元最強、事の原因を知る
ふと、眩しさに目が覚めた。
どうやら閉め切れなかったカーテンから漏れ出た光が、ちょうど顔に当たったらしい。
その光を避けるように頭を動かせば、視界には目覚まし時計が映り込んだ。
時計の針は、七時五分前を示している。
朝であった。
「ふむ……夢ではなかったであるか」
視界に映る全てのものは、相変わらず懐かしく、だが二度と目にするはずのないものばかりである。
だが寝て起きて、まだ変わらぬ状況にあるというのであれば、それは間違いなく夢ではあるまい。
フェリシアとシーラが幼馴染ということになっているこの状況は、決して夢ではないのだ。
まあ、分かっていたことではあるが。
「いや……ある意味では、夢でも間違っていないのであるか? 一応は、魂の世界ということだったであるが」
神の揺り籠。
この世界の名であるというそれを思い浮かべながら、ソーマは息を吐き出す。
多少の不安はあったのだが、どうやら寝たからといって忘れてしまうようなことはなかったらしい。
謎の力を感じて聖都へとやってきて、そこでエレオノーラから説明を受けたことも、昨夜まつろわぬものどもと呼ばれるものに襲われ、アイナに助けられ、色々と話を聞き、最後にヒルデガルドと会ったことも。
その時に聞いた話も含め、全て思い出し、忘れてはいなかった。
「ま、これで全てが元通り、というわけではないであるが……それは仕方ないであるか」
何が足りていないかと言えば、それは力である。
ソーマの力は、また一般人のそれへと戻ってしまっているからだ。
ただ、これも別に寝たから戻ってしまったわけではなく、ヒルデガルドと再会した時にはこうであった。
シーラに刀を返してしまったら戻ってしまったので、剣を握っている時だけ限定、ということらしい。
とはいえ、特に問題はないだろう。
また剣を手にしたら力が戻って来るということは感覚的に分かっているからだ。
今すぐ必要なものでもないのだし、問題はあるまい。
「……逆にこの方が、変に焦れずに済んでいいかもしれんであるしな」
と、そんなことを呟いた時のことであった。
ソーマの耳に、二つの音が届いたのである。
足音であった。
ゆっくりと階段を上ってきた二つの足音が、扉の前で止まる。
そのまま、僅かな音だけを立てて扉が開き……伺うように顔を覗かせたフェリシアとシーラの二人と目が合う。
がっかりしたように、二人が溜息を吐き出した。
「むぅ……おはようございます、ソーマさん。今日も駄目でしたか……」
「……おはよう、ソーマ。……やっぱり、あと五分早く来るべきだった」
「いえ、そうしたらソーマさんが目覚めるよりも早く来れるのは当然です。ソーマさんが起きていてもおかしくはない時間に来て、ソーマさんを起こさなくては意味がないんですから」
「……そんなことより、ソーマの寝顔を見ながらソーマのことを起こしたい」
「ちょ、直球で来ましたね、シーラ……!?」
「というか、朝っぱらから何をしているんであるか、二人とも。まあ、おはようなのである」
好き勝手に言っている二人に苦笑を浮かべながら挨拶をしつつ、ソーマはその場から起き上がる。
と、思わずシーラの顔をジッと見つめてしまい、それに気付いたシーラが首を傾げた。
「……ん、どうかした?」
「いや……何でもないのである」
シーラの態度は昨日と変わらないものであった。
昨夜のことを表に出すことなく……また、本来の記憶を取り戻している様子もない。
やはり記憶を保持出来ているのは、例外であるヒルデガルドとソーマだけだということか。
まあ、それならばそれで問題はない。
エレオノーラの話によれば、これはこの世界を存続させるための処置だという。
下手に思い出させようとしてかき混ぜたところで、ろくなことにはなるまい。
あるいは、ソーマが昨日状況の把握のため無理に動こうとしなかったのは、その辺のことを無意識にでも理解していたからなのかもしれない。
何にせよ、現状で特に問題はないので、このままを維持するだけだ。
「さて、そろそろ着替えたいので、二人とも出て行って欲しいのであるが?」
「あ、そ、そうですね……それじゃあ、先に下に行って待ってますね」
「……また後で」
「すぐであるがな」
そうして部屋を出て行く二人を、何となく見送り……昨日と何の違いも見い出せないフェリシアの姿に、目を細める。
