助ける理由
その場に足を踏み入れた瞬間に視界へと映し出された光景を前に、アイナは思わず溜息を吐き出していた。
とはいえ、それほど大きな感情の動きがあったわけではない。
かといって単純な感情でもないため、言葉で言い表すのは少々難しいが……敢えて言葉にするのであれば――
「何と言うか……まあ、見慣れた光景よね」
呆れと諦観。
そういうことになるだろう。
「……貴様、どういうつもりだ?」
と、聞こえた声に視線を向けてみれば、それは見覚えのある男であった。
確か近衛の隊長だったかで、状況を考えればあの男がランベルトとかいう名前なのだろう。
そんなことを考えながら、アイナは僅かに視線をずらした。
その男の眼前、突き出された槍を、その手に持った剣で防いでいるソーマの姿へと、である。
「ふむ……どういうことも何も、見たままだと思うであるが?」
「助けに来たわけではないと俺は聞いた上に、助けを求めてもいないのに助けられるのは皇帝らしくもない、とも俺は聞いた気がするが? そしてそいつは、助けを求めたりはしなかったはずだ」
「そうであるな……まず一つずつ答えるとであるな。確かに我輩は助けに来たわけではないであるが、助太刀しないとも言ってないであるぞ?」
「……世間ではそれを、屁理屈っていうのよ」
思わず突っ込みを入れてしまい、直後に三つの視線が自分へと集まったのを感じた。
もっとも、少なくともソーマの目には驚きはないようではあったが……まあ、どうせ気付いていたのだろう。
不思議でも何でもないし、むしろ気付いていなかったらその方が驚きだ。
「うーむ……何故アイナがここにいるのである? 我輩留守番を頼んだ気がするのであるが」
「確かに頼まれたけど、生憎とあたしは待ってるだけの女じゃないのよ。それに、しっかり守り通しはしたもの」
アイナがここへとやってきたのは、端的に言ってしまえば暇になったからであった。
しぶとくはあったものの、何とか兵達の意識を全て奪い、簡単な治療を施した上で縛り、適当なところに放ってきたのだが、そこでもうやることがなくなってしまったのだ。
新手がやってくる様子もなかったために暇を持て余し、そこでふと思い出したのが玉座の間が燃えているという話であった。
近づけないという話ではあったが、何となく行けるようになっている気がしたので来てみたら予想通り通れ、部屋の中はご覧の有様だった、というわけだ。
「ま、とりあえずこっちのことよりも、そっちを相手してあげたら? まだ全部答えてないでしょ?」
「む? おお、そうであったな」
「……っ」
そんなソーマの態度に、男――ランベルトは何事か言いたそうであったが、結局口をつぐむことにしたらしい。
その様子はソーマの隙を窺っているようでもあったが……まあ、アイナが気にする必要もないだろう。
それよりも、今は向こうを気にすべきか。
「で、えーと、助けを求めてもいないのに助けられるのは皇帝らしくないということと、助けを求めはしなかった、ということであったか? 確かにその通りであるな。――それで、それがどうかしたのであるか?」
「……なに?」
「彼女が皇帝であるがゆえ、ギリギリまでその辺を尊重したであるが、だからといって見殺しにするつもりも最初からなかったであるしな」
「……貴様がそいつを助ける理由はないはずだ」
「いや、あるであろう? ここで世話になっていたわけであるしな」
「それは半ば無理やりだったはずだ。なのに……貴様はそれのために命を賭けるというのか?」
「確かに初めは無理やりだったであるが、その後のことを選択したのは我輩自身であるしな。というか、命を賭ける? ――どうしてその必要があるのである?」
「っ……貴様……!」
一見するとただ疑問を発しただけにも思えるものの、ソーマの最後の言葉はどう考えても挑発であった。
どうしてお前と戦う程度のことで命を賭ける必要があるのかと、そうソーマは告げたのだ。
ランベルトが激昂するのも当然である。
「まったく……あいつはああいったところ相変わらずね。というか……この場合はどっちで考えるべきかしらね。結構頭に来ていると考えるべきか、あるいは意外とあの人のことを身内扱いしてると考えるべきか」
ソーマはあまり感情を表に出すタイプではないため分かりづらいが、頭に来ている時ほど相手を過度に挑発する傾向にある。
しかもそれは身内と思っている人を傷つけられた時ほど激しいものとなるが……無論、誰彼構わず怒るわけではない。
ヴィクトリアが傷つけられてソーマが怒っているのは明らかだが、だからこそ正直そこは少し意外だったのである。
「……まあでも、最初の出会い方と印象こそアレだったけど、その後はそう悪いものでもなかったし、実際にはそれほどでもないかしら?」
