元最強、見知ったモノに遭遇する
前方を走るイングリッドの後に続きながら、ソーマはさてどうしたものかと考えていた。
それはこれから起こるだろうことについてではなく、その先も含んでのものである。
何となくではあるが、イングリッドに出会うことまで含めて、アレに仕組まれていたような気がしているからだ。
そしておそらくそれは、気のせいではない。
何故ならば――
「……世界の危機に、最善の未来を選び取るスキルを持つ者、であるか」
「……まあ、それだけの条件が揃っている以上は、貴様に接触しないなどと考えるのは有り得んじゃろうな。いや、あるいはそこで接触するか否かを確かめていた、という可能性もあるのじゃな」
「接触しないのであればそれは最善ではないということであるか」
直接的にそうなるよう手を下したわけでないのだとしても、結果的に意図した通りのものを得られるのであれば同じことだ。
しかもそれが最善であるとこちらに知らせる効果もあるのだから、一層質が悪い。
「ま、とはいえまだそうだと決まったわけではないのじゃからな」
「確かに、あくまでもコレ限定での最善という可能性もなくはないであるが……」
さすがにそれは望み薄というものだろう。
生憎とソーマはそこまで楽観的な思考をしていない。
「それに、仮にそうだとしてもそれがどうしたのか、というところじゃろう?」
「まあそうなのであるがな」
最善とはいえ、それはきっとイングリッドにとっての話だ。
他の人、たとえばヒルデガルドにとっての最善ではない可能性は十分にある。
考慮に値しないと言えばその通りだ。
だが。
「……ま、今は色々考えたところで意味はないであるか」
「じゃな。とりあえず何があったのかと、何かがあったのであればそれを解決してからでいいじゃろう」
そう結論付けると、小声での話を止め、前方へと視線を向ける。
おそらくはそろそろ着くはずで、タイミング的にもちょうどいい感じだ。
ちなみにイングリッドが先行しているのは、単純に土地勘的な問題である。
大体の方角は分かり、周囲には見たような光景が広がっているとはいえ、ここはラディウスの王都ではないのだ。
逆に変に見知ってしまっているからこそ迷ってしまう可能性もあるため、イングリッドに先を任せた、ということである。
そして幾度目かの角を曲がったところで、ついにその足が止まった。
ほんの僅かに遅れ、ソーマ達もその場所へと到達し――
――剣の理・龍神の加護・常在戦場・気配察知特級:奇襲無効。
イングリッドが動いたのとソーマが動いたのは、ほぼ同時であった。
イングリッドが後方へと飛び退り、それと変わるようにソーマが前に出る。
状況はまるで把握していないが、何の問題もない。
――剣の理・神殺し・龍殺し・龍神の加護・絶対切断・怪力無双・疾風迅雷:奥義一閃。
眼前へと迫っていた『何か』を、そのまま斬り捨てた。
「っ……す、すまない……! 私は何を……!」
「ん? ああ、今の動きに関してならば、問題はないであるぞ? 自分で対処するよりも我輩に任せる方が最善と汝の無意識が判断しただけであろうからな」
そして実際にそれは正解だ。
イングリッドの腕前はまだ確認出来ていないものの……さすがに『コレ』相手では分が悪いだろう。
「というか、また随分と久しぶりに目にしたであるな。何故こんなところにいるのか気になるところではあるが……まあ、どうせ聞いたところで教えてはくれんであろうしな」
そこにいたのは、一人の男であった。
ただしその瞳は虚ろであり、視線は虚空を向いている。
口は半開きでよだれまで垂れ流しているという、一目で正気を失っているのが分かる姿だ。
だがそれでいて、その身体からは異様なほどの威圧感が発されていた。
スキルに換算するのであれば、特級相応といったところだろう。
少なくとも肌に感じる感覚だけから判断するのであれば、イングリッドには荷が重い相手だ。
そしてソーマは、以前にも似たような感覚を覚えたことがあった。
「ふむ……まさかとは思うが、ソーマの知り合いではないじゃろうな? 随分と趣味が悪いようじゃが」
「さすがに知り合いではないであるな。ただ……五年ほど前に似たようなのを見たことがある、というだけである。確か――魔神、といったであるか?」
