元最強、筋肉痛に苦しむ
「ぬぅ……しくったのである……」
ベッドの上で一人、ソーマは唸っていた。
その胸中に抱いているのは、反省の心である。
さすがに失敗したと、そんなことを思っているのだ。
まあソーマがそんなことを思うのも、当然のことだろう。
何せソーマは、ここ三日の間ずっとベッドの上の住人なのである。
そこから動くことを、許されていないのだ。
尚、ソーマが才能が皆無と告げられ、ひっそりと屋敷を抜け出したあの日から経過した時間も、三日である。
つまりあの日から、ソーマはずっとベッドの上だということであった。
ただこれは、別に罰というわけではない。
そもそもベッドの上から動いていないのは、ソーマの意思だからだ。
何故ならば、下手に動こうとすると全身に激しい痛みが走るため、動くに動けないし、動きたくないのである。
しかしそれは、怪我をしたというわけではない。
それは筋肉を酷使したことによる代償。
ただの筋肉痛であった。
「ううむ……しかし正直、たかが筋肉痛と侮っていたであるが……ここまでとは予想外なのである……」
何やら深刻そうに呟いているが、それもまた大したことではない。
前世から数えて数十年ぶりの筋肉痛を軽視していたというだけなのだ。
ただの自業自得であった。
いやまあ、身動きがまともに取れないような、全身に激痛が走るほどの筋肉痛であるのは確かだ。
が、何せ剣神と謳われた剣技を再現したのである。
その程度で済んだのは、いっそ奇跡的とすら言っても過言ではないだろう。
四肢の一つや二つ吹き飛んでいたところで、不思議ではなかったのだ。
つまり結局のところは、やはり自業自得ということであり……もっともそう言ったところで、何がどうなるわけでもない。
とりあえず筋肉痛が治る、とまではいかずとも、和らぐまでは何もすることは出来ず――
「……む?」
と。
さてどんな暇つぶしをしたものかと、ソーマがそんなことを考えていると、不意に扉を叩く音が聞こえた。
続けて聞き覚えのある声が、扉の向こう側から届く。
「ソーマ、カミラだが、入っても大丈夫か?」
「うむ、問題ないのである」
そうして入室の許可を与えれば、扉が開き、そこから一人の人物が姿を現した。
当然というべきか、それは見知った姿だ。
黒瞳黒髪。
腰のあたりまで伸ばした髪を揺らし、心配そうな顔を覗かせているのは、ソーマの家の専属スキル鑑定士であるカミラである。
母の同年代の友人でもあるという彼女は、そろそろ二十も後半になろうかという歳のはずだが、相変わらずそれを感じさせないほどに若々しい。
……いや、それは訂正すべきか。
若々しいというよりかは、幼いと言うべきだからだ。
何せそもそもの話、身長が異様なほどに低い。
さすがにソーマよりは大きいものの、年齢差を問われれば、間違いなく一桁の、それも下手をすれば前半の数値が出てくることだろう。
少なくとも間違いなく、一目で成人している女性だと見抜ける人物はいないに違いない。
まあそれを言ったら、母も母で異様なほどに若々しいわけではあるが……果たしてそれはこの世界共通の仕様なのか、或いは彼女達特有のものなのか。
「ふむ……さすがにサンプルが少なすぎて結論は出せなそうであるな」
「あん? 何か言ったか?」
「いや、ただの暇つぶしを兼ねての戯言であるから、気にする必要はないのである」
「はあ……ま、別にいいけどな」
そう言って肩をすくめると、代わりとばかりにこちらをジッと見つめる。
数秒ほど、何かを探るように続けられた後で、その口から小さく息が吐き出された。
「とりあえず、顔色はよさそうだな。何か問題はないか?」
「そうであるな……全身筋肉痛なのは今更であるし。敢えて言うならば、暇すぎる、といったところであるか?」
「それは……悪いが、ちょっとどうにかする方法は思い浮かばないな。本を読むことなんかも、今は難しいだろうし」
「ま、別に言ってみただけであるし、気にする必要はないのである。こうして毎日見舞いに来てくれるだけで、十分であるし」
