王立学院の入学試験
眼前の光景を眺めながら、シルヴィア・ハイドリヒ・ラディウスは、ごくりと喉を鳴らしていた。
そこにあったのは、轟々と音を立てながら燃えている的。
前に並んでいた人の試験結果であり、当然のような顔をして彼女はこの場を去っていった。
向かっていった方向を確認するまでもなく、彼女は合格だろう。
つまりこの試験を合格するには、魔法を使ってあれぐらいのことが出来なければ……いや。
「ううん、違うよね……ワタシはワタシ。誰かのことを気にすることなく……ワタシは自分の意思で来たんだから。自分の出来る精一杯を頑張ればいいんだ。そうだよね?」
呟いたところで、いつものように返事が返ってくることはないけれど、それだけでシルヴィアは少しだけ元気になれた気がした。
気合を入れ直し、よしと呟く。
「さて、では次。百五十三番」
「あ、はい!」
自分の番号が呼ばれ、シルヴィアは少し慌てながら前に出る。
別にまだ次の人は来ていないので、慌てる必要はないのだが、そこは気分的な問題だ。
規定の場所にまで歩き……しかしそこで、首を傾げた。
「あ、あの……的が」
「うん? 的ならばあそこにあるだろう?」
確かにあった。
視線の先、大体三十メートルといったところだろうか。
平らな地面が続いたその先に、それはある。
ある、のだが……。
「その……燃えているんですけど……?」
「そうだな、つい先ほどの試験で燃やされたからな。で、それがどうかしたのか?」
「えぇ……」
むしろ何故どうもしないと思ったのか。
困り果てたシルヴィアは、何となくその場を見渡すが……現状を打破するようなものは、当たり前のように存在してはいなかった。
端的に言ってしまうのであれば、そこは訓練場だ。
広さとしては五十メートル四方といったところか。
今は試験として使われているためか、むき出しの地面だけがそこには広がっており、遠くにある的も、あの今も燃え盛っているもののみ。
いや、実はシルヴィアがここに来た時には他にも的があったのだが、それらは全て他の受験生の放った魔法によって時には爆ぜ、時には砕け、なくなってしまったのだ。
そして最後の一つがあれだったのだが……。
「どうした? 試験はもう始まっているぞ? こちらから合図などを出すことはないから、自分の好きなタイミングでやって構わない。何をすればいいのかは、分かっているな?」
「は、はい……分かってはいます、けど……」
頷きつつ、ここに来た時に聞いた言葉を反芻する。
確か――
――あの的に向けて君達が最も得意とするものを全力で放ち、私を魅せよ。
だったはずだ。
しかしそうしようにも、的がアレでは――いや?
「あれ、そういえば……」
考えてみれば、的を壊せとも、燃やせとも言われていないのだ。
なら――
「……うん、いける……はず」
いけなかったのならば、その時はその時だと開き直った。
一つ息を吐き出すと、今も燃え続けている的を真っ直ぐに見つめ、右手をそれを掴むように突き出す。
そして。
「――凍てつけ、氷結陣」
――万能の才中級(魔導中級・偽):魔法・氷結陣。
言霊を紡いだ直後、視界の中のそれが、瞬時に凍り付いた。
的も炎も関係なく、その全ては氷の中に閉じ込められる。
その狙い通りの光景に、よしっ、と小さく呟き……その後で、そっと試験官役の女性の姿を盗み見た。
今の結果は上出来だとは思うものの、やったことに自信はあまりないのである。
その判定は――
「うむ……良い魔法だった。まあ判断に関しては及第点といったところだがね。結果的には魅せられたが、あれは意図してのことではあるまい? 的が燃え終わるのを待ってからでも、十分ではあったしな」
「え……そう、なんですか? だってそれじゃあ、的が……」
「完全に燃え尽きてしまったのならば、新しいのを用意すればいいだけだろう? そもそも君の出番になるまで、百五十二名もの魔導士が魔法を使ったのだぞ? どれだけ的があっても足りるわけがあるまい」
「あ……」
言われてみれば、その通りだ。
つい焦って魔法を使ってしまったが……その必要は最初からなかったということである。
「ま、そういったことは、追々習っていけばいいことだ。結果的にではあるが、君の魔法の程を知る事が出来たのは加点要素だしな。それが正確な状況判断によるものだったのならば、言うことはなかったんだが」
「……はい、頑張ります」
「その頑張りがこの学院で発揮できるのかはまだ分からないが……とりあえず、その資格はあるようだな」
「え……それって」
「良い魔法だ、と言っただろう? 君はこのまま帰ることなく、真っ直ぐあっちへと向かうがいい。そこに待っている講師が、次の目的地へと案内してくれるはずだ」
「……あ」
その意味するところは、明白だろう。
つまりは、実技に関しては合格をもらえたということである。
完全な正解ではなかったようだが……そのことをじわじわと実感すると、ぎゅっと小さく拳を握り締めた。
