聖都の判断
聖都の朝は早い。
商店などが開くのはそれほどではないが、聖都へとやってくる大半の目的はそんなところにはないのだ。
そして行き来が過酷ということはないものの、わざわざやってくることに違いもない。
必然的に敬虔な信者のみが集まり、さらには訪れるべき神殿もある。
朝早いことなど当然のことでしかなかった。
日が顔を見せると同時、あるいはそれよりも早く動き出し、神殿にて静かに祈りを捧げる。
今の自分があることを、今日も日常が続くことを。
その感謝を心の中で告げるのだ。
しかしそういった状況にあるため、朝は早いながらも基本的には喧騒とは無縁である。
そういったことが発生するのはもう少し後、商店が開き始め、遠方からの信徒がようやく聖都へと辿り着けた後のことであり、静謐の中にまどろむのが聖都の朝なのだ。
あくまでも、普通は。
「えぇい、埒が明かぬ……! もういい、我だけでも行くからそこを退くのじゃ……!」
「だからそういうわけにはいかないって言ってるじゃないか。キミも分からないなぁ」
基本的に朝の祈りというのは各々が好き勝手にやっているだけである。
そこにエレオノーラが訪れる必要はなく、だが仮初とはいえ聖都の主を名乗っているのだ。
さすがに何もしないわけにもいかず、エレオノーラもまた神殿へと赴き、祈りを捧げるのが朝の日課の一部となっている。
そしてそれから戻ってからが朝の本番になるのだが……離れていても聞こえてくる二つの声に、エレオノーラは思わず溜息を吐き出した。
祈りに行っている間に収まっていてくれたら、と期待したのだが、やはりと言うべきかそんなことにはならなかったらしい。
むしろ加熱すらしているように思え、再度溜息を吐き出す。
「お二人とも、声が外に漏れていますわよ? この近くには誰も来ることがないとはいえ、もう少し落ち着いて欲しいですの」
言いながら部屋の中へと入れば、反射的に向けられた二つの視線がエレオノーラの身を貫いた。
苛立ちと呆れ。
異なる感情の篭った力強い瞳に捉われながら、それでもエレオノーラが怯むことがなかったのは、先ほどの祈りの成果ではなく単なる慣れによるものである。
神の傍に数百年もいれば、勘気に触れることなどそう珍しくもないのだ。
「これが落ち着いていられるわけがないじゃろうが……!」
「というか、ボクは十分落ち着いてると思うけど? そもそもヒルデガルドと一緒にされるのはさすがに心外すぎる」
「なんじゃと……!?」
「そうやって無駄に煽るところが落ち着けていない証拠ですわ。そもそも、外に声が聞こえたのはお二人共に、と言ったはずですけれど? 一見冷静のように見えて、サティア様も全然冷静ではありませんの」
「む、むぅ……確かにその通り、か。まさかエレオノーラに諭されるなんて……ボクももう歳かな?」
「サティア様が歳でなければ、むしろ驚きですの」
「おや、そうきたか……やれやれ、仮にも崇める神に向かって酷い言い草だよ。ヒルデガルドもそう思わないかい?」
「心底どうでもいいのじゃし、貴様らの寸劇に付き合うほど我は暇でもないのじゃ。我はもう行くから後は貴様らだけで勝手にやっていればいいのじゃ」
「だから駄目だってば。本当にそろそろ落ち着きなよ」
どうやらサティアの方は何とか落ち着かせることが出来たようだが、ヒルデガルドはまだまだのようだ。
まあ、その気持ちは分からなくもないが。
ソーマとアイナが戻ってこないことに気付いたのは、昨日の夕食間近になってからのことであった。
昨日は本当に忙しく、それまで二人のことを確認している暇などなかったのだ。
それにソーマならばそんなことは起こらないと思っていたのも大きい。
だが夕食間近になりようやくヒルデガルドに手伝ってもらわなければならない案件が片付き、そして部屋に戻ったヒルデガルドが叫んだのだ。
ソーマ達がいない、と。
もっとも、最初ヒルデガルドはそれを、二人がアレなことになったからだと思っていたようだが……憤慨しつつも周辺を調べ、そこで初めておかしいということに気付いたのだ。
エレオノーラが二人の捜索に加わったのもこの頃である。
正直エレオノーラとしては子供ではないのだし、先のような思いもあったために楽観視していたのだが、それもすぐに焦りへと変わった。
聖都中を視たところで、二人の姿は何処にも見当たらなかったからだ。
厄介だったのは、アイナがソーマの傍から離れる様子をみせなかったことである。
厳密に言うならば、アイナの存在を見つけることが出来なかった時点でそうなのだろうと判断したわけではあるが……何にせよ、二人を見つけることが出来なかったことに変わりはない。
エレオノーラの目は、本来人類を観察するためのものである。
そのため、その目から逃れるものは存在せず……だが、ソーマだけは例外だ。
エレオノーラはその人物そのものというよりもその人物の魂を見ているため、エレオノーラよりも上位の魂を持つソーマのことは捉えられないのである。
しかもエレオノーラは世界中を見渡すことが可能であるため、狭い位置だけを限定的に見ることは得意ではない。
要するに、ソーマが近くにいると近くにいる者の存在まで捉える事が出来なくなってしまうのだ。
そのせいでアイナの存在を捉える事が出来ないと推測され、ソーマの存在はそもそも捉える事が出来ない。
エレオノーラは完全に二人のことを見失ってしまったのだ。
とはいえ、まるで見当が付かなかった、というわけでもない。
ソーマ達が何も言わずに姿を消すとは考えづらいため、そうなると何かに巻き込まれたということになる。
