裁定者と正史 その4
あっさりとはさてどういう意味だっただろうかと、リナは眼前の光景を眺めながら首を傾げた。
そこに広がっているのは、まるで地獄の釜の蓋でも開いたのかと思しき光景だ。
地面から真っ直ぐに柱のようなものが伸びており、空にまで届いている。
色は黒。
ただし塗りたくられたようなものではなく、光を吸い込んだ結果色を映すことがなくなったとでも言うような、虚無の色だ。
見るだけで不安になるような、そういった代物であり、しかもその柱のようなものは、少しずつ大きくなっていっていた。
遠目からなため小さいようにも思えるが、おそらく実際にはかなりの大きさだ。
今でもラディウスの王都ならばすっぽり覆ってしまえる程度はありそうである。
それが少しずつ拡大していっているのだから、実際にはかなりの速度で広がっているのだろうし、取り込まれてしまったらどうなるかは、きっと想像の通りだろう。
だが結局これを前にして言えることは一つである。
「……これの何処があっさりなのです?」
『見ての通り、大した変化もなくこのまま周囲の全てが滅ぶだけなのだぞ? あっさりという他あるまい』
「ああ……あっさりってそっちの意味なのですね」
どうやらあっさり終わる、という意味だったらしい。
他に言い方はなかったのだろうか。
『ふむ……お気に召さなかったかね?』
「むしろどうしてこれを見て気に入ると思うのです?」
『そちらではなく言葉の方だったのだが……いや、そちらの意味も含んではいたか。多少すっきりすると思っていたのだが、また当てが外れたようだな』
「すっきりって、どういうことなのです?」
『今絶賛滅びの真っ最中であるあそこは、ベリタス王国だ。そして結論から先に言ってしまえば、アレによってベリタス王国は完全に滅びる。故郷の仇が滅びるのだから、溜飲も下がるかと思ったのだがね』
見覚えのない景色だと思ってはいたが、なるほどベリタス王国だったのならば当然だ。
そして言われたところで、それ以外の感想は思い浮かばなかった。
先ほどと同じである。
所詮他人事でしかないため、そういったことが起こっている、という認識を得るだけで、それ以上の感情が生じることはないのだ。
そもそも先ほどの時点で、それほどでもなかったのである。
敵国が滅びる場面を見せられたところで、大して思うところがないのは当然であった。
「というか、仇ということは、こっちでも邪龍はベリタスの仕込みだったのですね。ラディウスが既に滅んでいるのならば、邪龍をけしかける理由もないかと思っていたので、そっちのが驚きだったのです」
『ああ、理由は異なるが、結局そこは変わらない。言っただろう? 些細な違いはあれども、基本的に歴史の流れというのは、大局的に見れば大差はないのだと』
「ですが、わたし達の世界は、ベリタスもラディウスも滅びてはいないのです」
『だからこそ、色々と問題なのだよ。ちなみに、ベリタスを滅ぼしているアレは、君も知っているものだ』
「え……そうなのです?」
もう一度じっくりと眺めてみるが、特に該当しそうなものは思い浮かばなかった。
知っていると言うのならば、こんなもの忘れられないと思うのだが――
「――あっ。もしかしてこれって、学院の時のアレなのです?」
学院の地下にあったそれは、大事になる前にソーマが何とかしてしまったらしいが、その前に力が膨れ上がったのをリナは僅かに感じ取っており、それとアレが似ている気がするのだ。
それに歴史の流れに大差がないと言うのならば、邪龍の次に来るべきはあれだろう。
そんなことも思っての予想だったのだが、どうやら当たっていたらしい。
『その通りだ。つまりは、邪神の力の欠片、ということだな』
「予想が当たったのはよかったのですが……アレってそんなに危険なものだったのですね」
僅かに感じたものだけでも危険だということは分かっていたものの、そこまでだとは思っていなかったのだ。
大国と呼ばれるだけはあり、ベリタスはラディウスとは比べ物にならないほどの国土と人口を持つ。
それを完全に滅ぼすというのだから、予想を遥かに超える危険さだったと言っていいだろう。
「とはいえ、あの兄様が防ぐのに失敗して、その反動で魔女の森まで飛ばされてしまったらしいですから、当然と言えば当然なのですか……」
『それはそれでまた色々と非常識なのだが……まあ、今更の話か』
