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エスポル旅行記~夢幻の園~  作者: アリナス
第1章 地底旅行と異世界の夢
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第1幕ー2 レオンハルト

 それから龍太郎と峯岸は、港の搭乗口へと向かった。地底の都市とは思えぬほど広く整備された道を抜け、二人は周囲の景色を驚き混じりに眺めながら足を進めた。空のように仄かに光る天井には、巨大な浮遊水晶が浮かび、幻想的な光を絶えず降り注いでいた。


搭乗口の前には両替所が設けられており、木とガラスで構成された優雅なカウンターには、異世界の装飾が施されていた。そこに腰掛けるスタッフたちの装いもどこか民族衣装を思わせる美しさがあった。


二人は手持ちの日本円を現地通貨へと換金した。

この地底国バクミュダット公国における通貨の名称は「バクミュダットチェリー」と呼ばれていた。その音の響きはどこか牧歌的で甘やかだったが、1チェリーは日本円でおよそ137円という高額な価値を持っていた。まるでドル高円安のような感覚に、龍太郎は苦笑を禁じ得なかった。チェリーの下位通貨単位には「ベリー」と呼ばれる硬貨があり、100ベリーで1チェリーに相当するという。

円で統一された現代日本の貨幣感覚とは大きく異なるその体系が、この世界の異質さを改めて印象付けた。


財布代わりに渡された小さな革袋の中には、金色や銀色に輝く硬貨が詰まっており、どれも彫刻のように美しかった。どの硬貨にも動物や植物、あるいは神話上の存在を模した模様が刻まれており、手に取るたびに息を呑むような感動があった。


二人は30万円のうち、10万円分をチェリーへと両替し、いよいよフェリーへと乗船した。

出港の合図と共に船体が静かに揺れ、やがてゆっくりと地底の海へと滑り出す。


「地底の海」――その言葉には、最初こそ不安や違和感があった。だが、目の前に広がる風景は、龍太郎の常識を易々と凌駕していた。

波は確かに存在し、風も心地よく頬を撫でる。潮の香りが鼻孔をくすぐり、時折、遥か彼方にイルカに似たような生き物の跳ねる姿まで見えた。


龍太郎は、手すりに寄りかかって海を見つめた。吸い込まれるような深い碧に、彼はただ静かに息を呑んだ。


(本当にここが“地下”の世界なのか……?)


思わずそう呟くほど、景色は完璧なまでに現実だった。むしろ、地上よりも美しいのではないかと錯覚するほどに、整った自然が広がっていた。

バクミュダットの地底人たちは、地上世界を知り尽くし、それをただ模倣するのではなく、より洗練された形で“再創造”していたのだ。もはや人類の技術がどこまで進化しうるのか、それをこの場所は静かに証明していた。


やがて2時間ほどの航行を経て、フェリーは目的地であるレオンハルト港に到着した。


そこは、まさに文明の集積と呼ぶにふさわしい大港であった。フェリー用のターミナルに加え、巨大なクレーンが林立する商業用ドックも隣接しており、貿易の拠点としての圧倒的な活気があった。


港の上空を見上げれば、ティアニケ川と呼ばれる壮大な大河が空中から流れ落ちるように設計されており、瀑布のような水流が人工の水路へと分岐していた。

その水は、淡水と海水が交わり、さまざまな色を帯びながら美しい模様を描いていた。波打ち際では、地元の子供たちが水遊びをしており、遠くでは帆を張った漁船が静かに出港していく。