そして現状、そんなことをしそうな場所は一つだけだ。
そう、皇国である。
ただし、検討が付いたところで意味があるかと言えば正直ない。
ただでさえ難しい時期だというのに、下手にソーマ達を探しに直接向かったりしてしまえば、そのまま戦争にもなりかねないのである。
まだ全然準備が終わっていない現状でのそれは、自殺行為にも程があった。
しかしここまではまだ、ヒルデガルドも我慢していたのだ。
二人の行方を掴めないのはヒルデガルドも同じだったからである。
そして分からないままに推測だけで動いてしまえばどうなるか分かったものではない。
そのことをよく理解していたからこそヒルデガルドは我慢し……だが、今日になってサティアが起きてしまった。
起きてしまったなど不敬な言い方とはなってしまうが、エレオノーラとしてはそう思わざるを得ない。
サティアが起きたことで、ソーマ達が皇国にいることが判明してしまったからだ。
それによってヒルデガルドが今すぐ皇国へと向かうと言い出し、サティアがそれを止め……というのが、エレオノーラが神殿に行くまでに起こっていた出来事である。
そうしてそれが今の今にまで続いている、ということであった。
「落ち着けじゃと……? 落ち着けるわけがないじゃろうが……! こうしている間にもソーマがどんな目に……目に…………あれ、別に大丈夫そうじゃな?」
と、頭が加熱されまくった結果逆に一周して冷静さを取り戻したのか、不意にヒルデガルドがそんなことを呟いた。
呆れたように、サティアが肩をすくめる。
「だから言ったじゃないか、落ち着け、って。あのソーマ君が皇国に連れ去られた程度でどうにかなるわけないじゃないか。きっと今頃皇国にいるとか関係なくぐっすり寝ているさ」
「ありありと想像できますわね」
ヒルデガルドも同感だったのか、一つ息を吐き出すと大人しくその場に腰掛けた。
そのまま気まずそうに、僅かに目をそらす。
「その……すまんかったのじゃ。ソーマがずっと見つからなくて完全に頭に血が上っていたのじゃ」
「なに、気にしてないさ。ボクも有効な説得をすることが出来なかったわけだしね」
「わたくしはそもそもほとんど被害にあっていませんから、気にするも何もありませんわ」
それに、実際ソーマならばそうなるとは思うものの、大丈夫だと思っていたらソーマが皇国に連れ去られてしまったのだ。
絶対はない。
蒸し返したところでいいことなどは何一つないためエレオノーラが口にすることはないが。
「ま、これで準備万端だって言うんなら、ヒルデガルドをけしかけるのもありではあったんだけどね」
「ソーマさんが連れ去られてしまったから、ですの?」
「ふむ……我の動きにソーマを呼応させる、というわけなのじゃ? 確かに考えてみれば、そんなことも可能じゃろうな。我が攻め込めばソーマも意図を察するじゃろうし」
「うん、だから、ってことさ。でも準備はまだまだ整ってないし、こっちから仕掛けるにはリスクが高すぎる。そもそもどうしてソーマ君を、って疑問もあるしね」
「あるいはアイナさんがメインでソーマさんは巻き込まれたという可能性も……いえ、ありませんわね」
自分で言ってないだろうと、首を横に振る。
ソーマが巻き込まれた側ならば、その場で解決してもおかしくない。
だからこそアイナが巻き込まれた側だと考えるべきだろう。
とはいえ、アイナを巻き込ませてしまった時点で異常と言えば異常か。
そもそも、ソーマをおそらくは強制的に連れ去って何をしたいのか、というのもある。
ソーマがいなくなるということはこちらにとって大打撃ではあるが、向こうにとって得となるとは限らず、むしろ獅子身中の虫となる可能性の方が高いのだ。
果たして何を考えているのかなど、分かるわけもない。
そして分からないことが多い以上は、迂闊に動くべきでもなかった。
「ま、そもそもソーマ君以前の問題として、それほど心配する必要はないとも思ってるけどね」
「ふむ……? それはどうしてじゃ?」
「あそこの国は契約だとか約束だとか、そういったものに拘るからさ。向こうは声明を出してきたけど、こっちはまだ反応していない。こっちが何らかの反応をするか、痺れを切らして向こうが再び何かをするまでは何かをしてくることはないと思うよ」
「そう言えば、全体的に妙に暢気だとは思っていたのじゃが……」
「それを分かった上で、ということですの。もっとも、それを考慮に入れているのはわたくし達だけだと思いますけれど」
「とはいえ、それも絶対ではないのじゃろう?」
「絶対ではないけど、ほぼ絶対ではある、かな? そういった契約をあの国はかつて神と交わしたらしいからね」
その言葉に、ピクリとヒルデガルドが反応を見せた。
何かを探るように、その目を細める。
「貴様が他人事として語るということは、邪神と、ということじゃよな?」
「そうだね。そう呼ばれるようになってしまった彼女と、さ」
何か通じ合うものでもあったのか、そう言って肩をすくめたサティアから視線を外すと、ヒルデガルドは今度こそ完全に落ち着いたようであった。
それに小さく息を吐き出し、エレオノーラは窓の外へと視線を向ける。
まったく、朝っぱらから神同士の喧嘩など勘弁して欲しいものだ。
それにしても、と思うのは無論ソーマ達のことである。
無事であるのは間違いないのだろうが……さて。
これが今回のことにどう関わってくるのか、あるいはこないのか。
出来れば早いうちに分かって欲しいものだと、エレオノーラはそんなことを考えながら、溜息を一つ吐き出したのであった。