「あ、ところで、何で邪神の力の欠片がベリタスにあったのです? あれは学院の地下にあったはずなのですが……ベリタスにもあった、ということなのです?」
『いや、同一のものだ。学院が建てられなかったことで、邪神の力の欠片があったということは早い段階で気付かれてしまってな。研究をするということでベリタスに運んでいかれたのだが……制御を誤ってあのザマだ。まあ当然だな。どうにか出来るのならば、そもそも封印などせんよ』
「ところで、ベリタスを滅ぼした後、力の欠片はどうなったのです? 力を使い果たして消滅した、とかなのです?」
『ふむ……なるほど、どうやら私の話し方がまずかったようだが、君は少々神の力というものを過小評価しているようだな』
「過小評価、なのです?」
そんなつもりはなかったが、そう言われたということはそうなのだろう。
だがつまり、どういうことなのだろうか。
『なに、簡単な話さ。邪神の力の欠片が力を使い果たすまで放っておかれていたとしたら、この時点で世界は滅んでいただろう、ということだよ』
「ち、力の欠片、なのですよね? そんなに、なのです?」
『まあ欠片とは言っても、アレは大体百分の一……』
「ひゃ、百分の一でそれなのです……!?」
『いや、さすがにそれは言いすぎたか』
「で、ですよね。さすがに――」
『万分の一程度だろうな』
「万……!?」
それが本当ならば、確かに過小評価していたということになりそうである。
そしてわざわざ嘘を吐く理由がない以上は、そういうことなのだ。
「か、神様って、そんなに凄いのですね……」
『まあ、世界をたったの二柱で管理していた、その片割れだからな。その程度出来るのが当然だよ』
「そういうものなのですか……あれ? でもということは、誰かがアレを止めた、ということなのです?」
『勿論だ。というか、君にこれを見せている以上、既に答えは出ているだろう?』
「……あ」
確かにその通りだった。
つまり――
『さて、では次へ行くとしようか』
「えぇ……!? アレをどうにかする場面見ないのです!?」
『見てもどうということはないものだしな。それもまたあっさりと終わってしまうため、君はただその事実だけを知っていればいい』
「むー……そう言われたら、そうなのですか、としか言いようはないのですが……」
『まあ付け加えて言うならば、彼女はベリタスの王立学院に通っていたのだが、長期休暇を利用して聖都へと向かっており、その帰宅の途中でコレに遭遇し、何とか再封印することに成功した、ということだが……特に補足は必要あるまい』
「いえ、何か色々と気になる情報が出てきたのですが……!?」
しかし叫んだ言葉は無視され、リナの視界が暗転した。
黒の迫る光景であったそれは、一転して緑が大部分を占めるようになる。
直前までとはまるで異なる景色に、だが驚きを感じることはなかった。
いい加減慣れてきたというのもあるが、それ以上に不満を覚えていたからだ。
相手には見えていないということを理解していながらも、リナは頬を膨らませた。
「むー……」
『気になるというのは分かるが、君には必要のない情報だ。正史などどうでもいいのだろう?』
「それはそうなのですが……いいのです、後でもう一人のわたしに詳しく聞いてみるのです」
『ああ、それは止めておいた方がいいだろう。何せ彼女も知らないからな』
「え、そうなのです?」
『乖離が激しすぎるからな。知ったところで意味がないと思い、彼女にも邪龍以降は大雑把な流れ以外は教えていない』
「そうなのですか……」
そう言われてしまえば、納得するしかなかった。
そもそも本来ウーさんは、もう一人の自分の教育係というか、世話役というか、そういうものらしいのだ。
もう一人の自分を補佐する理由はあっても、リナ自身を補佐する理由はないのである。
今色々と教えてくれているのは、あくまでももう一人の自分が表に出ることが出来なくなり、且つウーさん曰くその必要が出てしまったからだ。
あくまでもウーさんが優先するのは、今も変わらずもう一人の自分なのである。
その分を超えてどうにかしろと言われても従ってくれるわけがなく、ならば納得するしかなかった。
「じゃあまあ、凄く気にはなりますが、我慢するのです。それで……ここは何処なのです? なんか一面森、という感じなのですが」
言いながら視線を巡らせてみれば、先に少し触れたように、そこにあった大部分は緑である。
