第1幕ー11 ヒナクの涙
エミリオが担ぎ込まれたギアンの鍛冶場の一角で、ひときわ激しく泣き崩れていたのは、誰あろう村長ミトの一人娘、ヒナクであった。
彼女の細い肩は、嗚咽とともに上下に震え、紅の髪は乱れて頬に張りつき、頬は涙に濡れていた。目の前に横たわるのは、全身を黒く焦がされ、見るも無残な姿になった父――村長ミトの亡骸である。
かつて朗らかに笑っていたあの父の顔は、もはやその面影をとどめていない。皮膚は爛れ、服は炭のように焼き尽くされ、ただただ一人の老いた男が、無念を抱えて静かに横たわっていた。
「お父さん、最後の最後まで村を守って戦ってくれたのにね。ごめんね、いつもわがままばかり言って。お父さんねぇ、何か言ってよ、お父さん。」
ヒナクのかすれた声は、空気の中に溶けていった。
その声に呼応するように、何人もの生き残った村人たちが、ひとり、またひとりと集まり、ミトの遺体の傍に膝をついた。彼らの顔には深い哀しみと疲労が刻まれており、誰もが沈黙と嗚咽の狭間で震えていた。
「「「「村長。」」」」
「「「「ミト様!」」」
「なんて事だ。ミト様は私達の命を守ってくださったのに、ミト様目を開けてください!!!」
村人の叫びは、まるで失った父を悼むようであり、国家を支えた英雄を悼むようでもあった。誰もが口を揃えて言う――ミトは、この村における唯一無二の支柱だったのだと。
思い返せば、ミトは常に村の隅々まで足を運び、農家や牧場の様子を見に行っては労いの言葉をかけ、大工や鍛冶職人たちの作業場では、労働環境の改善に尽力していた。
荒廃した村を再生させようと、行政の力を借りず、自らの手と足で奔走し続けた男だった。そして、戦争孤児となった子供たちのために避難施設の設立を呼びかけ、実行に移したのもミトだった。
そんな村長の死に、村人たちは立ち尽くし、涙をこらえることができなかった。
ヒナクは父の亡骸に寄り添ったまま、立ち上がることもできずにいたが、やがて震える足で立ち上がると、ゆっくりとエミリオの方へ歩を進めた。
瞳には怒りと哀しみが滲み、彼女の姿は見る者の心を締め付けた。
「あなたさ、お父さんが殺された時傍にいたんだよね。どうしてよ、どうしてお父さんを助けてくれなかったのよ。どうしてあなたが助かってお父さんが死ななきゃならないのよ。お父さんはあなたみたいに強くないのよ。お父さんを、父さんを返してよ。」
エミリオは、まだ癒えぬ胸の傷を押さえながら、布団の上から身体を起こした。その顔は土と血に塗れ、剣士としての誇りも重みも、その時ばかりはただの悔恨と痛みしかなかった。
「ヒナク殿ほんとにすいません。お父上の命をお助けすることが出来ませんでした。ほんとに弁解させてください。私がミト殿を守れなかったことを。」
声は震え、視線は定まらない。エミリオの心の中で、幾度となく繰り返された「あの時こうしていれば」という悔恨の思考が、今なお彼を苛んでいた。
「どんなに謝ったってお父さんはもう目を覚まさないんだよ。ねぇ」
「ほんとにほんとに申し訳ない!!」
エミリオは、自分の誇りも命も全て捨て去るかのように、地に頭をこすりつけた。
その姿は痛々しく、哀れでさえあった。
それを見たエルエラも、血に汚れた鎧のまま、ヒナクの前に膝をついた。
「私からもほんとに弁解させてください。エミリアは悪くない!あの時私達がもっと早く到着していれば、村長殿の命は助かっていました。私どもの責任です。」
ヒナクの瞳には、怒りが宿っていた。
「――あんた達さ、リヒュテインの国守る部隊の人達なんでしょ、国守るのが仕事なんでしょう。命助けるのが仕事なんでしょ、いつもこの村はあいつらに襲われて私達は、辛いのに必死に耐えてきたのに、あんた達なんかにあんた達なんかに。。」
