元最強、聖騎士の故郷に行くことになる
どうやらあの短剣のことをイングリッドは何か知っているらしい、ということを察するのはそれほど難しいことでもなかった。
その顔と様子を見れば、そうであることなど一目瞭然だったからだ。
だからその後に取った行動に関しても、予測通りではある。
無造作に短剣を拾う、というところこそ少々予想外ではあったものの、そのままエレオノーラのところに行こうとするのは道理だからだ。
証拠品となるかもしれないものを見つけたのである。
それを提出するためエレオノーラのところに行くのは不思議でも何でもなく……ただ。
そこで告げられた言葉に関しては、さすがに予想外であった。
「え……故郷に戻りたい、ですの?」
それはエレオノーラも同様であったらしく、告げられた言葉を鸚鵡返しにしながら驚きの表情を浮かべていた。
とはいえ、それも当然だろう。
イングリッドが告げた言葉というのは、今エレオノーラが口にした通りのこと――自分の故郷である村に今すぐ戻りたい、というものであったのだ。
今の状況は、ある種の非常事態である。
悪魔という存在が、聖都の街中に現れたのだ。
あの時は幸いにも周囲に人がいない状況ではあったが、次もそうだとは限らない。
そしてそれは、今この時に起こってもおかしくはないのだ。
今までは一月に一度程度でしか現れなかったらしいが、そもそも聖都には現れないということが既に破られているのである。
次は頻度が破られたところで、何の不思議もあるまい。
その事実を何処まで周知させているのかは分からないが、少なくともイングリッドはそれを目の前で見ている。
ならばおそらくは、最もその危険性を理解している一人のはずであり、そんな人物が何故か唐突に故郷に戻りたいなどと言い出したのだ。
そんなことが予測出来るわけがないだろう。
と、ソーマはそんな風に思ったのだが、実際にはエレオノーラが驚いた理由は少し違ったらしい。
そういった理由もなかったわけではないようだが、エレオノーラが真に驚いた理由は――
「驚きましたわね……聖都に来てから一度も故郷に戻ろうとしなかったあなたが故郷に戻ろうとするだなんて、一体どんな心境の変化があったんですの?」
「うん? 故郷に戻ろうとしなかった、であるか?」
「戻れなかった、のではなく、戻らなかった、という風に聞こえるのじゃな」
「そう言いましたもの。確かに聖騎士は忙しいですが、休みがないというわけではありませんのよ? 遠方から来ていらっしゃいます方もいますし、最低でも年に一度は帰省出来るようまとまった休みも与えるようにしていますの。ですが……」
イングリッドは今まで一度もそんなことをしたことがなかったらしい。
どころか、イングリッドは今までろくに休んだことすらなかったのだそうだ。
最近ではようやく休みを取るようになってきたが、それも本当にここ最近のことだという。
「……同僚は皆優秀な者達ばかりですから。未熟な私は慣れるのに精一杯で、休んでいる暇などなかったというだけです。それに、故郷に戻ろうとしなかったのは、単純に戻る理由がなかったからですよ」
「ということは、何か戻る理由が出来た、ということですの?」
「はい。今の状況は理解しているつもりです。ですが……いえ、だからこそ、私は故郷に一度戻らなければならない、と思っているのです」
「そうですの……まあ、休むようになったとはいえ、未だにあなたは働きすぎですし、あなたの故郷はここからそう遠くはありませんから、構わないと言えば構わないのですが……」
「そうなのであるか?」
「まあ、ここから馬でも使えば半日程度で着く程度の距離だからな」
「ふむ……」
田舎と言っていたのでもっと離れているのかと思っていたが、そうでもないらしい。
おそらくは控え目に言った、ということなのだろう。
本人は本当にそう思っているという可能性もあるが。
ともあれ、それならば確かに行き来するのはそう難しいことでもなさそうだ。
イングリッドが故郷で何をしようとしているのかにもよるが、往復の時間を考えても明日か、最悪でも明後日には何とかなるだろう。
あとは状況がそれを許すか次第だが――
「そしてここからが肝心なのですが……この二人――ソーマ殿とヒルデガルド殿も一緒に連れて行きたいのです」
その言葉にソーマ達が驚く事がなかったのは、それに関しては予測が出来ていたからだ。
イングリッドが何をしようとしているのか、詳しくどころかろくに聞いてもいないのだが、ここまでの流れを考えれば予測するのはそう難しいことでもあるまい。
それはエレオノーラも同様であったようで、驚きの代わりにその真意を探るように目を細めてイングリッドのことを見つめていた。
「……それはいつもの、何となく、ですの?」
「……そうですね。故郷に行こうと思ったのは別の理由によるものですが、二人を連れて行った方がいいと思ったのは何となくです」
「そうですの……」
そう言ってエレオノーラは、思考を整理するように瞼を閉じた。
だがすぐに開くと、その目をこちらへと向けてくる。
「とりあえず、あなたの帰省に関しては許可いたしますの。ただ、お二人のことに関しましてはお二人にお任せいたしますわ。わたくしはお二人の行動を縛る権利を持っていませんもの」
要するに、何かあってもその程度ならば何とかなるだろう、という結論に達したということらしい。
ソーマはヒルデガルドと顔を見合わせると、頷き合った。
