悪夢の果て
始まった戦闘は、圧倒的であった。
ほとんど戦闘経験がないセシーリアでも分かるほどに、双方の力の差は圧倒的なまでに離れている。
言うだけのことはあるというべきか、あるいは言うほどのことはないというべきか。
圧倒しているのはアイナ達の方であった。
「どうしたのかしら? 言うほどのことはないようだけど? 口だけだった、ってことかしらね?」
「はっ……言ってろ。見てやがれ、すぐにオレの力ってのを見せてやるよ」
「……ん、なら、早くして。……終わりそう」
「――なっ……!? ちっ……!」
アイナが無詠唱の魔法を連続で叩き込み、その合間を縫うようにシーラがイザークの懐へと飛び込み一撃を叩き込む。
一人一人の力量が確かならば、その連携もまた確かだ。
イザークはそれに翻弄されるばかりで、今も死角から回り込んだシーラの動きに対応出来ず、無様に吹き飛ばされていた。
それでもギリギリで防ぐのが間に合ったのか、壁に激突するやすぐに立ち上がるが、そこには既にアイナの魔法が待ち構えている。
「――燃え尽きなさい」
直後に炎の柱が昇り、周囲を赤く照らす。
ナニカが燃える音と匂いとが漂い、そんな光景を眺めながら、セシーリアは思わず小さく息を吐き出していた。
正直なところ、アイナ達の実力はセシーリアにとって予想以上だ。
王都に来るまでの間に何度かその片鱗を見ることはあったものの、ここまでとは思っていなかったのである。
セシーリアは確かに自身の実力はないが、実力者の戦闘ならば幾度となく目にした事があるのだ。
戦わずして相手の実力を測ることは出来ないものの、戦っているところを見れば大体の実力は分かる。
そうして測ったところからすると、二人の実力は間違いなくこの国の中ですら上から数えた方が早いだろうものであった。
しかも二人が連携して戦うのであれば、あるいは単身では敵うものはいないかもしれない。
二人の実力はそれほどのものだったのだ。
対して、イザークは結局のところただの一国の王子である。
そしてセシーリア同様、本来のイザークはそれほどの戦闘能力を有してはいない。
これはセシーリアが戦闘能力に乏しいのと根源のところでは同じ理由によるものなのだが……端的に言ってしまえば、必要とはされないからである。
最低限自身の身を守ることの出来る力は必要だが、それ以上は過剰なだけなのだ。
何故ならば、もしも一騎当千の実力を身につける事が出来たとしても、そんなものを振るう場面などは存在しないからである。
存在してはいけない、と言い換える事も出来るが。
一国を継ぐ資格を持つ者が、自らの力で敵を撃退しなければならないような状況。
そんな状況に遭遇してしまったとしたら、あらゆる意味で手遅れだと言わざるを得まいと、そういうことだ。
それに、力を得るためには、相応の鍛錬が必要であり、相応の時間も必要となる。
だが国を継ぐためには、学ばなければならないことなど幾らでもあるのだ。
ゆえに、自衛以外の力というのをセシーリア達は持ち得ない、ということであった。
イザークはどうやら外部から力を借りているようだが、それでも所詮は一王子であることに変わりはない。
武力で以て国の頂点に位置するような者達を相手にして対抗出来るわけがないのは道理でしかなかった。
――否。
そのはず、なのだが――
「っ……何で……」
不可解そうにアイナが歯噛みし、その隣にまで戻って来たシーラもまたどことなく訝しげに炎の柱が昇っている場所を見つめている。
普通に考えれば、あんなものを食らえば死んでいたところで不思議はない。
良くて重症と言ったところだろう。
だが。
「今のはさすがにちっと焦ったな。本当にやるじゃねえか、テメエら。いや……あるいは単に、オレが出来ねえってだけか? ったく、力があっても使いこなせなかったら意味がねえってな。我ながら情けねえこった。だがまあ……おかげで、ようやく馴染んできたぜ?」
炎の中からゆっくり歩いてきたイザークの身体には、火傷どころか傷の一つすらもなかった。
あの炎がこけおどしなどではないということは、その周囲に存在している物の悉くを焼き尽くしていることで示しているというのに、である。
