才能と決意
「はふー……」
盛大に溜息を吐き出すと、シルヴィアは眼前のベッドへと突っ伏した。
顔を柔らかい布団が受け止め、思わず安堵の息が漏れる。
学院のベッドも十分柔らかいは柔らかいのだが、やはりこれには敵わない。
最上級のものが使われているという以上に、使い慣れたものが一番だからだ。
「あーもー、またそんなことして。ちょっと目を離すとすぐこれなんですから……お行儀悪いですよ、シルヴィア様?」
「んー?」
そのお小言は当然のように聞こえてはいたが、生憎とその程度ではシルヴィアを動かすには至らない。
この甘美な時間を邪魔するには、それ相応のものが必要なのだ。
「そうですか、退いてくださらないのですか。シルヴィア様がそのままですと、マリアのやることがないのですが……おや? こんなところにちょうど暇潰しが出来そうなものがありますね。これは確かシルヴィア様が去年書いていた、自身を主人公とした冒険活劇――」
「――ぎゃー!?」
一も二もなく飛び上がると、シルヴィアは慌てて駆け寄り、その手からそれを奪い取った。
学院に行く際、厳重に仕舞いこんだというのに、どうしてこれがここに……!?
「ふふふ、甘いですよ、シルヴィア様。このマリアが本気になれば、シルヴィア様が隠したものを探すなんてお茶の子さいさいです」
「む、無駄に優秀さを発揮して……!」
得意気に胸を張る少女――シルヴィアの専属使用人であるマリアを睨むが、本人は何処吹く風だ。
主人であるシルヴィアを前にしながら、欠片も怯む様子を見せない。
「まったく……昔はもうちょっと素直で可愛げがあった気がするんだけどなぁ」
「何を言っているんですか、シルヴィア様? この通りマリアは、今も素敵に無敵に可愛いじゃないですか」
「ああうん、ごめん。そういえば、昔からこんなだったような気もしてきたかも」
まあとはいえ、だからこそ、こうして雇い続けているのだが。
……覚えているのかは知らないけど、友達になって欲しいという願いを、今も叶え続けていてくれているから。
「さて、とりあえずこれは今度こそ誰の目にもつかないところに封印するとして……そういえばマリアは、何しに来たの?」
そもそも先ほどベッドにダイブしたのは、自分一人になったからだ。
マリアが来るのが分かっていれば、さすがにやりはしない。
「それは勿論、ベッドメイキングをするためですよ? 今日はシルヴィア様が戻って来る日だということをすっかり忘れてしまっていたので、ちょっと昼間おろそかにしてしまいましたから」
それが嘘なのだということは、すぐに分かった。
大体何だかんだ言いながらも、この六歳年上の友人にして使用人が優秀なのは、確かなのだ。
今更そんなことを忘れるとは思えない。
「まあ後は、そうですねー。ちょっとシルヴィア様の元気がなさそうでしたので、元気付けて来るようにと仰せつかりまして」
「……あ」
それも、明らかな嘘だった。
そもそもマリアに命令を下せる者は、シルヴィア以外にいないのだ。
それはたとえメイド長や、国王である父親であろうとも変わらない。
シルヴィアが居ない時は、一時的に屋敷に貸し出してはいるものの、シルヴィアが戻ってきている以上は、そんな命令をマリアに出せる者はいないのである。
或いは、シルヴィア以外に居るとしたら……それは、自分自身であり。
気付かれていたのかと、ほんの少しだけ口元が、苦笑のような、微笑のような、どちらとも言えない形に歪んだ。
「……学院で何かありましたか?」
「……うん、そうだね。あったって言えば、あったのかな?」
一瞬、その言葉にマリアの雰囲気が剣呑なものに変わり、今度こそ苦笑が漏れる。
別にマリアが思っているようなことが起こったわけではないのだ。
ただ――
「ねえ、マリア」
「はい、何です?」
「ワタシって、やっぱり才能なかったのかなぁ?」
「……これは忠告であり警告ですが、外ではそういうこと言わない方がいいですよ? 真面目にぶっ飛ばされますから。というか、正直マリアもちょっとぶっ飛ばしたいです」
そう言って握り締めた拳は、多分冗談半分の……でも、残りの半分は本気だ。
そしてシルヴィアはそれが事実だということも、知っていた。
シルヴィア・ハイドリヒ・ラディウス。
オリーヴィア・ハイドリヒと、アレクシス・ラディウスの間に生まれた少女は、端的に言ってしまえば天才であった。
これは一切の世辞も誇張も省いた純然たる事実であり、現在王立学院に通っている者の中で、最も才能がある者は誰かと言えば、まず間違いなくシルヴィアとなるだろう。
アイナやシーラ、リナでさえ、純粋な才能の面で言えばシルヴィアには勝てないのだ。
ただしその中に、ソーマ達は最初から含まれていない。
ソーマと比べようとすると、それはまた別の面で考えなければならないからだ。
