第1幕ー7 戦艦
バグミュダットから遠く離れた大海原。
その地底深くに広がる広大な暗黒海を裂くように、ひときわ異様な巨大戦艦が静かに浮かんでいた。光なきこの地底海にあって、艦の船体は夜のごとく黒く塗り込められており、外殻には無数の魔導刻印と金属符号が並んでいた。全長500メートルに及ぶその艦は、まるで旧時代の神殿と要塞が融合したような荘厳な姿で、大地の力そのものを押しとどめるように静かに波間に浮かんでいた。
その中心に君臨するのは、地底世界最大の悪名を持つ男、ハルト三世である。
彼は、巨大な作戦司令室の玉座に座っていた。
重厚な鋼鉄で作られた壁一面には、立体地図と敵国の動向を示す魔導映像が展開されており、淡く輝く緑色の光が彼の蒼白な顔に陰を落としていた。漆黒のマントを羽織り、赤い宝石を冠に掲げたその姿は、支配者というより審判者のような冷たさを宿していた。
その玉座の下、数十人の将官と兵が膝をつき、静かに命令を待つ。
彼らを束ねるのは、“七眷属”と呼ばれる七人の異能の戦士たち。
それぞれが一国の軍勢に匹敵する力を持ち、血の海を渡ってきた歴戦の戦鬼たちだった。
そのうちのひとり、元バクミュダットの将軍にして剛腕を誇る男――ギラが進み出た。黒鉄の甲冑を身にまとい、右肩にはかつての階級章、左胸にはハルトの紋章を刻んでいる。
「ハルト様、いよいよ部隊はは全て揃いました。私どもの、兼ねての願い通り、地底国征服への夢も目前でございます。」
ギラの声は低く、そして誇りに満ちていた。
だが、その声音には狂気と興奮の響きも交じっていた。
長年、自らを裏切り者と呼び捨てたバクミュダットの将兵たちへの、歪んだ復讐心がそこには潜んでいた。
ハルトは軽く頷き、視線を前方に向けた。
彼の声は、静かでありながら、室内のすべての金属を振動させるような力を帯びていた。
「ギラよ、ごくろうだったな。作戦通りまずは、リヒュテインの首都ミカエル市を壊滅させるぞ。」
その言葉が放たれた瞬間、室内の空気が一段と冷え込んだ。
この戦艦には、戦争のために生み出された“最終兵器”が搭載されていた。
それは、地底文明において禁忌とされてきた技術――原子核反応を利用した兵器。
計画ではリヒュテインの首都に原子核ミサイルを打つ。すると核ミサイルにより街は壊滅する。そして核ミサイルを使い次々と地底国の主要都市を壊滅させた後、各地に眠る死の神をフェムシンムを使って暴走させ生き残っている人類を皆殺しにし最後に高性能放射砲で地底大陸全体をめちゃくちゃに破壊する計画だ。
作戦室の中央にある浮遊盤には、すでに各都市の座標と攻撃ルートが示されていた。
その輪郭は、まるで地底世界に刻まれた“死の刻印”そのものだった。
「全ては7日後の日のために用意しておりました。リヒュテインは、この強力ミサイルにより火の海となるでしょうな。私どもは兼ねてこの日のためにフェムシンムと手を組み、高性能放射砲を完成させましたのだからな」
ギラの言葉に、数人の将官がうっすらと笑みを浮かべた。
だが、その笑みの裏には、誰も知らぬ恐怖もあった。
高性能放射砲――それは、あまりに強大すぎる兵器であった。
高性能放射砲は打たれれば、上空に向かって打たれる。その際強力な光と共に上空は光り出す。そのまま上空から1500℃の光が多い、地底大陸全域に広がり大陸全体を吹き飛ばしてしまう。しかしその瞬間戦艦には強力なバリアフィールドを作り出され、艦隊の中に乗ってるハルトとフェムシンムは、死を逃れられる。