少なくともヴィクトリアが本気でこの国や民達のことを愛しているというのはアイナにも伝わってきたし、色々頑張っているようだということも知っている。
ならば、そうおかしくはないのかもしれない。
そんなことを考えながら、剣戟を交わし始めたソーマ達を横目に、そのヴィクトリアの方へと歩いていく。
先ほどから気にしてはいたのだが……アレは少しまずいのではないだろうか。
「ちょっと失礼するわね」
「っ……其方……」
戦い始めた二人のことを呆然と眺めていたヴィクトリアは、そのままの目でしゃがみこんだアイナのことを見つめてきた。
そこにあるのはおそらく疑問で、だがアイナはそれに応えることなくヴィクトリアの身体を調べていく。
「あー、うーん……これどうかしら。あたしじゃ応急手当が限度な気がするわね……」
元々アイナは、特級とは言いつつもその才能は大分攻撃側へと寄っている。
回復や補助も使えないわけではないのだが、正直それほどではないのだ。
一目で重症と分かる傷をどうにか出来るほどのものではない。
「……ま、とはいえ応急処置をしておけば十分でもあるかしらね。どうせ後はソーマが何とかするでしょうし」
呟きながら視線を向ければ、そこでは予想通りの光景が広がっていた。
ランベルトは、アイナの目から見ても十分以上に強者だ。
先ほどから響き続けている音はおそらくはその全てがランベルトから放たれた攻撃なのだろうし、そう考えると一瞬のうちに数十という攻撃を行っていることになる。
間合いに入ったらアイナでは絶対防ぎきれる自信がなく……いや、そんなことは攻撃する手元がまったく見えない時点で明らかか。
速さという意味ならば、アイナの知る限り最速なのはシーラだが、シーラは一撃に特化しているがゆえにやはりあの攻撃は凌げまい。
リナは万能型なためにある程度は凌げるかもしれないが、それでも最後は押し込まれてしまうだろう。
ソフィアも自分と同じ魔導士である以上は間合いに入られた時点で勝ち目はなく……クラウスは主に重戦士系の動きだ。
おそらくはああいったタイプとは相性が悪いように思う。
つまりは、アイナの知る限りでは、確実に勝てると言える人はいないということだ。
その中に七天の二人も加わっていることを考えても、どれだけランベルトの槍捌きが凄まじいかということが分かるというものだろう。
まあ、勿論と言うべきか、そこにあそこで間合いの中に入りながらも完璧に捉え捌ききっている約一名は含まれていないわけだが。
「……本当に、出鱈目よね」
何度見ても、その度に思う。
いっそのこと相手が可哀想に思えてしまうぐらい、相変わらずソーマは出鱈目でしかなかった。
「っと、ごめんなさい。あいつの出鱈目っぷりに呆れるよりも先に応急処置が――」
応急処置をしようと、ヴィクトリアの身体に向けて手を伸ばした瞬間、ガシッと手を掴まれた。
思わず、間抜けな声が漏れる。
「えっ……? え、っと……ヴィクトリア、さん?」
掴んだのは、当然と言うべきかヴィクトリアであった。
身体を動かすだけでも辛いだろうに、掴んできた力は意外なほどに強い。
もっとも、一番意外だったのは、勿論こちらの応急処置を邪魔するようにして手を伸ばしてきたことだが――
「あのー……? このままだと応急処置が出来ない……事はないけど、やりづらいんだけど?」
アイナの腕では、患部に直接触れる、ぐらいしなければ大した効果は得られないのだ。
それでも応急処置程度の効果しか得られないのだから、触れない状態での効果などお察しである。
だがそう言っても離してくれる気配はなく、むしろ掴まえる腕にさらに力が入った。
向けられる瞳もまた、意外なほどに強い。
「……何故だ」
「何が?」
「何故、妾を助けようとする? あやつも、其方も、こんな妾を――」
「あー……そういうの後でいい? 話なら応急処置をしながらでも聞けるし」
「へ……?」
そんな返しが来るとは思っていなかったのか、ポカンとした表情をヴィクトリアが浮かべている間に掴んでいた手を外すと、素早く患部に触れる。
そして。
「――光よ。我が意、我が想いに従い、穢れを払い癒しを施す力と化せ」
――魔導特級・魔王の加護・精神集中・一意専心・積土成山:魔法・ヒーリングライト。
詠唱が終わると同時、アイナが触れていたところを中心に、ヴィクトリアの身体が淡い光に包まれる。
多少痛みが緩和されたのか、僅かに眉に寄っていた皺は緩み、しかしその代わりとばかりに瞳の中の険は増す。
「……本気で妾を助ける気か? 先ほどのあやつによる演説は聞いていたであろ? あれも結局は妾のせいよ。妾が死にさえすれば、全ては問題なく収まる。愚かで間違えた妾さえ――」
「あ、話を聞くとは言ったけど、答えるとは言ってないわよ? まあ話したいんなら止めはしないけど、それであたし達のすることは多分変わらないわよ?」
