魔族と建国 その2
「あー……なるほど、寝ぼけてやがるんですね? 顔でも洗ってきやがったらどうです?」
あまりの言葉に、スティナはついそう返してしまったものの、それも仕方のないことだろう。
戯言でなければ、一体何だというのか。
「誰が寝ぼけてるか。ちゃんと頭はすっきりしてるし、正気でもあるぞ?」
「むぅ、次はじゃあ狂ったんですね、って言おうとしたのに先越されやがったですか……」
そうやって冗談めいた言葉を吐き出しつつも、スティナはイオリの様子を見逃さぬよう、ジッと見つめていた。
しかしそこに若干の軽い雰囲気は感じるが、嘘や冗談を口にしている気配を感じることはない。
つまり――
「……本気なんですか?」
「冗談でこんなこと口に出来ないだろ? 勿論当然だ」
そう言って真っ直ぐに向けられた瞳は、なるほど確かに本気の光を宿していた。
どうやら本気であるらしい。
「姉……いえ、ベアトリーチェさんは、そのことを知ってやがるんですか?」
「普通に姉さんでいいだろうに、いつまで続けてるんだそれ? もう止めてもいいだろ。ついでに俺の呼び名の方もな」
「スティナも止めてえんですが、なにせ罰ですからね。ここでスティナが止めちまったら示しがつかねえですし、仕方ねえです。勿論義父様という呼び方も、です」
「……ちっ」
「つーか、そんなことはどうでもいいんですよ。で、皆には話しやがったんですか?」
「一応は、な。ただ、そういったことを考えてるってことを話しただけで、具体的なことはまだだ。そもそも考えてなかったからな」
考えていなかったというのに、さっき思いついたばかりのことを実行に移そうとしているらしい。
さすがに呆れて溜息が漏れた。
「馬鹿じゃねえんですか?」
「いや、確かにさっき思いついたばかりだが、ただの思い付きじゃないぞ? ちゃんと勝算と理由あってのことだ」
「……本当なんですかねえ」
あまりにも信用出来ずジト目を向けるも、こほんと一つ咳払いをした後、向けられた瞳に思わずたじろぐ。
その身に纏った雰囲気は、この城の主に相応しいものであった。
もっとも、だからといってその思考が正しいとも限らないが。
だからスティナも一つ咳払いをすると、気を引き締め直しその瞳を見返す。
その正否を判断することも、スティナがここにいる理由の一つなのだ。
臆してなどはいられない。
「……とりあえず、きちんと考えてるってことだけは分かったです。じゃあ具体的には、どう考えてやがるんです? そうですね……勝算は後でいいので、まずは理由から聞かせろです」
「理由は単純に、そのぐらいしないと割に合わないってことだな。グスタフは、魔族どころか、多分世界でも五指に入るだろう鍛冶の腕を持ってるやつだぞ? 普通ならば、当然囲って他の国に出すことなんて許さないはずだ。特に今は各国がかなりピリピリしてるし、実際に戦争をしてる国もある。まあ主にベリタスだがな。そんなとこにあいつが行かれてみろ。間違いなくパワーバランスが崩れるぞ」
それは確かに、スティナも考えたことだ。
グスタフが他の国へと行けば、間違いなくその国の戦闘力の底上げになる、と。
ディメントでそうなっていないのは、ディメントが国ではないからだ。
底上げをするにも、国として兵を持たないのでは、やりようがない。
しかしだからこそ、ディメントから他の場所へグスタフが移動することになっても、ディメントとしてはそこまでデメリットがないはずだが――
「いや、他の国の戦力が底上げされるってことは、相対的に俺達が弱くなるのと同義だぞ? それは十分デメリットに成り得るだろ?」
「それはそうかもしれねえですが……グスタフが向かおうとしてるのは、ラディウスですよ? ぶっちゃけ兵が多少強くなったところで、ソーマがいる以上誤差の範囲じゃねえです?」
「まあ、身も蓋もないことを言えばその通りなんだが、逆に言えばそう思えるのはソーマがいるからだ。ソーマがいなかったならば、と考えれば、それは十分な脅威になるだろ?」
「ふーむ……確かにそうかもしれねえですが……それは、魔族が国を持つのを認めるってことと引き換えになるほどのもんなんですか?」
「少なくとも俺はそうだと思ってる。たとえば、今回はラディウスだからいいが、これがベリタスだったらと考えると、間違いなくベリタスと戦争してる周辺国家は反対しただろう。下手をすればその底上げされた戦力によって自分達が攻め滅ぼされるかもしれないんだからな。逆にベリタスと戦争をしてる国にグスタフが行ってたら、今度はベリタスが猛反発してただろう。ベリタスが滅ぼされることはないかもしれないが、不利な状況に陥る可能性は十分有り得るからな」
「ラディウスってベリタスと戦争中じゃねえですっけ?」
「一応今は停戦中だぞ? それに、おそらくはあそこも俺達と同様、その程度は誤差だって思ってるだろうからな」
その言葉に、そういえばと思い出す。
邪龍のことがあったため、あそこもソーマのことを知っているのだったか、と。
内乱が起こる一歩手前と言える現状、そもそもそんなことを気にしていられる余裕もないだろうが。
「ふーむ……ともあれ、相手の国にグスタフを送り込まれたくなければ、或いは送って欲しければ、魔族が国を持つことを認めろ、と……そう言えるってことです?」
「まあ、そういうことだな。実際にはやるつもりはないが、本来俺達はそれが出来る立場にある。やらないと思ってたからこそ、グスタフも今まで残ってくれてたんだろうがな。それでも、出来ることに変わりなく、ならばそれは価値となる。そういうことだ」