「……やったっ」
「さて、喜んでいるところ申し訳ないが、早々に退いてくれるかね? どうやら次が来たようなのでね」
「あ、はいっ、すみません」
慌てて動き出せば、確かにちょうど新しい人がやってきたところであった。
瞬間その人に……その少年に目が吸い寄せられたのは、まるで吸い込まれるんじゃないかと思えるほどに艶やかな漆黒の髪を持っていたからだ。
髪はその人の才能を表すと言われ、黒は全ての才を備えた色とまで言われている。
そのため、出て行こうと思っていた足は自然と止まり、シルヴィアは少年のことを見つめてしまっていた。
「さて、ちょうどいいタイミングだったな。君は百五十四番だが、見ての通り今は他に人がいない。このまま試験に入るぞ」
「ふむ……まあ、問題はないのである。それで、試験の内容は?」
「ああ、あそこに的が見えるな? あの的に向けて君が最も得意とするものを全力で放ち、私を魅せよ。以上だ」
多分そうくるのだろうとは思ったが、本当にそうなってしまったことに、思わずシルヴィアは声を漏らしかけた。
しかし抑える事が出来たのは、それは彼の試験を邪魔するだけでしかないということに気付いたからだ。
もっとも、先ほど自分がやったことが、既に彼の試験を邪魔してしまっていたようではあるが。
何せ的というのは、当然先にシルヴィアが凍らせたものなのだ。
放っておいて氷が溶けるのを待つなんていうのはさすがに現実的ではないだろうし……しかも実のところ、今もあれは魔力を保ち冷気を放ち続けている。
そういう魔法だからだ。
だからもしも彼が炎の魔法を得意としていたりしたら、本当に邪魔をしてしまうことになるし、それは他の魔法でもある程度は同じだろう。
とはいえどうやら的を変えるつもりはないらしく……そのことをシルヴィアは申し訳なく思いながら、何となく試験の続きを見守る。
「最も得意とするもの、ということは、手段は問わないのであるな?」
「勿論だ。そこでどういう判断をするのかも、試験内容だからな」
「ふむ……了解なのである。では我輩はこれを使うとしよう」
そう言って少年が手に取ったものに、再びシルヴィアは声を上げそうになってしまった。
何故ならばそれは、少年が腰に差していた剣だったからである。
いや、厳密に言うならば、剣型の杖というところだろうか。
試験官が止めないということは、そういったものを使うのもありということなのだろうが……何にせよ、剣型の杖とは大分珍しいものを使うものだ。
杖は魔導士にとって必須ではないが、持っていた方がいいとは言われている。
魔導士用に仕立てられた杖は、魔法を使う際の補助を行ってくれるからだ。
ただしそれはある程度魔法を使いこなせるようになってから……それこそ中等部に上がった頃である。
何故ならば、それまでは杖の補助が必要なほど複雑な魔法は使えないからだ。
逆に言うならば、今の段階で杖を使うということは、それだけ才能があり、努力を重ねているということなのである。
まあさらに才能がある人は、杖などそもそも必要としないらしいが。
ともあれそういったわけで、魔導士が杖を使うことそのものは普通だ。
どんな杖を使うのかは人それぞれであり、頻繁に使うことから自分に慣れたものを杖にしたり、携帯性を重視したりと人によってある程度の差異はあるが……それでも剣を杖にする者というのはほとんどいないだろう。
剣術にも才のある魔導士が、極稀に持っていた、という話を聞いたことはあるが、少なくとも実際目にするのはシルヴィアも初めてであった。
だがならばこそ、あの少年がどんな魔法を使うのだろうと、さらに興味が湧く。
杖を使うほどの魔法であり、しかもその杖は剣型。
そこに興味を持たない魔導士など、いるはずがないだろう。
そしてそんなことを考えていると、少年が剣を構えたのを見た。
「では、いくのである」
なるほどやはり剣型の杖を使うだけあって、魔法も剣術に関係のあるものなんだと、そう思い――
「――魔人剣」
直後に認識したのは、白であった。
圧倒的なそれが一瞬の内に視界を塗り潰し、すぐ後に訪れたのは轟音。
それと共に風が、衝撃を感じるほどの勢いで通り過ぎ――
「……はい?」
晴れた視界、広がった光景に、シルヴィアは思わず呆然とした呟きを零していた。
そうなった理由は、単純にして明快。
つい先ほどまで視界には、氷付けにされた的と、その後ろに広がる訓練場の壁が存在していたはずなのだ。
なのに今は――
「……馬鹿な。訓練場の壁は、講師が全力を出したところで耐えられるように設計されているのだぞ……? それが、一撃で、だと……?」
呆然とした試験官の言葉に応えるものはなく、そこにはただ、ポッカリとした穴が空いていた。
その先には当然のように、訓練場の外の学院の光景が見えている。
そして。
「ふむ……あれ? もしかして我輩、ちょっとやりすぎたであるか?」
そんなシルヴィア達の耳に、そんな少し困ったような少年の声が届いたのであった。




