思いと迷い
遠方を眺めながら、ソーマは溜息を一つ吐き出した。
心境としては、どうしたものか、といったところか。
向かってくる集団を見てのこと、ではない。
それは既に終わったことだ。
そう……ソーマは既に、向かってきた集団と遭遇し、これを撃退してみせたのであった。
だというのに何故溜息を吐き出しているのかと言えば――
「うーむ……確かに軽く蹴散らすと言ったのは我輩であるが……」
「……まあ、想像以上に本当に軽く蹴散らされたわよね」
「……ん、一当てしたらすぐだった」
一当てとは、本当に文字通りの意味であった。
外に出て姿を見せるなり、問答無用とばかりに襲ってきた三人を一撃で吹き飛ばし……その直後に、全員が一斉に逃げ出したのだ。
さすがに予想外すぎる状況であった。
だがソーマが溜息を吐き出したのは、その様子を情けなく思ったからではない。
むしろどちらかと言えば逆だ。
あまりに撤退が見事すぎたからである。
相手の数は、確かに五十人ほどはいたのだ。
初撃で三人やられたとはいえ、即座に撤退を選ぶなど普通は有り得ない。
人数の観点で言えばそれでも圧倒的に相手の方が有利なのだし、幾らなんでも諦めるのは早すぎるだろう。
しかし相手は、諦めた。
それは即ち、最初から戦闘を目的とはしていなかった可能性が高い、ということだ。
でなければ、あそこまで見事な撤退は有り得まい。
「……どうやら、先遣隊だったようであるな」
「まあ、さすがにあっさり引きすぎだものね。でも、随分と格好が粗末だった気がするけど? あれじゃあ野盗だって言われても信じるわよ?」
「というか、実際そうなのではないであるか?」
「……野盗だったのが、雇われた?」
「ということであろうな」
本当に野盗だったのであれば、あそこまで見事に撤退することはそれこそないだろう。
だが野盗に扮するにしてはそれっぽすぎたし、野盗を雇ったと考えた方が自然だ。
「目的は情報、ってことよね? そういうことなら、逃がすべきじゃなかったんじゃないの?」
「いや、おそらく結局は同じことだと思うである。戻ってこないならこないで、向かった方角に何かがある、ということであるからな」
「あっ……なるほど、確かにそうね。ってことは、もしかして野盗を雇ったのも……」
「そういうことであろうな」
失われても惜しくないから、ということだ。
そして野盗達もそれを分かっているからこそ、ああして見事な逃げ足を見せたのだろう。
逃げても玉砕しても結果が同じだとすれば、命を惜しむのは当然のことだ。
「それにしても、こうなるとダニエラのことを襲っていた者達も怪しいであるな」
「そういえば、あれも妙に逃げ足速かったわね……ってことは……」
「うむ。あれも捜索の一環だった可能性が高いである。……これはある意味あれらを連れてきたのが我輩達だということになってしまいそうであるなぁ」
村人達の視線は正当なものだということになってしまう。
が。
「いえ、そんなことはないであります!」
そう言ってセシルは、はっきりと首を横に振った。
こちらに真っ直ぐ向けてくる瞳の中にも、強い否定がある。
「話によればダニエラは既に見つかっていたという話でありますし、助けられたということはあってもソーマ殿達の責任ではないであります!」
ちなみにセシルがここにいるのは、さすがにソーマ達だけに任せるわけにはいかないということでだ。
シーラも雇われているとはいえ、基本的には村の住人ではない。
村の危機を村の住人以外の者達だけに任せるわけにはいかず……それと、村の人達のことも考えてだろう。
ソーマ達だけで行かせるとなると、ソーマ達がやってきた者達と実は結託していた、ということがあっても村の者達には何一つそのことを知るすべがなくなってしまうのだ。
村の外で何かを企まれても分からず、だがセシルが一緒ならばその心配はない、ということである。
ただ、その場合はどのみちセシルの身が危険となってしまうのだが……それは最早仕方がないといったところか。
ソーマ達が結託していたら、どうせ同じことなのだ。
その可能性を考えるよりも、村の人達が安心出来る方を選択した、ということに違いない。
あるいは、ソーマ達がこれ以上疑われないようにも、ということも含まれているのかもしれないが。
ともあれ。
「そう言ってくれるのは嬉しいであるが、結局事態は何一つ好転していないわけであるしな」
「それもソーマ殿達のせいではないであります。……どの道自分達の村の命運はとうに尽きていた、ということなのでありましょう」
