砕けた剣
それが何なのかはよく分からなかったが、アイナがその心配をする必要はないと思っていた。
だってあのソーマが、真っ先に駆けていったのだ。
ならばその次に待つのは、当たり前の結果だけであり――
「……嘘」
だからその光景を一瞬信じられず、ついその言葉が口から零れ落ちた。
直前に響いたのは、甲高い音。
そう、アイナでは視認すら困難なその一撃を、それは当たり前のように盾で以って受け止めたのだ。
そして当然の如く、それだけでは終わらない。
二回、四回、八回……十を超えても音は止まず、その分だけ相手の剣も振るわれる。
その全てをソーマは的確にかわしてはいたが……あのソーマとやり合っているというだけで、アイナが驚愕するには十分であった。
確かにシーラやリナと打ち合っているのは、見た事がある。
だがあくまでもそれは模擬戦であるし……何よりも二人は、特級のスキルを持っているのだ。
ということは、あれも特級相応の、或いはそれ以上の力を持っていることになる。
まさか、とは思いたいが……シーラとリナの二人が今この場にいることこそが、その推測を裏付けていた。
「……二人とも、ソーマの援護にいかないの?」
「その必要がないのです、と言いたいところなのですが……わたしは兄様の足を引っ張るつもりはないのです」
「……ん、同じく。……多分こっちがソーマごと斬るつもりでいったとしても、邪魔にしかならない」
「そう……そこまでなのね……」
正直に言ってしまえば、アイナにはシーラとリナのどちらが強いのか、ということすらも分からないのだ。
三人の話を聞くに、圧倒的にシーラらしいのだが、どちらもアイナの目からすると強すぎるため、判別が付かないのである。
目の前の戦いも同じだ。
どちらもアイナの常識の埒外にいるため、それがどれほどのものなのかということは分からない。
分かるのは、こうしている今も連続して音が響き、聞こえているということだけなのである。
しかし、二人が介入できないほどだということが分かれば、十分であった。
それは即ち、自分の出番ということだからである。
口元が少しだけ緩んでしまったのは、ようやくかと、そう思ったが故であった。
何せアイナはここ最近、ほぼ何もしていないのである。
特に遺跡の中では、顕著だ。
ほとんどがソーマとシーラによって瞬殺されてしまうためであり、やったことと言えば、この前照明の魔法を使ったということぐらいだろう。
一応あの巨大な魔物なのか何なのかよく分からないものに攻撃魔法を撃ちはしたものの、正直あれに意味があったとは思えず、やはり何もしなかったも同然である。
それは楽ではあるが、不満を募らせるものでもあったのだ。
だがこの状況ならば、援護として攻撃魔法を放っても問題あるまい。
いや、使うべき状況だ。
さすがにこの状況でまで、妬ましくて手が滑る、などとは言い出さないだろうし……いや別に、助けて、お礼を言われたいだなんて、思ってはいないけれど。
ともあれ、と、余計な思考を放り投げ、右手を持ち上げる。
照準をつけるように突き出し、紡ぐのは、魔の法則へと訴えかける言霊。
「――爆炎よ、槍と化せ。疾く駆け、雷の如く敵を射よ」
ソーマの背へと視線を向けたのは一瞬。
繰り出されている剣戟は相変わらずまともに捉えられず、重なる音だけが耳に届く。
しかしそれらをアイナが認識する必要はなかった。
アイナごときが、そんなことを気にする必要はない。
合わせる必要すらなく……ソーマならばきっと――
「――ファイアボルト!」
――魔導特級・魔王の加護・積土成山:魔法・ファイアボルト。
叫んだ瞬間、魔力が爆ぜ、炎が溢れた。
集束したそれが、一直線に前方へと駆ける。
それは本当に雷の如く、一瞬でソーマの後頭部にまで届き――瞬間その首が、僅かに傾く。
炎雷がその真横を通り過ぎ、ソーマの剣閃が煌いたのはほぼ同時。
やったと、拳を握り締め――直後、その場に二つの音が響いた。
「……え?」
そこで呆然とした声が響いた理由は、明白だ。
音の一つは、ソーマの木剣を相手の剣が受け止めた際に発されたものであり……もう一つの音は、アイナの放った炎雷が相手の盾に跳ね返され、ソーマに直撃した音だったからであった。