ふと脳裏を過るのは、昨夜ヒルデガルドと話をした時のこと。
その言葉を思い出しながら、ソーマ一つ息を吐き出した。
――端的に結論を言ってしまえば、今回の事の原因は、フェリシアなのじゃ。
数度目を瞬いた後で、ソーマは息を一つ吐き出した。
忘れていたことを一瞬で思い出したせいか、僅かに頭が痛い。
しかしそれを押し流すようにして、再度息を吐き出した。
「どうやら思い出せたようじゃな?」
「ふむ……おかげさまで、というべきであるかな。しかし、どうやって記憶を思い出させるのかと思えば、貴様に会うだけで済んだのであるな」
「この場所で我は一種の特異点のような存在になっているらしいからの。まあだからこそ、貴様以外の誰かの前に現れるわけにはいかんのじゃし、そもそも誰にも我の姿は捉えることは出来んのじゃが」
「中々興味深い状態になっているようであるな」
だが今はヒルデガルドのことよりも気にすべき事があった。
確かに記憶は戻ったものの、むしろだからこそ疑問が生じている。
ヒルデガルドはそのことを理解しているのか、こちらのことを見つめながら、一つ頷いた。
「何か聞きたい事がありそうじゃな」
「当然であろう? この世界で過ごしてそろそろ一日が経とうとしているであるが、むしろ疑問は増え続けているであるしな。この事態をどうやったら解決出来るのかも分からんままであるし」
「いや、そんなことはないのじゃぞ? 貴様は十分事態の解決へと近付いているのじゃ」
「ふむ? ということは……あのまつろわぬものどもとやらを何とかすればいい、といったところであるか?」
「惜しいのじゃが……まあ、結論を先に言ってしまった方が早いじゃろうな」
そう言うとヒルデガルドは、真っ直ぐな視線を向けてきた。
そこに一瞬僅かな迷いが見えたが、それもすぐに消える。
真っ直ぐなままでその口を開くと、その言葉を告げた。
「――端的に結論を言ってしまえば、今回の事の原因は、フェリシアなのじゃ」
冗談などではないというのは、その瞳を見るまでもなく分かる。
だが、意味は分からなかった。
「ふむ……フェリシアが原因とは、どういうことなのである? 今回の事の原因は、確か聖都が滅びそうになったから、というものであろう? フェリシアがそんなことをするとは思えんのであるが……何らかの暗喩とかであるか?」
「いや、そのままの意味で合っているのじゃ。フェリシアが呪術を使った結果、聖都が消し飛びそうになったが故に、サティアがこの世界を起動したのじゃよ。まあより正確に言うならば、フェリシアが呪術を使おうとした結果、というべきじゃがの」
「それは大分意味が変わってくると思うのであるが?」
つまりは、聖都が消し飛びそうになっているのは、フェリシアの呪術が原因ではないということである。
ヒルデガルドの言い方からすると、フェリシアが呪術を使おうとしたことが切っ掛けで何かが起こったようではあるが、それでは原因というのは言いすぎだろう。
しかしそんなこちらの思考を読んだように、ヒルデガルドは首を横に振った。
「いや、フェリシアが原因で合っているのじゃ。フェリシアの呪術に反応したのは、世界じゃからな。魔女が呪術を使うのを世界が察知した結果、それを阻止するために世界が周囲ごと消し飛ばそうとした、というのが今回の事の全てなのじゃ」
「ふむ……」
魔女の使う呪術が世界にとってよろしくないものだということは聞き及んでいる。
だから魔女は世界の敵とも呼ばれているのだということも。
だが。
「魔女の呪術に世界が介入し、そこまでのことをしてくる、というのは初耳なのであるが?」
「我もそこまでのことをするというのは聞いた事がないのじゃが……まあ、フェリシアの使おうとした呪術が、そこまで世界にとって都合の悪い何かだった、ということなのじゃろうな」
ヒルデガルドが嘘を吐いている様子はなかった。
そもそも、そんな嘘を吐く理由はあるまい。
ということは――
「つまり……この状況をどうにかするには、フェリシアをどうにかする必要がある、ということであるか?」
「そういうことなのじゃ」
「ふむ……」
なるほどだから解決へと近付いているということなのか。
要するに、この世界の現状とは結論だけを見れば同じだということだ。
