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04,醤油の貸出はもはやノルマ。


「はいはーい、どちらさまー……あ、ヨッシーさんじゃないデスか! おはようございまするんデス!」

「はい、おはようございます」


 ああ、ほんと、毎朝笑顔が鬱陶しいギャモ野郎だ。


「? 何か私に御用デス?」

「今日はこれから出かけようと思うので、先にこれをと思いまして」


 この俺が、わざわざこの天敵とも言えるギャモ野郎の部屋を尋ねる理由。

 それは……


「今日の分の醤油です」

「わぁ、わざわざありがとさんデス!」


 このギャモ野郎、醤油を借りるためだけに、下手したら俺が帰ってくるまで部屋の前で待機してそうだからな。

 それを見た他の部屋の住人たちの間で妙な噂が立つと、回りまわって大家さんとの関係に支障が出そうだ。


「これで【段階②】デスね!」

「……? ダンカイニ?」

「ぁ、いえいえ、何でもなかっとんほーけーデス!」


 日本語がおかしくなっているぞ。おっぱいを派手に揺らして慌てふためいて、何をそんなに動揺しているんだ?

 ……まぁ、良い。このギャモ野郎の私情に突っ込むつもりも興味も無い。


「に、にしても、ヨッシーさん、こんな朝早くからどこへおでかけゴーゴーするデスか?」


 お前には関係無いだろうに……全く、この知りたがりが。


「予防接種です」



   ◆



 ……シーサーを飼うと言うのは、初期投資だけでこんなにかかるものなのか。


 動物病院からの帰り道、今回の診察……要するに予防接種+その他処置や検査代の明細を見て、溜息しか出ない。


 初診料が千円、爪切りが千円、耳洗浄が千円、一〇種混合ワクチンが一万円、その他検査処置料……色々諸々、合計でざっくり二万円。

 しかも、期間をあけて今度は狂シーサー病の予防接種も受けなきゃならないそうだ。これが大体三千円くらい。


 ……まぁ、ネットで調べてみた所、これでも安く済んでいる方らしいが。


 成程、世の親たちがペットを飼いたがる子供をどうにか嗜めようと必死になる訳だ。


「しゃうッ!!」


 こっちの気も知らずに、随分と元気に鳴いてくれるものだ、この畜生め。

 首輪を嵌められリードの先に繋がれていると言うのに、その足取りはとてもご機嫌そうだ。


 ……経済的に切迫していないとは言ったがな、決して裕福と言う訳ではないんだぞ、全く……


 本当、どうしてこんな事に……

 幸いなのは、この畜生野郎がとてもお利口さんだと言う事くらいか。


 畳や壁紙を汚す様な事はせず、カーテンや本棚を荒らしたりもしない。

 ゴムボールひとつ与えておけば一匹でいつまでも遊び倒し、いつの間にか勝手に寝てる。

 トイレの場所も一発で覚えてくれた。

 先程の予防接種でも抵抗のひとつも見せなかった。


 今も初の散歩で特に何か仕込んだと言う訳でも無いのに、決してリードを引っ張る様な事はせず、俺の隣をピッタリと歩いている。


 悪くない。

 想像していたよりかなり優良な畜生であると褒めてやっても良い。


 ……ただ、腹が減っても餌の催促を一切せず、ひたすら黙って待ち続けるのはやめて欲しい。


 しかも、ただ黙っているだけじゃないのが厄介だ。

 耳をたらし、鼻先を前足に埋め、瞼を閉じて、丸くなって待ち続けるのだ、こいつ。


 五感をシャットアウトして動作停止、カロリー消費を最低水準まで抑えてただひたすら空腹に耐え続けるとかやめろ。


 ペットショップ時代の生活様相が透けて見える様でいちいち胸が痛い。


 この畜生野郎……環境に適応するために、色々とお利口さんになったんだろうな……と、喜ばしい要素だった部分ですらなんだか悲しくなる。


 おかげで、「あの体勢に入る前に飯を用意しなければ……!」と、飯時が近付くと気が休まらない。

 飯を常に用意しておく…と言う手も考え、実際やってみようとしたが、餌皿に飯を注ぐと片っ端から食う、こいつ。

 もう腹いっぱいで吐きそうな様子でも、「ごはんがたくさん……!? い、今の内に喰い溜めないと……!!」と必死に全部食おうとする。


 そろそろ俺の涙腺がヤバい。


 俺が精神的健全を保つためには、最適な時間に最適量の餌を与える必要がある。

 ……面倒くさい事この上無い……だが、罪悪感に胸を締め付けられる苦痛を味わうよりはマシだ。


「しゃう! しゃう!」


 ああ、幸せそうだな、この畜生野郎。お前となんか出会いたくなかったよ……ん? どうした急に。

 畜生野郎の様子がおかしい。突然、せわしなくスンスンと鼻を鳴らし始めた。


「……しゃぅ……?」


 なんだ、その「旦那。わんは少し行きたい方向があるばーよ……ダメ?」と慎重にお伺いを立てる様な視線と声は。

 俺が聞いてたシーサーは、もっと奔放に走り回って飼い主を困らせる存在だったはずだぞ。


 それはさておき……俺としては、寄り道なんぞせずに帰りたい。

 こんな奴を連れて歩いていても、ロクな店に入れやしない。

