元最強、確認をする
木漏れ日の差し込む中を、ソーマは一人歩いていた。
周囲に存在しているのは、乱立した木々。
つまりは森であり、既に見えなくなってはいるものの、後方には無駄に広く大きな屋敷が存在しているはずだ。
それはソーマ達が住んでいる場所であり、要するにソーマは今外に出ているのであった。
しかし周囲に人の影はなく、そこに居るのは本当にソーマ一人だけである。
誰に告げることもなくこっそりと抜け出してきたのだから、当たり前のことではあるのだが……実のところそれは、本来有り得てはいけないことであった。
何故ならば、ソーマは屋敷の外に出ることを、許可されてはいないからだ。
屋敷の外は危険が多く、また実技の訓練を行わない現状その必要がないから、というのがその理由である。
だがそんなことは知ったことではないとばかりに、ソーマはさらに奥へと進んでいく。
屋敷の裏手に広がっている、魔の森と呼ばれ、特に危険だと言われているその場所を、だ。
もっともそれは別に、自棄になってのことではない。
そもそも今歩いている道は、歩き慣れた道なのだ。
そう、今日以前にもソーマは外に出たことがあり、どころかこの森を何度も行き来しているのであった。
気楽に歩いているのは、ただそれだけが理由だ。
繰り返すことになるが、自棄になったわけではなく……というか、ソーマにはそうなる理由がない。
まあ或いはあるとすれば、一つだけあるかもしれないが――
「ふむ……才能がない、であるか。……ま、どうでもいいことであるな」
そう呟くと、浮かんだ思考を斬って捨てた。
それは強がりでなければ、開き直ったわけでもない。
心底、本気で、そう思っているのだ。
そもそも周囲は色々と言っていたが、それが前世の記憶と経験のおかげだとは、ソーマが誰よりも理解していた。
天才などと持ち上げてくれた周囲には悪く思うが、最初からソーマはその程度だったというだけなのである。
だから、才能がないなどということは、端からどうでもよく……それでもソーマが才能がないと母から告げられ、呆然としてしまったのは、ただ一つの理由からだ。
それはつまり、何のスキルもないということは、魔法を使うことも出来ないということだからである。
そう、ソーマは魔法が使いたかったのだ。
それがこの世界に生まれ、魔法が存在しているということを知ってから今までの唯一にして絶対の目標だったのである。
だというのにそれが不可能だと言われてしまったのだから、そりゃあ呆然としようというものだろう。
だからこそ、失意のままに部屋を後にし……だがそこで諦めるような人間であれば、ソーマは剣の頂に立つことなど出来なかったに違いない。
故に即座に立ち直ったソーマは、そのまま何か手はないのかと考え……ふと、あることに思い至ったのである。
ここにいるのも、そのため――思いついたそれを、試すためであった。
……まあ、正直に言ってしまえば、色々と考えることはある。
例えば、今後の自分の扱いについて。
少なくとも、今まで通りというわけにはいかないだろうことなどだ。
実はソーマは自分の家がどんな家で、そもそも何という姓を持つ家なのか、ということすらも知らないのだが、屋敷の大きさなどを見ればある程度の想像は付く。
それを教えなかったのは、何らかの理由があり、そのうち機会が来たら教えるつもりだったからだろう。
まあ今の状況を考えると、それどころか、その嫡男であったのだろうソーマの権利が剥奪されそうな勢いではあるが。
そしてそれは多分、間違っていない。
母親の態度などからの推測ではあるが、それは十分過ぎる材料だ。
ソーマにとっては問題なくとも、母達にとっては、スキルを何も覚えないということは、何らかの問題があるということなのだろう。
それがこの世界特有のことなのか、この国特有のことなのか、或いは別のことなのかはさすがに分からないが。
しかしそれは究極的に言ってしまえば、どうでもいいことであった。
母との関係が変わる可能性がある、ということは多少思うところはあるが、どうしようもないのならば気にしたところで仕方がないのだ。
それよりも今は、やることがある。
だから余計な思考を投げ捨てると、名前に反して穏やかさすら感じるそこを、さらに奥へと進んでいくのであった。
森に入ってから、十分ほどが過ぎただろうか。
一本の木へと目を留めたソーマは、それへと近付いていくと足を止めた。
「ふむ……これなら十分そうであるな」
それは太く、巨大な木であった。
ソーマは勿論のこと、大の大人でも一人では抱えきれないだろう。
二人……いや、或いは三人は必要かもしれない、それはそんな木であった。
試しに持っていた木の棒で軽く叩いてみれば、当然のようにビクともしない。
それを叩き斬ろうと思えば、鉄の剣を持ってきてすら可能であるかどうか……いや、はっきり言って不可能だろう。
或いは可能性があるとすれば、それは相応の才能を持つもの――スキルを持つものだけだ。
だがそんなこの世界にとっての常識を思い返しながら、ソーマはさてと呟く。
本当にそうなのだろうか、と。
スキルを持つ者は才能があるということと同義であるが、スキルを覚えないからといって才能がないというわけではない。
例えば、剣術スキルを持たなくとも剣を振るうことは出来るし……剣術スキルを持たないものが、スキルを持ったものに勝ったという記録もある。
ただそれは、だから慢心するなという、戒めのためのものだ。
あくまでも例外だと聞かされたことではあるが――
「……例外であろうと何であろうと、それはつまり、スキルがなくとも可能性はあるということなのである」
スキルを持たずとも、持つ者に勝てる可能性がある。
では果たして、そこの差は何だ。
スキルを持たずとも、何処までのことが可能なのか。
剣術スキルを持たずとも、剣を振るえ、スキルを持つ者に勝てる。
