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【本編完結済み】頑張り屋で甘え下手な後輩が、もっと頑張り屋な甘え上手になるまで  作者: 木ノ上ヒロマサ
第3章

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第120話『朝のお見送り』

 それは、六月中旬の明け方のことだった。

 夜が明け、ようやく遠くの方の空がうっすらと白み始めたその早い時間帯、優人は寝間着のジャージ姿のままアパートの出入り口に立つ。

 いつもならまだ布団にくるまっている時間なだけに残った眠気のせいで頭は若干不明瞭だが、だからと言っておいそれと欠伸の一つでも漏らせないのが現状だ。


 何故かと言えば――


「むー……」


 目の前で不服そうな態度を隠すこともせず、絶賛現在進行形で物言いたげに優人を見上げる恋人――空森雛の存在があるからだ。


 優人が表に出るにはだらしない寝間着姿である一方、対する雛はきっちりと学校の制服を着こなし、傍らには大きめのボストンバッグが置いてある。

 荷物を除けば普段から見慣れている姿なのだが、彼女が浮かべる表情はあまり見たことがない、小さい子供が駄々をこねる時のような不満顔だ。


 どちらかと言えば綺麗系の顔立ちである雛が見せる幼げな表情は、これまた不思議とマッチしてて可愛らしい。ぷくりと膨れた柔らかそうなほっぺたを(つつ)いてみたい衝動に駆られども、今の彼女を茶化したら余計にへそを曲げられそうなのでここは我慢だ。


 代わりに苦笑して肩を竦めるに留めると、優人は小さな唸りを上げ続ける雛の頭を優しく撫でる。


「仕方ないだろ、まさか修学旅行を休むわけにもいかないんだし」

「それはそうですけど……数日でも優人さんと離れ離れになっちゃうじゃないですか……」


 雛がぐずる理由は、つまりそういうことである。

 雛たち二年生は本日より、北海道へ二泊三日の修学旅行。当然のことながら去年は優人も参加した行事であり、内容が変わっていなければ牧場の見学などをするはずだ。

 親しい友人というものがあまりいない優人でも何だかんだ楽しんだ記憶がある。


「仲の良い奴らで班は組めたんだろ? きっと楽しいぞ」

「修学旅行自体はもちろん楽しみですよ。でも、優人さんが一緒だったらもっと楽しかっただろうなって……」

「まあな」


 すぐに苦笑混じりの同意を返せたのは、似たようなことを優人も度々考えたことがあるからだ。

 学校生活のふとした瞬間、例えば同じ教室に雛がいてくれたらもっと充実しただろうなと。

 学年が違う以上は致し方ないことであっても、そういった考えを抱いてしまう彼女の気持ちは十分に理解できた。


 それに、ここ数ヶ月はほぼ毎日と言っていいぐらいお互いに顔を合わせている。たった二日程度でも愛しい人がそばから離れてしまうのは寂しく、恋人としての付き合いを始めたばかりのこの時期では、その感情も一入(ひとしお)だ。


 しかしだ。いい加減区切りをつけないと、せっかくの修学旅行に遅れてしまう。


「雛」


 名前を呼び、宥めるように頭に置いていた手を滑らせて肩へ。力を加えて自分の腕の中へ華奢な身体を抱き寄せると、もう片方の手でまた頭を撫でる。

 艶やかな群青色の髪の上から、空気を含ませるようにゆっくり、ゆっくりと。


 自分から雛を抱きしめるのはまだ恥ずかしく、早くなる心臓の音は彼女に聴かれているかもしれない。けれど、寂しい想いを抱えている恋人をただ見送るわけにはいかないので、優人は羞恥心を堪えて雛のことを抱きしめ続けた。


 最初は驚いたように硬直していた雛もやがて落ち着ける位置を見出したのか、優人の胸にもたれる形で身体の力を抜く。

 全幅の信頼と共に預けられた身体の柔らかさと花のような甘い香りで血が熱くなるようだった。


「急に抱きしめるなんて、びっくりするじゃないですか」

「ちょっとの間だけど会えないからな。今のうちに少しでも雛を甘やかしておこうかと」

「……ありがとうございます。なら、もうちょっとだけ優人さん成分を補給させてもらいますね」

「何その成分」

「優人さんから得ることのできる元気の源です。こうやって密着するとたくさん補給できます。ちなみに私専用です」

「言われんでも雛以外にやらんわ。どうぞ存分に補給してくれ」

「わあい、やったー」


 いつもに比べてだいぶ幼げな声を上げ、雛が優人の胸に頬ずりをしてくる。

 朝っぱらから外で何をやってるんだと冷静な頭の片隅が訴えを起こすが、五感で感じる雛の嬉しそうな姿ですぐに塗り潰されていく。

 顔こそ優人の胸に埋まっていても、満面の笑顔を浮かべているのは肌で分かった。


「優人さん」

「ん?」

「――んっ」


 腕の中から優人を見上げる雛に答えると、不意打ちのように頬に柔らかな感触が押し当てられる。

 小さい水音の後に残るほんのりと湿り気のある熱さは、優人の顔を燃え上がらせるのに十分過ぎる威力を誇っていた。


「ふふ、いってきますのキスといったところですかね」

「こういうのって普通見送る側がするもんじゃ……」

「……なら、優人さんからもしてくれますか?」


 金糸雀色の瞳を瞼のカーテンが覆い隠し、端整な顔立ちが無防備に晒される。

 薄暗い中でもはっきりと分かるほど紅く色付いた肌はどこか艶めかしく、どこもかしこも潤いに溢れてそうな雛はまさに瑞々しい果実のようだ。


 雛と同じように頬――は万が一に危うそうなので、さらさらの前髪を手で押し上げて雛の額に自分の唇を降らせた。

 接触はわずか一秒程度。

 現れた雛の瞳の奥にほんのちょっとだけ物足りなさそうな色が見え隠れしたが、すぐに優人がキスした場所を指でなぞり、ふにゃふにゃと溶けたような笑みを覗かせた。


「えへへ、濃厚な優人さん成分を頂きました……」

「濃厚言うな」


 ただでさえ暴れる心臓に危うく聞こえる発言はやめてほしい。

 ひとしきり笑った雛は満足したように優人から離れ、傍らのボストンバッグを肩に担ぐ。


「楽しんでこいよ」

「はい。こんな朝早くからお見送りまでしてもらってありがとうございます」

「これぐらいお安い御用だ。――いってらっしゃい」

「いってきます」


 にこりと可愛らしい笑みを残して雛が歩き出す。

 彼女の姿が曲がり角に消える最後の一瞬まで、優人はその背中を見守るのだった。

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