悪魔と村人
どうしても何もあるまいと、それの姿を眺めながらヒルデガルドは溜息を吐き出した。
そもそもの話――
「それだけ悪魔の気配を漂わせておきながら、どうして気付かれないと思ったのである?」
「これだけ周囲に悪魔の気配に溢れていれば、とでも思ったのかもしれんのじゃが、貴様が最も悪魔の気配を色濃く漂わせているわけじゃしな」
アレでバレないと思っているなど、余程の間抜けか……あるいは、こちらが舐められているか、だ。
それに、仮に気配をもっと上手く隠せていたところで、きっと同じことだっただろう。
こうなるであろうことは予測出来ていたことだからだ。
まあもっとも、そのことにヒルデガルドが気付けたのはつい先ほどのことなので、あまり偉そうなことは言えないのだが。
「予測出来ていた、だと……? 馬鹿な、オレがいたのはこいつの無意識の底の底……聖女の『目』からすら逃れられる場所だ。分かるはずが……」
「分からなかったからこその、予測なのであろう? まあ、ほぼ確証に至ったのは先ほどの悪魔の資料を目にしたから、ではあるがな」
「二年以上前に書かれたもののはずなのに、妙に新しかったのじゃからな」
だからアレは、明らかに偽造されたものだ。
それに、あの地下室そのものも怪しい。
何となく、後から付け足されたような場所だったように見えたからだ。
などと言いつつも、ヒルデガルドがそれに気付けたのは逆算的にである。
ヒルデガルドがまずおかしいということに気付いたのは、先ほどソーマがここ二年の間に何か変わった事が起こっていないかということを村人達に尋ねて回っていた時のことだからだ。
そう、それまではヒルデガルドも何かがおかしいような、頭の隅に引っかかるようなものは覚えていたものの、具体的なことにまでは気付けていなかったのである。
それはソーマと情報の共有が出来ていなかったせいでもあるが……ソーマが共有しようとしなかったのは、おそらく最初からここに、あるいはイングリッドの中に悪魔が潜んでいる可能性というものを考えていたからなのだろう。
これまた改めて考えてみれば、ということなのだが、そう予測することは十分出来たはずだからだ。
悪魔が頻繁に出現するようになったその最初期。
他の場所では一体のみしか現れないのにも関わらず、ここにだけは二体現れているということ。
その事実から、実はここに現れたのは二体どころの話ではないのではないか、という推論に至るのは決して無理があることではあるまい。
そして――
「というか、ここの村人の全員が悪魔に憑かれているというのに、イングリッドだけ憑かれていないと考える方が不自然であろう? ま、とはいえだからこそそれについて確証が持てたのはつい先ほどのことなのではあるが」
「は、はははっ……! そうか……普通はそれらのことに気付けたとしてもそこまで至れはしねえと思うんだが、気付けたことも含めて、さすがは、ってところか? だがまあ、別に問題はねえな。オレの目的は、こうして既に果たせたんだからよ」
「ふむ、目的は果たせた……つまり貴様の目的は、イングリッドの身体を乗っ取ること、ということだった、ということであるか?」
「そういうことなのじゃろうな。どうやら完全に同化されてしまっているようなのじゃし」
悪魔は基本的に高次元の存在だ。
故にその気配を感じ取るのは難しくない。
高次元であるからこそ、この世界では浮いてしまうのである。
悪魔が人に取り憑くのも、半分程度はそれを回避するためだ。
取り憑いた人物の身体を完全に掌握し、同化してしまえば、悪魔としての気配は悪魔の力を使わなければ比較的容易に隠せるようになるからである。
村人のことについてヒルデガルド達がまったく気付けなかったのも、村人に憑いた悪魔達が完全にその身体を掌握しきった上で、自らの存在を隠し切っていたからだ。
普通はそうなる前の段階で気付かれるのだが……ここの村人全員が憑かれていたという、本来ならば有り得ないことが起こったことでそれが可能になってしまったのだろう。
しかもそれは随分と周到に、念入りにじっくり行われたはずである。
そうでなければ、さすがにエレオノーラが気付いたはずだからだ。
ヒルデガルドは彼女が何であるのかをよく知っている。
世界を見渡すもの、あるいは人類を観察するもの。
スターゲイザー。
その目は神の目であり世界の目であり、悪魔とは別種の世界の端末である。
かつてソーマに語ったことのある、ヒルデガルドが本気を出しても見逃す可能性のある存在の片割れだ。
どうやら若干その役割というか在り方は変化しているようだが、そんな存在が本気を出せば、その『目』から逃れる術はほぼない。
だがあくまでもそれは本気を出せば、の話である。
余計なものを背負っている現在ではそこまでの万能性はないだろうし、慎重にやっていれば誤魔化すことも出来るはずだ。
その結果がこれだということである。
とはいえ、幾ら何でも自らの傍に悪魔がいればエレオノーラも気付いたはずだ。
だからイングリッドに憑いたアレは、自身で言っていたように無意識の底の底に潜んでいたのだろう。
それは実質的には憑いているとは言えない状況なはずだ。
