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地下迷宮と不穏な気配

 ――地下迷宮第八十五階層。


 いつも通りに、当たり前のような顔で気楽にそこを踏破していくソーマを、ヒルデガルドは呆れ混じりに眺めていた。


 さすがにここら辺まで来ると、魔物の強さもシャレにならないレベルになってきているのだが、ソーマの様子はこれまでと何一つ変わっていないのだ。

 これを呆れるなと言う方が無理だろう。


「というか、貴様身体のキレが戦闘を繰り返すごとに全盛期のそれに近づいてる気がするのじゃが?」

「うん? そうであるか? まだ全然そんなことはないと思うのであるが……確かに最近少し調子がいいと思っているではあるが」

「何故貴様自身が気付いておらんのじゃ……」


 いや、或いは、この程度ではまだまだだと、そう思っているということだろうか。


 確かにソーマの全盛期――前世の頃と比べれば、今のソーマなど赤子も同然だ。

 近付いているとは言っても、それは再会した頃の力が、前世の頃の千分の一しかなかったのだとすれば、今は九百九十九分の一になったと言っている程度なのである。

 ヒルデガルドは司っていたものがものなため、そういったことには割と敏感なのだが……ソーマからすればその程度は誤差の範囲内なのかもしれない。


 とはいえ、ソーマも神へと至った身だ。

 そういったことは、もっと敏感に感じ取ってもいいはずなのだが……さすがに自覚していないソーマにそれを言うのは少し厳しいだろうか。


 まあソーマにそれを伝えてしまえばすぐにでも分かることだとは思うが……それでは、面白くないだろう。

 例え上位世界の者だろうと、人の身から神へと至るなどという偉業を成し遂げたのだ。

 それに僅かばかりとはいえ、最後の最後に自らの手を入れるなど、無粋にも程がある。

 自分で気付くからこそ、意味があるのだ。


 と。


「む。ここでちょうど一周なのじゃ。魔物は貴様が瞬殺するから問題はないのじゃが、単純に歩く距離が増えている分時間がかかるものじゃな……」

「道が幾つにも分かれている上、何故か下に行くごとに広くなっているようであるからな。というか、そういう状況なのによくマッピングが正確に出来るものであるな? 我輩もやってるから分かるであるが、難しくないであるか? 第二階層あたりならばともかく、この辺になると我輩にはもう出来そうもないのであるが」

「まあ、昔取った杵柄、というやつなのじゃ。どこをどう歩いたところで方角は正確に分かるのじゃから、あとは歩幅を一定に保っていればいいだけじゃし」

「方角が常に分かるとか、鳥みたいなやつであるな」

「誰が鳥なのじゃ!? 我は龍なのじゃ!」

「いや、知っているであるが……別に爬虫類とか言ったわけでもあるまいし、それぐらい構わんであろうに」

「もしそんなことを言ったのじゃったら、いくら貴様と言えど、全存在を賭して取り消させるところなのじゃ」

「冗談、ではなさそうであるな……そこまでのことであったのか」

「勿論なのじゃ。我らは龍であり、そこに誇りと矜持を持っているのじゃからな」


 龍とは人の想念によって形作られたものであり、幻想によって成されたものだ。

 そこにはある種の理想が込められており、それを体現した存在だとも言える。


 ならば自身に誇りを持つのも、それを否定するような者と全霊を賭けて相対するのも当然でしかないだろう。


「そこまでであったのか……」

「そこまでなのじゃ。だからそういったことは不用意に言わない方が身の為なのじゃぞ? 我らも出来れば死にたくはないのじゃからな」

「心配するのは貴様らの方の身なのであるか」

「当たり前じゃろう? 全身全霊で向かったところで、神であった頃の我ならばともかく、他の龍では相手にすらならんじゃろうし」


 幾ら元の力の千分の一になっていようが、それは元が強大すぎるだけなのだ。

 ソーマを相手するならば、それこそ神の力の一端でも持ってこなければ話にすらなるまい。


 まあ、それでも勝てるかどうかに関しては、また別の話ではあるのだが。


「ところで、一つ聞きたい事があるのであるが」

「うん? どうかしたのじゃ?」

「影響を受けた魔物もかなりの数を減らせたと思うであるし、ここまで来ればさすがに上層の方にまで影響は及ぼさんであろう?」

「うむ……まあそうじゃろうな」

「で、あれば、それなりに時間もかかるようになってきたわけであるし、そろそろ下への道を見つけ次第そのまま下の階層に行ってしまってもいい気がするのであるが……わざわざ地図を全て埋めなければならない理由があるのであるか?」

「んー、ぶっちゃけあるかないかで言えば、一応あるのじゃが……」


 とはいえそれは、確証があってのものではない。

 確かに今のところ、下へと向かう道を見つけても地図を完成させるまでは歩き続けているが、それは言ってしまえば、念のためなのだ。


 わざわざ地図を作っていることからも分かる通り、この迷宮には地図がない。

 それはおそらく、封印のため敢えてなのだろうし、最悪の場合を考えればそんなものは作るべきではないのだろう。


 だが。


「ふーむ……まあ、そのうち説明すると思うのじゃ。今のところは、念のため、以外に言いようはないのじゃが……」

「ふむ……まあ我輩としてはそっちの方がありがたいであるし、特別急ぐ理由もないであるから、構わんのであるがな。もっとも、今のところ役に立つような何かは出ていないわけではあるが」