港に降り立った二人は、その足でしばらく散策し、市内でも評判の高い洋食屋へと入った。


店内はアンティークな内装で統一されており、天井から吊るされたランプが柔らかく照らす空間には、ほのかなバターとハーブの香りが漂っていた。


「龍太郎、俺はエビ料理にするわ。お前は何にすんの?」


海鮮好きな峯岸は、メニューを見た瞬間に即決していた。目を輝かせながら店員に向かってジェスチャーする様子に、龍太郎も思わず微笑む。


龍太郎は迷った末にシーフードパスタを選んだ。麺の上には、ぷりぷりの貝や魚介が惜しげもなく盛り付けられ、見た目からして芸術品のようだった。


「……なんか、すげえな。めっちゃうまいんだけど、これ」


「ほんとだな……。ドイツ料理なんかより、全然こっちの方がうまいわ」


峯岸は、かつてヨーロッパを旅した経験があった。だがドイツ料理の重さや塩辛さに辟易していた彼にとって、この地底料理の洗練された味わいは、まるで舌に舞い降りる音楽のようだった。


食後、二人は観光バスに乗り込み、現地ガイドの案内を受けながら観光を開始した。最初に訪れたのは、都市シュナイドにある「シュナイド大宮殿」である。


レオンハルトからはおよそ1時間の道のり。バスの窓の外には、小高い丘陵地帯や城壁に囲まれた旧市街が流れ、そこに中世的な建築が立ち並んでいた。

大宮殿はまさにその中心に位置し、青白い石造りの外壁と、鋭く空を突き刺す尖塔がその威厳を物語っていた。


ガイドの案内に従い、二人は音声翻訳機を装着する。見た目はまるでスマートフォンのようで、龍太郎はそれに違和感を覚えた。


「なあ、峯岸。これ……どう見てもスマホだよな。てかアンドロイドじゃね?」


「だよな。俺も思ったわ。なんかGALAXYっぽいし。笑えるんだけど!」


苦笑いを交えながらも、翻訳機の性能には驚かされた。スピーカーから流れる音声は滑らかで、まるで母国語でガイドを受けているかのようだった。


宮殿内部はまさに壮麗そのものだった。1階にはガラス張りの展示スペースがあり、銀器の数々が光を反射して燦然と輝いていた。繊細な模様が刻まれた大皿やカトラリーは、すべて300年前に作られた品の復元品だった。


柱にはハルト三世の生涯が彫刻されており、その壮絶な生涯と芸術への傾倒が刻み込まれていた。


やがて二人は2階へと進み、復元された大広間へと足を踏み入れた。天井画、長机、豪華な椅子の数々――すべてが当時のままに再現されており、その空気感に圧倒される。


「もうよくね? そろそろ飽きてきたし、庭園でも行こうぜ」


峯岸の提案で外へ出ると、そこには息を呑むような庭園が広がっていた。

中でも壮麗な噴水が印象的で、水のしぶきがまるで宝石のように七色にきらめきながら舞い上がり、地底であることを完全に忘れさせるほどの光景がそこにあった。

その後、観光バスは郊外にあるロズの秘境へと向かった。レオンハルト市街の喧騒を離れ、徐々に車窓の風景は緑深く、そして野性味を帯びたものへと移り変わっていった。


道中、左右には地底特有の“光苔”が自生しており、淡い青や緑の光を放ちながら斜面を覆っていた。その神秘的な光は、まるで星々が地に降りてきたかのようで、幻想的な景色に思わず息を呑む。


バスの中では、ガイドがロズの秘境にまつわる由来を語っていた。

それによると、この秘境を最初に発見したのは、ロズ・ナフューヘンという伝説の探検家であり、彼は地底世界の多くを一人で踏破した男だという。


「……ロズ・ナフューヘン……どこかドイツ人っぽい名前だな」


龍太郎はそんな感想を胸の中で呟いた。まるで偶然ではなく、どこか地上と地底が歴史の根で繋がっているような、不思議な既視感に包まれた。


バスが峠を越えると、視界が一気に開けた。


そこには、想像をはるかに凌駕する絶景が広がっていた。


高台の展望台からは、遠くにシュナイド大宮殿の尖塔が青白く霞んで見え、その傍らには巨大なホテルの存在がはっきりと確認できた。まるで高原に浮かぶ宮殿のように、荘厳で優雅な佇まいだった。


眼下には渓谷が広がり、太古の大地が刻んだ皺のように、幾重にも重なる岩壁が折り重なっていた。谷底には透明度の高い湖が横たわり、そこから立ち上る霧が幻想的な雰囲気を醸し出している。


