龍人とスキル
「そういえば、ずっと気になっていたことなのであるが」
ソーマがそんな言葉を口にしたのは、第五階層へと降り立ち、先へと進んでいる時であった。
ここまで大体三十分程度しかかかっていないため、かなり良いペースではあるのだが……さて、何か問題でもあっただろうかと、ヒルデガルドは首を傾げる。
だが直後にその口から飛び出してきたのは、予想だにしない言葉であった。
「貴様何故そんな珍妙な口調をしているのである?」
瞬間、貴様にだけは言われたくない、と思ったが何とか堪え――
「いや、正直貴様にだけは言われたくないのじゃ」
ることはできなかった。
いやだってどう考えてもこんなのは何かの振りだろう。
ツッコミ待ちにしか思えない。
しかしそんなソーマはこちらへと顔だけを向けながら、不思議そうに首を傾げてみせた。
それはまるでこちらが間違っていると言わんばかりであり――
「いや、我輩も最初からそうならば特に何も言わんであるが、昔は違ったであろう? まあそれを言えば、何故見た目幼女なのか、というのも聞きたかったところではあるのだが。貴様メスだったのであるか?」
「――」
一瞬、ヒルデガルドは間違いなく呼吸を止めていた。
それぐらいの衝撃が、今の言葉にはあったのだ。
だってその意味するところは、明らかすぎるだろう。
いや、確かに妙にこちらに遠慮がないなとは思っていたのだが……それはさすがに、予想外すぎた。
「何故……いや、いつから気付いていたのじゃ?」
「……? それが一体何に対してのものなのかがいまいち分からんのであるが……もしも貴様があの龍だということに、ということであるならば、そんなものは一目見た瞬間から、であるが? というか、気付かないわけないであろうに」
その言葉に、再度絶句した。
しかし同時に、疑問も湧き上がってくる。
最初から気付いていたというのであれば――
「……その割には、随分普通だった気がするのじゃが? 我は貴様を殺したのじゃぞ? ならこう……もうちょっと何かあると思うのじゃ」
「いや、そんなことを言われても、それを言えば我輩は貴様を殺したであるしな。憎くて殺しあったわけでもあるまいし、お相子というものであろう」
そう語るソーマは、相変わらずこちらには視線しか向けてこない。
だが嘘を言っていないということを悟るにはそれで十分であった。
だから直後にヒルデガルドが溜息を吐き出したのは、悔しかったからである。
「ぬぅ……折角貴様を驚かせてやろうとこんなところにまで来たというのに……最初から失敗していたのは不覚なのじゃ」
「ああ、そういった理由だったのであるか。やっぱり学院長って暇なんであるなぁ」
「やかましいのじゃ!」
というか、別に暇だからこんなことが出来たわけではない。
ちょっとこの時のために徹夜した上で、本気を出して諸々処理しただけだ。
ソーマに二時間と答えたのも、あれが抜け出していられるギリギリの見積もりだっただけなのである。
まあそれでいけると判断したから十階層までと指定したのだし、この調子では問題なさそうではあるが。
「ところで、さっきの質問に答えてもらっていないのであるが?」
「うん? さっきの質問、なのじゃ?」
「見た目幼女であることや……いや、そもそもの話、龍に性別はなかった気がするのであるが?」
ソーマの疑問は正しい。
龍に本来性別というものは存在しないからだ。
人々からの幻想によって成り立っている龍は、繁殖によって増えることもないため性別を定める必要がない。
だが。
「まあ身体が小さいのは、まだ五十年も生きていないからなのじゃが……成人してもあまり大きくはならないようにはしているため、想定通りではあるのじゃな。で、その理由なのじゃが……ほれ、我は本来かなり大きかったじゃろう?」
「まあそうであるな。龍ということを考えても、かなり大きかったのである」
「うむ、それで我は今度はこの小さき身体を選んだ、ということなのじゃ。その落差に驚いたじゃろう? 全ては我の策略故……貴様を落とすためなのじゃ。つまり、ぎゃっぷもえ、というやつなのじゃな」
「……ほう?」
瞬間、ソーマから向けられていた視線が、何言ってんだこいつ、みたいなものに変わったが……はて、何故だろうか。
