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公爵閣下の心労

 宮殿の政治区画を二組の貴人が闊歩する。王太子が夜の乙女をエスコートし、バンフィールド次期公爵がバンフィールド公爵令嬢をエスコートしていた。周囲をザラとウォルター含む護衛たちが固めている。

 この組み合わせに落ち着くまでも、王太子と次期公爵が冷ややかに舌戦を繰り広げていた。最重要の国賓(夜の乙女)を王太子がエスコートせずなんとするのかとアビゲイルが口を挟まなければ、今なお外にいたことだろう。


 流石に少しくらいラッセルの気持ちが伝わってもいいのでは、と同行している者のほとんどが思っていた。ところが、当のアビゲイルはすべてを“ラッセル様がお優しいから”と受け止めている。

 ゲームでのお相手が夜の乙女だと知っているせいか、ふたりは恋愛関係にないと言われたところで自分がラッセルと両想いだとは微塵も考えられないようだった。


「アビゲイル!」

「……お父様?」


 衆目を集めながら進む中、アビゲイルへ唐突に声が掛かる。

 一行は第一大蔵卿の事務室へ向かっていたところだったわけだが、その第一大蔵卿がなぜだか後ろから現れたのだ。声をかけられたアビゲイルのみならず、王太子や夜の乙女も困惑が顔に出ている。

 その雰囲気を正確に把握したのだろう第一大蔵卿ことルシアン・バンフィールド公爵が続けて口を開いた。


「学園での騒動については少し前に報告を受けている。急ぎの仕事だけ片付けて学園に向かおうとしていたのだがね、君たちがこちらに着く方が早かったようだ。入れ違いにならず幸運だった」

「いいかな、バンフィールド公爵」


 公爵であろうと、否、公爵だからこそ王族に対して自分の方から声を掛けることなど出来るはずがない。高位の人間が秩序を乱すような態度を取っては、示しがつかないのだから。

 当然だがラッセルの方もそれをよく承知しており、手早く話をつけるために自ら進んでルシアンに声を掛けたのだった。


「もちろんでございます、ラッセル殿下。お許しいただけるのでしたら私の事務室にご案内いたしますが」

「では頼もう」


 冤罪未遂や公爵令嬢の婚姻の話など、言うまでもなく耳目のあるところですべきものではない。ルシアンに先導され当初からの目的地、第一大蔵卿の事務室へと一行は再び足を向けた。

 そもそも第一大蔵卿は政務が多い。実務的観点から事務室の中では最も宮殿の出入り口に近い部屋が事務室として割り当てられていた。

 そんなわけで、王太子たちはすぐにルシアンの事務室に到着する。今回もまた、王太子付きの護衛たちは扉の前で待機の流れだ。


「ブレット、紅茶を頼む」

「閣下、お早いお帰りで……すぐにお持ちいたします」


 第一大蔵卿補佐のブレット・パーキンズは、その藤色の瞳でルシアンを捉えると気安い調子で応対した。だが、その後ろに王太子の姿を認めるなり、瞬く間に襟を正して簡易キッチンへ引っ込む。

 多忙ゆえか肩甲骨より長く伸び、ひとつにまとめられた青色の髪がたなびいて目を引いた。ウォルターと同じ色だ、とアビゲイルはぼんやり思う。それから、巻き込んだ彼を自由にしなければと気を引き締め直すのだった。


「僕たちは公爵に頼みがあって訪ねたのだが、学園での話を聞いたということは公爵の目的も同じなのではないか?」


 ルシアンに促されるまま王太子を始めとして全員が席に着いた直後、お茶が入るのも待たず、ラッセルが早々に口を開く。ブレットのことを気にしてか随分と婉曲な表現になっているが、ルシアンになら伝わると思われた。


「おそらく。私はアビゲイルとウォルターを伴い教会に向かうつもりでした。先程も申しましたが、喫緊の仕事は片付けましたので1時間ほどならこちらを離れても支障はありません」

「それなら話は早い。僕も同行させてもらおう」

「失礼ながら殿下、生徒会長が不在のままでは卒業パーティーが締まりません」


 ルシアンがラッセルを一刀両断する。卒業パーティーのことなどすっかり頭から抜けていた面々は、知らず口を揃えて「あ」と発音していた。

 ありがちすぎて明言する必要さえなさそうだが、この国の王族は学園に通う間生徒会長を務めることになっている。生徒会室を使用していたことからも分かるとおり、例に漏れずラッセルも生徒会長の座に着いていた。