その結果起こったことは必然であり、衝撃によって、ソーマの身体が後方へと吹き飛んだ。
「ソ、ソーマ……!?」
血の気が引いたアイナは、一目散に、予測した落下地点へと走り――だが辿り着くよりも先に、ソーマの身体は空中でくるりと一回転すると、そのまま何事もなかったかのように着地した。
「……ソ、ソーマ?」
「ふむ……さすがに反射とは驚いたであるな。予測していなかったため、ちと迎撃が遅れたのである。威力は殺せたが、勢いまでは殺せなかったであるか」
「え……だ、大丈夫、なの?」
「まあ、見ての通りであるな。若干左手が火傷したであるが、この程度ならば無傷も同様であろう」
そう言って軽く振った左手は、確かにほんの少しだけ赤くなっていた。
それを見たアイナは、思わず俯く。
「……ごめん」
「ふむ? 何がであるか?」
「あたしが、余計なことしたから……ソーマを傷つけて……」
「いやいや、だからこの程度ならば傷にもならんと言っているであろうに」
「で、でも……」
「でもも何もないのである。そもそもこれは、どちらかと言えば我輩の責任であろう。援護してくれた方に責任を感じさせるなど、以ての外である」
ソーマはそう言ってくれるものの、これはやはりアイナの責任だ。
特級相応だというのならば、魔法に対する備えもしてあると考えるべきだったのである。
なのにようやくやれることが出来たと、無駄に浮かれて――
「ふむ……反省するのはいいことであるが、今はそういった場合ではないのだ。あとで我輩と共に反省会をするのである」
「へ……?」
瞬間間抜けな声が漏れたのは、自分の頭の上に、ポンとソーマの手が乗せられたからであった。
そしてそのまま数度、撫でられる。
子ども扱いするな、と言いたかったが、つい黙ってしまった。
だって仕方がないだろう。
今口を開けば、間違いなく口元が緩んでしまう。
それを抑えるので精一杯だったのだ。
随分安い女だなと自分で自分のことを思うけれど、これもまた、仕方のないことである。
仕方がないことであるから、渋々と、一先ずアイナは納得するのであった。
「……分かったわよ。今は一旦、そのことは忘れるわ」
「むぅ……兄様と二人きりでの反省会……ここはわたしも何か失敗をするべきなのです……?」
「はいはい、馬鹿なこと言ってないで、折角なんだから少し話し合いをしましょ。ソーマがすぐ戦闘に戻らないのも、そのつもりだからでしょ?」
「まあ、向こうが動く気配がないというのも理由の一つではあるがな」
その言葉に釣られるようにアレの方へと視線を向けてみると、確かに追撃してくる様子はなかった。
戦闘の態勢は解いていないものの、積極的に動くつもりはないようだ。
「……倒すのは、難しい?」
「いや、倒すだけであればそれほどではないと思うであるが……このまま続けるとなると、少し時間がかかりそうであるな」
「ソーマには余裕があったように見えたけど?」
「それは事実であるが、向こうも同じであろうからな。そもそもあれは多分、どちらかと言えば防御を得意とするタイプなのである。それを突破するには、ちと火力が心許ないであるな。まあそれでも時間をかければそのうち倒せるとは思うであるが……あれほどの存在が守っているものがこの先にある、ということを考えれば、ここであまり手間取りたくはないであるな」
「んー……なら、倒さずに迂回する道を探すっていうのはどうなのです? いざとなれば壁をぶち破るって手もあるのですし」
「個人的にはやめといた方がいいと思うわよ? あんなのがいるのに迂回できる道があるとは思わないし、壁を壊すのはそもそもどうなるか分からないもの」
「……ん、同感」
この遺跡は部屋と通路の二つで構成されているタイプのようだ。
部屋と部屋が連なり、部屋と部屋を繋ぐようにして通路があり、時には通路だけが延々と続く。
そういったものである。
今のところ仕掛けなどはなく……だがあんなものが居る以上、ただの古い遺跡だと考えるのは間違いだろう。
そう簡単に近道などさせてもらえるとは思わず、さらにはここは森に侵食された遺跡なのである。
