元最強、宣戦布告を受ける
あっさりと解決したように見える今回の一件だが、むしろ大変だったのは悪魔達を倒してからの方であった。
どうやら悪魔達は村人達の掌握そのものは大分早期に終わらせていたらしく、村人達の間からは二年近い記憶が失われてしまっていたからである。
村人達全員だということで互いの記憶に齟齬はないものの、全員が大人だったわけではない。
中には子供などもおり、そして子供の二年というのは人によっては外見にかなりの変化を与える。
何よりも彼らは、気が付けば全員が外で倒れていたのだ。
そんな状態ともなれば、混乱しないわけがなかった。
それでもその混乱が最低限で済んだのは、イングリッドがいたからである。
村人達がイングリッドに見せていた態度は彼ら自身のものを正確に模倣したものであったらしく、イングリッドが取り成すことで彼らは比較的早期に落ち着くことが出来たのだ。
まあそのイングリッドはイングリッドで、自分に悪魔が憑いていたことに気付けなかったことや、悪魔の策略に呆気なくはまり乗っ取られてしまったことを気にしていたようだが……その辺の切り替えはさすがといったところか。
自分の記憶と村人達の態度が異なるのは悪魔のせいだとすぐに理解したようだし、エレオノーラから頼りにしていると言わしめたのは伊達ではないということだろう。
もっとも、自分の力に自信がないのはどうやら素のようであるようだが……ともあれ。
そうして村人達を混乱から立ち直らせることは出来たものの、他にもやるべきことは山ほどある。
村人同士では問題ないとはいえ、二年間の空白が存在するのは事実であり、何よりも聖都のすぐ傍と言っていいだろう場所に悪魔が堂々と潜んでいたのだ。
前者に関してはソーマ達とそれほど関係のあることではないが、少なくとも後者に関する報告は急務である。
即座に報告に戻る必要があった。
とはいえ、実はそこのところに関して、ソーマ達の間では軽い紛糾が一度起こっている。
村人達はすぐにどうこうなるということもないだろうために報告を優先させるべきだと主張する側と、念のためにまだ村の様子を見るべきだと主張する側に分かれたのだ。
ちなみに、前者がイングリッドであり、後者がソーマとヒルデガルドである。
普通逆ではないかと思うが、だからこそではあったのだろう。
イングリッドは自責に加えて、関係者だからこそ贔屓するわけにはいかない、などということを考えていた節がある。
冷静になって考えれば、今はまだ村人達には実感がないものの、これから実感すると共に色々と大変なことになっていく、ということが分かったはずだが……まあ、何だかんだでイングリッドもまた、自らの身に起こったことの衝撃から完全に立ち直れたというわけではなかったに違いない。
尚、その件に関しては結局イングリッドが折れた……というか、折れさせた、と言うべきか。
こう言ってはなんだが、正直報告をするのにイングリッドは必要ないのである。
聖騎士であり正式な任務として受けたのはイングリッドではあるものの、そのイングリッドは間違いなく悪魔の影響下にあったのだ。
正確な報告を行うのには相応しくなく、むしろ万が一のことを考えればここで村人達と共にいるべきである。
そう告げれば、渋々とではあるがイングリッドは受け入れたのだ。
もっとも、それが詭弁というか、ただの建前でしかないことには、さすがにイングリッドも気付いただろう。
万が一のことなどと言い出すならば、それこそ本来ならば拘束しておくべきなのだ。
実質的には監視もなしで放っておくなど言語道断である。
しかしソーマ達はそんなことは必要ないということを分かっていたし、要するにそれはただの口実だ。
どう考えても村にはまだイングリッドが必要だったし……きっとイングリッドにもそれは必要であった。
ともあれ、そういったことにより聖都へはソーマとヒルデガルドのみが戻ることとなった、というわけである。
「――以上が、今回の件のおおよその顛末、といったところであるな」
と、そこまでを話し終えたところで、ソーマは前方へと視線を向けた。
そこにいるのはこの部屋の主であり、『ここ』の名目上の主――エレオノーラだ。
ソーマ達は既に聖都へと戻ってきているのであった。
色々あってあの村を後にしたのはそろそろ日暮れが迫ろうかという頃であったが、今はそれからさほど時間は経っていない。
ほぼ事情の説明に使った時間が経過しているだけであり――
「なるほど……お呼びしたわけでもないのにどうして、とは思いましたが、そういうことでしたの」
「その必要があったと思ったから使ったのであるが?」
「ええ、事情を知った今となってはわたくしもそう思いますわ。ですが、突然のことすぎて驚いたのも当然だと思いますの」
そう言ってエレオノーラは拗ねたような視線を向けてくるが、ソーマとしては肩をすくめるだけだ。
別に驚かせるつもりはなかったというか、こちらからは連絡を取る手段がなかったのだから仕方があるまい。
そもそも『アレ』を渡してきたのはエレオノーラだ。
文句を言うのならばあの時の自分に言ってもらいたいものである。
