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魔王の糧

 眼下の光景に歯噛みしながら、ソフィアは眼前の魔王へと炎の魔法を叩き込んだ。

 数十の球状の塊となった炎が着弾した瞬間爆音と共に爆ぜ、それに合わせ飛び込んでいたクラウスがその勢いのままに剣を振り下ろす。


 炎ごと斬り裂くかの如き斬撃が繰り出され――だが響き渡ったのは、甲高い音だ。

 炎が晴れた先で、剣は不自然な位置で止まっており、魔王の身体には届いていない。

 これまでに幾度も繰り返されてきた光景であり、しかし同じだったのはそこまでであった。


「はあぁぁぁぁあああああ!」


 そこからさらに一歩を踏み込み、力を込めることで、刃を強引に押し進めていく。

 ギチギチと嫌な音が響き、今まで届くことのなかった刃が届きそうになっているのを、魔王が僅かに驚いたような顔をしながら見ていた。


 そしてついに、腕が振り抜かれた。

 何かを引き千切ったような音と共に、剣が軌跡を描き……クラウスの口から舌打ちが漏れる。

 手応えがなく、眼前にあったはずの姿も消えていたからだ。


 視線を巡らせれば、少し離れた位置で、魔王が感心したようにこちらを眺めていた。


「ほぅ……反撃を恐れず踏み込んできたこともそうだが、まさか俺の障壁を破れるとは思ってもいなかったぞ? ふむ……貴様らを侮っていたつもりはないのだが……」

「……侮っていなかったなどと、よく言えたものだ」

「まったくね。私達のことを完全に無視して結界の要を破壊してたくせに、どの辺が侮っていなかったつもりなのかしら?」


 これ以上そんなふざけたことをさせるつもりはない、というつもりで言えば、魔王は首を傾げた。

 その顔に浮かんでいるのは、こちらの言っていることの意味が心底理解出来ない、といった表情であり――


「貴様らは一体何を言っている? 侮るも何も、実際貴様らには注意を払う必要もなかったであろうに。ならばもっと必要なものを優先するのは、当然のことよ」

「……っ」


 その言葉はこちらを煽るためのものではなく、おそらくはただの本心であった。

 そして、事実でもある。


 少なくともさっきまでの間に、ソフィア達は傷を与えることはおろか、退かせることすら一度も出来てはいなかったのだ。

 今初めて出来たのであり、そう言われても当然ではある。


 とはいえ。


「必要なもの……結界の要を壊して街に魔物を招き寄せるのが必要だったということなの? あなたならばそんなことをせずとも街を滅ぼせそうな気がするけれど?」

「無論、当然よ。だが、それでは恐怖も絶望も足りまい? 貴様らをいびることでそれなりに得ることは出来たが、思ったよりは得られなかったからな。魔物共を周囲に配置してはみたものの、正直使うつもりなどなかったのだが……ふむ。ただの思いつきにしては存外悪くないな」