 そのラッセルが露骨に落胆した顔をする。生徒会長の踊るラストダンスの相手が自分だと知っている光も、学園へとんぼ返りすることを思ってうんざりした顔をしていた。

 関わりのないフランシスは、アビゲイルとラッセルを引き離せることもあってか楽しげに口角を上げている。

 それを見咎めたルシアンが重ねて発言した。王太子が息子に対して不満を募らせることは避けなければならない。彼らは未来の王国を担う者たちなのだ。


「フランシスは私の代わりにここで仕事だ。おまえが触っていいものをブレットが振り分ける。私が戻るまでやってくれるな?」

「ですが」

「お茶をお持ちしましたよ」


 湯気を立てる人数分のカップを危なげなく運びながら、ブレットが姿を見せる。発言を遮られたフランシスだが、顔に貼りつけた笑顔を崩すことはしなかった。流石の外面である。

 ブレットもブレットで、あえて空気を読まず現れたようだった。フランシスを一瞥して、上司であるルシアンに視線を送っている。普段から第一大蔵卿を支えている手腕は伊達ではないらしい。


「悪いな、ブレット。さて、フランシス。アビゲイルのためだ、まさか出来ないとは言えまい?」

「……承知しました」


 反論する無益さをすぐに悟ったフランシスが笑顔のまま頷いた。その瞳には憤りが見え隠れしている。それに気づくことが出来たのは3人だけだったようだが。


「では、殿下とヒカリ様は学園へ、私たちは教会へすぐに向かいましょう。ザラもついてくるといい」

「感謝申し上げます、旦那様」


 第一大蔵卿にこそ付き人が必要だが、今回は公に動くわけにいかないこと、そもそもウォルターとザラがバンフィールド公爵の使用人であることと都合の良い条件が揃っていた。幸いなことに、バンフィールド家の者だけで教会に赴くことが出来る。アビゲイルは秘かに安堵の息を漏らした。

 王族と政治家とでは馬車置き場が異なるため、王太子と夜の乙女は事務室を出た途端別行動になる。


「公爵……よろしく頼む」

「もちろんでございます」


 王太子を見送る姿勢を取っていたルシアンに一声かけ、カーツィをしているアビゲイルと視線を交わしてラッセルが踵を返した。そのエスコートに従順に光も遠ざかっていく。

 かと思えば、歩きながら少し振り向いてアビゲイルに声を掛けた。


「アビゲイル様、明日ランチご一緒しましょ! 迎えに行きますから!」


 言うだけ言って返答も聞かず、その背中は見えなくなる。角を曲がってしまったのだ。


「……アビゲイル、いつの間に夜の乙女と親しくなったんだ」

「本日はいろいろとありましたので……」


 珍しくルシアンが驚いた表情をしていた。前世やゲームのことなど伝えるわけにはいかないアビゲイルは、ひどく曖昧に答えるしかない。

 そんな返答であっても、娘に友人が出来たことに変わりはないとルシアンは内心安堵した。気を許せる相手がザラだけというのは心配の種だったのだ。


「私たちも移動しなければ」

「はい、お父様」


 父から追及の言葉がかかると思っていたアビゲイルは肩の力を抜いた。

 元来ルシアンは口数が多い方ではない。その後は一言も発することなく、4人で馬車に乗り込んだ。


「……今日は頑張ったな、アビゲイル」


 馬車が動き始めるのとほぼ同時にルシアンが告げる。その静かな声は馬車という狭い空間でアビゲイルの鼓膜を震わすに十分な大きさであった。なおかつ、家族の間に漂う柔らかな沈黙と調和する不思議な声色をしていたのである。

 父の労いがアビゲイルの心にゆっくりと沁みた。

 ルシアンはアビゲイルとほんの数秒目を合わせ、外の景色へと視線を移す。


「はい、お父様」


 表情を動かさないまま答えたアビゲイルのその声も、少し上向いたその目尻も、多分に湿り気を帯びていたのだった。

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