その一部を壊したらどうなるかなど、予想も出来なかった。
「むぅ……確かに、危険を避けるために危険に突っ込んでは意味がないのです」
「……別の場所に行こうにも、結局ここも通る必要がありそう」
「うむ。むしろ目的のものは、この先にある可能性が高いであろう」
「そもそも諦めるって道は――ないわよね。分かってるわよ」
ほぼ同時に二つの視線が突き刺さったことに、苦笑を浮かべる。
撤退しようとしたところで、そこの二人は構わず突き進もうとするだろう。
リナもそれに従うだろうし……自分も、結局はそうだ。
つまり、アレを何とかして倒す以外に方法はないということであった。
「……ん、仕方ない。……ソーマにばかり頼りきりなのも、あれだし。……手を一つ切る」
「シーラさん……いいのです?」
「……ん」
その意味するところは、アイナにも分かった。
隠していた切り札の一つを使う。
そういうことだ。
それは別にこっちを信用していなかったというわけではない。
冒険者は、普通手をなるべく明かさないものだからだ。
裏切りとかの心配もそうだが、仕事次第では互いに敵対することも有り得るからである。
それは信用だとか信頼だとか、そういったこととは別の問題なのだ。
もっともだからといって、こっちを信用しているかといえば、それはまた別の話ではあるが。
死んでしまえば意味がないからこそ、必要とあれば躊躇することもないからである。
ともあれ。
「……多分、隙ぐらいなら作れると思う」
「ふむ……分かったのである。なら我輩は、そこを突いてアレを倒すとしよう」
「……ん、任せた」
そう言って頷くと、シーラは一歩を前に進み出た。
腰の刀に手を伸ばすと、そのまま柄を握りながら、前傾姿勢を取る。
いつもシーラが攻撃を行う際、敵が離れた場所に居る場合に、その最初に行う行動だ。
だが違ったのは、そこから先、口にした言葉である。
それはどうやら技を放つためのトリガーのようであり、ただし魔法のように必須のものではなく、ある種の自己暗示のようなものらしいが――
「――雲散霧消」
瞬間、その姿が掻き消えた。
速すぎて目に映らないのとはまた違う。
視界の中に、その姿は痕跡すらも存在せず……しかしそれが分かっていたかのように、ソーマもほぼ同じタイミングで駆けていた。
アレとの距離を、一瞬でゼロにし――その直前に、それの真後ろにシーラの姿が現れる。
その時には既に刀は抜き放たれており、ソーマが振り下ろした一撃とのタイミングは、やはりほぼ同時。
だがアレもさすがと言うべきか、直後に響いたのは、二つの音。
盾と剣で、それぞれに防いでおり……その体勢が、僅かに崩れた。
刀を防がれたシーラが、不思議なことに、そのまま刀ごとそれの身体をすり抜けたからである。
そしてその隙を見逃すソーマでは、当然ない。
直後、それの身体が宙を舞った。
着地するよりも先に、ソーマがそのまま空中でそれの顎をつま先で捉えたからだ。
まさか蹴りを放つとは思わずに驚くも、そんなことは関係ないとばかりにさらにソーマが動く。
やはり地面に着地することはなく、そのまま宙で身体を捻り、今度こそ隙だらけのそこに、木剣での一撃を――
「――っ!?」
しかしそれよりも先にアイナの視界が捉えたのは、それの口が開かれている、という事実であった。
別にそれはどうということはないことのはずだ。
文字通りの意味しか持たないはず。
だというのに、何故だか物凄い悪寒がした。
「兄様!?」
「――ちっ」
そしてリナ達は一瞬早く気付いていたのか、リナの叫びと、ソーマが漏らした舌打ちが重なる。
シーラは反転し、こちらに背を向けながら後退していたものの、何処となく動揺したような気配が伝わってきた。
フードを被ったままなのに、随分慣れたものだと、どこか現実逃避気味にそんなことを思い――
『RaaaaaaaaaAAAAAAA!』
「――我は魔を断つ剣なり」
それの歌声と、ソーマの呟くような声が同時に響き……直後。
吹き飛ばされたソーマの代わりとでも言うかの如く、その手に握っていた木剣が、砕け散った。




