焔の檻
ソーマが部屋を出て行った後、アイナは一人、何をするでもなく部屋でぼんやりと椅子に座っていた。
とはいえ、暇を持て余していたかと言えば、それは少し違う。
これでもただ漠然とここでの日々を過ごしていたわけではないのだ。
そもそも、ソーマがあんなことを言っていた時点で、何かが起こることはほぼ確定である。
故に。
「気をつけた方が――」
「――ここ――ぎゃあ……!?」
「あー……ちょっと警告するのが遅かったかしら? まあ、そもそも扉の外にいる時点で、警告したところで聞こえていたかは怪しいけど」
――魔導特級・魔王の加護・精神集中・一意専心・積土成山:魔法・ファイアウォール。
そんな言葉を嘯きながら、アイナはたった今荒々しく開けられた扉の真下を眺めた。
そこは一見赤い絨毯が敷かれているようにも見えるが、実際にあるのは炎の固まりだ。
本来地面と垂直に打ち出し、壁のように用いる魔法を、地面と水平に展開させたことで足元に対するトラップとしたのである。
先ほどの悲鳴は、素直にそこへと足を突っ込んでしまったせいで足を焼かれてしまったから、というわけであった。
「ま、ノックもせずに入ってきたし、そもそも足元を警戒してなかったそっちの責任よね。それに火力は抑え目にしてあるから、後遺症が残るほどの傷にはならないでしょうし。……素直にそのまま治療を受ければ、だけど」
後方に飛び退くようにして転がっていったが、この様子ではあのまま治療を受けに下がるかは疑問である。
とはいえそれはアイナの知ったことではないし、何よりそんなことにまで気を使っている余裕もない。
開いたままの扉、その向こう側を眺めながら、溜息を吐き出した。
「それで、一応どんな用件かを聞いてもいいかしら? まさか訓練の続きを実地で、とか言い出さないでしょうね? まあもしそうなら、ソーマにはそう伝えておくから、明日出直してきなさい、って言うだけなんだけど」
扉の向こう側にあったのは、完全武装をした兵達の姿であった。
一人二人という数ではなく、しかも全員が抜剣済みだ。
殺気こそ感じはしないものの、物騒であることに違いはない。
「……魔王はどこだ?」
兜のせいでくぐもって聞こえた声に、アイナは肩をすくめて返す。
そうだろうと思ってはいたが、やはりソーマが目当てであったらしい。
「あいつは相変わらず色々なものからモテるわね……。まあでも生憎と、あたしはあいつがどこに行ったのかは知らないわよ? むしろこっちが知りたいぐらいだもの」
ソーマからは特に所在を隠せなどとは言われなかった。
そもそも知らないのだから隠すも何もないのだが、言及されなかったということはどうでもいいということなのだろう。
だから素直に喋ったのだが、どうやら相手はそうは思わなかったようだ。
「隠すと身のためにならんぞ? なるべく手荒な真似をするつもりはないが、必要とあらば躊躇う理由もない」
「だから本当のことを言ってるんだけど……というか、手荒な真似云々についてはその格好の時点で今更な気がするけど? むしろその格好で手荒な真似をするつもりは絶対ないとか言われても困るわ」
「……貴様に関して命じられているのは、捕縛のみだ。大人しく投降することをお勧めするが?」
「って言われても、あたしは別に何もしてないでしょ? ああ、地面のそれに関しては、念のためにやっておいただけよ? それだってちゃんとノックされたら解除するつもりだったし」
嘘だったが、ノックもせずに踏み込んできたのは向こうのため、その部分に関して強気に出ることは出来まい。
実際顔は見えないから断言は出来ないが、怯んだような気配を感じた。
「というか、あたしに関して何もないとは思わなかったけど、捕縛のみなのね。ちなみにソーマの扱いってどうなってるの?」
あるいは、彼らが怯んだのは、この状況を前にして平然としているアイナの姿に、なのかもしれないが。
成人を迎えたばかりだろう少女が、少なく見積もっても十人以上はいるだろう完全武装の兵の前で物怖じしていないのだ。