ここはそうだったのかと愕然とし、めろめろになる予定だったのだが。
この完璧な策略の何処に綻びがあったというのか。
解せぬ。
「まあ貴様の戯言は一先ず置いておくとして……それで、我輩を落とす、とは? 具体的に何をするつもりなのである?」
「うん? そんなの、子作りに決まっているじゃろ?」
「…………ほう?」
さらにその視線に残念なものを見るようなものになったが、本当に解せぬ。
ただ当たり前のことを言っているだけだというのに。
「……我輩貴様から好感度を稼いだ記憶がないのであるが?」
「何を言っているのじゃ? 貴様は我を殺し、我に認めさせたじゃろうが。ならその相手の子が欲しいと思うのは、当然のことじゃろう?」
「あー……つまり、その肉体が女なのも?」
「そのためじゃな。貴様を女の肉体に転生させることも考えたのじゃが、嫌がるかもしれんと思ってやめたのじゃ」
「思い留まってくれて助か……うん? 今何かとんでもないこと言ってなかったであるか?」
「何がじゃ?」
「貴様が我輩を転生させた、と言ったように聞こえたのであるが?」
「その通りじゃし、何も間違っていないのじゃが?」
そこでソーマが驚きを見せたことに、こちらの方が驚く。
願いを必ず叶えてみせると、ちゃんと言っただろうに。
「ああ、最後何か言っていたのは分かってたであるが、そんなことを言ってたのであるか……いや、考えてみれば貴様と我輩が偶然同じ世界に転生するわけがない、か。というか、貴様そんなこと出来たのであるな」
「まあ我これでも元神じゃし」
元なのは、既に世界が違うことと、死んでいるからだ。
ソーマが神ではないのとは少し理由は異なるが、まあ似たようなものと言えば似たようなものである。
「ちなみに、これは純粋な疑問として聞くのであるが、貴様我輩の子を産むとか言っていたであるが、本当に作れるのであるか? 貴様人類ではないであろう?」
「ふむ……確かに種族として分類するのであれば、我は人類という枠組みには入っていないのじゃが、問題なく産めるはずじゃぞ? 今の我は龍人じゃからな。幻想の存在ではなくなり肉体を持った以上、子が産めぬはずがないのじゃ」
要するに状況としてはエルフと似たようなものだ。
あっちは世界に認められたため人類に分類されるようになっているが、違いがあるとすればその程度である。
そしてエルフが人との混血を孕める以上、何の問題もないだろう。
「まあ唯一の問題は、我が成人して子供を作れるようになるにはあと五百年ぐらい必要ということなのじゃが……貴様のことじゃし何とかなるじゃろう」
「なるわけないであろうが」
そう言ってソーマは呆れたように溜息を吐き出したが、ヒルデガルドは割と本気で言っている。
そもそも上位存在から堕ちたという意味では、ソーマも変わらないのだ。
肉体こそ人類種ではあるものの……まあそのぐらい気合で何とかなるだろう。
「まあその可能性がない以上その話はどうでもいいのであるが……ところで、先ほど我輩の願いを叶えたと言ったのであるよな?」
「うむ、言ったのじゃが?」
「……我輩の願いが何であったのか、本当に分かっていたのであるか?」
「当然じゃ。魔法を使いたい、じゃろう?」
だからこそ、この世界に転生させたのだ。
あの世界から最も近く、未だ魔法の存在しているこの世界に。
「ふーむ……ま、なら問題はないであるか。それで魔法が使えないというのは、我輩側の問題なわけであるし」
「うん? 魔法が、使えない?」
「そうであるが? というか、だからこそこんなことをしているのであろう?」
「いや、我は貴様が迷宮に行きたいと言っているところは聞いていたのじゃし、そこでちょうどいいと思って出て行きはしたのじゃが、その理由までは知らなかったのじゃ、が……」
ソーマが、魔法を使えない。
それは、有り得ないことであった。
幾らヒルデガルドが神だったとはいえ、転生を司っているわけではない以上あまり大それた干渉は出来ない。
精々転生先をこの世界にすることと、あと出来たのは一つだけだ。
しかしそれこそが、ソーマに魔法の才能を与えることであった。
願いを叶えると言った以上、それは絶対なのだ。
幸いにもこの世界の魔法は肉体の才能によって発揮されるものであったため、それを刻み込み――
