旅は道連れ世は情け
――ラディウス王国ノイモント公爵領テンダール。
たった今、後にしたばかりのその場所のことを思い返し、先を見つめながら、アイナはふと息を吐き出した。
空は青く、風は穏やか。
日差しは暖かであり、絶好の旅日和である。
だというのに、その気分に若干の憂鬱が混ざっているのは――
「――む。あっちの方が怪しいと、我輩の勘が言っているのである!」
「兄様がそう言うということは、きっと間違いないのです! わたしもお供するのですよ!」
まあこの馬鹿兄妹が原因なのは、改めて言うまでもないだろう。
というか、元より奔放気味ではあったが、旅に出てからより悪化してはいないだろうか。
或いは、あれでも自重していた、ということなのかもしれないが、どちらにせよアイナの頭痛の種になっていることだけは確かだ。
「こら、そこの馬鹿二人! 今日は寄り道してる暇はないって、あれほど言ったでしょうが!」
「ふむ……なるほど、確かに聞かされはしたであるが、生憎と我輩はそれに頷いた覚えはないのである!」
「わたしもないのです!」
「やかましい!」
まったくと溜息を吐き出しながら、頭痛を堪えるように頭へと手を載せる。
これまで幾度となく繰り返されてきたやり取りであり、その度に大体アイナが負けるのだが、今回ばかりはそういうわけにはいかないのだ。
「今日中に次の領地に向かわなけりゃ面倒なことになるって言ったでしょ? 結果的に損の方が大きくなると思うし、時間だって、それほど余裕があるわけじゃないでしょうに」
「ぬ……その通りではあるが……あっちの方が何となく怪しい気がするのだ……!」
「いつもそう言って何もないじゃない! いやたまには本当にあったりもするけど……結局魔法なんて欠片も関係のないことばかりじゃないの」
「いえ、だからこそ、なのです。これまでずっと外れてきたということは、そろそろ当たりが来るはずなのです……!」
「それ駄目人間の思考だからね?」
そんな言葉を交わしながら、正規の道を歩き出せば、明後日の方向に向かおうとしていたソーマ達は、渋々ながらも着いて来た。
どうやらさすがに今回は駄目そうだと、理解したらしい。
本当に、まったく、である。
アイナと、ソーマと、リナと。
三人での旅を続けているうちに、気が付けば年が明けていた。
それだけの時間が経っているというのにも関わらず、未だノイモント公爵領を出ていないのは、まあ見たままのことが原因だ。
即ち、ソーマ達――というか主にソーマが、好き勝手するからである。
旅の目的を考えれば仕方がないのだろうし、そもそもソーマの目的の時点で、それは前代未聞の代物だ。
普通に探したところでその方法が見つかるはずもない、と言われればそれは確かにその通りなのだが……幾らなんでも勘に従ってとりあえず怪しそうなところを調べまわる、というのは無茶にも程があるだろう。
リナはそれに乗るから、幾らアイナが反対したところで多数決で負けてしまうし……まあ、何だかんだ言いながらその行動を認めてしまうアイナにも問題はあるのだろうが。
それに、旅なんてそんなものだと言われてしまえば、そんなものかもとしれないと思ってもしまう。
……アイナの知っている旅は、こんなものではなかったけれど。
「あ、そうだ、リナさ……リナ」
と、まだ呼びなれない名を口にしながら、後方の少女へと呼びかけたのは、ふと思い出したことがあったからだ。
気が付けば自然に先頭を歩いていたソーマの方を気にしながら、僅かに声を潜める。
「ねえ、本当に教えなくていいの?」
「いいと思うのです。兄様には必要のないことですし、必要が出てきたらその時に知るだけで十分なのです」
何のことかと言えば、ここがノイモント公爵領だということ……つまり、ソーマの家名がノイモントで、自身の家が公爵家なのだということを、だ。
そう、ソーマは未だにそれを知らないらしいのである。