彼らがアイナのことを何と知らされているのかは分からないが、普通に考えれば異常だと考えるに十分な状況である。
だが。
「……大人しくこちらに従うつもりはないと判断し、実力行使に移らせてもらう」
先頭に立っていた兵がそう告げると、一歩を前に踏み出した。
さすがにこれだけで引き下がるということはしないらしい。
しかしそうなるとトラップにかかることになるわけだが、その辺のことはしっかり考えられていたようだ。
部屋に入る直前で足元に剣を突き立てると、そこに展開してあった魔法が消え去ったのである。
「へえ……スキル、じゃないわね? その剣の効果かしら?」
構築された魔法そのものを砕くことの出来る、一種の魔導具のような武器があるという話は聞いた事があった。
非常に珍しいという話だった気がするが……皇国ではそうでもないのか、もしくは製造方法を握っているのが皇国だということなのかもしれない。
何にせよ、兵達の持っている剣が同じものであるように見えることを考えれば、アイナが魔導士であるということを認識した上でしっかり対策はしてきてある、ということのようだ。
そんなことを考えている間に、罠がなくなったのをしっかり確認し、他にもないか注意深く探りながら部屋の中へと侵入してきた兵達が、アイナを取り囲むように陣取る。
だがそんな状況にありながらも、アイナは焦り一つ見せることはない。
その姿は余裕をすら見せており、しかし兵達はそれに怯むでもなく、むしろ勝ちを確信している様子ですらあった。
「……随分と余裕そうだが、それはもう諦めたという認識でいいか? まあ、どれだけ強力な魔導士であろうとも、この距離でこの人数に囲まれては、当然ではあるだろうが」
それは過信ではなく、純粋に事実を言ったつもりだったのだろう。
実際アイナはずっと椅子に座ったままであり、周囲には十どころか二十を超える数の兵がいる。
しかもその手にあるのは魔法を斬り裂く剣だ。
普通ならば確かに、どうしようもない状況であった。
――もっとも。
その普通の埒外であるが故に、特級などという名を冠しているのだが。
「……残念だけど、これは余裕そう、じゃなくて、実際に余裕なのよ。だって――この程度、脅威でも何でもないもの」
――魔導特級・魔王の加護・精神集中・一意専心・積土成山:魔法・フレアボム。
「ごっ……!?」
瞬間、アイナの周囲の空間が爆ぜた。
周囲を囲んでいた兵達が一斉に吹き飛び、壁やら地面やらに叩きつけられる。
ろくに受身も取れなかったのか、呻き声が溢れ……だがその光景を眺めたアイナは顔を顰めると、失敗したとでも言いたげに溜息を吐き出した。
「しまったわ……部屋が滅茶苦茶じゃない。入り口のところでちまちま戦うよりは一斉に攻撃した方が楽だと思ったんだけど……後片付けが大変そうね、これは」
「っ……馬鹿な、無詠唱でこの威力、この効果範囲、だと……!?」
何処までも暢気に呟くアイナのことなどは目に入っていないように、兵の一人が愕然とするように慄いた。
だがそれも当然のことではある。
以前にも少し触れたが、普通は無詠唱で魔法が使えたところで、足止めをするのが精一杯といった程度なのだ。
しかもその対象は一人だけであり、範囲攻撃など以ての外。
彼らは何の確証もなく勝ちを確信していたわけではないのである。
しかし再度繰り返すが、所詮それは普通ならばの話だ。
アイナがその程度であるならば、そもそもここにいるわけがなく……それに――
「あまり舐めないでくれないかしら? 確かにあいつにはまったく通用しなかったけど……それでも、追いつき並ぼうと、少しでも役に立てるように、足を引っ張らないように頑張ってきたのよ? あたしをどうにかしようってんなら、この十倍は持ってきなさい」
――魔導特級・魔王の加護・精神集中・一意専心・積土成山:魔法・ファイアボール。
言いながら、アイナの死角から飛び掛ってこようとしていた兵に向けて、魔法を叩き込んだ。
轟音と共にその兵が吹き飛び、だが代わりとばかりに次の兵が飛び込んでくる。
それも、二箇所同時。