身体を操るどころか悪魔としての能力もほとんど使う事が出来ないに違いない。
ゆえに、そんなことを敢えてすることに意味はないのだが……乗っ取ることを目的としていたということは、本意ではなかった、ということなのだろう。
「ったく、苦労したぜ。折角あんなもんまで用意したってのに、動揺はしつつも乗っ取れるほどじゃなかったからよ。だがさすがにテメエらが村人に襲われそうになってる、って絵面は衝撃的だったらしいな」
「その動揺に付け込んだ、というわけなのじゃな」
「ふむ、なるほど、あのタイミングで唐突に悪魔の気配が溢れたのもそういうわけだったのであるな」
あの時現れたイングリッドは、あの瞬間までは確実に本人だった。
だが次の瞬間唐突にその気配が切り替わったのである。
その時が乗っ取られ、完全に同化されてしまったタイミングだった、ということらしい。
「で、それは貴様を含めたこの悪魔達全員の目的だった、というわけでいいのであるか? この様子では、聖都の一件どころかここ最近頻発しているという悪魔の件とも関係がありそうではあるが」
「はっ……何でもお見通しってわけだな。そうだ、その通り……今までの全ては、ここに至るまでの計画だったってわけだ。まっ……正確には最後に一つ残ってるがな」
そう言うや否や、周囲で様子を伺っていた悪魔達が一斉に僅かずつ距離を詰めだした。
ジリジリと、包囲を縮めようとするかのような動きであり……それを眺めながら、ヒルデガルドは息を一つ吐き出す。
この場にいる悪魔達は、あのイングリッドに憑いている悪魔も含めて、正直大した存在ではない。
聖都で見たアレと同等か、むしろ劣るぐらいでしかないだろう。
イングリッドの動揺を突かなければ乗っ取れなかったのも、おそらくはその辺が原因だ。
何の力もない村人ならばともかく、イングリッドのようにある程度の力がある者にはそんな手を使わなければならない程度の悪魔だということである。
それでも、一人だけでも一般的には十分脅威であり、何よりも数が数だ。
一斉にかかられたら、ヒルデガルドでは五人程度を相手にするのが限度だろう。
そしてどう見ても、平和的に何かをしようとしている様子ではない。
とはいえ。
「ふむ……これはもう終わりにしてしまってもよさそうな感じであるかな? これ以上の何かはなさそうであるし」
「そうじゃな……まあ、問題はないじゃろう。そもそもどうしてこんなことを、などと問いかけたところでどうせ答えんじゃろうしな」
「で、あるな」
「はっ、随分と余裕ぶってんが、幾らテメエでも――」
それが何かを口にしようとした、その瞬間のことであった。
ヒルデガルドの目に映ったのは、ただの光だ。
一筋の光が周囲を走った、ということだけがヒルデガルドの認識出来た全てであり、そのことに溜息を吐き出す。
まったく――
「また剣閃が鋭くなってる気がするのじゃが?」
「そうであるか? これでようやく全盛期に追いつけたか否か、といったところだと思うのであるが……」
「それは我の言葉とまったく矛盾していないじゃろうが」
そもそももう全盛期に追いつけているとはどういうことなのか。
五年前と比べると多少は身体を動かすようにはなったようだが、それでもあの頃と比べると全然といったはずだ。
まあ、その辺も含めて、さすがといったところなのだろうが。
「…………馬鹿な」
それが呆然と呟いたのと、村人達が一斉にその場に倒れ伏したのは、ほぼ同時であった。
しかも村人達の身体からは、完全に悪魔の気配が消え去っている。
言うまでもないことだが、ヒルデガルドは何もしていない。
ソーマが今の一瞬で、悪魔だけを完全に斬り裂いてしまったのだ。
「相変わらずというか、さらに出鱈目っぷりに磨きがかかってるのじゃな」
「貴様に言われたくはないのであるがな」
「むしろ我だから言える気がするのじゃが?」
龍人として転生しておきながら、ヒルデガルドは人よりも多少強いと言える程度でしかない。
今のソーマと戦えば手も足も出ずに負けるだろう。
これを出鱈目と言わずして何と言えばいいのか。
と。
「く、はははっ……!」
それは片膝を着いてはいたものの、どうやらまだ消滅はしていないようであった。
何が面白いのか、イングリッドの姿で高笑いをするその姿を眺め、ヒルデガルドは目を細める。
「確かに少し遠くにはいたのじゃが……別に浅くはなかったのじゃよな?」
「確実に致命傷は与えたはずなのであるが……どうやら、他のに比べ少しだけしぶとかったみたいであるな」
ヒルデガルドの目にも、確かにそれが致命傷を負っているのは見えていた。
あれではどう足掻いても消滅は免れ得ないだろう。
だがその僅かな時間で、何か余計なことをしでかす可能性は有り得る。
ソーマがきっちり止めを刺すべく、腰の剣へと手を伸ばし――
「まさかここまでとはな……だがまあ、さすがは魔王ってところか? 世界から直々に自らを滅ぼすに足る存在だと認められただけはあるぜ。まあもっとも、そんなテメエも死ぬ……いや、殺されるんだがな。しかも、最愛のやつの手によって、な」
しかし、その言葉が聞こえた瞬間、振り抜かれるはずだったソーマの手が止まった。