先遣隊があるということは、当然その後ろに本隊が待ち構えているということである。
しかも、偵察は野盗に任せて無傷の、それも規模が不明な者達が、だ。
戦っても負ける気は正直しないが、それでも全てを守れると言えるほどに自惚れているわけでもない。
それに、本隊がやってくるとしても、ある程度の時間はかかるはずだ。
ならばその間に撤退すべきだというのが、常識的な判断であった。
「……ま、仕方ない、といったところかしらね」
「……ん、徹底抗戦する状況でもない」
「で、ありますな。まあ、それなりに長く住んでいた村ではありますから多少の名残はありますが、そこに拘ってここで滅びを選ぶほど自分達は愚かでもないのであります。……いえ、あるいは、別の意味では愚かかもしれないのでありますが」
「ふむ……諦めるつもりは毛頭ない、といった様子であるな」
「当然なのであります!」
撤退とは言うものの、実際にはほぼ逃げるようなものだ。
それでもセシルの目は死んでおらず、むしろ強い意思が宿っている。
「……第三王子というのは、それほどまでの人物なのであるか?」
「さあ……自分にはよく分からないであります。ただ、自分にも分かっていることはあるであります。この国は間違えてしまったということと……今ならばまだ取り返しがつくかもしれない、ということであります。償いには時間がかかるとは思うでありますが……それでも、諦めるというのは間違いだと思うのであります!」
「ふむ……そうであるか」
そこまで強い意思があるのであれば、ソーマからこれ以上言うことは特にない。
あとは。
「行く先というのは決まっているのであるか?」
「そうでありますね、とりあえずはここから最も近くにある同胞達のいる村に向かうつもりであります」
「そうであるか……では、行くとするであるか」
ないとは思うものの、のんびり話していては本隊がやってきてしまうかもしれない。
早目に移動するに越したことはないだろう。
だがそう言ったソーマに向けて、何故かセシルはきょとんとした目を向けてきた。
「どうかしたであるか?」
「いえ、あの……ついてきてくれるのでありますか?」
「何を今更である。協力する、と言ったであろう?」
厳密にはその言葉を向けたのはシーラに対してではあるが、そのシーラに視線を向ければこくりと頷きを返してきた。
そういうことだ。
「まあ、あの光に関しての調査も残っているものね」
「うむ、我輩達だけでやるよりも効率的であろうからな」
そう、決して無償で手伝うわけではなく、こちらにも利点があるのだ。
しかしそう告げると、セシルはどうしてかくすぐったそうな……あるいは、泣きそうな顔をした。
「……ありがとうございますなのであります」
「さて、何のことか分からんであるし、とりあえずは一旦村に戻るとするであるか」
「……ん、説明が必要」
「……そうでありますね。それでは、戻るとするであります」
そう言って歩き出したセシルの後へと、ソーマ達も続く。
早速とばかりに厄介事に巻き込まれつつあるが……まあ、ある意味ではいつも通りだ。
ならばきっといつも通り何とかなるのだろうと、そんなことを思いつつ、ソーマは一つ息を吐き出すのであった。
村を破棄するということを村人達へと伝えると、思っていたよりも混乱は少なかった。
おそらくは皆何となくそんな気はしていたのと……あとは、普段から覚悟していたからだろう。
虐げられていた者達も多いからか、この村に住む者達はある意味で捨て慣れているのだ。
それはとても悲しいことではあるも、この状況では助かることに違いはない。
悲しむのは落ち着いてからでも遅くはないと、そんなことを考えながら、セシルは村の者達へと指示を出していく。
とはいえ、実際にはそこまですることはない。
元秘密基地とはいえ、ここに何かがあるわけでもないのだ。
持っていく物を選別し、そうでないものは念のために破棄してしまえば、それで終わりである。
ただ、それでも何もすることがなくなったかと言えば、そんなことはない。
大半の者達が覚悟を決めていたとはいえ、そうではない者もいるのだ。
ダニエラなどはその一人であり……いや、だった、と言うべきだろうか。
母の病が治ったことに加え、ソーマ達の存在は彼女にとって随分な助けになっているようだ。
思っていた以上に心を許しているらしく、ソーマ達が同行すると聞き、その顔には不安よりも安堵の方が強く浮かんでいた。
正直ダニエラがどうなるかが一番心配ではあったのだが、あの様子では問題ないだろう。
