学院と魔法 その1
魔法とは何か。
そう尋ねられた場合、カリーネはほぼ迷いなくこう答えるだろう。
魔法とは、スキルの一種である、と。
というか、漠然としすぎていてそれ以外に答えようがないとも言う。
勿論詳しく話そうと思えば幾らでも話すことは可能だ。
ただ、その上でもう少しだけ踏み込んだ答えを出すとなれば、魔法とは魔力を用いて世界へと干渉するための術である、となるだろう。
もっとも、あくまでもそれはカリーネとしての答えでもある。
他の講師、或いは研究者に聞けばまったく別の回答が得られたところで不思議はない。
それはラディウスが魔法の研究で遅れているからではなく、どちらかと言えば逆だ。
他の国に行けば、おそらくはさらに多種多様な答えが返ってくることだろう。
もしかしたら、一人で複数の答えを用意する者もいるかもしれない。
そしてそんなことになってしまうのは、結局のところ魔法というものが具体的にどういったものなのか、ということを正確に理解出来ている者がいないからである。
使える者はそれなりにいて、研究者も数多い。
だがそれがどうして使えどうしてそうなるのか、ということを理解出来ている者は一人もいないのだ。
「なんて言ってしまうと情けないというか、負けを宣言しているみたいなものなんだけど、事実だから仕方がないのよねー」
そんなことを言いながらその場を見渡し、カリーネは小さく息を吐き出した。
そこに広がっている光景は、最早恒例となっている光景である。
ラディウス王国王立学院、その魔導の授業中。
しかも中等部の第三学年のそれだというのに、相も変わらず生徒達は忙しそうにしていた。
勿論と言うべきか、授業を受ける以外のことで、だ。
学院の講師がどの部の何学年の授業を受け持つか、ということに関しては、その者の授業が学院にどれだけ評価されているか、というのと等価である。
つまりカリーネは、少なくとも魔導の授業を受け持つ講師の中では最高の評価を得ているということになるのだが……五年、いや、それ以上前からそうだったように、生徒からは相変わらずろくに見向きもされていないのだ。
最前列に座ってくれる者が七人になったことを考えれば、最初の頃と比べれば雲泥の差ではあるものの――
「……それが私の成果と言われると、微妙だものねー」
呟きを口の中だけで転がし、再度溜息。
だがそこで気を取り直した。
今は授業中であり、聞いてくれる者がいることに違いはないのだ。
ならばそこにどれだけ落ち込む光景が広がっていたとしても、授業を続けなければ講師失格だろう。
「まあだけどね、そもそも魔法というものは、その始まりからして他のもの……剣術やそういったものとは一線を画しているものですから、多少仕方なくはあるんだけどねー。とはいえ、勿論剣術とかを貶めているわけではないわよー? というのも、人類は始めから魔法というものを使えていたわけではないからねー。あくまでも、そういう意味で、よー?」
その始まりは今から約五百年ほど前、ちょうど邪神と呼ばれる存在が猛威を振るっていた頃である。
その時に一人の賢者から伝えられた、奇跡の力。
それが魔法だ。
「少なくとも現代にはそう伝わっていて、また限りなく正しいとも言われているわねー。そういった記述を残した文献がしっかりと残ってるし、何よりもそれ以前の時代では、魔法というものが存在していたという痕跡がまったく存在していないのだからねー」
ここら辺のことは、魔導士にとって当たり前というか、少しでも魔導士や魔法に興味がある者ならば知っていて当然の知識だ。
そのため、お、何か面白い話でも始めるのかな? と興味を持ってくれた者が、落胆したようにいつもの作業へと戻る姿がそこかしこに見られる。
とはいえ、そんなことはそれこそ当然のことだ。
小等部の頃にもしたような話を今更聞いて喜ぶ者などいるわけもない。
最前列にいてくれている彼らだって、多少退屈そうな顔をしてしまっているのだ。
勿論必要があるから今更だとしても話しているのだし、彼らもそれは理解してくれているだろうが、それで退屈さが紛れるわけではないのである。
もっとも、それもここまでだろうが。
「とはいえ、その時伝わった魔法と今私達が使用している魔法は実は別物だとする説もあったりするのよねー」
そう言った瞬間、教室のそこかしこから反応があった。
皆何だかんだ言いながらも、一応聞いてはいてくれているのである。
これもまた、最初の頃からの差異と言えるのかもしれないが……そう言っていいのは自らの力だけで成し遂げた場合だけだろう。
彼らが僅かにでも注意を向けてくれているのは、あくまでも彼らが一目置いている存在が最前列にいるからなのだ。
決して自分が誇っていいことではない。
そもそも彼らが反応したのも、どちらかと言えば、おや? というものだ。
予想していたこととは異なることをやり始めた者に対する、純粋な驚きと興味。
好奇心と呼ぶには小さく、些細なことで消えてしまいかねないようなものではあるが……だからこそ、ここが正念場であった。