「まあそれはここの性質上仕方ないじゃろ」


 そもそも迷宮で魔導具などが見つかったりするのは、餌であり褒美のためだ。

 時折特定のパターンでそういったものを自動的に作成する仕組みの迷宮もあるようだが、基本的には最初に迷宮を作った段階でそこに設置しておくものなのである。


 だがここの本質は封印であり、迷宮はあくまでもおまけだ。

 むしろ人が来ては困ることを考えれば、そういったものは設置すべきではない。


 ただそれでも時折見つかってはいるので、そこら辺は迷宮を作った者に何か美学めいたものがあったのかもしれないが――


「そういえば、今回は魔導書が見つかったわけなのじゃが、貴様はこういったものを使ってでは駄目なのじゃったか?」

「それはそれで興味ないとは言わんのであるが、あくまで我輩が使いたいのは魔法であるからな。魔術とか、魔導具を使って魔法っぽい何かを使う、というのは違う気がするのである」

「魔導具を使って魔法を覚えられるようになる、というのは問題ないのにそれは駄目とは、相変わらず難儀なやつなのじゃな」

「普通に覚える事が出来ない以上手段を問うことは出来んであるからな。……そういう意味では、貴様が死ぬほど羨ましいわけなのであるが」

「我としては、それを言われても困る、というところなのじゃがな……」


 言いながら、虚空より一冊の魔導書を取り出す。

 それは今言ったばかりのものであり、この階層で見つけたものだ。

 ヒルデガルド達がほぼ手ぶらなのは、こうしてヒルデガルドが空間に干渉し、そこに物を仕舞ったり取り出したりすることが出来るからなのである。


 所謂収納魔法の一種だが、実はヒルデガルドは魔導系のスキルは持っていない。

 それなのにこんなことが出来るのは、龍であるが故だ。


 そもそも龍は龍であるという時点で、魔法を手足と同じように使う事が出来る。

 というか、これは幻想種に共通して言えることだ。

 幻想として編まれている以上、同じく幻想から編まれた奇跡である魔法と相性がいいのは道理だろう。


 まあ今それを改めて見せ付ける理由は何一つないのだが。

 向けられるジト目に口の端を吊り上げつつ、魔導書を空間へと再び仕舞う。


「貴様……我輩の手がつい滑らんことを祈っておくといいのである」

「シャレにならんから止めるのじゃ!?」


 そんなことを話しつつ、地図が完成した以上はこの階層に留まっている理由もないので、早々に次の階層へと向かう。


 上層の方では階段であったそれだが、雰囲気を重視しているのか何なのか、ここら辺では下り坂の道といった感じである。

 滑らないよう気をつけつつ、多少歩幅を抑えながらゆっくりと進んでいけば、やがて次の階層へと降り立った。


 とはいえ一見すれば今までの階層とは特に違いのない、むき出しの岩肌に囲まれた、洞窟のような雰囲気ではあるのだが――


「ふむ……何となくではあるが、不快感のようなものが少しずつ強くなってきている気がするであるな」

「我も似たようなものを感じているのじゃが、その大元がおそらくは邪神の力の欠片、ということなのじゃろうな」


 神としての性質を多少なりとも持ち合わせているため、堕ちたその力の波長が不快感となって伝わってくるのだろう。


 だがこれは……思っていた以上にまずいかもしれなかった。


「封印しきれなかったとはいえ、明らかにこれは力の気配が漏れすぎじゃろう……」

「封印に何かがあった……或いは、解けかけている、というところであるか?」

「元からこうだという可能性もなくはないのじゃが……んー、ちとペースを上げた方がいいかもしれんのじゃな」

「やっぱり下への道を見つけ次第下に行くのであるか?」

「いや……」


 それでも問題ないような気もするが、やはり万が一の時が怖い。

 その余裕すらもない、という状況にでもならない限りは、続けるべきだろう。


「まあ我輩はさっきも言ったように、貴様が続けるというのであれば否やはないのであるが。だがペースを上げるとは具体的にどうするのである? 歩く速度でも上げるのであるか?」

「それなのじゃが……ちょっと明日も我に付き合ってここの攻略を進めて欲しいのじゃ」

「ああ、ペースとは、そういう意味であるか……でも明日は休日ではないのであるぞ?」

「それは問題ないのじゃ」


 何せヒルデガルドはこれでも、学院長なのだ。

 その権限を使えば、その程度のことはどうとでもなる。


「職権乱用……というわけではないであるか、この場合」

「ここの管理、というか監視も一応学院長としての役割りじゃからな。何の問題もないのじゃ」

「ううむ……しかし、明日であるか」

「うん? 何か問題でも……ああ、そういえば明日は」

「うむ、迷宮探索の実習の日なのである」

「うーむ、それは……」


 ソーマ自身に関して言えば、別に一度ぐらい欠席しても問題はないだろう。


 だが問題は、これはソーマだけでは収まることではない、ということだ。

 パーティーで動いている以上、それは他の者達にも関係してくる。


 しかもソーマが抜けるとなると、その影響は――


「……まあ、他の者達にはすまんと思うのじゃが、それも我が何とかしてみるのじゃ。別に明後日でもいいと言えばいいのじゃが、出来るだけ早急に攻略を進めておきたいものじゃからな。おそらく明日も続ければ、その後どうするかの判断は付くかと思うのじゃが……」

「まあ、仕方ないであるな。どっちを優先すべきかを考えれば、こちらであろうし。我輩の方からも皆には謝っておくのである」

「すまんが頼むのじゃ」


 出来れば杞憂であってくれればとは思うのだが、それを判断するためにも、今は少しでも情報が必要なのだ。


 そしてそうと決まれば、のんびりしている暇はない。

 ソーマと視線を合わせると、頷き合い、ヒルデガルド達は迷宮の攻略を再開するのであった。

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