それにもう一つの心配事であったソーマ達へと村の者達が向ける視線であったが、これも想像よりも大分和らいでいるようだ。
おそらくはダニエラの母が実際に回復したのを見たからだろう。
それでも完全に疑惑が解消されたわけではなさそうだが、これは仕方あるまい。
少しずつどうにかしなければならないものであり……きっとソーマ達ならばどうにか出来るに違いないことだ。
そう、実のところセシルは、ソーマ達のことをまったく疑ってはいなかった。
むしろ既に信頼していると言ってしまっても良いほどだ。
理由は幾つかあり、まずはシーラの友人だからである。
シーラが信頼出来る人物だということは、村人達もよく分かっていることだ。
口数が少なく感情が分かりづらいものの、シーラには今まで何度も助けられている。
今更疑う理由がなかった。
そんな人物の友人であり、しかも親しい関係だというのは見ていれば分かる通りだ。
身元すらも今の時点では不明ではあるが、その分を差し引いて考えてもある程度の信頼は出来、さらには先ほどの戦闘を見ることでその思いはさらに強まった。
正確には戦闘とは言えないほど一瞬で終わったものではあったが、これでも立場上戦闘というものはそれなりに見慣れている。
アイナは何かをする前に敵が逃げてしまったために分からないが……ソーマの実力を測るにはあの一瞬だけでも十分であった。
あるいは、あの一瞬だけで十分なほどにソーマの腕は凄かった、と言うべきか。
何せ何が起こったのかもろくに分からなかったのだ。
気が付いたら、接近してきた三人が吹き飛ばされており、剣を使ったということが分かったのも、ソーマが直後に抜き身の剣を握っていたからである。
それさえなければ本当に何があったのかすら分からなかっただろう。
ソーマは彼らが即座に逃げ出したのは命を惜しんだからだと思っているようだが、それそのものは間違っていなくとも、きっと大元のところは違っている。
おそらくは、彼らもまたそれだけで気付いたのだ。
戦おうとするだけ無駄だ、と。
無論のこと、強いということと信用出来るということは話が別だ。
だが自分達にしてみれば、そのことはほぼ同義になる。
ソーマほどの実力があれば、この村など明らかに一人で滅ぼせるため、わざわざ騙す利点がないからだ。
こちらの他の拠点に案内させる、という可能性もないだろう。
そんなことをする必要がないからである。
まさか諜報活動をするのに、自分の顔を知らないということは有り得まい。
そして知っているのならば、泳がせておく理由もない。
そうであったのならば、とっくに自分の首は胴から離れていたはずだ。
そういった理由により、セシルはソーマ達のことを疑っていないのであり……まあ、とはいえ結局それらのことは建前でしかないのだが。
セシルがソーマ達のことを疑わず、既に信頼までしてしまっている理由など、単純なものなのだ。
力を貸してくれると、そう言ってくれたからである。
我ながら実にチョロいとは思うが、仕方があるまい。
記憶している限り……セシルは、そんなことを言われた事がなかったのだから。
打算は勿論あるのだろう。
しかしそれでも、とてつもなく嬉しかったのだ。
これは多分、口にしたところで誰も理解出来ないことではあるのだろうが……それで構わない。
セシルだけが分かっていればいいことだ。
もっとも、つまりセシルがソーマ達のことを信頼しているのは個人的な理由が原因である。
村人達に何も言わないのはそれが理由だ。
たとえ騙されているのだとしてもセシルは自業自得ではあるが、村人達まで巻き込むわけにはいかない。
だからこそ、彼らにも信頼して欲しいとは思いつつも、セシルが何かを口出すことはないのだ。
ほんの少しとはいえ、彼らと接してみてその必要はないだろうと思ったからでもあるが。
「……それにしても、本当に凄かったでありますね」
先ほどの戦闘を思い返し、セシルは呟く。
視界の端に映っているのは、笑みを浮かべているダニエラと、頭を下げているダニエラの母。
それと、そんな二人と何かを話しているソーマ達三人の姿だ。
あの三人が、本当に……本当の意味で協力してくれるのであれば、もしかしたら、という思いが頭を過る。
ずっとそのつもりではあったし、諦めるつもりもなかったが、現実的ではなかったのも事実だ。
だが、三人が力を貸してくれるのであれば――
――あの二人に、勝つ事が出来るかもしれない。
そんなことを思いながら、セシルはぎゅっと拳を握り締めたのであった。