一気に注意を集めることが出来るかは、次の言葉にかかっているのだ。
それを理解しているからこそ、カリーネは小さく息を吸い込むと、気持ち声に力を込めて喉を震わせた。
「というのも、当たり前のように当時も魔法は研究がされており、その成果である資料も幾つかは現代にまで残ってるわー。でも、そこに書かれていることと、現在分かっていることの間には、辻褄が合わないことが多いのよねー」
だから、途中で似たような別のものに密かなうちに差し代わったのではないか、というのがその主張であり、根拠とされている。
と、そこまでを口にすると、先ほどよりもさらに明確な反応があった。
ざわめきがあるだけではなく、彼らの視線がはっきりとこちらを向いたのだ。
それは初めてのことであり、思わず拳を握りそうになってしまったが、何とか抑える。
授業中だし、ここは喜ぶところではなく畳み掛けるところだからだ。
そうしなければ、彼らはすぐに再び興味を失ってしまうだろう。
それは避けねばならない。
「ちなみに、だけど、これは別に荒唐無稽な話、というわけではないわよー? 何故ならば、実例が存在しているのだからねー」
そう続けたことにさらにざわめきが大きくなったのは、おそらく、そういう説はあるものの推してる者は少なく主流ではない、とでもいった風に続けると思っていたからだろう。
確かに普通ならばそうするはずだ。
主流ではない話を掘り下げたところで、基本的には意味がないからである。
役に立つことのない話を聞いて、一体何になるのか、ということだ。
が、そもそも普通とか言うのであれば、この話そのものをしないはずだ。
そしてその普通でいた結果、今まで彼らからは興味をまったく向けられてこなかったのである。
であるならば、そこにある反応の大半が驚きであったとしても、反応してもらえたという時点で間違いなく成功だ。
自分の口元が緩むのを自覚しながら、つい教室の一角へと一瞬視線を向けてしまう。
そこでも小さなざわめきが起きてはいたが、他の場所のそれとは少々趣が違うものであった。
特に視線がこっちではなく、その中の一人に向いていたり、その種類が所謂ジト目であったりするあたりが明らかだ。
その声は小さなものではあったが、不思議とよく聞こえてきた。
「……ねえ、アレあんたの入れ知恵でしょ?」
「……何のことかさっぱり分からんであるが?」
「ならあたしの目を見て言ってみなさいよ」
「そうしたいのはやまやまではあるが、今は授業中であるからなぁ。生憎と余所見は出来ないのである」
「余所見は駄目で、お喋りはいいんですか?」
「返さずにいたらアイナがちょっと可哀そうな娘になってしまうであろう? だから仕方なくである」
「……っ」
「……よく耐えた?」
「確かによく耐えたとは思うけど、今のは怒っていいところだと思うなぁ」
もっとも、不思議とも何も、集音の魔法を使いながらそちらに意識を向けているのだから、聞こえて当たり前なのだが。
しかし講師という立場上、そういった建前は必要なのである。
ともあれ、そっちの反応も悪くはなさそうなので、そのまま続けることにした。
「そしてその実例が何かと言うと、実は魔法のことであったりするのよねー。そう、他ならぬ五百年前に伝わったとされている魔法自体が、他のものから差し代わっている、ということねー」
魔法が伝わる以前にも、この世界には魔法と似たような現象を起こす術は存在していた。
それは即ち、魔術と呼ばれていたものである。
ただし魔術は魔法と比べれば効率が悪く、迂遠であった。
いちいち魔法陣を描き、長々とした詠唱を唱え、さらには媒介となる代物まで必要としたのである。
その資料となるものは現在にも存在しているのだが、時間も手間もかかる割に、魔法よりも効果が弱いというのだから、やがて使い手が消えてしまったのはある意味で当然の流れと言えたかもしれない。
良貨は悪貨を駆逐する。
魔術よりも遥かに使い勝手がいい魔法が成り代わるのは、故に自然なことではあったのだ。
「だけど、そういうわけだから、その魔法にも同じことが起こらなかった、とは言い切れないのよねー。より使い勝手のいいものが見つかったために、魔法という名はそのままに、中身はそっくりそのまま別のものになっていた、なんてことも有り得るというわけよー」
これもまた、無根拠に言っているわけではない。
名前はそのままに中身が入れ替わるという実例が、やはり存在しているからだ。
これが即ち、魔術のことである。
魔術の資料が現存しているという言葉の通り、実はその頃に使われていたという魔術は今でもその手順を辿れば使うことは可能なのだ。
しかし敢えて使い勝手の悪いものを使う理由などあるわけがない。
そういったわけで、誰も使うもののいなくなった魔術は、その名を明け渡すこととなった。
「うん、皆も知ってることとは思うけど、魔導書で覚えることの出来るもののことが、その結果魔術と呼ばれることになったわけねー」
アレも元々は、総称として用いられていたものだと言われている。
魔法よりも劣っている代替手段の、だ。