この戦艦にはその“選別”を可能にする、魔導障壁炉が搭載されていた。
発動すれば、あらゆる衝撃・熱・放射を遮断し、内部の空間をわずかに保存することができる。だがそれは、この艦に乗る者だけに許された“救済”だった。
そしてその艦の深奥、厚い鋼鉄と呪符で封じられた牢の奥――
そこには、一人の囚われた少女がいた。
艦隊の中央の部屋の奥には拉致されたエミリオの恋人のマリアがいた。
鎖に繋がれ、粗末な寝台に横たわるその少女の姿は、もはや“囚人”という言葉すら生ぬるく思えるほど、痛ましいものだった。
ギラは怒鳴りつけた。
「女。来い。ハルト様がお呼びだ。」
彼の声は鉄のように鋭く、マリアの頭を揺らした。
疲労と絶望に蝕まれた身体を無理やり起こし、マリアは引きずられるようにして部屋を出た。
ギラの荒々しい腕が、マリアの細い腕を乱暴に掴んだ。
冷たい鎖が鉄の床に引きずられる音が、艦内に不気味な残響を響かせていた。
彼女の身体は既に限界を迎えていた。
飢えと寒さ、そして連日の尋問と屈辱――だが、その瞳だけはまだ光を失っていなかった。
その光の奥には、たった一つの想いが宿っていた。
(エミリオ……あなたは、きっと来てくれる)
それだけを信じて、彼女は今日まで耐え抜いていた。
酷い環境、冷たい床、無味な食事、そして時折聞こえる兵たちの笑い声――
すべてが彼女の心を蝕もうとしていたが、彼女は決して折れなかった。
ギラに引きずられながら、長い廊下を歩く。
無機質な金属の壁がどこまでも続き、足音が冷たく響く。
兵士たちが時折マリアを横目に見やるが、その表情に哀れみはない。ただ、彼女が「所有物」であるかのような視線が刺さった。
やがて、巨大な扉が開かれた。
その奥、玉座の間には、戦艦の主――ハルト三世が待ち構えていた。
ギラはマリアを突き飛ばすようにして、玉座の前に跪かせた。
マリアは手錠で両手を繋がれ、酷い状態だった。
「おお、マリアよ、来たか。美しい娘だ。」
その声は甘く、滑らかで、だがどこまでも冷たかった。
まるで一輪の花を愛でるように、あるいは珍しい獲物を観察するように、ハルト三世は玉座から立ち上がり、ゆっくりとマリアへと近づいていく。
その姿は不気味だった。
贅を尽くした紫の軍服、宝石を散りばめた短剣、しわ一つない手袋。
だがその手袋越しに伸びた指が、マリアの頬をなぞった瞬間、彼女の全身に嫌悪が走った。
ハルト3世の部下に酷い目に合わされていたマリアはうっすら目を開けて口を開いた。
「あんなに沢山の村人の中から私を選んで、わざわざ誘拐するなんて一体どういうつもりなのよ。」
ハルトはマリアの傍によるとマリアの顔を触り尽くした。
「お前は美しい。私の妃に相応しい女だ。他の女共は取るに足らん。」
その言葉を聞いた瞬間、マリアの中で堰を切ったように怒りが溢れた。
「あなたの妃になんてなりたくない。人殺し。私のお父さんやお母さん、大勢の村人を殺したあなたは、豚以下よ。」
その一言が、部屋の空気を一変させた。
ギラは激しい怒りを抱きマリアの元へ近寄った。
「ほざくな女。貴様、我が君に向かって無礼な口をたたきやがって、許さんぞ。」
その手が剣にかかる寸前、ハルトが手を掲げて制した。
「寄せ、ギラ、
ふん、マリアよあまり私に対してへらず口を叩くなよ。そのうちその口もたたけぬようにしてやるがな。その様子だとお前は今でもあのリヒュテインの白馬の王子様を待ち続けているのか。無駄だ。」
その声は、もはや軽蔑ではなく、哀れみすら含んでいた。
