元最強、状況を説明する
眼前まで歩いてきたアイナは、どうして怒っているのか分かっているわよね、とでも言わんばかりの様子でソーマのことを睨んでいた。
だが無論のことソーマはアイナの怒りの理由を分かっておらず、何なら心当たりすらない。
一応アイナが怒るような何かをやらかしただろうか、とは考えてはみるものの、もしそんなことがあればその時に怒られているはずだ。
かといって会っていない間に何かあっただろうかと考えるも、そもそもアイナと最後に会ってから一月も経ってはいないのである。
大したことをやった記憶もない以上は、やはり思い当たるようなことはなかった。
結論としては、特に怒られるようなことをした覚えはない、ということになり――
「というか、道端を歩いているだけで怒られるというのはさすがに少々理不尽すぎる気がするのであるが……?」
「はい……? あんた唐突に何言ってんのよ?」
それはこっちの台詞であった。
何故こんなところを歩いているのか、と叫んだのはアイナだ。
こちらに向けられる訝しげな視線に同じような目を返し、しかし直後に隣から呆れたような溜息が吐き出された。
「いや……こんなところ、というのは、聖都、という意味な気がするのじゃが? それならば貴様も心当たりがあるじゃろう?」
「む……? 聖都を歩いているだけで怒られる理由、であるか……? ……いや、特にないであるが?」
「貴様……それはさすがにアカンじゃろう。貴様は誰に一言もなくあそこから姿を消し、ここへとやってきたのじゃぞ? まさか忘れたわけではないじゃろうな?」
「無論覚えてはいるであるが……その件に関しては確か貴様が説明に行ったのではなかったであるか? すぐに戻ってきたであるから、どこまで説明したのかは知らんであるが」
「あー……確かに一度戻りはしたのじゃが、あれは我の勘違いを正しただけじゃぞ? 事情の説明はまったくしておらんのじゃ」
「それ怒られるべきは我輩ではなく貴様な気がするのであるが?」
確かにソーマは自分の現状を説明してはいないが、それはその暇がなかったからだ。
しかしヒルデガルドはその暇があったというのに説明しなかったというのである。
ならば怒られるべきはヒルデガルドの方だろう。
「いや、我もそんな暇はなかったのじゃぞ……!? 我がいない間に貴様がどんな目に遭わせられるかと思ったら、気が気ではなかったのじゃからな……!」
「実際には何も起こらなかったどころか何かが起こる気配すらなかった以上は、貴様の考えすぎ、というか最早被害妄想であるがな」
と、そんなことを言い合っていると、今度は前方から溜息を吐かれた。
視線を向けてみれば、気が付けばその目に怒りはなく、代わりとばかりに浮かんでいるのは呆れだ。
「はぁ……なんかもう、一気に馬鹿らしくなってきたわ。あんたは相変わらずみたいだし……というか、皇国に宣戦布告されたんじゃなかったの?」
「ふむ……? ああ……もしやこんなところを歩いている、というのはそういう意味であるか?」
「今の状況でそれ以外の何があるっていうのよ?」
そう言ってジト目を向けられるも、肩をすくめる。
どうやら先ほどの言葉は、皇国に喧嘩を吹っかけられているというのに、なに暢気に街中を歩いているのか、という意味であったらしい。
言われてみればその通りではある。
皇国の本音がどうであれ、狙われているのは聖都ではなくソーマなのだ。
本来であれば用心して出歩かないべきだろう。
だが――
「街の様子に変化がない、ということは気になったではあるが、我輩がそもそも出歩かない、という発想にはまったく至らなかったであるなぁ」
それは紛うことなき本音であり、事実であった。
というか、自分で思いつかなかったどころか、周囲から言われたこともない。
ヒルデガルドも隣で、そういえばなどと言いつつ頷いていた。
「確かに、普通に考えれば貴様は狙われているわけなのじゃから、出歩くべきではないのじゃよな。本気で貴様を狙っているのならば、皇国の連中が紛れ込んでても不思議ではないわけじゃし。まあ、貴様相手にそんな手が通じるとは思わんのじゃし、無意識のうちにそう思っていたからこそ我もそんな発想には至らなかったのじゃろうが」
