元最強、皇帝に皇都を案内される
隠し通路を抜けた先にあったのは、確かに城の外であるようだった。
行き交う人々の姿を目にすれば、さすがにこれ以上疑うのは現実的ではあるまい。
無論それと警戒しないということとは別の問題だが、想像以上に人の姿と活気がある光景を前に、ソーマはそんな結論を出した。
尚、ソーマ達が現れたのは壁の一角からであり、普通に考えれば明らかに騒がれるようなことだ。
しかしそんなことが起こる事はなく、その理由はその辺も含めて魔導具の機能であるからのようであった。
何でも周囲の人々の意識へと働きかけ、隠し通路から現れた者達の姿を認識させないようになっているらしい。
一旦効果範囲外に出て確認してみたが、その隠蔽能力はかなりのものだ。
そこにあるということを知らなければ、ソーマでも気付くことは出来まい。
かなり希少且つ高性能な魔導具であり、おそらく、手に入れようと思えば金以外のものが要求されるような、そういったタイプのものだ。
隠し通路に使用してもおかしな品ではないが……少なくとも存在を明かしてしまっていいものではない。
確かに存在を知らなければ気付くことはできないが、ソーマは既にこうして知ってしまったのだ。
この時点で如何に希少で高性能な魔導具であろうとも意味はなくなってしまっている。
そのことを、彼女が理解していないとは思えない。
随分と話を聞きイメージしていた姿とは異なっているが、それだけのわけがないのだ。
エレオノーラが随分と警戒していたのを考えるに、一種の二面性を持つタイプの人物なのかもしれない。
為政者としての自分と、私人としての自分。
二重人格かと疑ってしまうほどにそこに乖離があるのは、そう珍しいことでもない。
であれば、これもまたわざとそうしたと見るべきだろう。
皇国はこんなものも取り揃えているという意味か、あるいはこの程度のものがバレてしまっても何の問題もないという意味か。
何にせよ、ただフリーダムなだけの人物だと思っていたら痛い目を見るに違いない。
と、そんなことを考えていると、ようやくといった感じでアイナが姿を見せた。
こっちで何かあった時のために敢えて時間をおいたのか、あるいは踏ん切りが中々つかなかったのかは分からないが、ソーマの顔を確認した瞬間身体の力が僅かに緩んでいたので、緊張していたことだけは間違いあるまい。
そしてそんなアイナは、警戒しつつもその場を見渡し、おそらくは半ば無意識のうちに感嘆の息を吐き出していた。
それが分かるのは、ソーマも似たようなものだったからである。
「これはまた……この光景を見るだけでも、今まで見てきた中で一番活気があって栄えてそう、ってことが分かる感じね」
「ふふん、当然よ。最も栄えているなどと言われているのは伊達ではないのだぞ?」
誇らしさからか、もしくは嬉しさからか、そう言って胸を張りつつも口元を緩めている皇帝の姿を横目に、ソーマも改めてその場を見渡してみる。
ラディウスでは建国祭をやったところでここまでの規模になるか疑問に思うほどの人の多さと活気。
皆の顔には笑みが浮かんでおり、それだけで良い国なのだろうな、ということがよく分かる。
人の行き来は途切れる様子を見せず、それがずっと街の外にまで続いているようだ。
「……これが皇国……そして皇都であるか」
「うむ。妾の、そして妾の民達が作り上げた、自慢の国だ」
その顔に浮かんでいる笑みが今度は確実に誇らしさゆえであることは、何を言われるまでもなく分かっていた。
自身の姿が映し出されている瞳にはやはり敵意はなく、笑みのままに皇帝の口が開き言葉が続けられる。
「さて、では宣言通り、これから妾がこの皇都を余すことなく案内してやろう。光栄に思うのと同時、存分に楽しむが良いぞ?」
そんな言葉を聞きながら、人々の姿を眺め、ソーマは息を一つ吐き出すのであった。