「ですから、別に文句を言いたいわけではありませんの。こうして役に立ったことを考えればむしろあの時のわたくしの判断を褒めたいぐらいですわ。ただ、それはそれとして驚いたというだけですの」
「まあ、別にそやつの味方をするわけではないのじゃが、驚いて当然じゃろうからな。我も今から帰るなどと言い出した時はどうするかと思ったのじゃ」
ソーマとしては当たり前の発想として出てきたことだったので、そんなことを言われても首を傾げるだけだ。
折角手元にあってそれに適した状況があるのだから、使うのが当然というものだろう。
そう、ソーマ達が既に聖都にいるのは、エレオノーラから渡されたあの魔導具を使用したからであった。
「まあ、言ったように文句はありませんし……それに、別の意味でもよかったかもしれませんの。正直お呼びしようか迷っていたところでしたもの」
「ふむ……? それはどういうことである?」
「――それはボクの方から説明させてもらうよ。キミ達の話を聞いて、大体の事情は把握出来たしね」
そんな言葉に視線を向ければ、そこにいたのはサティアであった。
それにソーマが驚きを覚えたのは、てっきりサティアはあそこの部屋から出てくることはないと思っていたからだ。
ここも同じ神殿の中ではあるが、あそこに比べれば大分一般の場所に近いし、他の者も出入りするだろう。
万が一のことを考えればここに来るべきではなく、またその必要もないはずであり――
「キミが何を考えているのかは大体予想が付くけれど、心配は無用だよ。誰かが来たら引っ込めばいいだけだからね」
「ふむ、汝らがそれでいいのであれば我輩も構わんのであるが……ところで、起きるのは明日という話だった気がするのであるが?」
「ボクもそのつもりだったんだけどね。良い気分で寝ていたところを叩き起こされてしまったのさ」
「……まるでわたくしが悪いかのような言い方はやめてもらえますの? 必要なことだったということは、サティア様も分かっているはずですわよね?」
「もちろんだよ。今のもただの冗談だしね」
「……そういう冗談は止めて欲しいですの」
まるっきりパワハラ的なやり取りであるが、さて神とその信徒との間にはパワハラというのは成立するのだろうか。
そんなことを考えながら眺めていれば、サティアがこちらに向けて肩をすくめた。
「まあつまり、面倒で厄介なことが起こってしまった、というわけさ。しかもおそらくは、キミ達が持って帰ってきてくれた情報とも関係はあるだろうね」
「つまりは、悪魔関係、ということであるか?」
「最終的にはそう言ってしまっていいとは思うのですが、そう断言してしまっていいかは何とも言えないところですの……」
「……? どういうことなのじゃ?」
「まあそれについて話す前に、まずはキミ達が持ち帰った情報について少し話そうか。そこからの方が繋がりがいいからね」
多少迂遠だとは思うものの、必要がなければそんなことはすまい。
特に問題がなかったので頷けば、サティアは少し考える素振りを見せた後で口を開いた。
「まずは、そうだね……ボクはキミに謝らなければならないだろう。ごめん、これは完全にボクのミスだ。そうだよね……魔王に認定されている時点で、注目していないわけがないんだ」
「ふむ……? どういうことなのである?」
「キミ達は今回の悪魔達の行動について、疑問に思ったんじゃないかな? 余りにもやっていたことが温すぎる、と」
それは確かにその通りではあった。
聖都のすぐ近くの村に潜みながら、悪魔達は結局ほとんど何もしていないような状態であったのだ。
ヒルデガルドと手分けしてみたところで何かをしていたような痕跡すら見つけることは出来なかったので、これはほぼ間違いない。
より詳しい調査を行なうのはこれからだが……きっとその結論が覆るようなことはないだろう。
「その理由が分かっている、と言うのであるか?」
「正確には判明したってことになるんだけど、まあそう言っても間違いではないだろうね。つまり、こういうことさ。今回のは……いや、おそらくは、ここ二年ほどの悪魔憑き騒ぎは、全てキミを試すために行われていた」
「ソーマを……? ……言われてみれば、確かに納得出来る話じゃな」
「そうであるか?」
「悪魔憑きに関しての問題は、二年の間ほとんど何も分かっていない状態だったのじゃぞ? それが貴様がイングリッドと遭遇してからは驚くほどの速度で事態が動いていたのじゃから、そう考えれば全てが繋がるのじゃ。何故イングリッドだけが乗っ取られていなかったのかと思っていたのじゃが、乗っ取れなかったとかいうのはおそらくブラフじゃな。最初から直感スキルを使用するつもりだったのじゃろう」
「うん、ボクもそれは同意見かな。何となくという感覚、ということにして、悪魔が指示を出していたんだろうね。というか、話によれば無意識のさらに下の方に潜り込んでいたみたいだから、結果的にそんな風に感じるようになっていたんだろう。随分と上手いこと考えられたものだよ」