そう言った瞬間、カミラの顔が曇ったのは、そこに言葉にしたもの以上の意味を感じ取ったからだろう。
母親であるソフィアが、初日以降一度も顔を見せてすらいないということを、だ。
もっとも、誤解がないように言っておくと、ソーマ自身にそのつもりはない。
言葉通りの意味であり、そこに他意はないのだ。
ああそういう意味にも取れるなとは、口にした後でカミラの顔を見て思いついたことでしかないのである。
とはいえここで下手に言い訳をすると、余計怪しくなるだけだろう。
そのため敢えてソーマはそこにはそれ以上触れず、別の形で話を続けることにした。
「ふむ……だがそうであるな。折角であるし、課題を出す、というのはどうであろうか?」
「課題……?」
「うむ。その方が家庭教師らしいであるしな」
家庭教師。
それはそのままの意味であり、つまりカミラがソーマの家庭教師ということであった。
ただし先に述べたように、カミラは本来専属のスキル鑑定士だ。
そこに追加して家庭教師などをやる理由などは、色々な意味でないし、実際そうではなかった。
つい三日前までは。
そう、あの日を境にして、何故かそういうことになったのだ。
ソーマから他の家庭教師が全て外された、という意味は理解できる。
ソーマには既にそうする価値がないからだ。
これは家としての判断であって、個人の考えは関係がない。
ソーマは自分の家がどういった家なのかを未だ知らないが、今までの学習のこともあり、その程度のことは分かっているのだ。
そしてだからこそ、余計に意味が分からない。
何故そこで、新たにカミラが家庭教師になるのか。
しかも、スキル鑑定士が、だ。
ソーマはそれを一方的に告げられただけなので、理由など分かるわけもないのだが……まあだが、ぶっちゃけた話、それはどうでもいいことであった。
「確かにそれはそうだが……実は未だにソーマの学習進行度の確認が出来ていないんだよなぁ……。そのため、課題を出そうにも、どうしたもんだか……」
「いや、別にそれを確認する必要もないのである。そもそも我輩が興味あるのは魔法のことのみであるし、それは未だ一つも教えられていないのであるからな」
そう、結局のところはそこに集結する故に、他の些事はどうでもいいのだ。
そのためにこそ、こんな有様になってまで、前世の剣技を再現してみせたのだから。
「魔法、ねえ……だがそれは――」
「本当に何でもいいのであるぞ? 我輩魔法に関する情報に飢えているであるからな」
カミラが何と言おうとしたのか、検討は付いている。
だからこそ、言う前に遮ったのだ。
そんなことは、それこそどうでもいいことなのだから。
スキルがないから覚えられない?
その程度で諦めるなど、有り得ない話だ。
だって、それが不可能などと、誰が決めたというのか。
それが不可能だというのは、誰も実証出来ていないのに。
何故ならば、スキルがあってすら不可能だろうと思われるようなことを、ソーマはやってのけたのだ。
下級の剣術スキルすらないのに、巨木をただの棒きれで叩き斬るということを。
ならば……スキルがなくとも、魔法の一つぐらいならば使える可能性はあるのではないだろうか?
そういうことであった。
しかしそのことをソーマはいちいち口に出すことはない。
必要がないからだ。
自分さえ分かっていればそれでよく、あとはひたすらに頑張り、目指せばいいだけなのだから。
そんなソーマの強い気持ちを感じたからか。
カミラはそれ以上何かを言うことなく、諦めたように苦笑してみせた。
「……分かったよ。じゃあ、家庭教師らしく、魔法に関する課題を出すとすっか」
「おおう!」
「ただし、私も魔法はあまり得意じゃないからな。少し調べる必要があるから、それは明日出すことにする」
「うむ、了解である。……明日が楽しみであるな」
それは当然のこと、本心からのものであった。
何せついに、魔法の情報に触れられるのだ。
楽しみでないわけがないだろう。
果たしてどんな課題が出され、そこからどんなことが分かるのか。
そのことを思い、自然とソーマの口元には笑みが浮かぶのであった。