正直なところ、皇帝による皇都案内などどうなることかと思ったが、結果から言ってしまえば意外にも悪いものではなかった。
いや、それどころか――
「よくもまあ、ここまで色々と知っているものであるな?」
呆れと感心の混ざったような言葉を漏らせば、すかさず得意げな顔が返ってくる。
もう何度も目にした顔に肩をすくめ、直後に耳へと声が届く。
ただしそれは、先導する皇帝――ヴィクトリアが発したものでなければ、隣を歩くアイナが発したものでもなく、無論ソーマ自身が発したものでもない。
ヴィクトリアが先導を続ける先、そこで何やら商売をやっていたらしい恰幅のいい女性のものであった。
「おや、皇帝様じゃないか! まーた抜け出して来たのかい!?」
その顔には笑みがあり、親しげさすら溢れていた。
皇帝様などと呼んではいるものの、その態度は友人のそれに近い。
そしてヴィクトリアもまた、似たような笑みを浮かべ言葉を返す。
「おお、其方か。今日も元気そうだな。しかし別に抜け出してきたわけではないぞ? 街の様子を見守るのは皇帝の義務であろ? 故に妾は妾の義務を果たすために最善を尽くしているに過ぎぬ」
「相変わらずこの皇帝様はお口が達者だねえ! っていうか、今のじゃ抜け出したってのを否定出来てないじゃないか!」
そう言ってがははと笑う姿は、誰がどう見ても不敬そのものだ。
親しげだとかそういうのは関係がない。
相手は皇帝で、女性はほぼ間違いなくただの一般市民だ。
この場でにこやかな笑みを浮かべたままヴィクトリアが女性の首を刎ね飛ばしたところで、誰一人として驚くことはないに違いない。
というか、ソーマこそがそうなると思っていたし、アイナも似たような想像をしたのかその顔は青ざめていた。
――もっとも、そんな反応をしたのは随分と前の、ヴィクトリアが先導を始めた頃の話ではあったが。
「ふふんっ、そもそも妾は皇帝ぞ? 妾が法であればこそ、抜け出したところで問題なかろう」
「ははっ、そう言っていっつも連れ戻されてるじゃないか。ところで、そっちのお連れさんはどうしたんだい?」
「む? ああ、この者共は……ふむ、何と言ったものか……。まあ、縁あって知り合ってな。ついでだから妾がこの皇都を案内してやっている、というわけだ」
「なるほどねえ……そりゃ気の毒に。大変だとは思うけど、頑張りなよ? これあげるからさ」
そんな言葉と共に女性が放ってきたのは、饅頭のようなものであった。
礼と共に受け取り、湯気の立つそれを眺める。
「ふむ……美味そうであるな」
「ははっ、当然さ。自慢の品だかんね……! 気に入ってくれたなら、次寄ってくれた時に買ってくれな!」
「って二人だけか……!? 妾には……!?」
「分かってるっての。ほら、皇帝様にも。なんか最近大変なんだろ? 頑張っといてくれな!」
「ふふん、妾は皇帝であるぞ? 当然であろ。それとありがたくいただいておこう。其方の作る饅頭は美味いからな」
そんなことを言いながら女性へと軽く手を振り、歩みを再開する。
早速貰った饅頭に齧り付いている姿を眺めながら、ソーマ達は何となく顔を見合わせると、苦笑を浮かべた後で同じように齧り付いた。
「……確かに美味いであるな」
「そうね……本当に次買ってもいいかもしれないわ」
「そうするとよい。あそこは女手一つで三人もの子供を育てているがゆえ、収入があればあるだけ助かるはずだからな。まあ、それはそれとして普通に美味いのだが」
話をしながら饅頭を食べていると、再びヴィクトリアが誰かに話しかけられていた。
今度はどうやら老人のようではあるが、やはり互いの顔には笑みがある。
「ふむ……多少慣れてきたではあるが、やはり驚きは隠せんであるな」
「それは仕方ないんじゃないの? 正直あたしはまだ慣れてすらいないもの」
「まあこの光景はさすがに予想外であるからな」