「……もう本当に馬鹿らしくなってくるわね。……まあ、別にあんたの様子を見るためだけにここに来たわけじゃないからいいんだけど」
「ふむ……だけではない、ということは、それも目的の一つ、ということであるよな? つまりアイナは、我輩のことを心配してわざわざ聖都にまで来てくれた、ということであるか?」
首を傾げながら問えば、アイナはそっと視線をそらした。
その頬が僅かに赤く染まっているように見えるのは、気のせいではあるまい。
「……そういえば、今更と言えば今更なんだけど、皇国が言ってる真なる魔王だとかいうのってあんたのことでいいのよね?」
「さすがにその話題の転換の仕方は無理があると思うのであるが?」
「まあ確かに露骨な話題のそらし方だったのじゃが、貴様も容赦ないのじゃな。そこは黙って乗ってやってもよかったじゃろうに」
「いいのよね……!? っていうか他にも用事はあるって言ってんでしょ……!?」
「いや、他にも用件はあるのかもしれんであるが、それでも我輩のことを心配してくれたというのも事実なのであろう? ならばそれは悪い気はしないのである」
「っ……あんたはもう本当に……!」
そう言ってアイナは睨んでくるも、さらに赤く染まった頬のままでは迫力に欠けている。
そもそも本音を言っているだけなので、睨まれる筋合いはない。
肩をすくめ……ふと隣から感じる視線に、顔だけを向けた。
「どうかしたであるか?」
「むぅ……どうしたかも何も、以前から思っていたのじゃが、貴様明らかに我とアイナとでは態度が違うと思うのじゃが? むしろ我だけに態度違いすぎじゃろう」
「気のせいではないであるか?」
「絶対気のせいではないのじゃ……! 貴様我が今のアイナと同じ台詞を口にしたら絶対違う反応したじゃろう……!?」
「ふむ……確かにそうであろうな。だがそれは貴様を特別扱いしている、ということであるぞ?」
「……む? ……特別扱いなのじゃ? ……我が?」
「そうである」
「……なら何の問題もないのじゃな!」
「傍から聞いてる分には問題しかないようにしか思えないんだけど……まあ、本人が納得しているのなら口を挟むことじゃないわね。それより、さっきの質問に答えてもらってないんだけど?」
「さっきの質問……?」
と、首を傾げるも、すぐに何のことだったのかに思い至る。
皇国が狙っているのがソーマなのか、といったものだろう。
確かに、まだ答えてはいなかった。
「ああ、そうであるな、おそらく我輩で間違いないであろう」
「おそらく……?」
「皇国から名指しで指名されたわけではないであるからな。色々な事情から考えれば、まず間違いないとは思うであるが」
「ああ、そういうことね。……その色々な事情ってのも気にはなるけど、まずはこっちのやるべきことが先かしらね」
「やるべきこと、であるか?」
「そういえば、何か用事があってここに来たのじゃったな。ということは、ラディウスで何か……いや、何かあったにしても、ラディウスではなさそうじゃな」
「で、あろうな」
ヒルデガルドの言葉にソーマが頷いたのは、何か知っているからではなく、今ソーマ達がいる場所が理由であった。
いや、より正確には、アイナがやって来た方角、と言うべきか。
以前にも述べたことだが、ソーマが聖都にやってきた時には西側の門を使用している。
即ち、聖都から見てラディウスは西に位置しているし、ラディウスから聖都に来ようと思えば、やはり西門から来ることになるだろう。
だがアイナがやってきたのは、北側からだったのだ。
無論、ラディウスから北方面に一度抜けて、そこから聖都へ向かうという道もないではないが、それでは随分と遠回りになってしまう。
それよりも……特にアイナだということを考えれば、別の可能性の方を考えるべきだ。
つまりは、ラディウス以外の国からやってきた、という可能性であり――
「……相変わらず鋭いわね。まあ、別に隠すようなことでもなければ、隠すつもりはなかったからいいんだけど」
「ふむ、ということはやはり――」
「――ええ。あたしはラディウスからではなく、ディメント王国の使者として、聖都に来たのよ」
そう言ってアイナは、肩をすくめてみせたのであった。