明らかに異常であった。
「……確かに防がれたような感覚はあったけど、捉えもしたはず」
「ああ、確かにな。おかげで壁際にまで吹き飛ばされちまったわけだから、何一つ間違ってはいねえぜ?」
「……間違ってる。……傷一つないのはおかしい……有り得ない」
「いいや? だから間違ってるのは、テメエの認識の方さ。鉄の塊を木の棒で殴ったところで、吹き飛ばすことは出来ても傷つけることは出来ねえだろ? それと同じことだ」
「……ソーマなら出来そう」
「あいつの場合本当にやりそうだから困るわね……でも、ということは、なに? あたしの魔法で火傷一つ与える事が出来なかったのも、同じ理由ってこと?」
「そういうこった。つーわけで、どうだ、力の差は理解出来たか? ならもうやめにしようぜ? 同じ時間を使うなら無駄なことなんてやめて、お楽しみに時間を使うべきだとオレは思うぜ? ああ、心配すんな。仲間外れなんてことはしねえよ。二人一緒に楽しませてやる。実験なら既にそこのやつらでやったことだしな」
「っ……なめっ――」
「――だから、無駄だって言ってんだろ?」
「――なっ!?」
アイナが魔法を放とうとした直後、その顔には驚愕の表情が浮かんでいた。
アイナの眼前へと、瞬時にイザークが移動していたからだ。
言ってしまえばそれだけとも言えるのだが、アイナが驚くのは当然のことでもあった。
今のイザークの動きは、まったく予備動作が存在しないという、明らかに有り得ないものだったからだ。
どれほど移動速度が速かろうとも、予備動作というものは確実に存在するものである。
あるいは、短距離の空間転移でも用いるのであれば予備動作を必要とはしないかもしれないが、そもそも短距離だとしても空間転移というのはそんな簡単に出来るものではない。
一部の魔導の才が豊かな者が、必死に努力を重ねた果てに身につける事が出来るような、そういった代物なのだ。
しかしイザークの魔導の才は、確かそれほどなかったはずである。
どれほどの力を借りたところで、空間転移が可能なほどに才を高める事が出来るとは思えない。
となれば、単純な速度だということになるが……これは先に述べたように有り得ない。
それでも、空間転移をしたという可能性に比べればまだ有り得るかもしれないが……それはつまり、予備動作自体は存在していたものの、こちらが認識出来ないほどの高速で行われた、ということだ。
それもイザークが借り受けた力の一端であるというのならば、その力は計り知れないにも程がある。
だがそういったことを、セシーリアよりも余程肌で感じ取っていただろうに、直後のシーラの動きには迷いは一つもなかった。
イザークがアイナの眼前に現れた瞬間、シーラはその死角へと踏み込んでいたのである。
そしてそのまま腕が振り抜かれ――
「――おいおい、さっきテメエらが言ったことだろ? 同じ手が通用するなんて思ってもらっちゃ困るぜ?」
「っ……!?」
直後に甲高い音が響き、しかしイザークの身体はその場から僅かにも動くことはなければ、やはり傷一つ負うことはなかった。
その代わりとばかりに、シーラの刀が宙を舞う。
今の攻撃を防いだばかりでなく、そのままシーラの武器を奪い去ったのだ。
だが、シーラが動揺したのは一瞬である。
「……武器なら、まだある」
むしろこの機を逃さぬとばかりにもう一歩を踏み込むと、再び腕を振るい――
「だから、分からねえやつだな。――テメエじゃオレには勝てねえって、いい加減気付け」
「――がっ……!?」
しかしそれを物ともしないイザークによって、地面へと叩きつけられた。
さらには、追撃とばかりに頭を踏みつけられ、完全に押さえ込まれる。
「っ……この……!」
ここへ来て完全に形勢は逆転してしまっていたが、アイナはまだ諦めるつもりはないようだ。
そんなイザークへ向けて、炎の塊を叩き込もうとし……だが、それが成功することはなかった。
その寸前、イザークがその魔法へと目を移した瞬間に、弾け飛んだのである。
「嘘でしょ……!? っ、でもまだ――」
「たまに暴れるってのはいいんだがよ、正直もう飽きたんだわ。テメエら思ってたよりも弱いしよ。それにやっぱ、オレはお楽しみの方が楽しめるわ」
