーキ作り含めてそれまでに準備を終えなければならないので、今日が日曜日と言えどだらだら過ごすわけにはいかなかった。
忙しなくもあるが、もちろんやる気は十分。手早く朝食と身支度を整えると、優人は早速買い物のために外へと繰り出した。
とはいえ、昨日までのうちに大体の準備とプレゼントの購入は済ませてあり、午前中の買い物は少し足りなさそうなものや、ケーキに使う果物類を買い足す程度。計画は綿密なだけに買い物も滞りなく完遂し、家を出てから一時間も経たずに優人は帰宅した。
購入したものを仕分けし終えれば、次に取りかかるのは部屋の掃除だ。
普段から心がけている簡単な掃除では行き届かない細かいところまでじっくりと、それこそ埃一つ見逃さない心持ちで室内――特に雛にくつろいでもらうテーブル回りを綺麗にしていく。
さすがに誕生日らしい飾り付けまではしないが、その分の労力は清潔さへと注ぐことにする。
掃除が終わればメインとなるケーキ作りへ。
安奈からのアドバイスなどを交えて汲み上げた脳内完成予想図に則って調理を進め、こちらも問題なく完成にこぎ着けた。完成させた直後、どこかに綻びがないかと様々な角度から確認してしまったのは内緒だ。
途中で昼食を挟みつつ、色々な準備を終えて一段落した午後二時過ぎ、施錠してあったはずの玄関が開く音に優人は顔を上げる。
そういえば合い鍵を渡したんだったな、と思い出して笑いつつ、扉の向こうから現れた恋人の姿にまた頬を緩ませた。
「お邪魔します、優人さん」
「いらっしゃい」
玄関先で言葉を交わしながら、雛が脱いだ靴を揃えて端に寄せる。そうして振り返った彼女の姿を目にし、優人は少し目を見開いた。
「どうかしましたか?」
「いや……どっか出かけてきたのか?」
「いえ? ずっと家にいましたけど……あ、この格好ですか?」
優人の違和感の理由を察したらしい雛はくすりと微笑み、その笑みに悪戯っぽい色を加えながら自身を見下ろす。
雛の身体を包む衣服は明らかに外行きの、しかもかなり気合いの入ったコーディネートだった。
トップスはレース素材のブラウス。大胆なことに鎖骨周りから二の腕にかけてが透ける仕様になっており、さすがに大事な部分はインナーで隠されているようだが、うっすらと見える白い肌には心臓がざわつく。
下は雛の腰の細さを際立たせるようなコルセットスカートで、膝丈の裾から伸びる脚線美は相変わらず素晴らしい。
そしてさらさらの髪には、優人がプレゼントした桜の花を模したヘアピンも留められており、最後に満面の笑顔という名の化粧を施した雛はその場で器用にくるりと一回転した。
振りまかれたように届く甘い匂い、それから空気を含んでふわりと浮かび上がるスカートの動きに意識が奪われる。
まるでファッションショーのモデルのような仕草は、これからのことに期待で胸を膨らませる雛の内心を表すかのようだった。
「お祝いの席を用意してもらったわけですし、服装も相応しいものがいいと思いましたので」
ともすればいいとこのお嬢様のような格好の理由はつまりそういうことらしい。
部屋着でも問題ないのに、わざわざお洒落をして優人の部屋を訪れた雛の心意気に、自然と口元が緩む。正確には、目の前の恋人の可愛らしさに頬がにやけると言った方が正しいだろう。
口を突いて出た「すごく可愛い」という褒め言葉に、雛が「ありがとうございます」と穏やかに返す。一見すると平然としているが、しっかり照れていることはヘアピンのおかげで露わになった耳の赤さが教えてくれた。
「楽しみにしてもらって何よりだよ。それではお客様、こちらへどうぞ」
「ふふ、今日はよろしくお願いしますね?」
芝居がかったお互いの態度に笑い合う中、優人は恭しく雛の手を取り、まずはソファの方へと彼女を案内した。
雛を招いてからしばらくまったりと過ごし、やがて時間は夕食時に。
ケーキに関しては優人が手ずから用意するとして、その前の夕食はどうするかというのは一つの問題だった。
いつも通りの食卓というのは少々味気ないだろうし、ましてや豪華な料理を雛に作ってもらうのも気が引ける(本人は別に構わないと言ったが、そこは優人が説き伏せた)。
お菓子作りはさておき、その他の料理については優人が特別達者でないことも加味した結果、出前でパーティ系の料理を取り寄せようということに決まった。少し値は張るが、優人も雛も親からの仕送りを散財せずに使う方だったので、たまの贅沢ぐらいなら問題ない。
そうしてつい先ほど配達された料理の数々を前に、隣同士で座る二人は若干渇いた笑いを浮かべざるをえなかった。
「ちょっと頼み過ぎたか……」
「ですね……」
ローテーブルに並べられた料理はもちろん雛と二人で選んだわけで、決して注文間違いということでもないのに、実際にこうして目の当たりにするとやはり笑ってしまう。あれやこれやと頼んでしまったのは、お互い何だかんだでテンションが上がった結果だろう。
「ケーキ、入りそうか?」
「いれます、たとえお腹がはち切れそうでも絶対にいれますっ」
「そんな苦しみを抱えてまで食べてもらうのはちょっと複雑だなあ」
「あ、いえ、そういうわけでは……」
「分かってる分かってる。ま、こっちの料理は余ったら冷蔵しときゃいいさ。火が入ってるもんなら一日ぐらい大丈夫だろ」
柔らかく雛を諭し、優人は雛のグラスへと赤紫色の液体を注ぐ。一見ワインのように見えるが、もちろんノンアルコール飲料であるぶどうジュースだ。
自分のグラスへも注ぎ終えてから雛へ向けてグラスへ掲げると、彼女も両手で持ったグラスを優人と同じ高さまで上げる。
「それじゃ準備も整ったところで、いただきます」
「はい、いただきます」
グラス同士がぶつかる軽やかな音が雛のお誕生日会の始まりを告げた。




