次代の七天
ソーマと戦え、などという唐突なサティアの戯言によって移動することとなった場所を眺めながら、ヒルデガルドは息を一つ吐き出した。
そこの広さはヒルデガルド達が借りている部屋三つ分といったところだろうか。
基準とした部屋が大きいために、広さとしてはそれなりのものだ。
少なくとも普通の者が訓練するには十分な広さではあるだろう。
問題は、対峙している二人が双方共普通ではないということだが。
「……神殿の中に、こんな場所があったのじゃな」
「まあ、ずっと閉じこもってたらエレオノーラも気分が悪くなっちゃうし、身体が鈍らない程度には動く必要もあるからね。かといって、迂闊に出歩くわけにもいかないし」
「だからこんなものを神殿の中に作り上げた、と……随分贔屓しているのじゃな」
「ボクの大事な目であり手足だからね」
そう言って浮かべられた笑みを胡散臭そうに一瞥した後で、視線を上に向ける。
そこに広がっているのは、青く晴れ渡った空だ。
神殿の外に出ることなくこうした環境に身を置けるというのは、確かに優遇された扱いではあるのだろう。
ただし、本人がそれを望んでいるかはまた別の話であるが……と、そこまで考えたところで、肩をすくめた。
そういったことはヒルデガルドが考えてやるべきことではない。
むしろ今ヒルデガルドが考えなければならないのは、別の人物のことである。
「それにしても、随分と唐突だった気がするのじゃが?」
「そうかい? 仲間になるってことは、背中を預けるって事だよ? なら実力を知りたいと思うのは当然だと思うけど?」
「そうじゃな、それはその通りではあるのじゃ。それを口にするのが貴様でなければ、の話じゃがな」
この神は伊達や酔狂で七天などというものを決めているわけではないのだ。
詳しいことまでは聞いたことはないものの、それがこの世界のためであることは疑いようはない。
個人的に思うところはあれども、確かにコレが神であるのは間違いないのだ。
であればこそ、決めることの全てはこの世界のためであり、七天もその例外ではあるまい。
そしてアイナのことをその一つの後継候補者であり、可能性が高いとまで言い切ったのだ。
エレオノーラを使ったのか、他の手段を使ったのかは分からないが、アイナのことは相応に調べ上げているに違いない。
無論その戦闘力も、である。
こうして確認する理由などがあるわけもなく――
「とはいえ、何か考えはあるんじゃろうがな」
「おや、意外だね。てっきりもっと責められると思ったけど」
「ソーマが何も言わずに従っているんじゃぞ? 貴様が何かろくでもないことを考えていたら、今頃その首はすっ飛んでいたはずなのじゃ。あやつはつい我が嫉妬してしまう程度にはアイナに甘いのじゃからな」
「個人的にはキミは誰彼構わず嫉妬してるようなイメージがあるんだけど……まあ、ソーマ君がボクの身の潔白を証明してくれてっていうんならよかったよ。必要なら躊躇うつもりはないけど、出来れば余計な手間は省きたいし……何よりも、先入観はない方がいいからね」
ソーマが下したであろう判断は、おそらくアイナ含め自分達に害が発生しないだろうということであって、何も企んでいない、というものではない。
というかほぼ間違いなく何かを企んではいるのだろうが……やはりこれでも、一応神だ。
怪しげではあっても、こちらの益のないことは企むまい……多分。
まあ何かあったらその時はその時で考えればいいことではあるし、その時はそれこそソーマが容赦すまい。
ならば今ヒルデガルドがすべきことは、この状況を見守ることであった。
「……そういえば、こうやって向かい合うのは随分と久しぶり……というか、一対一でやり合うのは実は初めてであるか?」
「……そうね。学院でも実習とかで肩を並べて戦うってことはよくあったけど、訓練とかをしててもあんたと戦うことはなかったし、昔はちょくちょくあんたに魔法撃ってたけど、戦ってたわけじゃないものね」