「……ちょっと貴様のことを『視たい』のじゃが?」
「うん? それはもしかして、入学試験の時にもやったことであるか?」
「うむ、同じなのじゃ。ちともう一度確認したいことがあるのじゃよ」
「ふむ……まあ別に構わんであるぞ?」
「では、失礼するのじゃ。どれどれ、っと――」
――調和の理・龍神の瞳・世界の管理者:偽・全知。
瞬間瞳に映ったのは、膨大なほどの情報だ。
下手なものが見れば一瞬で意識を飲み込まれるだろうそれを見つめ、必要なものだけに焦点を当てる。
必要なのはただ一つ、ソーマの現在のスキル構成だ。
――剣の理。
――神域の器。
――神殺し。
――龍殺し。
――龍神の加護。
――絶対切断。
――見識の才。
――万魔の剣。
――常在戦場。
――気配察知特級。
――奇襲無効。
――戦意高揚。
――縮地。
――怪力無双。
――明鏡止水。
――一意専心。
――疾風迅雷。
――リミットブレイク。
――オーバードライブ。
――我流・模倣・斬鉄剣。
――我流・模倣・斬魔の太刀。
――我流・模倣・一刀両断。
――我流・模倣・魔人剣。
――我流・疾風の太刀。
――六歌仙。
――百花繚乱。
――紫電一閃。
――奥義一閃。
――極技・閃。
――決戦奥義...
パッシブからアクティブまで、実に様々なスキルがある。
あの時見たのと違いはなく、その中の一つに、それを見つけた。
――魔導特級。
「うーむ……」
見間違いなどではなく、確かに存在しているそれに、つい唸り声を上げた。
瞬間視界の端から現れた魔物をソーマが斬り捨てるのを眺めながら、首を傾げる。
やはり使えないなどと言い出す意味が分からなかった。
これが下級あたりであればともかく、特級だ。
たとえやり方を間違えていたところで、魔法の一つや二つ簡単に放てるはずである。
それこそが、特級という例外である所以なのだから。
封印でもされていれば話は別だが、ソーマのスキルを封印出来るようなものがいるとも思えない。
それこそこの世界の神でもそれは不可能だろう。
或いは居るとすれば、それは――
「……む?」
と、何気なくその詳細を見てみたところで、ヒルデガルドはそれを発見した。
それは魔導特級に関してのフレーバーテキストであり――
――魔導に関する才能。魔法習得への補助特大。魔法発動への補助特大。魔力運用への補助特大。成長時知性及び魔力への補正特大。パッシブスキル。尚、このスキルは上位スキルの効果により発動不可。
「……上位スキル?」
そこで不意に、ピンと来た。
もしやと思い、今度は剣の理のフレーバーテキストを眺める。
そして。
――剣の神による権能。剣技習得への補助極大。剣技発動への補助極大。所持済みの剣への補助極大。成長時全能力への補正極大。精神及び肉体への干渉無効。パッシブスキル...
「あー、やっぱこれが原因じゃなぁ……」
肉体への干渉無効。
これのせいで、ソーマの魔導スキルは発動しないのだ。
ヒルデガルドが外部から与えたが故に、肉体への干渉とみなされ、無効化されてしまったのだろう。
まさかの展開であった。
「というかこれ、貴様もしかしたらスキルを覚えることはない、とか言われておらんじゃろうな?」
「うん? その通りであるが、それがどうかしたのであるか?」
「むしろ何故それがどうもしないと思ったのじゃ……」
だがこれではそう言われるのも無理ない話だ。
何故ならば、このスキルの数々は、おそらくスキル鑑定では見ることが出来ないだろうからである。
スキル鑑定とは、その名からは想像も出来ないが、千里眼の一種であり、より具体的に言うならば未来視の一種だ。
対象者の現在から辿る可能性の最も高い未来の状態から所持スキルを推測する、というものであって、だから覚えることが可能なスキルが分かったり、幼い頃はそれが不確定気味だったりするのである。
フレーバーテキストも見れるから余計に分かりづらくなっているのだが、それはあくまでもおまけにすぎないのだ。
勿論スキル使用者にそれは分からないし、分かるのは結果だけである。
しかしだからこそ、ソーマのことは勘違いしてしまうはずだ。
スキル鑑定の行う未来視は、精神及び肉体への干渉であり、思いっきり無効化されてしまうのである。