「あら、結構しぶといのね。てっきり今ので少しは心が折れてくれたのかと思ったんだけど……」
――魔導特級・魔王の加護・精神集中・一意専心・積土成山:魔法・フレイムアロー。
問題なく撃退しつつも、周囲へと視線を巡らし、アイナは僅かに眉をひそめた。
立ち上がり始めた兵達の姿からは、闘志が衰えているようには見えなかったからだ。
これでも被害が最小限に抑えられるように、分かりやすく力を見せ付けたはずなのだが、どうやら諦めるつもりはないらしい。
向けられる切っ先を眺めながら、溜息を吐き出す。
「頑張るわね……。というか、何であんた達はそんな頑張ってるわけ? 別にあたしはこの国に対して何かをするつもりは……少なくとも今のところはないんだけど? そもそも、どうにかすべき人物はあたしやソーマの他にいる気がするんだけど……さっきの演説、でいいのかしらね? おかしいと思わないの?」
状況を考えれば、この兵達はあの演説をした男か、少なくともその手の者からの命令を受けているはずだ。
しかしそもそもその男は、国のトップを害したというのである。
そんな男の命令など――
「……我らは兵だ」
だがそんなアイナの思考を遮るように、兵達の一人からぼそりとした声が呟かれた。
くぐもっているために分かりづらいが、聞き覚えがある気がするので、先ほど部屋に入って来る時先頭に立っていた男だろうか。
似たような格好をしているせいでそれが誰でどこにいるのかは分からないものの、そうして何となくその姿を探しているうちに言葉が続けられる。
「兵は考えない。死ねと言われれば、それによって道が開けるのだと信じ、喜び死にゆくのが我らである」
「そこにどんな意味があるのとか、そういうことは考えないし、誰からの命令だろうと関係ないってこと?」
「既に言った通りだ。我らは疑問を抱かない。あるいは、疑問を抱き、拒むものだけが這い上がり、我らを使う立場となるのだ。故に我らは、這い上がるのを諦めた者達だ。諦め、同胞に託し、それでも誰かのために戦うことを選んだ者達である」
それは何故あんな男の命令を聞くのか、ということに対する答えだけではなく、どうして力の差を見せ付けられながら、それでも立ち上がるのか、ということへの答えでもあった。
再び自分の周囲を取り囲むように移動を始めた兵達のことを眺めながら、アイナは溜息を吐き出す。
しかしそこに込められているのは、先ほどまでのそれとはまるで異なるものであった。
「……そ。ごめんなさい、くだらないことを言ったわね。あなた達を侮辱する言葉だったわ」
「構わない。貴様はおそらく這い上がった先にいる者だ。故に貴様には我らを踏みにじる権利がある。だが忘れるな。我らには、踏みにじりに来た足に食らい付く権利がある」
「忘れたりしないわよ。だから、もう一度謝っておくわ。ごめんなさい。それと、さっきの言葉を取り消すわ。――舐めてたのはあたしの方だったわね」
言葉と同時、アイナはゆっくりと椅子から立ち上がった。
それは兵達への敬意の表れでもあったが、同時に認識を改めたからでもある。
そのままでは最終的に負けるのはきっと自分だと、そう感じたのだ。
彼らは本気だ。
本気で自分達のなすべきことを定め、その時に動こうとしている。
ならば、こちらも相応のもので対峙しなければ押し負けるのは道理だろう。
故に。
「――全てを灰燼と化し、無へと帰す地獄の業火よ。我が想い、我が意思に従いし灯火の焔よ」
瞬間、兵達が一斉に飛び掛かってきた。
アイナが紡ぎ始めたものが詠唱であることと、その意味するところ――即ち、アイナも本気になったということを悟ったからだろう。
だが、だからといってどうにか出来るかは話が別だ。
アイナが先ほど自分で口にしていた通りである。
ソーマの横に並び立つために積み重ねてきた努力は、この程度でどうにか出来るほど柔なものではないのだ。
――魔導特級・魔王の加護・精神集中・一意専心・積土成山:魔法・フレアボム。
飛び掛かってきた兵達を吹き飛ばしながら、アイナは詠唱を澱みなく続ける。