投げ合う言葉はいつも通りの、気楽なものではあるが、雰囲気に関しては明らかに違うものであった。
サティアが望んだのは、あくまでもアイナの実力を測ることである。
勝敗に言及はしていないし、それどころかどの程度までやるのか、といったところすら指定してはいない。
だが二人は既に、そんなことは気にしていないようだ。
……こうしてこういった場面を眺めていると、よく分かる。
ソーマはよく、既に剣の頂に至ったために戦いなどには拘っていないなどと嘯くものの……ソーマの本質はやはり戦うものであり、歩み求めるものなのだ。
戦うとなれば手を抜くことはなく、また諦めることもない。
口では何とでも言い、ただの負けず嫌いなどと言う時もあれど、その目は常に勝利へと向いている。
そして何よりも……ソーマにとってそれは、楽しいものなのだ。
口元に浮かんでいる笑みが、それを証明している。
無論、魔法を望み、求めているというのも真実ではあるのだろう。
しかしそれはそれとして、ソーマは未だに剣の道を歩んでもいるのである。
無意識に、あるいは、既に自分の一部としてそこにあるのだ。
でなければ十五にして前世の全盛期に並ぶことなど出来るわけがないし……何よりも、剣の頂などに辿り着く事が出来るわけがないのである。
アイナはそれとは違うが、口元に笑みが浮かんでいるのは、きっと単純に嬉しいのだろう。
ソーマと戦える事が……ソーマに、自分の力を示せるのが。
自分はここまで出来るようになったのだと示す事が出来る。
普段であればそうそう出来る事ではないが、何せ神がお膳立てしてくれたのだ。
ならば乗らない手はあるまい。
ヒルデガルドがそんな風にアイナの気持ちが分かるのは、単に自分だったらそう思うだろうと共感出来るからだ。
だから正直なところ、とても羨ましい。
代われるものならば代わりたいものだ。
「駄目だよ? これはあくまでアイナちゃんの力試しなんだから」
「分かっているのじゃ」
分かってはいるが……だからといって、羨ましいという気持ちが治まるわけではないのだ。
嫉妬にも似た目で二人を見つめ……やがて、互いの準備が整う。
模擬戦ではないため、審判はいない。
開始の合図もない。
そこにあるのは戦うものが二人と、見守るものが二人だけ。
ピーヒョロと、名も知らぬ鳥が四角く切り取られた空に姿を見せ、次の瞬間、二人は激突した。
激突とは言ったものの、厳密には目に見えて激しい何かが生じたわけではない。
行動で言えば、アイナは左腕を持ち上げ前に突き出しただけで、ソーマは腕を振るっただけだ。
だがその光景を目にしていたサティアは目を細め、感心したように呟く。
「へえ……。これはキミ達の教育がいいのか、それとも彼女の才能が凄いのか……どっちなんだろうね?」
「無論我達の教育の成果なのじゃ……と言いたいところじゃが、まあ、よくて半々といったところじゃろうな。あとは、環境の要因も関係しているじゃろうしな」
「環境……同期と師の存在、ってことだね」
「師に関しては、本人にその自覚があるのかは不明じゃがな」
「まったく贅沢なものだよね……希少なはずの特級スキル持ちを友人に持ち、さらに七天直々から教えてもらえるなんて」
「アレは教えてるっていうか勝手にぶっ放してるだけだった気もするのじゃがな……」
ヒルデガルド達がそんなことを言い合っている間も、ソーマ達の様子は変わらない。
アイナは左腕を突き出した格好のままで、ソーマはその場で腕を振るっているだけだ。
見る者次第では退屈とすら思うだろう光景がそこでは展開されていた。
しかしそう見えるのは、あの二人だからである。
仮にどちらかを別の誰かと入れ替えれば、その場ではまったく異なる光景が繰り広げられているはずだ。
たとえば、ソーマの代わりに剣術の上級スキル持ちを置いたら一瞬で火達磨が出来上がるだろうし、あるいは練度次第では特級スキル持ちだろうと同じことが起こるかもしれない。
逆にアイナの代わりに魔導スキルの上級、もしくは練度の低い特級スキル持ちを置けば、一瞬でその場にくずおれて終わりだろう。
