居なくなった少女
リナが屋敷に居ないことが屋敷の者達に知れ渡ったのは、それが発覚してから、一時間以上が経過してからのことであった。
それほどの時間がかかってしまった理由は、単純だ。
真っ先にそれを報告すべき人間――即ち、最初にそれに気付いた者が、報告しなかったからである。
「なるほど……つまりこういうことですね。ここ一月ほどの間、週に一度ほどあなたの授業をリナは欠席していた、と。でもその次の授業の時には戻っていたから問題ないと思っていた、と」
「は、はい……その通りです」
「そして今日も居ないことにはすぐに気付いたけれど、いつものことだと思ったから報告することはなかった、と」
「……そ、その通りです」
「これまでの間隔からいえば、本来それは明日だったはずなのに、ですか?」
「そ、それは……たまには、そんなこともあるかと……!」
「……はぁ。まあ、事情は分かりました。これ以上分かることはなさそうですし、下がって結構です」
「あ、あの……!」
「――聞こえなかったのかしら? 下がりなさい、と言ったのよ?」
「……は、はい」
そうして頭を下げ、去っていく女の顔は、気の毒なぐらい青ざめていた。
まあそうは言っても、本当に同情する気は欠片も起こらないが。
扉が閉まる音が聞こえるのに合わせ、カミラは溜息を吐き出した。
「……前々から思ってたことではあるんだが、何であんなの雇ったんだよ?」
「……私だって、正直雇いたくて雇ったわけじゃないわよ。でも仕方ないでしょう? あれでもまだマシな方だったのよ?」
「あれでか? ……まあ、確かに大分急な話だったわけだし、有能なやつらはとっくに他家が囲い込んでるか。というか、むしろ何でお前もとっとと囲い込まなかったんだよ?」
「だって本当ならソーマにそういうことを教えるのは今頃からの予定だったし……有能な人っていうのは、相応にお給金が高いのよ?」
「無駄飯ぐらいを置いとく余裕はないってか? ったく、公爵家だってのに世知辛い話だな」
「公爵家なんて言ったところで、所詮出来たばかりの小国のだもの。そんなものよ」
「そして一度雇った以上は、迂闊に辞めさせることも出来ない、か」
「ええ、本来ならば、ね。でも今回の件は、十分に過ぎるわ。……さて、どうしてくれましょうかしらね」
そう言って目を細めるソフィアに、カミラは肩をすくめる。
ならばとっととどうにかしてしまえばよかったものを、とは思うが、それを口に出すことはない。
言ったところで意味はないからだ。
それはあれの処分にしたところで、同じことである。
そもそもどうするとか言ったところで、多分実際にやるのはクビにする程度のことだろう。
それで十分だからである。
あの手のタイプは、自分が上に居るという自覚とプライドがあるからこそ、色々と余計なことが出来るのだ。
一度落ちたら、後は勝手に地獄へと向かっていくだけである。
それをわざわざ、こちらの手で楽にしてやる理由はない。
そしてそれに今は、そんなことを言っている場合でもなかった。
「とりあえず話を戻すが、今のところ分かってるのは、一時間以上前……いや、そろそろ二時間になるか。その時点で、リナが屋敷に居ることは確認できてないってことだ。飯の時にはいたんだよな?」
「ええ。私と一緒に食べたもの」
「ならその後、か。攫われたのか、自分で抜け出したのか……」
などとすっとぼけたことを言いながらも、カミラには予測は付いていた。
十中八九、抜け出した方だろう。
カミラが自分で調べたのだから、当然リナが気配遮断のスキルを持っていることは知っているし……何よりも、カミラはもう二つばかり、知っている事があった。
リナが毎週屋敷を抜け出していることと、その後何処に行っているのかを、だ。
まあソーマに聞いていたのだから、当然である。
とはいえそのことを、カミラはソフィアに報告していない。
職務怠慢と言えば職務怠慢だが、それを知ってしまえばソフィアはそれをどうにかしなければならなくなってしまうのだ。
そんな誰の得にもならないことをする趣味は、カミラにはないのである。
だがともあれそういうわけなので、ここは何とかしてそう判断した理由をでっち上げる必要があるだろう。
もっともそれも、それほど難しいことではなかったが。
「……まあ、抜け出した、って考える方が自然か」
「……そう思う根拠は?」