だがそれは、相手の尊厳を踏み躙る最も冷酷な種類の哀れみだった。
マリアは、痛みと屈辱に震えながらも、心の中で叫んでいた。
(エミリオ……来て……私、まだあなたに……)
マリアはエミリオがきっと助けてくれるだろうと信じていた。しかし所詮エミリアの剣の腕だけで七眷属に叶うはずがない。
ギラ以外の7眷属にもフェムシンムも背後にいる。
七眷属――それはハルト三世のために集められた、神に等しき異能の兵たち。
ギラはその一人に過ぎず、残る者たちもまた、常軌を逸した力と狂気を宿していた。
そのうちの一人は、かつて地底で龍の巣を一人で制圧したと言われる男。
また一人は、音もなく対象の影に潜み、息の根を止める暗殺術に長けた女。
そしてもう一人は、狂気の音楽で人々を操る「黒の楽師」――
彼らの存在は、地底世界において“人智を超えた災厄”として恐れられていた。
「しかし、あの女の恋人のリヒュテインの野郎はほんとにムカつくな。早く殺したいものだ。どうにかならないものか。」
ギラの苛立ちは限界に近づいていた。
己の忠誠心が、マリアという女一人に影を落とされていること自体が我慢ならなかった。
だが、その空気を一変させるように、艦内の扉がひとつ開いた。
ハルトが困っている所へ1人の男が現れた。
「ハルト様、俺にお任せを。」
その声は、軽やかで、どこか陽気さすら漂わせていた。
現れたのは、金髪の派手な身なりの男だった。
奇抜なジャケット、陽光のように輝く髪、そして腰にぶら下がる二本の熱線刀。
足元のブーツには火炎式のジェット装置が組み込まれており、彼の歩くたびに火花が床に散った。
「俺の手に欠かれば、そんな男フルボッコだっせ。」
その口調には、まるで戦争すら一つのゲームであるかのような軽薄さがあった。
だが、その気配は確かに――危険だった。
七眷属の1人ザクアだった。最強の腕を誇る熱線刀の使い手にして銃の名手。
彼の登場に、艦内の空気が再び張り詰めた。
「ギラお前に手柄を横取りされて溜まるかってや。やつは俺の獲物やかんな。」
ギラが一瞬だけ眉を動かす。
二人の間に漂うのは、同僚としての尊重ではなく、むしろ“狩人同士の獲物争い”だった。
艦内の空気が揺れた。
ザクアの登場は、まるで封じられていた熱が突然吹き出したかのような衝撃だった。
金髪を無造作に撫で上げながら、彼は玉座の階下を悠然と歩く。
その一歩ごとに、火花が床を滑り、周囲の兵士たちが無意識に後ずさった。
ギラは、ザクアの言葉に唇を歪めた。
「……戯言を。貴様がどれほど騒いでも、所詮は余興にすぎん」
低く唸るような声。その奥には、確かな苛立ちと警戒があった。
七眷属――その名を冠する者たちは、互いに手を取り合うような関係ではなかった。
むしろその力と実績を競い、ハルト三世の寵愛を奪い合う、選ばれし猛獣たちであった。
「ギラお前に手柄を横取りされて溜まるかってや。やつは俺の獲物やかんな。」
ザクアの声は軽い。だがその目は、まったく笑っていなかった。
彼は、獲物を前にした肉食獣のような、深い蒼い光を瞳に宿していた。
ハルト三世は、その様子をまるで娯楽でも観るかのように静観していた。
彼にとって、部下同士の競争は実に都合の良い娯楽であり、効率的な淘汰の仕組みでもあった。
「ふふ……互いに競い、互いを貪るがいい。強き者だけが、私と共に未来へ至るのだからな」
その囁くような言葉が、玉座の間に広がった。
マリアは、足元でその言葉を聞いていた。