要するに、双方共に相当高度なことをやっている、ということであった。
特にアイナのやっていることは、ヒルデガルドでさえ思わず目を見張るほどだ。
アイナは一見同じ格好のまままったく動いていないようにも見えるが、よくよく眺めてみればそうではないのが分かる。
だらりと垂れ下がっている右手の指は忙しなく、不規則に動かしているだけにも、何らかの文様を描いているようにも見える動きをしているし、その口元も早口で何かを呟いているかのように動いていた。
ただしそれは、ソーマが腕を振るい、時折その周囲に火花が散っているのとは無関係だ。
「完全に無詠唱で攻撃を行いつつ、並列して別の魔法を組み立てる、か。しかも攻撃は攻撃で単一の魔法を放ってるってだけじゃなさそうだね?」
「まあ、少なくとも透明化含めた、攻撃を察知させないための各種妨害用の魔法も同時に使ってはいるじゃろうな。単純に無詠唱の魔法を使った程度では次の瞬間にソーマに切り伏せられてるじゃろうし。さらにはそれに加えて、敢えて魔法を完成させる際に指向性の制御を抜いているみたいじゃな」
軽く言ってはいるものの、実際のところ魔法を無詠唱で使用するというのは相当に高度な技能を要求されるものだ。
特級の特権とまで言われる程度には、普通に用いることの出来ることではない。
ただ、それだけと言ってしまえばそれだけの話でもある。
何でも無詠唱で放てるわけではない以上は、上級スキル持ち程度までならばともかく、特級スキル持ち相手には足止めが精一杯といったところでしかないのだ。
そしてそれ以上であるソーマ相手には、本来は足止めにすらなりはしない。
だが現に足止めに成功しているのは、アイナは単純に無詠唱の魔法を放っているわけではないからだ。
最低でも五つほどの無詠唱魔法を並列で起動させ、攻撃するタイミングをソーマに察知させにくくしている。
それによって稼げるのは、コンマ一秒以下のほんの短い時間だろう。
しかしこのレベルの戦いにおいて、その時間は何よりも貴重なのである。
その時間が稼げていなければ、アイナはとうにその場に倒れ伏していたはずだ。
僅かであろうとも、時間が稼げるのであれば、あとはそれを重ねていくだけである。
口で言うほど易い行動ではないが、それを果たせているからこその膠着状態なのだ。
とはいえ、勿論そんなことを続けていたところで、勝ち目はない。
アイナのやっていることは、言ってしまえば無茶だ。
そうしなければソーマの相手などは務まらないからこそ、強引に帳尻を合わせているに過ぎない。
代わりに体力と精神力がガリガリと削られ、その天秤が傾ききるのはそう遠くはないだろう。
だからこそ、アイナはもう一つ仕掛けているのだ。
音として認識出来ないほどの高速詠唱と、指を使用しての複雑な魔方陣の空中描画。
上級スキル程度ではどちらか一つだけでも実現不可能なことを、アイナは並列で実行しながら、一つの魔法を組上げていく。
それはアイナのこれまでの修練の結果であり、だが同時に本来のアイナでは未だ不可能なことでもある。
ただでさえ特級でなければ不可能と言われている無詠唱の魔法を幾つも同時に並列で使用しているのだ。
如何なアイナの才能がずば抜け、それに相応しい修練を積んだとは言っても、限度というものがある。
その不可能を可能に落とし込んでいるのが、あの左手であった。
本来無詠唱の魔法とは、その時点で全てが完結している。
どの対象に向けてどのような効果の魔法を放つのかを、無意識の中で全て組み上げた後で実行するからだ。
しかし無意識であるがゆえに、その部分の処理に割く思考は確実に奪われてしまう。
だからアイナは、その部分を切り離したのだ。
対象を確定しないままに魔法を組み上げたのである。
そうすることで処理に必要な思考は減り、その分の処理能力を他に回すことで何とかアイナは現状を可能としているのだ。
無論そのままでは、組み上げられた魔法は暴発するだけだ。