「お前が本気で結界を張ってるのに、侵入できるやつがいるわけないだろ?」
何せ人類最強と呼ばれているうちの一人が張ったものだ。
特級の魔法や剣技、あらゆるものを使ってすら突破は無理だろうし、そもそもやろうとすればその時点でバレバレである。
或いは特級の気配遮断を以ってすら、それは不可能かもしれない。
ただそれは完璧を誇るが故に、一つだけ欠陥があった。
その結界は外部からの攻撃、侵入を完璧に防ぐが、その分内側に関しては完全に無防備なのである。
一度中に入り込めてしまえば、気配遮断の下級でも持ってれば簡単に屋敷の中の全員を暗殺する事が可能だろう。
――ああ一人だけ例外が居たか、とそんなことを思ったカミラであるが、今は関係ないので脇に置いておく。
ともあれそんな弱点が存在する結界ではあるものの、基本的にそれが問題となることはない。
そのためにカミラが、この家に雇われているからだ。
「怪しい人が居れば、あなたがとっくに見つけている、ということね」
「そういうことだ」
別にカミラのスキル鑑定は、ソーマ達のためだけのものではないのである。
まあソフィアによれば半分ぐらいはそのためだったらしいが……それでも、残り半分が存在しているのだ。
即ち、この屋敷に雇われる人物、出入りする人物、その全てのスキルを、カミラが調べるためである。
そこで一つでも怪しいと思われるスキルが発見されれば、その人物は雇われることはないし出入りが許されることもない。
そして下級のスキルすらもないということは、一人前の技量すらないということだ。
その程度であれば、たとえ侵入されたところでどうとでも出来る。
まあ一人だけ不可能な人物が居ることをカミラは知っているが、それは所詮例外中の例外だし、何よりも身内なので考えないことにする。
ともあれそういったわけなので、この屋敷から人が消えるには、自分から外に出て行くしかないのである。
「そしてリナは、それに最適なスキルを持ってるしな」
「誰も見ていなくとも不思議はない、と。……まあ、やっぱりそういうことになるわよねえ。特にここ一月以上毎週ってことだし」
その程度のこと、ソフィアが気付いていないわけがない。
だからこれは、思考のすり合わせだ。
万が一にも間違っていないかという、その確認である。
勿論二人とも間違っている可能性はあるが、一人だけの考えで進めるよりは遥かに安全だろう。
「明日じゃなくて今日だったのは……何か理由があるのかしら?」
「あるのかもしれないし、ないのかもしれないし……さすがにそれは本人しかわからないな」
「じゃあそれは、保留としましょうか」
「ああ。で、あとは肝心の、どうして今日に限って戻ってこないのか、ってことだが……」
これもある意味、確認するまでもないことだろう。
何か不測の事態があった、ということだ。
「……とりあえずここまで確認が出来たってことで……どうすんだ?」
「そうね……お願いできるかしら?」
「……ま、そうなるだろうな。じゃなきゃ呼ばれてないだろうし」
「そんなことないわよ? どっちにしろ確認は必要だったもの」
「それで私が頼まれるってことも同じなんだろう? 違いがあるとすれば、個人か集団かってことだけだ。そして今回、集団での捜索は不可能……だろ?」
「……ええ。本当は私も、総出で探したいわ……でも……!」
何せ先ほどソフィアが自身で言った通り、この家は公爵家とはいえ、出来たばかりの小国のそれだ。
いや、むしろだからこそ、余計なスキャンダルを作ってしまえば、即座に様々なところから足を引っ張られる。
それは武力では解決できないことであり……だからそうなる前に、秘密裏に解決しなければならないのだ。
「分かってるっての。それが可能なら、そもそもお前はソーマの扱いを変えることすらしなかっただろ? あれもこれも、公爵家夫人としては正しい判断だ」
「けれど、親としては失格だわ」
「なら後で謝っとけ。その機会は、私が全力で作ってやる」
「うん……お願いね……」
「はっ、お前らの尻拭いするのなんざ毎度のことだろ? 今回もその一つになるだけだ」
不敵にそれだけを告げると、カミラはそのままその場を後にした。
不測の事態というのがどんなことであるにしろ、時間がかかればかかるほど手遅れになりかねない。
ならば急ぐに越したことはないのだ。
長い廊下を歩きながら、さてどうしたものかと考え――