 眼下を眺めながらの言葉に、警戒しながらソフィア達は一瞬視線を交わした。

 今言ったことは独り言のようなものなのだろうが、それにしては気になることがあったからだ。

 それは、恐怖と絶望を得る、というものだ。


 正直先ほど言われた時は、魔王らしいとしか思っていなかったのだが……よくよく考えてみると、おかしい。

 かつての魔王は、そんなものを求めてはいなかったからである。


 魔王の行動の全てを知っていたわけではないものの、これでもソフィア達は魔王討伐隊の一員で、本気で魔王を倒そうと思っていたのだ。

 それなりに情報は集めたし、実際に相対したこともあるから断言出来る。

 あの頃の魔王は、そんなものを求めてはいなかった。


 しかもこれは気のせいかと思ったのだが……どうも魔王は少しずつ力を増しているように見えるのだ。

 単純に力を小出しにしているのかと思ったのだが、それにしては妙なのである。

 力の増していく量が、いまいち不安定なのだ。


 ほんの少ししか増えていかないようにも見えれば、一気に増した時もあった。

 特に増した時は、先ほど魔王が結界の要の一つ目を破壊した時だ。

 そしてそれは、間違いなく王都の者達が恐怖と絶望を覚えた時でもある。


 何故ならば、結界は魔物を寄せ付けないという意味で重要なものではあるが、それ以上に本来破壊されるはずがないものだからだ。

 結界の要とはいうものの、それは物理的なものではなく、概念的なもので出来ているのである。

 ゆえに、物理的な攻撃では壊れるはずがないのだが……あっさりと壊されてしまった。


 王都の周囲に魔物がひしめき合っているというのは、とうに知られていたのだ。

 その状況でも混乱が起きていなかったのは、結界があれば大丈夫だと思っていたからである。


 しかしその前提が崩された。

 人々が恐怖と絶望に支配されてしまうのは、当然のことだろう。


 それはきっと、ソフィア達がまだ戦えているから、というのも大きかった。

 見るからに押されてはいるものの、倒されてはいないのだ。

 ならばどうにかしてくれるに違いないと、そう信じられているのだろうということはきちんと自覚している。

 それが七天というものであり、その期待と信頼に応えるのが義務であり責務なのだ。


 だが、ソフィア達が健在なのにも関わらず、あっさりと結界の要は壊された。

 さらにはそれは一つで収まらず、合計で三つもだ。

 結果的に魔物が街に侵入し始めてしまっている。


 今のところは、騎士団の者達が頑張ってくれているようだが、それもいつまで持つかは分からない。

 しかも、結界の要はまだ残っているのだ。

 それは本来救いのはずだが、それも壊されてしまったらどうしようと、不安の種にしかなっていない。


 しかしソフィア達が倒されていたか、もっと押されていたら、おそらくはそういったものを感じるよりも諦めの方が強かったはずであり――


「……一つ聞きたいのだけれど、私達のことを本気で倒そうとしていないのも、皆に恐怖と絶望を与えるためなのかしら?」

「ふんっ……答えが分かりきっている質問に、応える意味はあるのか? そもそも、俺は言ったはずだが? 貴様らで遊ぶ、とな」

「……舐められたものだな」

「舐めているのかどうかは、それこそ貴様らの方がよく理解しているのではないか? まあ、だからこそ今のは少し驚いたわけだが……」


 そうは言いつつも、大して驚いている様子がないのは、実際にそうだからだろう。

 あくまでも予想外だったというだけで、それが問題になるほどではないのである。

 そのこともソフィア達はよく分かっていて、だからこそ先ほどの一撃で手傷の一つでも負わせておきたかったのだが……さすがにそう上手くはいかないようだ。


 だが、今ので一つ確信出来たことがある。

 それはやはり魔王は人々に恐怖と絶望を振りまくことを優先しているということだ。

 それも、そうすることによって、多分魔王の力を増加させる結果となっている。


 そこに疑問を覚えないのは、そういった存在がいるということは知っていたからだ。

 魔王を倒すために集めた情報は、魔王に関するものだけではない。

 どんな情報が役に立つか分からないからこそ、本当に片っ端から集めたのだ。


 もちろん中には眉唾物も多かったが、決して無視することは出来ないものも多かった。

 たとえば、以前相対した邪龍や、後に魔王と呼ばれることになる存在が仕えていたという邪神には、人に恐怖や絶望を与えることでそれを自身の力とする能力があったという。

 実際邪龍にはそんな力があったようだし、ならば魔王にもそういった力があったところで不思議はない。


 それが分かったところで、それそのものに対抗する手段はないが……それを優先としているというのならば、やりようはある。


「……ところで、これ以上結界の要は壊さないのかしら? 三つ壊したところで、満足したように手を止めたけれど。まさか、私達の妨害が成功しているというわけではないでしょう?」

「現実は正しく認識出来ているようだな。そしてそれには無論と答えよう。全てを壊してしまえば、絶望ではなく諦めとなってしまう。時には加減が必要だということは聞いていたからな」