「んー……とりあえず理解はしたですが、それで本当に押し通せるんです? 所詮それって建前というか、机上の空論じみたことですよね? 知ったこっちゃないって突っぱねられそうな気もするんですが」
「だから言っただろ? ちゃんと勝算もある、と」
確かに言いはしたが、そこでスティナはまた懐疑的な視線を送る。
断言した以上、まさか楽観的な思考によるものではないのだろうが――
「……それって、オメエの友人が国王やってるから、とかいう理由じゃねえですよね?」
国と国の間で友情というものは成立しない。
たとえ国のトップ同士が友人であっても、それとこれとは別なのだ。
情を優先してしまう国は、必ずそこを突かれ崩壊してしまう。
それを理解しているからこそ、国同士で友情が成立することはないのだ。
特にラディウスは建国されて間もないからか、過剰なまでに国としての利益を優先する傾向にある。
ここに詰めてまだ一年と半年も経っていないスティナが知っているようなことなのだ。
何だかんだ言いながらも、報告書の類に全て目を通しているイオリがそのことを知らないわけもあるまい。
そんなことを考えながらジッと見つめていると、イオリは苦笑しながら肩をすくめた。
「勿論そんなことは考えてないさ。報告書からじゃなくて、ソーマからも直接幾つか話を聞いたからな。それが国の利益にならなければ、多分アイツは俺を余裕で切り捨てるだろう。……アホみたいな覚悟固めやがったとは思うが、それは俺のせいでもあるから何とも言えないしな。まあとはいえ、逆に言うならば、国の利益となるならば、ある程度の道理すらアイツらは無視する可能性があるってことだ」
「可能性があるってだけの話じゃねえですか……それも、あんま確率高いやつじゃねえですよね?」
「そんなことないぞ? 少なくとも俺は勝負出来る程度には確率があると思ってる」
「……その根拠は何なんです?」
正直スティナはそこまで確率が高いとは思えない。
むしろ、低いと思ってさえいる。
だって魔族が国を作ろうというのだ。
それはつまり、ただ一箇所に追いやられただけではなく、そこで纏ろうとしているということである。
今ここが小康状態を保てているのは、イオリが魔王となったことで周囲との諍いを最小限にしたからだ。
こちらからは攻めず、防戦一方とすることで、放っておいても問題ない、或いは、優先順位は低い、という状況にしたわけである。
しかし国を建てようとするということは、その全てをひっくり返すどころか、火に油を注ぐような行為だ。
今度こそ各国が本気で手を取って滅ぼしに来たところで、不思議はない。
「んー、スティナの考えは、基本的に杞憂で終わると思うぞ? 少なくとも、俺達を滅ぼそうと纏ることはないはずだ」
「……何でそう思うんです?」
「先導役も纏め役もいないからだ。その両方を取り仕切ってたベリタスがあのざまだからな。魔族討伐のためって一時的に国を纏めるぐらいは出来るかもしれないが、そこが精一杯だろう、他に力を回す余力はない」
「なら他の国がやるんじゃねえんですか?」
「それも無理だ。前回の魔王討伐隊の時に、互いに盛大に裏切りあったからな。また起こるんじゃないかって疑心暗鬼になれば誰もやろうとしないさ。今度こそ後ろから刺されるかもしれないんだからな」
「だから纏ることもねえ、ってことですか?」
そういうことだと頷くイオリに、スティナは言葉に出来ない何かを感じた。
何と言うべきか……モヤモヤするというか、人間はそんな愚かであって欲しくないというか――
「まあ、ソーマのやつならそういうことは気にしないというか、無視するんだろうがな。裏切られたらその時はその時だとか言いそうだし、実際気にしないだろうしな。あいつは割りきりがいい反面、人間の善性を信じてるようなとこもある。悪性と善性があるのを理解した上で、善性が上回るのを期待してる、とか言うことも出来るがな」
「あ、アイツの話は今は聞いてねえです! それで? 纏ることはないにせよ、危険視されることは間違いないですよね?」
「いや、俺は割とそれもないんじゃないかと思ってる。特にラディウスはな。あそこは今はベリタスと停戦してるとはいえ、基本的に敵対関係にある。それが解消されることは、余程のことがないとないだろう。その上完全に魔族も敵に回してみろ。滅びるのはラディウスだぞ?」
「……ソーマがいやがるのに、です?」
「あいつは未成年だからな。次代の剣の王に内定してるって噂もあるが、だとしても国としては戦力に数えるわけにはいかない。というか、俺達が国を作るって宣言して、ラディウスがこっちに派兵するとなった場合、ソーマはそれに加わると思うか?」
「……逆に派兵しようとするやつらをぶっ飛ばしそうな気がするですね」
ありありと想像が出来る。
そしてその予想は多分、間違っていない。
「そうだな。そして実際にあいつはそうするだろう。こっちが明確な脅威となってあいつらに何かするならともかく、少なくとも俺達はそんなことをするつもりはないんだからな。あいつはこっち側に立ってくれるだろうさ」
「……それって友人としての信頼じゃねえです?」
「それがどうかしたか? あいつはさっき言ったようにまだ未成年で、国の一部として動いてるわけじゃない。問題ないだろ?」
それは屁理屈だと思ったが、実際スティナもそう思う以上は強く言えない。
まったくいてもいなくても厄介な人物である。
「ともあれ、そういうわけで魔族を敵に回すことは出来ない。ならば逆は?」
「逆、です?」
「そうだ、魔族を味方とみなす。そうすると、ラディウスは隣に味方の国が出来るってわけだ。非公式の停戦などといわず、完全な味方だ。堂々と協力し合うことが出来るようになる。それは、間違いなくラディウスの利益となるだろう?」