「――ところで、探す当てはあるのであるか?」
「――っ!?」
瞬間悲鳴を上げなかったのは大したものだと、我ながら思った。
そうして視線を下に向けてみれば、そこには当然のように佇む一人の少年の姿。
「ソーマ……おまえ、まさか今の聞いて……?」
「いや、聞いてないであるが?」
「だが……」
今の物言いからすると、間違いなくリナが居なくなったということを知っているはずだ。
しかし基本的にソーマは、カミラ以外からそういった情報を得る手段がない。
屋敷中の人間から、居ない扱いを受けている以上当然のことであり――
「ふむ……いや何、別に大したことではないのである。廊下を歩いていたらであるな、たまたま独り言や噂話などが聞こえてきただけなのだ。そしてそれによると、リナが屋敷から姿を消したとのことであるが……今母上と話し合っていたのはそのことで合っているであるか?」
「……確かに、合ってるが」
その話を知っているならば、それを推測することは難しい話ではないだろう。
だがまさか、そんな情報の入手の仕方があるとは、正直予想外であった。
なるほどどうやらこの屋敷の人間はお人好しが多く、またソーマはスキルなどとは関係なしにその人達からの信頼を得ているということらしい。
「……まったく、お前は本当に相変わらずだな。ま、だが分かってるなら話は早い。そういうわけで、私はこれからすぐにリナの捜索に向かう。どれだけかかるかは分からないが……その間は自習しておいてくれ」
「それは構わんのであるが、さっきも言った通り、探す当てはあるのであるか?」
「いや、まったくないが……とりあえず、魔の森――いや。その先を探すことになるだろうな」
集団での捜索が不可能というのは、そういう意味でもあるのだ。
そっちで見つかっても、見つからなくともまずい。
特に見つからないのに集団であっちに侵入したとなれば、辛うじて保っているこの均衡が崩れてもおかしくはないだろう。
そしてそうなれば、間違いなくこの家の責任問題になる。
その前にカミラがリナを見つけるか――見つからない、という事実が必要なのだ。
「制限時間は三日ってところか。その間ソフィアも反対側――即ち、この街やその近辺を調べようとするだろうが……そっちで見つかる可能性は低いだろうと私は思ってる」
「……で、あろうな」
そうなった場合の選択肢は、二つだ。
ただ、どちらの場合も、諦めることになる。
リナの命をか、この家の命運をか、だ。
――どちらの可能性が高いのかは、言うまでもないだろう。
「ま、その前に私が見つけてみせるがな」
「ふむ……まあ、では期待しているのである」
「……お?」
そこで驚いたのは、てっきり付いてくるなどと言うと思ったからだ。
当然そんなことを許可することは出来ないのだし、いいことなのだが……。
「……何か変なこと考えてないだろうな?」
「そんなことないのである。先生の後を付いていったりはしない。これは絶対なのである」
「うーむ……なんか不気味なんだが……?」
「こんな聞き分けのいい生徒に対して失敬なのである」
「……ま、いいか。時間もない。じゃ、そういうことでな」
「うむ、それではなのである」
ソーマの態度は若干気になったものの、妹を気にしていない、ということはないだろう。
こうして話を聞きにきたわけだし……リナが混ざってくるようになったという話を、ソーマは嬉しそうに、楽しそうに語っていた。
気になっていないわけがなく……或いは、だからこそ、それが態度に出たのかもしれない。
まあ何にせよ、カミラに出来ることは一つだけだ。
ソフィアの想いだけではなく、ソーマの想いも背負いながら、カミラは廊下を走るようにして歩き出す。
そして。
「……おい」
「うん? どうしたのであるか?」
「付いてこないって言わなかったか?」
「だから付いていかないのであるよ? 我輩が先導するであるからな」
「……はぁ」
魔の森の入り口でちゃっかり待っていたソーマに、カミラは諦めの意味を込めて、盛大な溜息を吐き出すのであった。
いつも感想ありがとうございます。
楽しく読まさせていただき、また更新の励みにもなっているのですが、最近その返信に時間がかかるようになってきてしまいました。
そのため、しばらくの間は返信は数日に一度程度にし、返信するのも一部だけにしようと思います。
申し訳ありませんが、よろしくお願い致します。
 