怒声と共に、ヒナクはエミリオを責め立てた。悲しみと怒りが彼女の言葉を刃へと変え、容赦なくエミリオの胸に突き刺さる。
「よせヒナク!!!」
それを止めたのは、ヒナクの兄であり、ミトの息子でもある青年――アスムだった。
彼は妹の腕を強く掴み、声を荒げながら言った。
「俺の妹があなた達に酷いことを言ってしまって申し訳ない。あなた達はちっとも悪くない。むしろ父や村を守ろうとしてくれた。」
アスムは、肩で息をしながら、それでも冷静さを保とうとしていた。
彼の胸にも父の死は痛すぎた。しかし、その痛みを他者への怒りで濁すことは、ミトの意思に背くことだと、アスムは誰よりも理解していた。
「どうして、どうしてそんなこと言うのよ。こいつらのせいで父さんは」
「この人達が殺した訳では無いんだろ。だったら、この人達を責めてもしょうがないだろ。」
アスムの言葉に、ヒナクはぎり、と唇を噛んだ。涙が止まらない。
エミリオはゆっくりと立ち上がった。そして、誓うように言った。
「アスム殿、ヒナク殿今すぐこの村を離れて下さい。バクミュダットのハルト3世が国を脅かしています。このままではこの村は愚かこの国まで滅亡してしまいます。でも心配しないでください。私達が、ミト殿の仇を取ってハルトを止めます。」
「ふざけんなよ!!」
その時だった。ヒナクが叫びながら、エミリオの頬を平手で打ち、小刀を突きつけた。
空気が凍りついた。
「おい!!! ヒナク!!」
アスムが慌てて彼女の手を掴もうとするが、ヒナクは憎しみの瞳でエミリオを睨みつけていた。
「お前なんかにお前なんかにあたしの気持ちの何がわかるのよ、お前なんかに仇売って貰ったってあたしは全然嬉しくない。まだ逃げんのかよ、お前のせいで、お前のせいで父さんは、父さんは死んだのよ!!!!お前なんかに国を守る資格はない。今すぐここで死んで償え。」
その言葉は、ナイフよりも鋭く、確実にエミリオの胸を突き刺した。
それでもエミリオは、剣を捨てるように両手を下ろし、静かに、深く、言った。
「私は死んで当然かもしれません。でもこれ以上あなた達には苦しんで欲しくないのです。」
それは戦士の言葉ではなく、ただの一人の人間としての、懺悔と祈りの言葉であった。
ヒナクの震える手に握られた小刀は、いまにもエミリオの首筋に突き立てられそうなほどに強く握られていた。
だが、彼女の指先は、その力と反比例するように震えていた。怒りと悲しみ、そして喪失感と混乱が入り交じり、
刃先を向けながらも涙が頬を伝って止まらない。
エミリオは、その目を真正面から見据えた。
「それでも、私は立ち止まるわけにはいかないのです。」
彼の言葉は柔らかくも、どこか決意に満ちていた。痛みと疲労が体を蝕む中、それでもこの命を次へ繋げるため、
剣を持つ意味を問い続ける姿に、ヒナクの手から力が抜けた。
刃先は地面に落ち、金属の音が乾いた音を立てた。
「……っ、どうして……どうして……!」
ヒナクはその場に崩れ落ち、泣き声を上げた。
アスムがすぐさま駆け寄り、彼女の肩に手を置いた。
「もういい、ヒナク。お父さんの願いは、きっと俺たちが生き延びることだ。」
エミリオは顔を伏せ、ゆっくりと息を吐いた。
「私は、必ずハルト三世を止めます。そして……マリアを、そしてあなた方の未来を取り戻してみせます。」
そう言い残し、彼はふらつきながらも立ち上がり、タタラ場の奥へと歩いていった。
背中に滲む血と汗が、その決意の重さを静かに物語っていた。




