鑑定士とドワーフ その2
無事街の中へと入ることの出来たカミラは、ソーマの先導を受けながら周囲を見渡しつつ、そっと溜息を吐き出した。
自分が知らず知らずのうちにどれだけベリタスに毒されていたのかということを、まざまざと見せ付けられている気がしたからだ。
フェルガウという名のこの街は、これまで通り過ぎてきた街と同じように、ラディウスやベリタスの街々と比べても何の遜色もないようであった。
人の数、建造物の様相、街の活気。
単純に比べるには、各町の格差がありすぎて不可能だが、少なくとも明確に劣っているということだけは有り得まい。
むしろ、ラディウスなどと比べ明確に優れていると言える点もあり、それはやはり人種のことだ。
その数や混成具合だけで言っても、ラディウスでも勝ち目はなく、ベリタスに至っては問題外。
いや、それはベリタスに限らず、他の単一種族国家でも同じか。
それに、ラディウスも混成国家を謳っているとはいえ、住人達は元々ベリタスの出身なのだ。
あそこに嫌気が差して移住してきた者達とはいえ、どうしたって意識の深いところで差別的な思考が染み付いてしまっている。
他の国に比べれば遥かにマシなのだろうが、それでも人類種以外の種族にとっては、決して住みやすい国とは言えないだろう。
しかし何より問題なのは、少なくともカミラはそのことをラディウスにいた時には感じていなかったということである。
見た目的に背の低い人類種として通用してしまうカミラが差別的なものを受けたことがなかったということもあるのだろうが、カミラはラディウスでの人類種以外の者達のことを、多少窮屈そうだな、としか思っていなかったのだ。
しかもその理由を、差別を受けているからとは、思っていなかったのである。
そう、ラディウスにいる人類種以外の者達は、明らかに差別を受けていた。
とはいえ、虐げられている、というようなことではないし、差別とは言っても些細なことだ。
たとえば、道を歩いていて相手とぶつかりそうになった場合、人類種は相手が他人種だと避けようとはしない。
相手が先に避けるからというのもあるのだろうが、避けようとする意識がないということは、見ていれば分かるものなのだ。
もっともそれも、ここに来て人並みの中を歩き、眺めていて、初めて気付いたことなのだが。
他にも細かいが、明確に差別だろうと思えるようなことが沢山あった。
些細で、気にしなければ気にならないようなものなのだろうが、それが窮屈さに繋がっているのだろうことは確かだ。
何よりも、それが無意識からのものだったということが問題である。
ラディウスの国家方針が、他種族を排除しない、というものであったのならば、それでもよかっただろう。
他の国家が明確に他種族を排除し、受け入れる場合でも奴隷として、などと宣言している国もあることを考えれば、遥かにマシでもある。
だがラディウスの国家方針は、他種族を受け入れる、というものだ。
なのに無意識的にとはいえ、他種族を差別していることなど、あってはならないことである。
とはいえ、元が元だ。
早急にどうにか出来るものではないし、ある程度は仕方のないことでもある。
長い目で見ていかなくてはならないことだ。
しかし国の上層部がそれでは、明らかにまずいだろう。
それでは、矯正のしようもない。
お手本もなくして、どうやって直せというのか、という話である。
そう、つまりは、国の上層部――アレクシスやソフィア達もまた、他種族に対して無意識で差別的だということだ。
これはそういった話を聞いたことがない時点で明らかである。
理解していれば、必ずどうにかしようとしているはずだからだ。
そうしていない時点で、彼女達もそれを理解していないということである。
いや……というよりは、カミラよりも彼女達の方がよりそういったことに気付きにくいのかもしれない。
カミラはソーマの家庭教師をすることが出来るぐらいには、教育を受けている。
だがその教育を受けたのは、ラディウスが出来てからなのだ。
勿論それまでにもある程度の教育は受けていたものの、希少種族であるドワーフが高等教育を受けることが出来るわけもない。