世界が干渉してきた結果をどうにかするということは、ソーマならば何とか出来るかもしれない。
しかしヒルデガルドの様子を見る限り、おそらくそれは一度では済まないのだろう。
世界にとって看過出来ない存在が察知され、介入してきたのだ。
片が付くまで何度だろうと介入してこようとも不思議ではなく……多分、その通りになる。
そして如何なソーマでも、その全てを防ぎ続けるのは不可能だ。
いつかは必ず、力尽きしてしまう。
周囲への被害を防ぐことを考えるならば、その前にフェリシアを何とかしなければならない。
そういうところもまた、この世界の状況と同じというわけであった。
「……いや、この世界の状況の方が、現実をなぞっているのであるか?」
「そういうことなのじゃ。本来ここには、平和しかないはずなのじゃからな。そんな世界が滅びへと近付いてきている、ということを示しているというわけじゃ」
「滅びへと近付いてきている……? この世界の時間は止まっているのであろう? 制限時間がある、というわけであるか?」
「如何な神の力といえども、いつまでも時間を止め続けていることは不可能じゃからな」
「確かにそれは、道理であるか。しかしということは、つまり我輩はこのままアイナ達に協力すればいい、というわけなのであるか?」
「そこは貴様次第じゃな。というか、ぶっちゃけこっちでもどうすればいいのかは分かっていない……いや、決まってはいない、というところなのじゃ。最終的にどうするのかは、貴様に任せることになるじゃろうな」
「ふむ……それはまた責任重大であるな」
だがつまりは、ソーマ次第でどうとでもなる可能性がある、というわけだ。
ならば、何とかしないわけにはいくまい。
「ところで、話は分かったのであるが……一つだけ疑問があるというか、結局のところどうしてこの世界はこうなっているのである? それだけは、どうしても分からんのであるが」
ここは神の作り出した魂の世界だ。
人々に安らぎと平穏を与えるための世界。
しかし今日一日過ごして分かった通り、ここは明らかにソーマの記憶が主体となっている。
別にそれが駄目だということはないが、大半の者達にとっては見知らぬ物ばかりなはずだ。
安らぎと平穏を与えることを目的とするのであれば、他にもっと方法があるはずであった。
「ああ、それは簡単なのじゃ。これは、願いの結果じゃからな」
「願い、であるか?」
「うむ、この世界の中心を担っている者の、じゃ。ただ、その結果としてソーマが中心となってはいるのじゃが、ソーマの願いというわけではないのじゃぞ? その願いは、ソーマに平和に過ごして欲しいという願いであったがために、結果的にソーマが中心となったのじゃ。この世界がこうなっているのは、ソーマにとって平和を感じるのがこれだからなのじゃろう」
その言葉に、ソーマは納得を得た。
確かに、今の世界にも前の世界にも不満があるわけではないが、平和となればこの世界となるだろう。
学生時代が再現されているのも、そのせいか。
「ちなみにじゃが、ここは本来時間が止まった世界であるせいもあって、時間の概念が曖昧なのじゃ。だからここには、本来聖都にいないはずの者もいるのじゃな。ソーマよりも後に来た者、来る可能性がある者も混ざっているのじゃ」
「なるほど……母上達がいるのもそのせい、というわけであるか」
「まあ、本物ではあるのじゃが、同時に幻のようなものでもあるのじゃがな。大半の者はここでの記憶は残らんじゃろうし、現実にも影響しないのじゃし」
「ふむ……そうであるならば、多少は気が楽であるかな」
「まあ何にせよ、やることは一つなのじゃ。元凶の排除。それは変わらんのじゃ」
「分かっているであるよ」
特異点のような存在となっているヒルデガルドは、ほとんどろくに動くことは出来ないという。
だからあとは応援することしか出来ないと、そんな言葉を最後にヒルデガルドとは別れ――
「ふーむ……」
そんな昨夜の出来事を思い出しながら、ソーマは蒼い空へと向けて溜息を吐き出した。
視線を下ろせば、そこには並んで歩くフェリシアとシーラの姿がある。
前方を向けば、学校まではすぐそこだ。
フェリシアの顔を横目で眺めながら、息をもう一つ。
「ま、頑張るとするのであるよ」
昨夜ヒルデガルドに返した言葉と同じものを呟きつつ、さてどうしたものかと、ソーマは考えるのであった。




