元最強、皇国に招待される
皇帝は楽しげな笑みを浮かべたまま、こちらのことを観察するかのように見下ろしていた。
その姿はソーマ達のいる位置よりも一段どころか三段程度は高い位置にある。
警戒しながら周囲をざっと眺めた限り、おそらくここは謁見の間といったところか。
無論、聖都にある神殿の、ではない。
ほぼ間違いなくここは、ユピテル皇国だ。
先ほどの現象は強制転移によるものであり、文字通り聖都から皇国へ強制的に連れて来られてしまった、ということであった。
「ふむ……意外というわけでもないのだが、随分と落ち着いているのだな。それに、敵意を向けてくる様子もない。まさか予想していた、というわけでもないのであろ?」
「まあ、確かにこう来るとはさすがに予想外だったであるが……別に慌てる理由もなければ、敵意を向ける理由もないであろう? 慌てるのも、敵意を向けるのも――相応の相手なればこそ、であるからな」
「――ほぅ……?」
言った瞬間、口元の笑みはそのままに、皇帝の目が細められた。
僅かに威圧感が増し、だがソーマは軽く肩をすくめるだけだ。
そして視線を切ると、眼前のアイナへと向ける。
「アイナも……大丈夫そうであるな?」
「……まあ、大丈夫か否かで言えば、今のところ大丈夫ではあるけど……あんたは本当に相変わらずね」
そう言って、アイナも相変わらずの様子で溜息を吐いてみせるが……その姿が強がりだということが分かったのは、未だ手を握ったままだからだ。
無論アイナもそのことは承知の上だろう。
承知の上で、そうしなければならない状況だと理解しているのだ。
何せ相手は皇帝である。
こちらに喧嘩を吹っかけてきた張本人。
隙と取られかねないような姿を見せてしまったら、どうなるか分かったものではなかった。
まあそれを言ってしまったら、ソーマは既に喧嘩を売っているも同然の言葉と態度を示してしまっているのだが、こちらはこちらで必要なことでもある。
敵陣の真っ只中で、孤立無援の状態なのだ。
この程度のことは何でもない、ということを示す必要があった。
というか、実際にソーマ一人ならばそれはただの事実であっただろう。
皇帝の姿は、確かに色々な意味で衝撃的ではあった。
特に何が衝撃的かと言えば、この場には皇帝以外何者の気配もないということだ。
そう、つまりは、ここにいるのは本当に皇帝ただ一人なのである。
自殺行為にも程があった。
そもそも、ここで彼女が殺されてしまえば、皇国は終わりを迎えてしまうのだ。
これは比喩などではなく、単なる事実である。
何故ならば、皇帝の位は、ただ血でのみ継がれていくものだからだ。
そして今の皇国に皇帝の血を引く者は、彼女一人である。
だからここで彼女が殺されてしまえば、帝位を継ぐことの出来る者はおらず、皇国は終わってしまうのだ。
あるいは誰かがその後を継ぎ、別の国へと移行するかもしれないが、それは既に皇国ではあるまい。
皇国の諸々を継いだ、また別の国である。
そんな状況にも関わらず皇帝一人で出迎えるのだから、衝撃を受けないわけがなかった。
が、逆に言うならば、それだけだ。
何を考えているのだと驚きはしたものの、それだけ。
なるほど、確かにその姿は世界の頂点に立つ国を統べるに相応しいものだ。
胸をそらすように堂々と立ち、腕を組んでいる姿を見て、放たれる威圧を感じれば、侮るものなどおるまい。
しかし所詮それは国を統べる者としての話だ。
脅威に感じたかはまた別の話なのである。
それでも、その地位に相応しい……あるいは、不釣合いな程度には、力を持ってはいるようだ。
おそらくは、最低でもアイナと同等、実際には実戦でアイナを倒せるぐらいの力はあるだろう。
アイナが震えているのも、それを感じ取っているからだ。
さらには相手の地位のことも考えれば、アイナには万が一にも勝ち目はないとすら言える。
だがもう一度繰り返すが、それだけだ。
それだけでしかない相手に、どうしてソーマが後れを取ることがあろうか。
アイナがいるために多少慎重になる必要はあるものの、それ以上でもそれ以下でもないのである。
故に、この状況で最も気にすべき相手も当然のようにアイナとなり……と、その瞬間、小さな音がソーマの耳に届く。
上方から降ってきたそれは笑い声であり、思わず視線を向ければ、そこにあったのは先ほどまで浮かんでいたものとは別種の、心の底から楽しげな笑みであった。
「くっくっくっ……妾を前にしながら、妾のことなどまるで気にせず、か。妾などどうとでもなる、とでも言いたげな態度よな。だがその傲岸不遜っぷり、さすがは魔王よ」
「ふむ……正直なところ、アレには傲岸不遜とか言われたくないのであるが……? アイナもそう思うであろう?」
「……あたしからすれば、どっちもどっちよ」
その声が本当に嫌そうだったからだろうか。
ツボにでも入ったのか、皇帝の笑い声が大きくなり、機嫌の良さそうな声が降ってくる。
「くはっはっはっ……! 妾と魔王が同格、か……うむ、他の何かとの比較であったら不敬だと言うところだが、世界に認められた魔王相手であれば致し方あるまい。むしろそれと並べるのだから、さすがは妾と言うべきであろうな……!」
皮肉などではなく、本気で喜んでいる様子の皇帝の様子に、思わずソーマはアイナと顔を見合わせる。
何と言うか――
「思ってたのと少し違うであるな」