公爵家付きのスキル鑑定士になるということで、色々なものを詰め込まれたからこそ、家庭教師なぞをやることが出来るほどの知識を得られたのだ。
しかしそのせいもあって、カミラの常識は、所謂上流階層の者達の持つそれとは若干異なっている。
歪である、と言えるかもしれない。
彼らの常識がどういったものであるのか、ということを知ってはいても、それを自分の常識だとは思っていないのだ。
そのせいで、カミラの魔族に対する認識は、ソフィア達のそれと比べると差別的である。
それとなく真実を知らされており、その上で真実を知った彼女達とは異なり、カミラは魔族というものをベリタスの言い分そのままで信じており、それが常識だったのだ。
真実を知り、教育を受けたところで、常識を塗り替えるまでには至らなかったのである。
少しずつ慣れてきたとはいえ、未だに魔族を見て自分達と変わらないのだと確認してしまうのは、そのせいだ。
そして他種族に関しては、逆である。
カミラは元々人類種ではないこともあり、それほど他種族に対して排他的ではない。
それでも、カミラ達が住んでいたのはベリタスの端にある隠れ里のような場所であった。
否応なくベリタスの常識が染み渡り、排他的な場面を見ても、それが常識だと思ってしまう程度には慣れてしまっている。
だがソフィア達はその程度ではなく、人類種以外の種族には排他的であるべしと、教育されているのだ。
理性と人格によって明らかにおかしなものは排除されているものの、その常識は意識の深いところに根ざしてしまっているに違いない。
差別的なものを目にしても、それが当たり前だと判断してしまい気付けていなかった可能性は、大いにあるのだ。
だが何にせよ、それは仕方のないことだと言ってしまえば仕方のないことなのだろう。
悪意を持ってやっているのならば、もっと明確な形になっているのならば、気付くことは出来たかもしれない。
しかし、無意識且つ些細なことなのでは、気付く切欠のようなものでもない限りは、気付くことが出来なくとも無理はないのだ。
カミラにはこの旅そのものがその切欠となったわけだが、他のものには無理だろう。
単純に時間も余裕もない。
それに、これだけで解決するかと言うと、それもまた疑問である。
カミラは新しい街に着くたびに、自分達の国はまだまだなのだと感じるが、それは新しい問題に気付くからでもあるのだ。
自分達が当たり前だと思っていたことが当たり前ではないということを、これもそうだったのかと気付かされるのである。
逆に言えば、事ここに至ってすら、それを見せられなければそうだとは気付けないのだ。
ならば、全て是呈したつもりでも、まだ全然だという可能性は十分に有り得るだろう。
とはいえ――
「うーむ……」
「先ほどから難しい顔をしているであるが、どうかしたのであるか? まあ、街に着くたびにそんな顔してるであるが」
「む? そうか? 顔には出さないようにしてたつもりなんだが……」
「今までは一応そうであったため敢えて聞かなかったのであるが、今のは確実に顔に出てたであるからな。そっちはそっちでやることもあるであろうから、聞くべきかは迷ったのではあるが」
「そうだったか……私もまだまだだな」
確かに時間が経つたびに問題は積み重なっていく一方だが、それはソーマには関係のないことである。
なのに気付かれ、気までも使われているようでは駄目駄目だろう。
もっとも、そもそもの話、これはカミラにも関係ないと言えば、関係ない話ではあるのだが。
それはそうだ、魔族に関する話ならばまだしも、他種族に関することなど話に出てすらいなかったのだ。
気付いたからこそ考えてしまっているが、本来そういったことを考えるのはカミラの仕事ではないし、役目でもない。
――そんなことを思っていたからだろう。
「……なあソーマ、自分達では無意識にやっていることのせいで、誰かを傷つけたり、不満を抱かせてしまっている場合、どうすりゃいいんだろうな? 何が問題なのかが分かってりゃそれを直せばいいだけなんだが、何が問題なのか、そもそも問題があるのかすら分からないってなると……」