そう、それはあの時に感じた魔神のものとそっくりだったのだ。
男の身体からは魂とでも呼ぶべきものが二重に感じられることだし、あの時のスティナと似たような状況なのだということが察せられる。
気になることがあるとすれば、特級相応だとはいっても、アレに比べると随分と弱弱しい印象を覚えるということだが……その辺は個体ごとの差だと考えればそう不思議でもない。
どちらかと言うならば、コレが何故こんな聖都のど真ん中で現れたのか、ということの方が問題であり――
「っ……これはまさか、『悪魔憑き』、か……? 馬鹿な、何故こんなところで……」
と、そんなことを考えていると、男の方へと視線を向けたイングリッドが、呆然としたように呟いた。
それは独り言だったのかもしれないが、はっきりと耳に届いた言葉にソーマは首を傾げる。
「ん? 悪魔憑き、であるか……?」
それは初めて聞く名であった。
ヒルデガルドに視線を向けると首を横に振ったことを考えるに、有名なものではなさそうだが……さて、どういうことなのだろうか。
ソーマの気のせいだというわけでなければ、間違いなくあの男の身体に取り憑いているのは魔神である。
悪魔などというものではない。
というか、そもそもこの世界で悪魔という言葉を聞いたのは今が初めて――
「……いや、そういえば、シーラが白い悪魔とか呼ばれていたであるな。あの時は普通に流してしまっていたであるし、確かアイナ達も普通に反応していたであるが……ということは、悪魔という名そのものはそれなりに知られているのであるか?」
「確かに、悪魔という名前はそれなりに有名じゃな。ただしそれは、よく分からないもの、恐ろしいものという意味であって、悪魔という存在そのものがしっかりと認識されていたわけではないのじゃ」
「そうなのであるか……」
「まあそれを言ったら魔神などというものはそもそもが知られておらんのじゃがな。一部には知られておるが、その程度であって、我も実物を見るのは初めてじゃ」
「ふむ……ということはどういうことなのか、と考えたいところであるが、それは一先ず置いておいた方がよさそうであるな」
初撃をあっさりと防がれたからか、こちらを伺っているような気配を見せていたソレだが、どうやらやる気のようだ。
虚ろな表情はそのままだが、明らかに気配がそう物語っている。
「っ……やるつもりなのか? だが悪魔憑きは……」
「心配せんでもあの男の方には傷一つ付けんのである。これでも実際にやった実績持ちであるしな」
「いや、そうではなく――」
――剣の理・神殺し・龍殺し・龍神の加護・絶対切断・万魔の剣:斬魔の太刀。
何かを言いかけたイングリッドの言葉を遮るように、ソーマは腕を振るった。
もちろんそうした意図があったわけではなく、迫っていたモノを切り払うためだ。
瞬間帯電した空気が音を立てて弾け、剣に残っていた残滓もそのまま地面へと流れて消えていく。
放たれたモノの正体は、文字通り目に見えぬ速度で襲い掛かってきた紫電――即ち、雷だ。
以前の魔神は炎を操ったものだが、今回の相手は雷を操るということらしい。
「我輩も出来れば色々と聞きたいところではあるが、とりあえず話は後である。何か注意しなければならないことがあれば先に聞いておくであるが?」
「……少なくとも私の知る限りでは、悪魔憑きは聖女様の聖句でしか撃退出来ないはずだ」
「聖句……? よく分からんであるが……まあ、多分大丈夫であろう。出来ないという気がしないであるしな。それにどう見てもアレは放っておいてはまずいものであろう? さすがにここで見逃すのは色々と寝覚めが悪くなりそうであるしな」
「いや、だがっ……!」
「ソーマの言葉が正しいのか否かは、お主の無意識はとっくに分かっているようじゃが? その証拠にお主はその場から動いていないわけじゃし……本当は、止める必要はないと何となく思っているのじゃろう?」
「それは……その通りだが、私は聖騎士だ。何かをするのであれば、むしろ私が真っ先に――」
「ああ、そういうのはいいであるから。まあ、そこで見ておくがいいのである。すぐに問題ないと分かるであろうから」
そう言うとソーマは、まだ何か言いたげなイングリッドを振り切るように、一歩を前に踏み出す。
そしてそのまま、前方に向けて駆け出した。