 ペットに理解ある社会になってきたと言っても、まだ犬猫シーサーの入店はお断りする店の方が多勢だ。


 ハッキリ言って、この畜生野郎を連れて歩く時間は俺に取っては不利益でしか……


「…………………………」

「…………あー…………もう、好きにすれば良い」


 …………これは、あれだ。


 この畜生野郎がお利口さん過ぎると、面倒は無くて良いが、俺の中のどうしても捨てきれない人間性が疲弊していく。

 俺の事を「少々の奔放は許容してくれる素敵な飼い主である」と認識させるためにも、多少のワガママは聞き入れてやるべきだと判断する。



   ◆



 ……すっかり日が暮れた。


 公園のベンチに座ったのなど、一体いつぶりだろうか。そもそも公園に来たのも久しぶりだ。狂った様に純粋元気だった小学生の頃くらいかも知れない。


 しかし、最近の公園は殺風景なものだな……

 おぼろげな記憶だが、俺が子供をやらせてもらっていた時代には所狭しと遊具が設置されていた記憶があるのだが……


 ここは公園と言うより、「小規模な運動会やゲートボールができそうな広場」と言うのが適切な気がする。


「しゃふぅ……」

「満足した様子だな」


 穴を掘っては埋めると言う古風な拷問を兼ねた刑務作業めいた行為を繰り返していただけのくせに、よくもまぁそんな「遊んだやっさァ……!!」的なリアクションができるものだ。


 シーサーの感性は極めて理解不能である。

 まぁ、俺は人間だ。畜生の気持ちなんぞ汲めなくて当たり前至極だがな。


「もう帰っても良いか?」

「しゃうッ!!」


 ……ふん、ペコリとお辞儀をして、礼のつもりか。殊勝な心掛けだ。

 そうだ、ペットの要望をある程度は聞き入れるのが飼い主の義務である様に、飼い主に媚びて一定の優越感を提供するのがお前ら畜生の義務だ。

 立場をわかっているじゃあないか。


 よろしい。柄ではないが、頭を撫でてやろう。

 よぉーしよしよし……可愛らし…………ッ、んん。サービスタイム終了だ。さっさと帰るぞまったく。


 畜生野郎を連れて、公園を出る。


 ……む、そう言えば、この辺りは見覚えが無いぞ。

 畜生野郎に導かれるままに中々の距離を歩いたからな……


 仕方無い、スマホのマップアプリを起動しよう。

 独り暮らしを始めるに際して、新天地に慣れるまで何かと使う機会があるだろうと有料の上等アプリを入れておいたのだ。


 米国の宇宙開拓事業の最先端を走る大企業様が作ったアプリの日本版だ。

 従来のマップアプリはGPS情報の精度の問題で、実際の現在地と表示現在地に三~一〇メートルほどの誤差があった(らしい)。

 このアプリは、その誤差をミリ単位の世界にまで縮める事に成功したGPS情報を活用しているそうだ。


 ……まぁ正直、誤差が数ミリだろうが数メートルだろうがぶっちゃけ余り大差は感じないが……三二〇円を払った以上、意地でも無料よりは上等であると主張する。


 それはさておき。

 さてさて、現在地は……ふむ、まぁ、思っていたほど自宅アパートから離れてはいないな。

 直線移動ではなくいくつか道を曲がっていたしな。


 面倒くさくなさそうな最短帰宅ルートは……む?

 何だ、地図上に【おすすめポイント】と言うポップが出ている。


 ……そう言えば、最近のマップアプリはAI技術の応用で、検索履歴から現在地近隣にあるお勧めの施設を案内してくれるものがあると、朝の情報番組で言っていたな。

 これがそのアプリだった様だ。


 で、一体このポップは……【彩椎あやしい古書店】?


 ほう、この公園のすぐ近くに、古書店があるのか。

 どうやら先日自宅周辺の書店を調べた検索履歴からお勧めを算出した様だな。良いチョイスだ。褒めてやるぞAI。


 古書店は素晴らしい。

 俺が存在すら把握していない絶版本なんかに出会えたりする。

 特に個人経営の小規模な店はワンダフルだ。店主が知人などから譲り受けた珍しい本を並べていたりもするからな。


 しかし……今は畜生野郎を連れている……


「……おい、畜生。お前、店の外に繋がれて大人しくしていられる自信はあるか?」

「しゃう?」


 ふん、「おいおい旦那、誰に聞いてるば?」と言わんばかりの挑発的な目だ。

 この数時間で大分仕草馴れ馴れしくなってきたな。望むままに公園へ連れてきてやった効果か。

 面倒を味わった甲斐が多少はあった様だな。


 そうだ、それでいい。

 適度に調子に乗ってくれた方が、雑に扱い易くて助かる。

 この調子でどんどん俺に心を許せば良い。そして憎たらしくなれ。そうすれば、俺もお前を適当に扱える様になる。


 ペットは飼い主に遠慮せず、飼い主もペットに遠慮しない。

 それが飼い主とペットの良好な関係性と言うものだ。


「では、行くか」

「しゃうッ!!」




 ―――この軽率な判断が、後にあんな面倒事を招く事になるなど……もし知っていたのなら、俺は絶対にあの古書店へは足を運ばなかっただろう。


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