ふとそんなことを口に出してしまい、慌てて閉じた。
ソーマに聞くようなことではなかったからだ。
というか、ソーマに関係ないと言っておきながら、そうそうに何をやっているのかと――
「うん? そんなもの実際に聞いてみればいいだけなのではないであるか? 何か不満はないか、あるとしたらその原因は何なのか、と。まあ、何のことかよく分かっていないため、見当違いのことを言っている可能性はあるのであるが……」
首をかしげながら、当たり前のように言われた言葉に、目から鱗が落ちる想いだった。
その通りである。
不満を抱いている可能性があるというのならば、実際に聞いてみればいいだけなのだ。
何故そんな当たり前のことに気付かなかったのかと思い、すぐにその原因に思い当たり苦いものがこみ上げてきた。
結局のところ、カミラにもまだ他種族に対する差別的な認識が存在しているのだ。
他種族は不満があってもそれを許容するしかないと認識していたからこそ、そういったことを尋ね、解決すべきとは思わなかったのである。
「……はぁ。本当に私はまだまだだな」
「うん? やっぱり見当違いだったであるか? なら無視して欲しいのであるが……」
「そうじゃねえっての」
それこそが見当違いだと、苦笑を浮かべる。
まったく――
「今回お前と旅してきて、心底よかったと思うよ」
「お、おおぅ? まあ、よかったと言ってもらえるのならば、幸いであるが……」
珍しいことに、ソーマの顔には戸惑ったような表情が浮かび、つい口元が緩んだ。
だがそこで周囲を見渡したのは、人目を気にしたからではなく、周囲に流れている空気を感じ取ったからである。
「さて……ところで、そろそろか?」
「ふむ……その通りであるが、よく分かったであるな」
「ま、何となくな」
気が付けば大通りからは外れ、雑多な裏通りのような道を進んでいた。
両脇に店のようなものが続いてはいるも、看板などもないため何の店かは分からない。
しかしだからこそ、職人の店なのだということも分かる。
ろくな主張もしていないくせに、それこそが自分の気に入った仕事以外はやらない、とでも言わんばかりの主張となっており、それが自分のよく知る職人達を思い起こさせたからだ。
と、そんな場所の一角に差し掛かった時、ソーマの足が止まった。
「ここが、か?」
「多分、であるがな。一年前に二回訪れただけであるし、正直間違ってる可能性もあるのである。まあそれでもこの周辺なのは間違いないため、違ったら適当に入れば大丈夫であろう」
それは大丈夫ではないと思ったが、それ以外に確認の手段がないのならば確かに仕方がない。
大雑把にそんなことを考えているカミラの前で、ソーマは何の躊躇もなく扉を開けた。
「すまんが、邪魔するのである……っと、やはりここで合ってたようであるな」
後半はカミラに向けてのものなのだろう。
視線をこちらに向けながらの言葉に、そりゃよかったと肩をすくめる。
そうして、先に進んだソーマの後に続き、カミラも店の中へと足を踏み入れ――
「ったく、ようやくきやがったか。ちゃんと出来上がってるぜ? 俺の最高傑作が、な。ま、実は満足いくもんが出来たのは割と最近なんだが……って――」
中にいたのは、随分と小柄な人影であった。
まるで少年と見間違えんばかりに小さく、ソーマやカミラと比べても大差はない。
しかし少年と思えないのは、その顔に沢山の髭が生えているからだろう。
そんな人物が、ソーマに自信あり気な笑みを浮かべたかと思うと、こちらに気付いて視線を向け――その瞳を大きく見開いた。
まるで何かありえないはずのものを見たとでも言わんばかりの顔であり……だがおそらくは、向こうからもこちらのことは同じように見えていたに違いない。
こんなところにいるとは思ってもみなかった人物がいたことに、カミラも驚いていたからである。
「……カミラ、か?」
「……まさかこんなところで会うなんて思ってもいなかったぞ、グスタフ」
同郷の友人が、そこにはいたのであった。