そしてそれを意味するものが実質的には一つしかなくなってしまったため、魔術とは魔導書で覚えることの出来るもののことへと変わっていったのである。
「と、ここまで言ってきたけど、おそらく皆は疑問に思っているんじゃないかと思うわー。確かにそれらは成り代わられたが、自分達はそのことをこうして知ることが出来ているではないか、と。だけど、魔法が途中で別のものに成り代わられたということは聞いたことがない、と」
実際それを理由にして、魔法が差し代わられたという資料は存在しないのだから、そんなことは有り得ない、という者も存在はしている。
というか、それが主流だ。
「で、す、がー……賢い皆はもう分かったんじゃないかしらー? うん、それはあくまでも、全ての資料がきちんと現代にまで伝わっていれば、の話なのよねー。何せそれが起こったと推察されているのは、もう三百年近く前のことだもの。何らかの不幸な出来事によってその資料が失われてしまったとしても、今の私達にはその痕跡すら知る術はないのよねー」
勿論、そんなことを言い出せばどんなことだって有り得てしまう。
極端な話、現存している資料だって当時に捏造されたものが現代にまで残ったのだ、とか言ってしまうことだって可能なのだ。
もっともだからこそ、それは主流ではないどころか、与太話のような扱いすら受けているのだが――
「まあ、私はこういう話もあると皆に話しただけだものねー。とりあえずどんな話であろうとも知っているというのは大事よー? それだけいざという時の選択肢が増えるからねー。まあ、何を信じるかは皆さん次第、というわけよー」
そう伝えると、何人かは何とも言えないような顔になった。
まるで信じていた人物に裏切られたようにも、実話だと思って聞いていた話が作り話だったと知ってしまったようにも見える。
だがここは王立学院であり、カリーネはそこの講師だ。
まさか与太話を信じろなどと言うわけもないだろう。
「ちなみに、先生はどう思っているのであるか?」
と、不意に最前列から放たれた問いに、カリーネはうふふと笑みを浮かべた。
それは答える必要がないと言えばないものではあるが――
「そうねー……とりあえず、今から三百年前程度の頃を境にして、魔法の使い方とかがガラリと変わったのは事実ねー。でもそれに関する資料などは存在していないため、当時の人達はそれに気付かなかっただけではないのか、というのが主流の考え方よー」
研究はずっと続けられており、それはちょくちょく魔導士に還元されていた。
それによって魔法は少しずつ改善され、それは今この時も続いている。
だから、緩やかに、だが後から考えれば劇的に変わるような研究が当時に存在し、それが魔導士達に適用されたのではないかと、そう考えられているのだ。
魔法は大半の場合感覚によって覚え、使われるものではあるものの、完全に独力で使えるようになるという者はほぼいない。
大体の場合は、魔法を使う誰かの姿を見ることによってその感覚を掴むのだ。
そのため、適用された研究はそのまま後の世代にまで影響を与える事になることが多いし……或いは、そこのやり取りが感覚的なものであったがために、どこかのタイミングで劇的に変わってしまうようなことがあったのかもしれない、などとしている説もある。
「まあ何にせよ、基本的には研究によって魔法が進化した結果、別物のようになってしまったのだろう、という主張が主流ねー。細かい違いはあれども、そこの部分は大体一致しているわー」
とはいえ、そもそも主流云々というのであれば、そういった者達はこういった話をしないだろうし、魔法を理論付けて説明出来るようにした上で授業でやるなどということもやらないだろうが。
そのことを口にすることはさすがになく、また結局質問そのものに答えることもなかったものの、やはりと言うべきか、言いたいことは大体のところで伝わったらしい。
「ふむ……なるほど。参考にさせてもらうのである」
そう言って頷いた姿に、苦笑を浮かべた。
それから試しに教室の中を見回してみれば、それなりに伝わりもしたらしい。
先ほどとは若干違う意味で、何とも言えないような顔をしている者がそこかしこにいた。
もっとも、それを気にするぐらいならば、最初からこんな話をするかという話である。
それどころか、その反応からカリーネはまだいけるという判断を下した。
駄目そうならばここでこの話はもう止めるつもりだったのだが、この様子ならば大丈夫だろう。
「ああ、そうそう、与太話ついでなんだけど、こんな話を知っているかしらー? 本格的に魔法を語る上で無視することの出来ないものが二つある、という話ー」
一瞬、教室の中からざわめきすらもなくなった。
そこに浮かんだ表情の中にあるのは、まさか、というものである。
だがそれにカリーネは、にこりと笑みを浮かべた。
あたかも皆を安心させるように――
「うん、皆も名前だけはよく知ってると思うけど、呪術と法術のことよー」
しかし一斉に思い浮かべたであろうその名を、口にしたのであった。