手錠で繋がれた両手。膝をついたままの身体。
だが、その瞳だけは決して地に伏してはいなかった。
(……こんな男に、世界は渡せない)
彼女の中に、怒りが芽吹いていた。
それは恐怖を超えた怒り。奪われた故郷、命、未来――そして“愛する人との日々”。
マリアは歯を噛み締める。
まだ声は出せない。だが、心の中で叫んでいた。
(エミリオ……私は、ここにいる。あなたが来るまで、絶対に諦めたりしない)
ハルト三世は、ふとその視線を感じたのか、マリアの前に膝をつき、その顔を覗き込んだ。
「まだその目を失っていないのか。見苦しいな」
吐き捨てるように言うと、手袋を外し、再びその指先でマリアの顎をなぞった。
マリアは、その手を払いたかった。だが、鎖が邪魔をした。
しかし、目は逸らさなかった。むしろ、睨み返した。
ハルトの指が止まった。
一瞬、彼の表情に、興味とも不快ともつかぬ揺らぎが浮かんだ。
「面白い女だ。だがその意志も、七日後には灰となる。私の光によってな」
その言葉に、ギラが再び玉座へと近づいた。
「ハルト様、我らの準備は万全です。ザクアの言葉を信じるのであれば、リヒュテインの剣士を誘い出す役目を彼に。ですが、処刑は――このギラにお任せを」
「処刑? ふふ、違うな、ギラ。私は奴に死を与えるつもりはない」
その言葉に、玉座の間が一瞬、静まり返った。
「むしろ、生かしたまま、すべてを見せてやる。
愛する女が他の男の妃となる様、
仲間たちが焼き尽くされる様、
地底世界が滅びゆく様を、
その目で、刻ませてやるのだ」
その言葉は、戦略というにはあまりにも残虐だった。
だが、それこそがハルト三世という男の本質だった。
絶望を、見せつけること。
希望を、粉々に踏みにじること。
それこそが、彼の快楽であり、支配の手段であった。
ギラとザクアは顔を見合わせた。
「ふん、やはり“趣味”が悪いぜ、あんた」
ザクアが肩をすくめた。
「だが、そういうの、嫌いじゃねぇ」
ギラは鼻を鳴らしただけだったが、その眼差しには不快感が滲んでいた。
ハルトは再び玉座に身を沈め、薄く笑んだ。
「計画は、既に動き出している。
あとは、獲物を誘い出すだけだ――なあ、マリアよ」
マリアは黙っていた。だがその沈黙は、屈服ではなかった。
それは、心の中で灯を灯し続ける、戦火のような静かな決意だった。
(――必ず、エミリオが来る)
彼女は、そう信じていた。
たとえ、七眷属が立ちふさがろうと。
たとえ、この空が崩れようと。
愛する人が、自分を諦めるはずがない。
だから、彼女もまた、絶対に諦めない。
ザクアはマリアの足元に視線を落とし、そしてふと鼻を鳴らした。
「じゃあ、俺ぁそろそろ準備するわ。見せてやるぜ、派手な花火ってやつをな」
彼は肩を揺らしながら背を向け、艦内の奥へと消えていった。
その背中には、まるで遊戯の舞台に臨む道化のような軽やかさがあった。
ギラはしばらくその背を睨みつけていたが、やがてハルトに向き直った。
「我が君。エミリオ・ロシュマンが現れた時、私が止めを刺します」
「いいだろう。ただし……その前に、彼がどれだけ“見苦しく足掻く”かを楽しませてもらうぞ」
ハルトは笑っていた。
それは、王の笑みではない。
人の皮を被った魔の笑み――世界の終焉を見届ける“神の模倣”のような。
そして、その笑い声を背に、マリアは静かに瞳を閉じた。
(エミリオ……私は、あなたを信じてる)
暗黒の戦艦、その中心に灯るわずかな祈り。
それが、この世界で最も小さく、最も強い光だった。