「――ごっ……!?」
まだ抵抗を諦めないアイナの腹へとイザークの拳がめり込み……そんな状況でも魔法を放とうと、アイナの右腕が持ち上がる。
しかし、そこまでだ。
続くイザークの一撃によって、シーラと同じようにアイナもまた地面へとその身体を叩きつけられた。
「ったく、最後まで強情な女だぜ。ま、そういう女ほど長く楽しめるってことを考えりゃあ、悪くはねえか。……さて、と」
呟くと、まるでセシーリアへと見せ付けるように、イザークはゆっくりと周囲の状況を見渡した。
未だ夢の中にいるままの仲間達。
助けに来てくれたというのに、二度目の敗北を喫し、地面へと倒れ伏してしまったアイナとシーラ。
そして。
「さあ――お楽しみの時間だ」
その意味するところを知らしめるべく、イザークは口の端を吊り上げると、わざわざセシーリアへと顔を向けてきた。
それから起き上がることの出来ないアイナとシーラを見比べ、どちらからにするかとばかりに目を細め――
「っ……ま、待つであります……!」
「あん?」
叫んだのは、衝動的なものであった。
何か考えがあってのことではない。
だがその直後、視界にアイナ達の姿が映し出された瞬間、自分が何をすべきかということを思いついた。
「なんだ、黙ってしっかり見とけよ。お前を助けに来たやつが、これからオレに好き放題されるってんだぜ? そうそうねえ状況だ。お前も存分に――」
「――じ、自分にするであります……!」
「は? 何だって?」
「い、いえ、違うであります……自分がいい、であります……! お二人よりも先に、自分がお相手をするであります……!」
二人はこんなことを望んではいないのかもしれない。
こんなことをしたところで、何の意味もないのかもしれない。
しかしそれでも、助けに来てくれた二人が蹂躙されるところを黙って見ていることなど、出来るはずがなかった。
そんなことをするぐらいならば――
「はっ……なるほどな、見てるうちにやっぱりお前も楽しみになってたってとこか?」
「そ、そうであります……自分、もう我慢できないでありますから、お二人よりも先に――」
「――だが却下だ。まあ早く楽しみたい気持ちは分かるが、もう少し待ってろ。生憎とオレは一人しかいねえんでな」
「な、何故であります……!? 自分は……!」
「んなの決まってんだろ? ――その方が面白いからだよ。その言葉が嘘だろうが本当だろうが、ここでお前を待たせた方がより面白くなるだろ? ならそうしねえ理由の方がねえだろうが」
「っ……!」
その瞬間、ああ、もう自分に出来ることは何もないのだということを、はっきりと自覚した。
自分に出来ることなど、何一つとして残されてはいないのだ。
全身から力が抜け、握り締めていた拳が解ける。
「さーて、んじゃ今度こそ、お楽しみを始めるとすっか。最初は……やっぱそうだな、こっちだな」
そう言ってイザークの手がアイナへと伸びるのを、セシーリアは無力感に溢れた瞳で、ただ黙って見ていた。
今までずっとそうだったように……仲間を前にしても、何も出来なかったように。
ああ、それでも……それでも。
思った。
祈った。
他力本願過ぎてどうしようもないほどだけれど……それでも。
――誰か、と。
自分はどうなってもいいから、こんな無力すぎて何も出来ない愚かな自分を助けに来てくれたあの二人だけでも、どうか助けてください、と――
「さてさて、こいつは一体どんな味がしやがんのか――」
「――生憎と、貴様にそれを確かめる機会が訪れることはないのである。――触るな、下郎」
言葉が聞こえたのと、イザークの身体が吹き飛ばされたのは、同時であった。
吹き飛ばされたイザークの身体が壁に激突することで轟音が響き……だがそんなことは知ったことかと言わんばかりの悠然とした動きで、その人物が振り返る。
唐突にこの場に現れた人物。
黒髪黒瞳の少年。
「さて、二度目の正直となってしまって申し訳ないのであるが……それでも、今度こそ本当に助けに来たのである」
そう言って、ソーマは不敵な笑みを浮かべたのであった。