「なっ……其方本当に分からぬのか……!? 妾さえ……妾さえ死ねば……!」
「だってそういうの、どうでもいいもの」
「……は? どうでも、いい……?」
予想外の言葉だったのか、目を点とするヴィクトリアに、軽く肩をすくめてみせる。
どうでもいいというのは少々言い過ぎではあるものの、だがある意味では間違いなく事実だ。
「そもそもあなた達が一体どうしてこんなことをしてるのか、あたしは知らないし、多分ソーマもそうでしょうね。いえ、ソーマのことだからある程度は予測出来てそうではあるけど、それも究極的には関係ないと思うわ。だってあたし達は、そこにある事情で動いているわけではないもの。だから何を言われようとも関係ないし、どうでもいい。あたし達のやることは、変わらないわ」
「……妾達の事情が、どうでもいい? で、では……其方達は、一体何故動いているというのだ?」
「そんなの決まってるでしょ? ――気に入らないからよ」
そう、ソーマがどう考えているのかは知らないけど……きっと似たようなもので、ずっとそれだけを理由で動いていた。
知り合いが傷つくのが気に入らない。
傷つけられるのが気に入らない。
だからぶっ飛ばす。
ただそれだけのことだ。
「……気に入らないから、ぶっ飛ばす」
「もっとも、大体の場合ソーマがやっちゃうから、あたし達に出来ることってのはほとんどないんだけど。まあそれはともかくとして……ところで、折角だし一つだけ聞いておきたいんだけど、本当に今回のことはここまでしなきゃならないようなことなの?」
「……無論だ。最早ここまできてしまったら、妾の死でしか――」
「そうかしら? あたしにはそうは思えないけど?」
「……なに?」
「というか、あなたもあっちも、どうにも冷静じゃないようにしか見えないのよね。だから、とりあえず冷静になってもう一度話し合ってみればいいんじゃないかって、思うんだけど? そうすれば、他に何かいい考えが浮かぶかもしれないでしょ?」
「……変わらぬとも。妾は、それだけのことをやってしまったのだ」
「そ……なら、冷静に話し合ってもどうにかならなかったら、その時にはソーマにそう言えばいいんじゃない? きっとその原因を、ソーマがぶっ飛ばしてくれるわよ」
その必要は、もうないのかもしれないけど。
アイナがそう呟いたのと、甲高い音が響いたのはほぼ同時であった。
それと共に、視界の端で鈍色の何かがくるくると宙を舞い――
「……何故だ。何故俺達の邪魔をする……!? それは……それが……!」
「さて……とりあえず、今の自分の顔でも見てみればいいのではないであるか? 冷静であるのならば話を聞くつもりぐらいはあったのであるが……まあ、さすがにそんな血走った目でいられたら、話を聞く気も失せるのである」
「っ、俺達の、邪魔を……!」
「はいはい、分かったであるから――とりあえず、寝てるがいいのである」
――一閃。
叫ぼうとしていたランベルトの身体がくずおれ、ソーマが息を一つ吐き出す。
あまりにも呆気ない、それが終わりであった。
それから、顔をこちらに向けると、ソーマが近寄ってくる。
「さて……待たせたであるな」
「まったくよ。っていうか、いい加減煙いし熱いんだけど?」
「む? それもそうであるな、まずはこっちをどうにかするであるか」
アイナの言葉に、今気付いたとばかりの表情を浮かべると、ソーマはそんなことを言いながら剣を地面に突き立てた。
瞬間、部屋に広がっていた炎は跡形もなくなり、残されたのは半焼となった部屋だけだ。
本当に相変わらずすぎて、溜息も出てこなかった。
「で、次はこっちであるか」
「そうね。応急処置も限界だから、あとは頼んだわ」
「うむ、任せるのである」
頷き軽く構えたソーマにヴィクトリアが反応する事がなかったのは、ソーマが治療する事が出来ることを知っていたためか……あるいは、地面に倒れ伏したランベルトを見ていてそれどころではなかったのか。
しかし何にせよ結果に違いはなく、ヴィクトリアの身体に突き立った剣が引き抜かれると、その身体からは傷は跡形もなくなっていた。
「……本当に相変わらずよね」
出鱈目すぎて意味が分からないが、まあそれも今更だ。
ともあれこれで一先ず解決かと、そう思い――引き抜いた剣を、ソーマが再び構えた。
「……え?」
何故そこでまた構える必要があるのか分からず、呆然とした声が漏れる。
何をしようとしているのか、一瞬思考が追いつかず……分かったのは、視界の端でヴィクトリアが、嬉しそうな、あるいは安堵したような笑みをほんの少しだけその口元へと漏らしたということだけだ。
そして。
アイナが動こうとするよりも先に、その剣が、振り下ろされた。