「……よねえ。何となく、もっとこう、人の話とかまったく聞かないイメージだったんだけど……」
今も人の話を聞いているのかは若干怪しいが、想像していたのはもっと理不尽な姿であった。
少なくとも、こんな機嫌良さそうな姿を見せるとは想像出来ておらず、戸惑いがちにその姿を眺める。
敵対するのならば討ち滅ぼすだけなのだが、どうすればいいのかいまいち判断が付かなかった。
「ふむ……ところで、先ほどから声は聞こえるものの、顔がまったく見えんな。恐れ多すぎて妾の方を見れないという気持ちは分かるが、なに、今の妾は機嫌が良い。そこの者よ、こちらを向き顔を見せるがいい。妾の顔を見ることを他ならぬ妾が許そう!」
「……アレってあたしに言ってるのよね?」
「我輩普通に顔見てるであるしな。とりあえず、本当に機嫌は良さそうであるし、その通りにしてやったらどうである?」
「……そうね。まあ、変に機嫌損なってもアレだし、顔見せる程度どうってことないもの」
口ではそう言っているものの、顔は明らかに強張っているし、握った手はそのままだ。
しかしだからこそ、安心させるように少しだけ力を込めれば、その強張りも少しずつ解けていく。
やがて一つ息を吐き出すと、それで覚悟が決まったのか、そのまま後方へと振り返った。
そうしてアイナの顔を、皇帝が確認し……だが機嫌の良さそうだった顔が、途端に曇る。
何か気に入らないことでもあったのかと、咄嗟に警戒し――
「共にいるのであるから恋仲かと思いきや、使用人であったか。魔王と恋仲にあるのならば相応の覚悟もあるだろうと思ったのだが……巻き込んですまなんだ」
そう言って頭を下げた皇帝の姿に、ソーマはアイナと揃って目を数度瞬いた。
意外すぎる光景だったからだ。
今代の皇帝に関しては、サティアの授業でもたまに触れられている。
曰く傲岸不遜にして唯我独尊。
他人に頭を下げるなど有り得ない、自分大好き人間という話だった気がするが……もしかしてアレは皇帝ではなかったりするのだろうか?
不意にそんな疑問が首をもたげてしまう程度には、その姿は意外すぎるものであり、少なくともその謝罪には誠意が感じられた。
だからだろうか。
「……別にいいわよ。あんたの言う通り、確かにこいつに巻き込まれるかもしれないって覚悟はあったし。むしろ謝られる謂れの方がないわ」
アイナがそんな、する必要もないフォローをしたのは、きっとそのせいだ。
そしてその言葉に顔を上げた皇帝は、一瞬きょとんとした顔をしたものの、直後に破顔した。
「……なるほど、良い忠誠心を持っている良い使用人だ」
ただ、敢えて使用人のところを否定しなかったせいで、アイナがすごいよく出来た使用人、みたいな感じになってしまっているが……まあ、今更否定する方がアレだろう。
アイナ本人も否定するタイミングを逃してしまったのか、どうしよう、みたいな若干戸惑った雰囲気を出しているものの、ここはもう諦めるしかあるまい。
「ふむ……それによく見たら、強気そうな顔をしているな。いや、実際今の発言もそうであったか。主を主とも思っていないような言葉。なのに従順そうな服を着せ、心の底では従順でもある。そんな使用人を傍らに侍るとは……魔王、其方中々良い趣味をしているな。率直に言って羨ましいぞ……!」
その言葉は先ほどの謝罪同様本気のものであるように聞こえた。
いや、むしろ謝罪の時よりも真剣さは上だったかもしれない。
何せ目がマジだ。
故にソーマはそんな皇帝の目を見つめ返し――
「うむ……で、あろう? この服そのものもよく似合ってるであるしな」
「ちょっ、ソーマ……!?」
「ぬぅ……自慢か其方……!? そして確かに服そのものも似合っている……! 本気で羨ましいぞ……!?」
何やらアイナが隣で驚愕とも悲鳴ともつかないような声を上げていたが、自慢げに告げてやると、皇帝は割と本気で悔しそうに顔を歪めた。
この皇帝が本当に本人であるというのならば……実は皇帝とは結構面白い人物なのかもしれない。
と、アイナから非難するような目を向けられながら、そんなことを考えていたソーマであるが、そこでふとあることを思い出した。
「ふむ……ところで、アイナ自慢はまた後でするとしてであるな」
「しなくていいわよ……!」
「するとして、であるな。そういえば、結局貴様は何のために我輩をここに呼んだのである?」
そう、今更というか真っ先に確認すべきではあったのだが、そういえばそれを確認していなかったのだ。
いや、というよりも、敵対しているのは明らかなのだから、確認するまでもないと思っていた、というのが正確ではあるのだが……どうにもこの様子では違う可能性も出てきた。
だから確認することにしたと、そういうことである。
「む……そういえば、そうであったな。うむ、実は色々と考えていたのだが……止めた」
「……は?」
意味が分からず、思わず間抜けな声を返すも、皇帝は相変わらず腕を組みながら、一人何かを納得したように頷いていた。
うむ、その方がいいだとか、そうするべきだとか、そんな呟きは聞こえてはきたものの、何のことかはまるで分からず――
「まあ、とりあえずあれよ。妾はすこぶる機嫌が良いからな。折角なのだから、妾が皇都を案内してやろうではないか!」
しかし、どういうことかと聞き返す前に、皇帝はそんな言葉を声高に告げてきたのであった。




