元最強、感心する
「えっと……その……?」
戸惑ったようなアイナの声が、その場に響いた。
いや、実際にも戸惑っているのだろうことは、その顔を見るだけでも明らかだ。
助けを求めるような目までを向けられ、だがソーマはそっと目を逸らす。
ソーマにはどうすることも出来ないことであった。
「くっ……すまんのである、アイナ。不甲斐ない我輩を許してくれとは言わんのである。だがせめて、強く生きることを祈るぐらいのことは……!」
「ちょっと、変な小芝居やめなさいよ……! まるであたしがこれから変な目に遭うみたいでしょ……!?」
「まあ確かに、そうじゃな。既に変な目には遭っているわけじゃしな」
「変だなんて、嫌ですわ。アイナさんに失礼ではありませんの。どこからどう見ても可愛らしいと思いますわよ?」
「変というのはそこにかかっているわけではないのじゃが……?」
「ふむ……まあ確かに、変というよりかは可愛らしいと我輩も思うであるがな」
「かっ、かわっ……!? ちょっ、ちょっとあんた唐突に何変なこと言ってんのよ……!?」
「うん? いや、別に変なことは言っていないと思うであるが? ただ見たままの感想を言っただけであって……」
「あー! もう分かった、分かったわよ……! だからもう何も言わずに黙ってなさい……!」
正直に言っただけなのに随分と理不尽ではあったが、黙れと言われたのならば黙るしかあるまい。
仕方なくソーマは黙って、アイナの全身を眺めることにした。
今のアイナの格好は、いつものそれとは異なるものだ。
それを珍しいと思うのは、この世界の感性にすっかり馴染んだ証拠といったところか。
もっとも、十五年も経っていれば当たり前かもしれないが。
基本的に大量生産品の服というものが存在しないこの世界では、大体常に似たような服を着ることが多い。
季節が違っても着脱する部位が増減するだけであり、根底にある服のデザインというのは変わらないのだ。
成長に合わせて服を変えていくとなっても、元となった服をそのまま大きくしていく、といった感じであり、見た目は子供の頃から大差ない、といった状態になることが多いのである。
もっとも、それは単にラディウスが小国の貧乏国家だったからなのかもしれないが、少なくともソーマの常識からするとそんな感じだ。
唯一の例外が、学院だろうか。
学院には制服が存在しているため、さすがにその間は専用の服を着るようになる。
だがそれも言ってしまえば、学院に通っていた期間はずっと同じ服を着ていたということだ。
服装に違いがないという意味では同じである。
しかし今アイナが着ている服は、それまでに着ていたものでなければ、学院の制服でもない。
ある意味では未知の服であり――
「……ふむ」
「ちょっ……ちょっと、何よ……?」
「…………ふむ」
「だから何よ……!? せめて何か言いなさいよ……!」
「いや、黙ってろって言われたから黙っていたのであるが? まあ敢えて言うならば、アイナもしっかり成長していたのであるなぁ、と感心していたわけであるが」
「っ……! せ、成長って……当たり前でしょ……!? っていうか、何処見てんのよ、変態……!」
「今言われなき中傷を受けた気がするのであるが……?」
頬を赤く染め、胸元を掻き抱いたアイナに、肩をすくめる。
だが実際そんな目で見てはいないのだが、こうして眺めてみると本当に成長しているというのがよく分かるというのは事実だ。
かつては自分と同じ程度だった目線は随分と下になり、出るところは歳相応に出ている。
多少離れることはあっても、成長を実感するほど離れることがなかったためか、何となく改めて確認すると、確かにアイナが言ったように当たり前に成長していると感じるものであった。
とはいえ、そのために着ている服そのものは、多少アレではあるが。
「それにしても、よくこんな服がここにあったであるな? 神殿で着る者はいない気がするのであるが……?」
「確かに現時点で着る者はいません……いえ、いませんでしたけれど、着る方が現れるかもしれませんから、用意しておいたのですわ」
「随分と用意周到じゃな」
「っていうか、これ驚くぐらいピッタリなんだけど? それこそ、あたしが着ることを見越して用意しておいた、って言われても信じられるぐらいに」
「あら、そんなことはありませんわよ? たまたまですの、たまたま。偶然とは恐ろしいものですわね?」
「白々しくしか聞こえないんだけど……?」
「まあ、別に予め用意されていたものだったとしても良いではないであるか。結構似合ってるであるしな」
「に、にあっ……!? だ、だから余計なことは言わずに黙ってなさいって言ってるでしょ……!?」
「喋れと言ったり黙れと言ったり、まったくアイナは我侭であるなぁ……」
やれやれと言いつつ肩をすくめ、顔を赤く染めるアイナの姿を眺める。
そこに感心が混ざるのは、本当によくこんな服を用意していたものだと思ったからだ。
黒のワンピースに、フリルの付いた白いエプロンを組み合わせたエプロンドレス。
頭部には同じく白いフリルの付いたカチューシャが被せられているその姿は、紛れもなくメイドであった。
どう考えても神殿では使う用途のない服であり、本当に何らかの理由があって使うかもしれない、などと思っていたというのならば、果たしてどんな理由を想定していたというのか。
もっともおそらくは、ただのおふざけなのだろうが。
こういうことを考え付き、実行しそうな人物にも心当たりがあり……ただ、少し意外だったのは、実際に実行されたということか。
言ってしまえばこれは悪ふざけであり、エレオノーラがこういうことに乗るとはあまり思えなかったのだ。
しかし実際に実行されているということを考えれば、結構そういうことも好んでいる、ということなのかもしれない。
「……それにしても、ソーマさんは随分とじっくりあの服を見ていらっしゃいますわね?」
「確かにその通りじゃな……ソーマからすればそれほど珍しいものではないはずなのじゃが……」