リナの知っている中で最も近いのは魔の森ということになるだろうが、勿論違うだろう。
何せ木々の大きさがまるで違うし、漂っている雰囲気もまるで違うように思えるのだ。
もっとも、実際には目と耳以外は働いていないので、感覚的なものでしかないのだが――
『答えを言ってしまってもいいのだが……君は既に分かっているのだろう?』
「……まあ、何となくは、ですが」
ここまで来れば、大体どういう流れなのか、ということはさすがに分かる。
邪龍、邪神の力の欠片、と来れば、次はアレに違いない。
「エルフの森、なのですよね?」
『まあ、そういうことだな。どういうことなのか理解しているようで何よりだ』
むしろ分からないのは、何故リナがここを訪れることになったのか、ということの方である。
魔女だろうがエルフだろうが、訪れるような用件をリナは思い浮かばない。
まさか偶然訪れ、偶然巻き込まれた、ということはあるまいし――
『巻き込まれたのは実際には偶然ではあるのだがね。ただ、確かに今の君には訪れる理由はないのだろうが、この時の彼女にはあったのだよ』
「どんな理由なのです?」
『遺品を届けるために、さ。もっとも半分程度は、逃げるためでもあったのだろうが』
逃げる、という言葉は気になったものの、それ以上に気になったのはやはり遺品、という言葉であった。
エルフの森に届ける遺品と聞いて思い浮かぶものなど、一つしかない。
「遺品って、やっぱりシーラさんのなのです?」
『やはり、と言うことは、分かっていたのかね?』
「おそらくは邪龍が暴れた時に、なのですよね? 言及されていなかったのでどちらの可能性もあるとは思ったのですが、遺品と言われればそれしかないのです」
『ふむ……その通りだ。理由を尋ねられなければ、敢えて言う必要もないものだったからな』
予想出来ていたからか、ショックを受けることはなかった。
やはりかと、そう思っただけである。
「とりあえず、ここに来ることになった理由は分かったのですが、それで――」
ここからどうなるのか、ということを聞こうとしたのだが、その必要は直後になくなった。
木々がへし折れ倒れる音に、エルフ達のものと思われる絶叫。
それらが聞こえる方へと視線を向けてみれば、そこには巨大な木々よりも頭一つ分は大きな、何かとしか言いようがない――見覚えのあるモノがいたのである。
「なるほど、こうしてエルフの森は滅んだ、ということなのです?」
『察しがよくて助かるよ』
「それにしても、わたしが知っているのよりもさらに凶悪な感じになっているのですが……これが本気、ということなのです?」
『いや、魔女を取り込んだ結果、ここまで悪化したようだ。ちなみに慰めになるかは分からないが、彼女は魔女のことは知らなかった。エルフ達が怯えているのは分かっていたため、それが何なのかを把握しどうにかしようとはしていたのだがね……少しばかり来るのが遅かったようだ』
「……そうなのですか」
客観的な事実としか見ていない上に、感覚が麻痺しても来たのか、既にそれ以外の感想は浮かばなかった。
まだ少なくとも、二回は同じようなものを見なくてはならないというのに――
『……いや、次が最後だ』
「……あれ、そうなのです?」
『ああ。さて、ここはもう見るものはない。次へ行くとしようか』
「ここはさっきよりもさらにあっさりなのですね」
『どちらかと言えばここは、通過点であり、最後のダメ押しでもあるからな。確認の意味でも見てもらったが、きっとここがなくとも最後に変わりはなかっただろう』
「……最後だと聞いても、まるで安心出来ないのですが?」
むしろ不安しかない。
と、そこでふと、少し前に言われたことを思い出した。
確か邪龍の時のものを見る前に、二番目に辛い光景だと言われたのだ。
だが今のところ、それより辛そうだと思える光景は出ていない。
『……勘が鋭いのはいいことなのかどうか。まあ、心の準備が出来るということを考えれば、いいことだと考えるべきだな。正直私も事前に告げるべきかは悩んだのだが』
「じゃあやっぱり、次がそうなのです?」
『そうだ。心するがいい。次こそが君が最後に見るべき正史の姿であり……そして、君が最も見たくないだろう光景だ』
その言葉と共に、最早慣れた調子でリナの視界が暗転する。
そして、最悪の光景が目の前に現れたのであった。