或いは、神域の器あたりならばギリギリ見れるかもしれないが、そこに意味はないだろう。
これは他のフレーバーテキストと見比べてみればよく分かるが、何の効果もないただの称号のようなものだからである。
だからこそ干渉をせずとも見る事が可能だと思われる唯一のものなのだが、神への領域に至った証ではあるものの、それを示すだけであって、それそのものには何の効果もない。
つまりはソーマの能力とスキルとがまるで噛み合わないということが起こるわけで……特にこの国では、本人含め周囲は随分大変だったことだろう。
と、そこでふと最近外がなにやら騒がしかった、ということを思い出すが、基本的にヒルデガルドは外に興味があまりないのだ。
もしかしてそれはソーマ関係で何かあったのだろうか、などとは思うが、今は関係のないことである。
今問題なのは……この事実をソーマに伝えるか否か、ということだろう。
構わず先へと進んでいるソーマの背中を眺め、悩み……口を開いた。
「とりあえず、分かったことが二つあったのじゃ。一つは、貴様はちゃんと幾つものスキルを持っている、ということじゃな。まあそこまで色々出来るのに持っていないわけがないのじゃが。ただしその一つが原因で、スキル鑑定ではそれを知ることは出来んのじゃ」
「ふむ……では結局あまり意味はないであるな」
「……まあそうじゃろうな」
ヒルデガルドがそれを主張したところで、ヒルデガルドしかそれを見ることが出来ない以上、意味はないのだ。
この国の根幹になっているスキルというものは、あくまでもスキル鑑定によって観測できるものなのである。
そこに何を言ったところで、嘘吐き呼ばわりされるか、余計な混乱をもたらせるだけだろう。
「ま、我は知ったことを貴様に伝えるだけじゃから、それをどうするかは貴様が決めればいいのじゃ。必要とあれば我も証言ぐらいはしてもいいのじゃがな」
「とりあえず今のままでも問題はないであるし、特にどうこうするつもりはないであるかな。それよりも、もう一つは?」
「うむ……まあ、結局貴様は魔法を使えないということと……その原因が我にあるかもしれない、ということじゃな」
「二つないであるか?」
「同じことに対することなのじゃから気にするな、なのじゃ」
「まあいいであるが……貴様が原因とは、どういうことである?」
「うむ、それはじゃな……」
ソーマの身体の元の魔導の才能がどうであったのかは、既に確認する術はない。
だがもしも下級でもいいから覚えることの出来る下地があったのだとしたら……ヒルデガルドのやったことは、ただソーマの願いを邪魔しただけなのだ。
それを告げるのは少し怖かったものの、黙っているわけにもいかない。
だから躊躇いながらも、そのことをはっきりと告げ――
「ふむ……なるほど。つまり、結局こっちも今までと何の違いもないということであろう? なら問題はないのである」
「い、いや、問題はあると思うんじゃが……?」
「魔法が使えないということなど、最初から分かっていたことなのである。むしろその原因が分かったというのであれば、それは前進であろう。今後はそれを考慮に入れた上で、色々と試していけばいいのであるからな。まあ要するに、貴様は何も気にする必要はないということである。というか、この世界に転生させてくれたことを考えれば、それだけで十分なのであるからな」
ずっと背中しか見せていないため、ソーマがその言葉をどんな表情で言っていたのかは分からない。
しかしその声からは、少なくともそれまでとの違いは見受けられなかった。
ヒルデガルドはそのことに、ほっと息を吐き出すと、その頬を少しだけ緩める。
「そうか……それはつまり、我と子作りをしようということじゃな!?」
「いや、何でそうなるのである?」
「うん? だって今のは確かに本心ではあるのじゃろうが、そこには我への気遣いも含まれていたじゃろう? よって子作りじゃ!」
「……何というか、色々な意味で馬鹿らしくなったであるが、せめて肉体的にそれが可能になってから出直してくるのである」
「ぬぅ……それを言われるとどうしようもないのじゃ」
何故この身は龍人なのか、などと嘆きながら……緩めた頬はそのままに。
ヒルデガルドはソーマの後を追い、二人で共に、迷宮の奥へと向かっていくのであった。