「珍しいか否かは関係がなく、単純に好み、ということでしょうか……? ……あの服を着るだけで、ああやってソーマさんにじっくりと見ていただけ、しかも可愛いやら似合っているとまで言っていただける、と。……ちょっとわたくしがアレを着るのもありですわね」
「ないから黙って座っているのじゃ。というか貴様名目上とはいえここの主人じゃろうが。主人のくせに給仕の服を着ようとするとか頭沸いてるのじゃ?」
言い合っている二人を捨て置き、ソーマはさてと呟く。
出来ればこの二人は本当に放っておきたいところだが、生憎とここはソーマに宛がわれた部屋であるため、そういうわけにもいかなかった。
そう、アイナ達の話し合いは、とっくに終わっているのだ。
とはいえそうでもなければ、アイナがメイド服を着ているわけがあるまいが。
話し合いの途中でメイド服に着替えるなど、正気の沙汰ではあるまい。
ちなみに、では何故アイナがメイド服に着替えたのかと言えば、端的に言ってしまえばアイナもここでしばし世話になることが決まったからである。
……いや、これでは意味が分からないか。
まず、話し合いそのものは、アイナがディメントの立場を表明したところでほぼ終わった。
アイナの目的はそもそもそれだけであったし、エレオノーラにそれ以上話し合うことは今のところなかったからだ。
それでアイナの使者としての役割はそこで終わりを告げたわけだが、しかしそこでアイナは帰ることなく、協力する証としてここに残ると言ったのである。
無論残ろうとする理由はそれだけではないのだろうし、それはエレオノーラも分かっているに違いない。
でなければ、アイナが仲間という言葉を使った件については明日改めて話し合う、などとは言わなかったはずである。
そして明日は『授業』のある日だということを考えれば、その意味するところは明白だ。
まあ、ディメントの王である伊織について、エレオノーラがどうなのかは知らないが、少なくともサティアは面識があるというのである。
ならばその辺に関係して何かを考えているのだろう。
ともあれ、そうしてアイナがここに泊まること自体はスムーズに決まったのだが、その扱いが問題であった。
というよりも、問題とした、と言うべきだろうか。
アイナが。
最初はソーマ達と同じように普通に客人扱いしようとしたのだが、自分はそこまでされる立場の人間ではないと拒絶したのだ。
だがアイナの立場が何かと言えば、一国の王女であり、使者である。
たとえ国として認められておらずともそれは変わらず、むしろ粗末に扱う方が沽券に関わってしまう。
しかしアイナも譲らず……紆余曲折の末、アイナを一時的に給仕兼他国の使者として扱う、ということに決まったのである。
「……いや、やっぱ意味よく分からんであるな」
「何がよ?」
「どうしてこんなことになったのか、ということがである」
「あー……まああたしも思い返してみると途中どうしてこうなったんだろうと思うところはあるけど……個人的にそれなりに満足いく結果だしいいんじゃないの?」
「給仕として扱われる事が、であるか?」
「元々王女なんて柄じゃないもの。この方が気楽よ」
「ふむ……」
その言葉は無理していない、本心からのものであるように思えた。
ならば、ソーマがあれこれ口を出すべきではないに違いない。
「そうであるか……では我輩も精一杯世話されるとするであるかな」
「はい……? 何でそうなるのよ?」
「いやだってアイナはしばらく給仕をするのであろう? で、我輩は客人の立場である。我輩がアイナに世話されもてなされるのは当然であろう?」
「……確かにその通りではあるんだけど、なんか釈然としないわね」
「まあ我輩のことを世話しているうちにしっくりくるであろう。ではよろしく頼むであるぞ?」
「あんたねえ……朝早くから叩き起こしてやろうかしら……!?」
「ほぅ……? 出来るのならばやってみるがいいのである。言っておくであるが我輩の朝は早いであるぞ?」
「……あんた本当に早いのよねえ」
苦りきった表情でアイナが呟き、ソーマは肩をすくめる。
まあ、勿論本気で言っているわけではなく、ただの戯言だ。
アイナも分かった上でやっている、三文芝居である。
なのだが――
「なっ……考えてみたら、おはようからおやすみまで一緒が出来る、じゃと……!? なにそれずるい、我もやるのじゃ……!」
どうやら、馬鹿に飛び火したらしかった。
溜息を吐き出す。
「寝言は寝てから言うがいいのである」
「あら……ですが良い考えだとは思いますわ。ただしヒルデガルドさんはこの一帯に入れないようにしますけれど。給仕は一人いれば十分ですもの」
にこりとした笑みを浮かべながらのエレオノーラの言葉は、悪乗りした結果であることは明らかだ。
やはり結構こうしたやり取りは好きなのかもしれない。
目が若干笑っていないような気がするのは、きっと気のせいだろう。
「貴様……! 先ほどは自分が着てこようとしていたくせに何なのじゃ……!?」
「それを言ったらあなたはわたしくのことを頭沸いてるとかいった気がしますけれど? 頭沸いてるのはご自分の方だったのではありませんの?」
「我は別にここの主人ではないからいいのじゃ……!」
「ならばここでどうしようとも主人であるわたくしの勝手ですわね……?」
「何じゃと……!?」
「何ですの……!?」
また始まった、と肩をすくめ……アイナが何とも言えない表情を浮かべた。
「……さっきからずっと思ってたんだけど、あの二人って仲悪いの? それとも、良いの? 正直どっちにも見えるんだけど……」
「まあそれが正解なのではないのであるか?」
本気で仲が悪いのならばああして噛み付いたりはしないだろうし、逆もまたしかりだ。
友好の示し方は人それぞれ、ということなのだろう。
そんなことを考えながら、アイナと共に二人のやり取りを眺めつつ、ソーマは再度肩をすくめるのであった。