ならば……魔導スキルを持たずとも、魔法を使うことは出来るのではないか。
これはそのための、確認作業であった。
目の前にあるのは、巨木。
剣術スキルがあってすら、ソーマの手に持つ棒切れでは、叩き斬ることは勿論のこと、ろくに傷つけることすら出来ないだろう。
ただ、同じスキルでも、そこには等級というものが存在している。
より上位であれば、その効率すら変わってくるのだ。
下級よりも中級、中級よりも上級、上級よりも特級。
等級が上ならば、同じ得物を振るっても、その結果はまるで異なる。
だからこそ、普通ならば不可能でも、剣術スキルの上級……いや、特級であれば、この棒切れですら目の前の木を叩き斬れるかもしれない。
それは逆に言うならば、スキルを持たないソーマが、棒切れでこの木を叩き斬ることが出来るならば。
即ち、スキルなどなくとも、ソーマが魔法を使える可能性も、またあるということであり――
「……ふぅ」
そんなことを考えながら、ゆっくりと息を吐き出し、だらりと手を垂れ下げる。
――瞬間。
ソーマは既に剣を振り、踏み込んでいた。
それはソーマが前世で得意とした技の一つだ。
だが同時にそれは、前世で鍛えた技でしかない。
何も考えずとも振るえた剣は、前世の肉体あってのことなのだ。
この世界でソーマは、最低限の鍛錬は行っていれども、剣術の鍛錬と呼べるものは、ろくに行っていなかったのである。
幾ら頭が覚えていようとも、身体がそれについてくるわけがないだろう。
――もっとも。
それは常人であればの、話だが。
剣神と呼ばれた男は、その常識の全てを無視する。
身体がどうしたというのか。
頂へと至った剣は、その魂が覚えている。
そしてソーマがそれを放つと決めたのであれば、剣閃がそれをなぞらないはずがない。
脳裏に思い描くのは、かつて目にしたとある流派の奥義。
それを自分なりに取り込み、磨いた果てであり――
「――ふっ」
――剣の理・神殺し・龍殺し・龍神の加護・絶対切断・見識の才:我流・模倣・斬鉄剣。
鋭い息と共に振り抜いた腕は、思い描いた通りの場所で止まっていた。
足の位置、握っている棒のそれすらも、同様である。
その棒切れは、当然のように、振り抜く前と同じ形を保っていた。
その事実は、それを傍から見ている者が居たらおかしいと思っただろう。
何故ならば、始動した位置から考えれば、その軌道の途中に巨木の幹があったのだ。
どう考えてもぶつかり、折れているはずである。
いや、そもそもの話、その音すら響いてはおらず……だが。
ソーマからすれば当たり前のそれに、その口元に小さな笑みが浮かんだ。
「……なるほど」
直後にポツリと呟き……それを合図とするかの如く、音が響いた。
ただしそれは、手元の棒からではない。
目の前の巨木から、だ。
それと同時に、その巨木が動く。
斬り裂かれたその位置から、ずれ落ちることによって、だ。
そう、つまりは、ソーマはただの棒切れで、その巨木を叩き斬ったのである。
だがソーマが笑みを浮かべたのは、それが理由ではない。
その理由は、何度も繰り返している通りのことだ。
「ふむ、これならば……或いは我輩も、魔法が使えるかもしれんのであるな」
スキルを持たないソーマが、スキルを持つ者ですら可能であるか定かではないそれを、実現させた。
ならば、魔法にも同じ事が言えるのではないだろうか。
そういうことである。
ソーマが確かめたかったのは、それだけのことなのだ。
その方法がこれだったのは、ソーマにとって最も得意であり、証明しやすいと考えたが故である。
それは不可能に近いような、そんな域の話なのかもしれないが、それでも可能性があるのならば十分であった。
「あとは、どうやれば魔法を使えるのかであるが……まあ、頑張って調べ、試していくだけである」
つまり、前世でやっていたことと同じである。
ひたすらにそこを目指す。
それだけのことであった。
まあ、ただ……どうやら今すぐそれをするのは、無理なようであったが。
「うむ、まあ……当然と言えば当然であるな」
傾き続けた巨木は、ついに地響きを立てながら、その場に倒れた。
ソーマはそれを眺め、頷き――視界が傾いていくのを、自覚しながら。
斬り裂いたそれに引きずられるように、その場にぶっ倒れたのであった。
その音を聞いた時、少女はそこから離れた場所に居た。
聞いたことのない……聞くはずのない音に、反射的にその肩が跳ねる。
「え……何この音……? 嘘……だってここは……」
音がするということは、それを発生させた何かが居るということだ。
だがここは魔の森。
勝手にそう名付けられたとはいえ……否、だからこそ、向こう側から誰かがやってくるなどは有り得ないはずだ。
わざわざ境界を侵す理由など――
「……ううん、もしかして、そういうことなの? なら……」
知らせなければ、とは思ったものの、直後に自分の状況を思い出す。
村に知らせたらどうなるかなどは、考えるまでもないことだ。
そしてそれは非常に、望ましくないことである。
「とはいえ放っておくわけにも……いえ、まだそうだと決まったわけじゃないわ」
そう、偶然木が腐って倒れただけかもしれないし。
まあさすがにそれは都合がよすぎる考えだろうが――
「……とりあえず、見に行ってみるべき、よね。見つかっても、それらしく振舞えば、何とかなるかもしれないし……」
それは半ばやけくそでもあったのだろう。
そもそも少女がここに来たのは、何か目的があってのことではない。
目的など何もないから、ここにしか来れなかったのだ。
見つかったら殺されるかもしれない、とは思ったものの、それはそれでいいかもしれないとも思った。
そうして開き直った少女は、そのまま音のした方角へと向かい……そこで。
斬り倒された巨木と、そのすぐ傍に倒れている少年を、発見したのであった。