 聞いていた、というところで、目を細める。

 誰からだという疑問はあるものの、きっとそれこそが未だにヒルデガルドがここに現れる様子がない理由だと思ったからだ。


 おそらくは協力者か何かがいて、それによってヒルデガルドは足止めを受けている。

 彼女を足止め出来るような存在などあまり信じられるものではないが、それ以外可能性がない以上はそう判断するしかない。


 とはいえそれも、そこまで長くは続かないはずだ。

 こちらはヒルデガルドが来てくれることを信じて、時間を稼ぐしかないのである。


「……それで、何故貴様はそんなにベラベラとこちらの質問に答える?」

「ふんっ、こちらの都合で貴様らには俺の遊びに付き合ってもらっているのだ。ならば、駄賃は必要であろう?」


 嘲るような笑みを共に放たれたその言葉は、きっと本心からのものだ。

 おそらく魔王は、こちらが何故魔王の力が増し続けているのか、ということの理由に気付いたことを理解しているのだろうが、それを気にした様子はない。


 というよりは、敢えてこちらに教えているのだろう。

 そもそも知ったところでどうにか出来るものではないし……こちらにも、恐怖と絶望を与えるために。


「……既に言ったはずよね。あの時の私達と同じだと思うな、と」

「それに関しては、確かに事実だったようだな。あの頃の貴様らであれば、とうに恐怖と絶望を抱いていたであろうに……まあ、遊び相手としてならば悪くはないがな。何かを企んでいるようだが、それも含めた上で貴様らにも絶望を与える方法を考えるのも一興よ」


 何かを企んでいるということには気付いているようだが、構わない。

 大体こちらが時間稼ぎを主としているのは、バレないわけがないのだ。

 その上で遊んでくれるというのならば、腹立たしくはあるものの乗るだけである。


「無駄よ。私達の背には、自ら選んで背負うことにした沢山の命がある。それがある限り、絶望なんてしてる暇はないわ」

「ほぅ……? その沢山の命とやらは、ここにいるやつらのことか?」

「それだけじゃないわ。この国に住む全ての人達よ。だからこそ、それを奪ったあなたを、私達は許さない」

「ふんっ、貴様らの許しなど必要はないが……では、ここにいる者共を全て殺し尽くしたところで、貴様らは絶望しないということだな? 試してみるか?」

「……っ」


 本当にそれを実行に移されたとしたら、きっとソフィア達ではどうしようも出来ないだろう。

 だが、止めようと動くことがなかったのは、ソフィアが自分で口にした通りのことが理由だ。

 ここには数多の人々がいるが、それがこの国の民の全てではない。


 この国を救うために、より多くの人を助けるために、王都を見捨てる必要があるならば、ソフィア達はそうしなければならないのである。


 それに、魔王はそんなことをしないだろうという確信もあった。

 もちろん、人道的な理由などではなく――


「動揺の一つもせぬ、か……つまらんな。少し情報を与えすぎたか? 貴様ら、俺がそんなことをするはずがないと確信しているであろう?」

「……貴様がそんな無駄なことをするとは思えんからな」

「ふんっ、その通りだ。まだまだ搾り取れそうだというのに、貴様らを絶望させるためだけにそんな無駄なことをするわけがない。だが、となると――」


 視線を巡らせていた魔王が、ふと何かに気付いたかのように、笑みを浮かべた。

 瞬間背筋に悪寒が走ったのは、魔王が見ている方角に何があるのかを理解したからである。


「っ、あなた、まさか――」

「貴様らが攻撃の手を止めこうして会話をしているのは、この方が時間を有効に稼げると判断したからであろう? それは正しい。このまま続けていたら、貴様らを絶望させる前に殺してしまいそうだからな。だがかといって、このまま会話を続けるだけというのはいかにも退屈だ。そこで、少し場所を変えようではないか。こうすることで、下の者達もより絶望してくれそうであるしな」


 魔王の視線の先、ソフィア達の背後。

 そこにあるのは、王城である。


「っ、させ――」

「言ったであろう? このままでは殺してしまいそうだ、と。力の差を弁えよ」


 反射的にクラウスが飛び掛ろうとしたが、剣を振るうよりも先に魔王によって吹き飛ばされる。

 分かっていたこととはいえ、明確すぎる力の差に一瞬ソフィアの手が止まり、その間に魔王の姿が消えた。


 何処に行ったのかは考えるまでもない。


「……最悪の結果ね。王城に向かったとなれば結界の中ということでもあるし」

「いや、まだ最悪というには早いだろう。むしろ時間を稼ぐというのならば、あいつの方が適任だ。むしろ好都合だと言うべきかもしれん」

「……そうね。物は考えよう、というところかしら」

「そしてそのためには、ここでのんびりとしているわけにはいかん。下は下で気になるが……」

「まだ大丈夫そうだし……任せるしかなさそうね。急ぎましょう」

「ああ」


 魔物のことは気になるが、魔王のことを放っておくわけにはいかない。

 一瞬だけ下を見るも、それを振り切るようにして王城の方へと視線を向ける。


 眼下から届く喧騒を耳にしながら、ソフィア達も魔王の後を追い、王城へと向かうのであった。

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