「我輩は構わんであるぞ? というか、是非とも行ってみたいであるな」
「我もなのじゃ。色々な意味で興味深いのじゃからな」
「そうか……ありがとう、二人とも。ありがとうございます、エレオノーラ様」
「問題ありませんわ。わたくしはあなたのことを信頼していますもの」
「はっ……その信頼を裏切ることのないよう、精一杯精進したく存じます」
そう言って膝をつき、頭を下げると、イングリッドはゆっくりと立ち上がった。
それからその顔がこちらへと向けられる。
「ではすまないが、そういうことで頼む」
「了解したのであるが、今すぐというのは本当に今すぐであるか?」
「ああ。馬の準備などもあるため即座にというわけにはいかないが、なるべく早く発つつもりだ」
「そういえば、馬が必要なのじゃな……エレオノーラ?」
「ええ、お二人の分に関してはわたくしが用意いたしますわ」
「重ね重ねありがとうございます」
「どちらかと言えば我輩達が礼を言うべき場面のような気もするであるがな」
「私の我侭が理由なのだから、私が礼を言うべきで合っているさ。ともあれ、というわけで私はこれから準備にかかるから、二人も準備を頼む。準備が出来次第街の東門に集合ということにしたいが、それで構わないか?」
「問題ないのである」
「了解なのじゃ」
「では、その通りに」
言うや否や、イングリッドは部屋の主に失礼にならない程度の速度で、それでも急いで飛び出して行った。
ソーマ達もそれにならって部屋を出ようとし……しかしその前に呼び止められる。
「少々お待ちくださいの。おそらく大丈夫だと思っていますが、ソーマさんには念のためにこれをお渡ししておきますわ」
「ふむ? これは……魔導具であるか?」
言葉と共に机の上に出されたのは、真っ白い球体であった。
掌に乗る程度の大きさであり、一見するとガラスのようにも見えるが、どうやらそうではないようだ。
「ええ。転移用の魔導具ですの。砕いていただけましたら、一瞬でこの場に移動する事が出来ますわ」
「ここに、であるか……?」
今更ではあるが、ソーマ達がいるのはエレオノーラの自室兼、おそらくは執務室のような場所である。
半分公的半分私的だろうここに直接跳べてしまうというのは問題があるのではないだろうか。
「わたくしはあなたのことを信頼していますから問題ありませんの。それに、さすがに今回のことが終われば回収するつもりですもの。……使われる事がなければ、ですが」
「使う必要がある、と思っているのじゃ?」
「半々、といったところですの。どちらかと言えば、念のため、といった側面が強いですけれど」
「それは緊急避難用ではなく、『ココ』が危機に陥った場合のために、というものじゃろう? そもそもそれをどうやって伝えるのじゃ?」
「方法は秘密ですが、その手段はある、とは言っておきますの。おそらくその時には、イングリッドが伝えることになるとは思いますわ」
「ふむ、そうであるか……ああ、ところでそれで思い出したのであるが、ついでに一つだけ聞きたい事があったのである」
「何ですの?」
「汝はイングリッドのことを信頼しているのであるよな?」
それは今日ずっと感じていた疑問であった。
ただし、その疑問が向いている先は、イングリッドである。
「ええ、もちろんですの。少し頑張りすぎなところもありますが、そういったところも含めてとても信頼出来る娘だと思っていますわ。ですが、どうしてですの?」
「実はイングリッド本人が自分は役立たずで、だから基本二人一組の聖騎士の中で自分だけ一人で行動している、などと言っていたのである」
「……どうしてそんなことを言ったのでしょう? 少なくともわたくしは頼りにしていますし、一人での行動を許しているのもそれが理由ですの。それは以前にも本人に伝えたことですし、他の方々も納得していることですわ」
そう言ったエレオノーラは、本当に不思議そうに首を傾げている。
そしてソーマはそれに、そうだろうなと思った。
事実だけを見れば、間違いなく正しいのはエレオノーラの言っていることの方だからだ。
進言などに関してもそうだし、つい先ほどもソーマはその証拠となるものを目にしている。
ソーマ達がいたとはいえ、イングリッドは直接ここに通されたからだ。
エレオノーラに会いたいと告げると、あっさりとその要求が通ったのである。
聖騎士だとはいえ、相応に信頼されていなければありえることではあるまい。
「我もそれに関してはちと気になっていたのじゃ。最初は自分に自信がないのかと思っていたのじゃが、そうではないようなのじゃよな……」
「……その、図々しいとは思うのですけれど」
「まあ、少なくとも一日は共にいることになったわけであるしな。それとなく気にしてみるのである」
「……ありがとうございますわ」
「気にする必要はないのである。汝のためというよりは、純粋に我輩が気になるからであるしな」
言って肩をすくめながら、それに気になることは他にもあると、内心で呟く。
イングリッドはあの短剣のことを、結局エレオノーラに伝えることをしなかったのだ。
どう考えてもアレが今回帰省することを決めた原因だろうに、何故伝えなかったのか。
それと……ソーマはあの短剣に、見覚えがあるような気がしていた。
現実の何処かでではなく……夢の中で。
さてどういうことなのだろうかと思いながら、ソーマはイングリッドが出て行った扉を見つめ、目を細めるのであった。