端的に結論を言ってしまうのであれば、街ではヴィクトリアが大人気なのであった。
歩いていればすぐに誰かから話しかけられ、その顔には皆笑みを浮かべている。
先ほどのように何かをもらえることも珍しくなく、ソーマ達が躊躇いなく口にしていたのも、警戒するのが馬鹿らしくなるぐらい同じようなことを繰り返しているからであった。
「ぬぅ……さすがに老体には最近の暑さは堪えるか。かといってさすがの妾でも天候はどうにも出来ぬからなぁ」
呟きながら去っていった老人へと向ける瞳には、間違いなく心からの心配の色があった。
そこには……いや、街の何処からも、嘘を感じることはない。
ヴィクトリアは本当に街の人達から慕われていて、ヴィクトリアもまた街の人達のことを慈しんでいるのだ。
「ふむ……汝は随分と人気があるのであるな?」
だからそう呟いたのは、何かを疑っているからではなかった。
むしろどちらかと言えば、確認のためだ。
「む? そんなことは当然であろ? 妾はこの国を、この国の全てを愛しているのだからな。無論、愛したら愛した分相手が返してくれるに決まっている、などということを言う気はない。だが、妾は愛した分愛されるよう努力している。皆の望みを叶え、皆の安心出来る国を作ることで、な。まあそれでも愛を返してくれるとは限らないのが人ではあるが、そんなことは些細なことよ。その程度のことでは妾の愛は小揺るぎもせぬのだからな!」
笑みでそこまで言い切った言葉に、やはり嘘は感じられなかった。
そしてそれ以上の言葉を発する前に再び通行人から話しかけられ、ヴィクトリアは笑みのままそちらへと顔を向ける。
それをいいことにソーマは一歩を下がると、何となくアイナと顔を見合わせた。
「どう思うである?」
「……多分あんたと同じよ。というか、あんたで分からなかったらあたしには分からないわよ」
「それはさすがに買い被りすぎであるがな」
肩をすくめながらヴィクトリアへと視線を向け、目を細める。
ここまでの間に、おかしなところは何一つなかった。
彼女はどこからどう見ても、人々から愛され人望も人気もある皇帝だ。
だがだからこそ、おかしかった。
確かに外から見た時と内から見た時で、評価がガラリと変わってしまう人物というのは存在し得ることだ。
他国からは化け物のように恐れられていたというのに、自国内では英雄として尊敬されていたという人物がいたということを、ソーマは知っている。
しかしソーマ達が聞き及んでいる皇帝とは、そんな人物ではなかったはずだ。
少なくとも、サティアやエレオノーラが語っていた皇帝とは――
「ふむ……堅物で融通が利かず、目的のためならば何を犠牲にすることも厭わない合理主義、であったか?」
「誰のことよそれ。本当に彼女が偽者か、それとも偽者を調査しちゃったって言われた方が納得出来るわね」
あの二人に限ってそんなことはないとは思うものの、現状そう言われた方が納得出来るというのも事実だ。
しかも、周囲の様子からすれば、ヴィクトリアがこうして街をうろつくのは珍しいことではないようである。
隠し通路を使って外に出るのも妙に手馴れていたことを考えれば、疑う余地もない。
だが。
「……まあ、とりあえず保留、といったところであるか?」
「……そうね。結論なんてそもそも出せるのかって疑問はあるけれど、少なくとも今出せそうにないことだけは間違いないもの」
笑みで街の人達に接するヴィクトリアと、そんなヴィクトリアのことを笑みで受け入れる街の人々。
そして、それをおかしいと断言するソーマ達二人。
果たして正しいのは何で、間違っているのは何なのか。
敵国にいるという時点でその辺が曖昧なものとなってしまうのは仕方ないことではあるのだろうが。
眼前の光景を眺め、目を細めながら、さてどうしたものかと、ソーマは一つ息を吐き出すのであった。