しらみ潰しにするように領内を歩きに歩いたアイナ達だが、自分達が今何処の街にいるのか、ということは知る必要があっても、わざわざどの領地なのかという話はする必要がない。
そのため、ここまで特に話題に上ることもなく来てしまったのだ。
それはソーマが気にしていないというのもあるし、リナが今のようにその必要がないと言って教えようとしていないのもあるだろう。
勿論アイナが教えればいいことではあるのだが、それはそれで何か違うような気がするのだ。
とはいえ、リナが教えようとしないのは、自分の家を忌避しているというよりは、教えて負担になってしまうことを避けているようでもあった。
アイナもまあ、そこそこの家の出と言えるので、そういったことは何となくではあるが分かるのだ。
そしてそうしている間に、リナはもうこの話は終わりだとばかりに、ソーマの方へと歩いていってしまった。
そのことに、アイナは僅かな不満を覚える。
確かに知らなくとも問題はないだろうけれど……それは何だか少し寂しいような――
「ふむ……? なるほど、何を話していたのかと思えば……アイナが一人で寝るのが寂しい、と? それは確かに問題であるな……」
「ちょっと、あたしはそんなこと一言も言っていないんですけど……!?」
多分今のことを誤魔化すためなのだろうが、それにしてもなんてことを吹き込むのか。
というかとりあえず、その二人して、分かってる分かってる、みたいに生暖かい目で見るのを止めろ。
「じゃあそんなことはまったく思わなかった、というのです?」
「そんなの――」
不意に思い出したのは、今朝のことであった。
基本的にアイナ達は、纏まって寝ることが多い。
野宿が多いというのもその理由の一つだし、節約の意味もある。
少なくともアイナとリナはここまでずっと一緒で……だが昨日は色々あって、それぞれが別々に眠ることになったのだ。
狭いけど、広く感じる部屋。
起きた時に、他に誰もいない光景。
それは、もう二年近く前、一人で旅をしていた時のことを思い出させるのに、十分なものであり――
「……あ、あるわけないじゃないの!」
「今の間はなんであるか?」
「どもったのです」
「う、うるさいわね!」
頬が赤くなるのを自覚して、顔を逸らす。
不覚だった。
多分今のは、適当に言ったことではない。
おそらく二人とも、気付いたのだ。
アイナの様子が、少しだけおかしかったことに。
だってアイナにとって旅というものは、過酷そのものであった。
たった一人で、合ってるのかも分からない道を一人で旅して、出会う人は信用できるのかすらも分からない。
寝る時すら気は抜けなくて……疲れ果てて、諦めるようにしてあの村に辿り着いた。
もういいかなと、そんなことを思いながら。
それはもしかしたら、あの頃のアイナが単純に人間不信になっていたが故にそう思えていただけなのかもしれない。
だがアイナにとっては、旅は過酷だというのは、間違いようもなく事実で……でもソーマやリナとの旅は、楽しかった。
あの日、ソーマに強引に手を引かれて。
そのすぐ後で、リナがやってきて。
それは確かに、楽しかったのだけれど……いや、と、そこまで考えたところで、アイナは頭を振った。
何故なら、今も楽しいからだ。
だから、余計な思考を吹き飛ばすように、声を出した。
「っていうか、そんなこと言って、リナこそ一人で寝るの寂しいんじゃないの? いつも二人で寝ると、大抵の場合いつの間にかリナがあたしの布団に潜り込んでるんだけど?」
「ほほぅ……?」
「あっ、ちょっ、そ、それは秘密なのです……! い、いえっ、偶然……そう、偶然なのです……! 寝ぼけて間違えたのです!」
「言ってることコロコロ変わってるじゃないの……」
そんなことを言いながら、まったくと息を吐き出す。
空は青く、風は穏やか。
日差しは暖かであり……三人の顔には自然と笑みが浮かぶ、絶好の旅日和だ。
現在地は、ノイモント公爵領最南端。
次の領地までは、もう間もなくであった。