「ふむ……だがそれには、イングリッドが直感スキルを持っている、ということを我輩達が知る必要があるであるよな? そうでなければ、何となくという言葉に従っていたかは疑問であるし。だというのに、本人もヒルデガルドに言われて初めて知ったようだったであるが?」
「それは単純に、向こうはヒルデガルドのことも知っていた、ってことなんだろうね。そしてキミと一緒にヒルデガルドが動くということも、おそらくは予想してた。ああ、それとついでになんだけど、実はボク達は彼女が直感スキルを持っていたってことを知ってたんだよね。ただ、余計な情報を与える事がどっちに働くか分からないからとりあえず様子を見てたんだけど」
そう言われると、納得であった。
信頼しているとはいえ、イングリッドの何となくという感覚をよく信じるものだとは思っていたのだが、直感スキルのことを知っていたのならばそれほど不思議ではないことだ。
「一応言っておきますけれど、イングリッドのことを信じて頼りにしていたというのはそれとは別のことですのよ? おそらくは直感スキルのことを知らなくとも対応はあまり変わらなかったと思いますの」
「ま、とはいえ多少の後押しになってたのも事実ではあるし、本当に上手い手だよ。要するにマッチポンプだったわけなんだから、そりゃ当たるわけだよね」
「あるいは、中には本当に直感スキルによって情報を得ていたものもあったのかもしれんのじゃがな」
「有り得そうであるな。その方がより曖昧に出来るであろうし」
「まあ、その辺に関してはイングリッドに後で詳しいことを聞くとして、だ……ここからがある意味本題かな? ボク達がどうしてそんな結論に至ったのかっていうことなんだけど……」
その言葉と共に、サティアの視線がエレオノーラへと向けられる。
するとエレオノーラは一枚の羊皮紙……いや、紙をどこかから取り出すと、それをソーマ達へと差し出してきた。
異様なほどに白いそれは、一目で見て高級品だと分かるものだ。
この世界では滅多に見れるはずのないもののはずであり……それを目にしたヒルデガルドが、何故か嫌そうな表情を浮かべた。
「……何やら見覚えがあるような紙なのじゃが?」
「一つ先に言っておきますけれど、これに関しては本当にわたくし達は何もしておりませんわよ?」
「多分だけど、これは暗にボクの行動も読まれてる、ってことを伝えたいんだろうね。まったく、これから色々と大変そうだよ……本当に、色々な意味で、ね」
そんなやりとりを聞きながら、受け取った紙に書かれていることを一通り眺め……ふむと、ソーマは頷く。
サティアへと視線を向ければ、肩をすくめられた。
端的に言ってしまうのであれば、それは皇国から送られてきたものであった。
この世界には、皇国と呼ばれる国は一つしか存在していない。
大陸中央部に存在している国がそれであるが、ソーマも皇国についてはそれほど知っているわけではなかった。
ただ、最も古く、また最も栄えているとも言われるほどの国だということぐらいは聞いた事があり……そういったこともあってか、世界中の国々に対してかなりの影響力を持っていたはずだ。
それこそ、聖都と同等か、それ以上だと言ってしまえるぐらいには。
そしてそんな皇国から、高級な紙を使って伝えられてきたことは、次の通りである。
皇国は今回、真の魔王とでも言うべき存在のことを捉え、それを聖都が匿っていることを知った。
故に皇国はその身柄の引渡しを聖都へと要求し――
「果たされない場合は武力行使も辞さない、じゃと……? これはもうほとんど宣戦布告な気がするのじゃが……?」
「実際そのつもりだろうしね。ボク達はソーマ君を渡すわけにはいかないし、となればもう衝突するのは避けられないってわけさ」
「ふむ……ちなみに、これに従って我輩が皇国に行ったらどうなるのである?」
「多分変わらないと思うよ? 何らかの難癖をつけてきて、結局は同じことをすると思う。彼らからすれば、ボクの存在は邪魔でしかないだろうし。そういうわけだから、ソーマ君がここを出て行ったとしても同じ……いや、その場合は宣戦布告の先が二つに増えるかな? おそらくは、これはボク達だけじゃなくて、キミにも向けたものだろうからね」
「皇国から宣戦布告を受けるとは、我輩も随分と偉くなったものであるな。……ところで、これは即ち、皇国には悪魔の手が入っている、ということであるよな?」
「だろうね。それっぽいことはボクも言ったと思うし予測出来ていたことではあるけど、まさかここまで動きが早いなんてなぁ……まずいね、完全に後手に回ってる。ただ、しばらくやることに変わりはないだろうけど……まあ、とりあえずは」
そこでサティアは言葉を区切ると、皮肉気な表情を浮かべた。
そして。
「おめでとう、ソーマ君。どうやらキミは、無事世界から脅威と認められたらしい」
「そうであるか……それは光栄なことであるな」
そのまま口を開かれ、放たれた言葉に、ソーマはそんな返答を行う。
そうして、どうやらこれは本格的に関わっていく以外の道はなさそうだと、遠ざかっていくばかりの自らの望みのことを思いながら、一つ大きな溜息を吐き出すのであった。