放つべき対象が存在しないのだから当然であり、その補助を行っているのがあの左手なのである。
本来無詠唱であれば、指向性を示す必要はない。
速度と共にどこにどう魔法が飛んでくるのかが分からない、というのが無詠唱魔法の利点だからだ。
だがソーマにその利点は意味がないことを理解しているからこそ、ああして処理能力を確保することを優先しているに違いない。
「とはいえ普通の発想では出てこないものだし、何よりも恐ろしいのはそれを実現出来るってことだよね。アレって普段から練習してたとか?」
「であれば、ソーマの口元はもう少し引き締まっていたであろうな」
「なるほど……今思いついたのか、それとも以前から思いついてこっそり練習してたのかは分からないけど……まあ、どっちにしろ大差ないかな。発想が出てくる出てこない以前に、普通では練習した程度で出来ることじゃないし。うん……さすがだし、そうでなくちゃ、だね」
楽しげな笑みを向けるサティアにヒルデガルドは胡散臭げな視線を向けるも、すぐに二人の方へと視線を戻した。
何か企んでいるのならば後で追求すればいい話であるし、向こうの決着が近そうだったからだ。
先に述べた通り、現状はアイナが強引に成り立たせているに過ぎないのだ。
ほんの何かが少しずれるだけでも、均衡は一瞬にして崩れる。
たとえば、今アイナが組み上げている魔法が完成した瞬間にでも、だ。
そしてそうなれば、決着は一瞬で付く。
再び同じ状況をアイナは作り出せないだろうし、ソーマもそれはさせないだろうからだ。
つまり勝負は、アイナの組み上げている魔法次第である。
アレが放たれ、ソーマが捌ききれないか、あるいはそれでも捌ききるか。
ソーマが本当の意味で本気を出していれば難なく捌けるだろうが、それを言ってしまったら最初からこの膠着状態は成り立たない。
これはあくまでもアイナの力試しなのだ。
ソーマは力を制限しており、だがそれは、これで十分だとソーマが見込んだ制限でもある。
ならばそれを超えることが出来れば、この勝負はアイナの勝ちで間違いあるまい。
そこに意味があるのか、などという問いは無粋そのものだ。
確かに大半の者にとっては意味などないのかもしれないが……少なくともあの二人の間には、ある。
その結末を見届けるために、ヒルデガルドは目を細め――ついに、アイナの口と右手の動きが止まった。
刹那の静寂。
全ての動きがほんの一瞬だけ止まり、静寂を打ち破るかの如く、アイナの口が再び開き――
「――す」
一音。
それが全てであった。
それで全ては終わった。
次の瞬間にはゆっくりとアイナの身体が傾き始め、その眼前にはソーマの姿があったからである。
ソーマの腕が振り切られた状態であることを考えれば、何があったのかを語る必要はあるまい。
アイナの手足から力が抜けていき……それでも、その口が開く。
「……ったく、もう。確かにほんの一瞬だけ集中力が途切れたのは自覚してたけど……それが致命傷に繋がるなんて、本当にあんたは相変わらずよね」
「いや、一瞬の隙が勝敗に繋がるなど当然のことであろう? このレベルの戦いであれば尚更である。まあそれでも、ここまで出来るようになっているとは、正直驚いたであるがな」
「……ふんっ。結局本命の魔法を放つことすら出来なかったんだから、そんなことを言われても嬉しくも何ともないわよ」
その言葉は本音に違いないのだろうが……同時に、全てが本当ではないのだろう。
口元に浮かぶ小さな笑みと、悔しげに細められた目が、アイナの心情を代弁していた。
「あーあ……あたしもまだまだ全然駄目ってことね……」
溜息と共にその場にくずおれていくアイナを眺めながら、ヒルデガルドはふと思う。
果たしてあそこに立っていたのが自分であったのならば、ここまでの勝負は出来ただろうか。
あんな言葉をソーマからかけられただろうか。
全ては仮定の話で、考えても意味がないことなど分かってはいたが……色々な意味での羨望をその瞳に宿しながら、ヒルデガルドは一つ溜息を吐き出したのであった。