どれだけ吹き飛ばされ、叩きつけられようが兵達に諦める様子は見えないが、それはアイナも同じことだ。
そもそもこの魔法そのものが、ソーマの横に並ぶために作った代物である。
なればこそ――
「今ここに、汝が姿を求めん。其は虚無の空より来たりて、無限の果てへと帰すモノなり。我が求めに応じ、応えるならば、我らが道を遮る悉くを前に、今一度その身を顕現させ給わん」
――魔導特級・魔王の加護・精神集中・一意専心・積土成山:魔法・クリアランスゼロ。
瞬間、世界が赤に染まった。
場所は変わっていない。
変わらず皇城の客間の一室だ。
しかしその様相は一変していた。
その部屋の中の全てが、炎に包まれていたからである。
無論アイナだけは別だ。
だが逆に言うならば、アイナを除き炎に包まれていないものはいない。
先の比ではない苦悶の声が、兵達の間から上がった。
「っ、ぐがあぁぁぁあああ……!? ば、馬鹿な、魔法に対し絶大的とも言える耐性を与えるこの鎧が、いとも簡単に……!?」
「へえ……妙にしぶとい理由はその辺にも原因があったのね。でも関係ないわ。この炎はありとあらゆるものをあたしの意思の命じるままに焼き尽くす。耐性とかそういうのは、無意味よ」
「意思の、命じるがまま……? っ、そうか……我らを燃やしながら、他の一切に被害が出ていないのは……!?」
その呻きにも似た呟きは、事実であった。
確かにアイナ以外の全ては炎に包まれている。
しかし炎に包まれていながらも、明らかに兵達以外には被害が出ていなかったのだ。
まるで幻の炎のように、天井や壁に床、調度品といったものが燃えている様子は一切ない。
「ええ、当然でしょう? あたしはここを任されたのだもの。あいつがここに帰ってくるって言うんなら……守らない道理こそがないわ。……ま、少し守りきれなかったけど、そこは目をつぶってもらうしかないわね」
だがそれを何ということもないように肩をすくめるアイナを前に、兵達の間で苦笑にも似たものが浮かぶ。
それは相手を認め、納得するものであった。
「くっ……なるほど。どうやら、魔王には恐ろしくとも頼もしい奥方がいるらしいな」
「お、奥……!? ち、ちがっ、あたしはあいつの、そんなんじゃ……!」
と、その瞬間、明らかにアイナは動揺を見せた。
僅かに生まれた隙に、すかさず兵の一人が飛び掛かり――
「隙あり……!」
「っ、隙なんて、ないわよ……!」
問答無用で吹き飛ばされたその勢いは、明らかに今までで一番であった。
過剰なほどの衝撃は兵をそのまま壁へと叩きつけ、これまた本日一番の轟音が響く。
その有様を目にした兵の一人がぼそりと呟いた。
「……なんか悪いな。正直そこまで動揺するとは思わなかった」
「唐突に素に戻んじゃないわよ……!」
そのやり取りによって空気が僅かに緩み、しかしそれを気のせいと言わんばかりに炎が燃え盛る。
こうしている間にも、兵達の身体は燃え続けているのだ。
本当はやろうと思えば一瞬で焼き尽くすことも出来るのだが、アイナがそうしないのは兵達を殺すつもりはないからである。
だがそのことを兵達は理解しながらも諦めることはなく、アイナもまたそれを知っていた。
どちらかが完全に諦めるまで、気を緩めることなど許されないのだ。
身体を焼かれ続けようとも兵達はアイナのことを何とかしようとジリジリと距離を詰め、アイナはそんな兵達の姿を眺めながら、息を一つ吐き出す。
ここでこんなことになっているということは、他の場所でも相応のことが起こっているのだろうと、ふとそんなことを思ったからだ。
皇国で何が起ころうとも、究極的に言えばアイナに関係はないのだが……生憎とそう言い切るためには、何らかの動きをしているのだろう一人の存在がある。
果たしてソーマは今頃何をしているのか。
そしてその先に、一体どんなことがあるのか。
それらのことを考えながら、しかし今は目の前のことを優先するべきだと、懲りることなく、諦めず向かってくる兵達へと向けて、アイナは炎を叩き込むのであった。