根本的に比べる次元が違うというか……例えば、龍と蟻とを比べて、どちらが才能があるかなどと言うようなものだろうか。
基本的にそれは、比べられるようなものではないのだ。
まあともあれ、学院の魔導科では三傑などと呼ばれてはいるものの、実際の才能で言えばシルヴィアが圧倒的であり、それは所持スキルにも現れている。
――万能の才中級。
シルヴィアが持っているのは、それだけだ。
それだけで十分であった。
万能の才――文字通りの意味で、万の才能と同等の効果を発揮するスキルだ。
基本六種――剣術・槍術・斧術・弓術・棒術・体術、それに魔導は勿論のこと、その応用発展である刀術や銃術、槌術なども容易いし、そこに気配遮断や気配察知なども当たり前のように含まれている。
その全てを覚えることなく、その全て以上のことを、中級相応として扱えるのだ。
天才などという言葉すらも、実際には生温い。
間違いなく七天の名を冠するに相応しい、そんな才をシルヴィアは持っていた。
そしてそれこそが、王族としては端も端ながらも、シルヴィアとその母までもが他と平等に扱われても周囲からは何も言われない理由である。
そう扱われるに相応しい才能。
そういうことであった。
ただし。
それはあくまでも、才能を全て等価とした場合の話だ。
これを現実に即したところにまで落とし込むと、シルヴィアは七天どころか、学院の学科の中で上位争いをして負ける程度、となってしまう。
だってそれはそうだろう。
確かに全てを扱えるというのは凄いが……それでも所詮は中級でしかないのである。
中級にすら至れない者が多く居る中でそんなことを言えばぶっ飛ばされても文句は言えないが、しかしそれは事実だ。
まともに競い合えばまず間違いなく上級には勝てない。
その才能は、その程度でしかないのである。
そのことを、シルヴィアはこの前の迷宮実習の時に、改めて実感したのだ。
「……贅沢な話ですねえ。やっぱりぶっ飛ばしていいですか?」
「殴られると痛いことに変わりはないから、出来れば止めて欲しいかな?」
苦笑を浮かべつつ……まあ、そう言われるだろうと思ってはいた。
大体そんなこと、最初から分かってはいたのだ。
学院に入る前から、学院に入ると決めるそれよりもずっと前から。
だが或いはそれは、つもりでしかなかったのかもしれない。
迷宮でのソーマの動きを見て、自分の目は間違っていなかったというのを確認して……同時に自分が一人では何も出来ないのだということを知った。
多分ソーマのやっていたことは、本当ならば自分がやっていなければならなかったことなのだ。
実質的には数多のスキルを使え、その中には迷宮での探索に有効なものが幾らでもあったのだから。
ヘレンを見て、上級とはああいうものなのだということを知った。
特級のように外れたものではなく、真実その才能を一つの事柄に特化させた天才。
それは本来、シルヴィアこそが目指さなければならない場所であった。
ラルスを見て、同じ中級でもそこまでの差があるのだということを知った。
同じように剣を使っても、シルヴィアはあそこまで動くことは出来ない。
何でも出来てしまうが故の弊害が、そこにはあった。
それはきっと、マリアが言うように贅沢だ。
そんなもの持っていない人は、望んでも手に出来ない人は幾らでもいる。
そもそも贅沢だというならば、シルヴィアの現状そのものが贅沢だ。
学院は外出するのにも許可を取ることが必要であり、当たり前のようにそれは外泊の場合も同様である。
しかも外泊の場合は特にその判断基準が厳しく、ほぼ許可が下りないとも聞く。
だがそんな外泊を、シルヴィアは二週間に一度は許可されているのだ。
だからこそ、こうして実家に戻り、息抜きをすることが出来る。
しかし同時にそれは、多分――
「……まったく。現状で満足してもいいと、マリアは思うんですが。シルヴィア様が思っている以上に、シルヴィア様はそれでも十分なんですよ?」
「うん……そうなのかもね」
「……はぁ。まあ我が主が、わたしが言ったことを聞いてくれないなんて、今更なんですが。……あなたの思うようにすればいいと思いますよ?」
「……うん。ありがとう」
気付かなければ、そのままだったかもしれない。
だけど気付いてしまったら、そのままでいるわけにはいかなかった。
だから今日、シルヴィアは今までの自分にさよならをする。
自分だけが享受していた甘えと、決別をするのだ。
この家に戻ってくることも、もうしばらくはないだろう。
「……寂しくなるなぁ」
「皆そうやって頑張っているのでしょう? なら、シルヴィア様も我慢すべきです。……頑張ってくださいね?」
「うん。……ありがとう、マリア」
そうして笑みを浮かべて。
シルヴィアはこれからへの決意を、新たにするのであった。