自然と、龍太郎の指がそのホテルを指した。


「今夜はあそこに泊まろうぜ」


視線を追った峯岸が、やや眉をひそめる。


「いいけど、予約してねえぞ? 大丈夫か?」


現実主義者である彼にとって、見知らぬ世界での宿泊計画には慎重にならざるを得なかった。


だが、龍太郎は自信に満ちた笑みで答える。


「心配すんな。オールマイティパスさえあれば、優先的に泊まれるんだ。他の客なんて関係ねえってな」


確かに“オールマイティパス”の威力は絶大だった。それは、地底国において政府公認の観光者に発行される特別な身分証でもあり、列車、バス、宿泊施設すべてに優先的にアクセスできる。加えて、通貨の両替にも柔軟に対応しており、必要に応じて日本円から自動変換される仕組みまで備わっていた。


そのときだった。


――空気が変わった。


まるで風が凪ぎ、音が消えるような一瞬の沈黙。

周囲の光苔の光が僅かに揺らめき、鳥たちの声が止む。


そして、忽然とその場に現れた一人の少女。


彼女は金髪で、白く透き通るような肌を持ち、どこかこの世界に属さない儚げな雰囲気を纏っていた。年齢は十代半ばに見え、その瞳には底知れぬ哀しみが浮かんでいた。


彼女は、龍太郎の前に立ち、細く震える声で語りかける。


「だめよ……それ以上進んでは……あなたたちは、やがて恐ろしいことに巻き込まれる……。お願い、引き返して……」


その声は微かだったが、確かに届いていた。


龍太郎は動けなかった。目の前に現れた存在があまりにも現実的で、美しく、そして――切実だったからだ。


「……えっ? 誰……?」


だが、次の瞬間――


彼女の姿は、まるで霧が晴れるように、音もなく消えていた。そこにはただ、風がそよぎ、光苔が揺れるだけの静寂が残された。


まるで幻。いや、それはきっと“予兆”だったのかもしれない。


動揺を抱えたまま、龍太郎は隣の峯岸に問いかけた。


「おい、峯岸。今さ、金髪の女の子が俺に何か言ってきたんだけど……お前、見えたか?」


峯岸は怪訝そうな顔をして首を傾げる。


「は? なんも見えなかったけど。……幻覚じゃねえの?」


そう言われてしまえば、返す言葉もなかった。だが、あの存在が“幻”で片づけられるとは思えなかった。彼女が放った言葉の重み――“恐ろしいことに巻き込まれる”という予言めいた警告が、龍太郎の胸の奥に、鈍く冷たい石のように沈み込んでいた。


その余韻を打ち払うかのように、峯岸が明るく声を上げた。


「それよりさ、もう6時だぜ。飯食ってホテル行こうぜ」


その声に、龍太郎はようやく現実へと引き戻された。


レオンハルトの夕暮れは、深い紫と金のグラデーションを描きながら、ゆっくりと地底の空を染めていく。太陽のない世界でありながら、地底国には独自の“昼夜”のリズムが存在していた。


港に戻り、彼らは再び洋食屋を訪れた。今度は夕食用に、地底名物である“マーレの燻製魚”や“クリュード茸のリゾット”などがテーブルに並ぶ。峯岸は待ちきれぬ様子でスプーンを握りしめた。


シーフード料理をもう一度味わえることが、彼にとっては最大のご褒美だった。


そしてその夜、二人は巨大ホテルの一室にチェックインし、豪奢なベッドに身を投げた。

龍太郎は天井を見つめながら、金髪の少女の姿を思い返していた。あの哀しげな瞳、そして声。警告は、幻ではない――そう確信する自分がどこかにいた。


だが、疲労は着実に身体を支配していた。


まどろみの中、龍太郎は心の中でそっと呟いた。


(明日は……何が待っているんだろうな)


そして、深く、深く眠りに落ちていった。


――地底の夜は、静かに更けてゆく。


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