龍人との戦闘
眼前の光景を眺めながら、ヒルデガルドは下唇を軽く噛んだ。
歯がゆい上に、酷くもどかしい。
自分が前に出ることが出来るならば、とつい思ってしまうが……出来ないことを言ったところで仕方のないことだ。
そうして溜息混じりに右腕を振るえば、こめられた力によって衝撃波が走り、叩きつけられた地面へと文字通りの意味で爪あとが残る。
だが幾度となく受け、繰り返されたからか、相手は驚く行動に出た。
衝撃を受けたわけではないのに不自然に動きの止まった身体を、それを想定したように強引に動かしたのだ。
まるでそれにはもう慣れたと言わんばかりであり、逆にそれに驚いたのは、リナである。
踏み込もうとした矢先に距離を詰められ、一瞬たたらを踏む。
攻めるか、守るか。
瞬間頭を過った迷いに、ほんの僅かにリナの動きが鈍る。
そして相手はその隙を見逃すような存在ではなく――
「させるか、なのじゃ!」
しかしそれよりも先に、ヒルデガルドは左腕を振るっていた。
飛来した衝撃波がカウンター気味にそれへと叩きつけられ――その寸前で霧散する。
だが代わりとばかりにその身体が再び不自然に止まり、その間にリナは離脱していた。
攻撃を放つことも出来ただろうが、不十分な体勢で放っても意味がないと判断したのだろう。
いい判断であった。
「すみません、助かったのです」
「いや、今のはどちらかと言えば我の責任じゃからな。まさかここまで早く適応してくるとは思ってなかったのじゃ。しかもあそこまで強引にやってくるとは……よくもまあ、そんな器用なことをするものじゃな」
「ふんっ……貴様の面妖さには負ける。だが、どうやってこの我の邪魔をしているのかは知らんが、そうと分かっているならばそれに対応するまでのことよ」
分かったところでそう簡単に対応出来るものではない……というか、本来はそもそも対応出来るものではないのだが、やられてしまっている以上は言ったところで意味がない。
こちらもそれを前提としてサポートしていくしかないだろう。
「まったく……さすがに少しへこむというものじゃな」
口の中だけで転がしたぼやきは、幸いにして誰の耳にも届かなかったようだ。
或いは、単に余計なことを気にしている余裕がなかっただけか。
飛び込んできた相手の攻撃にリナが合わせ、甲高い音が響き渡った。
戦闘が開始してから、そろそろ三十分が経とうとしていた。
だというのに、双方共に大して傷ついてもいないのは、互いに決定打に欠けるからだ。
力量としてはほぼ互角。
手数と技量はリナが上であり、単純な力と守りは向こうが上。
ただし総合力では余裕で向こうの方が上であるため、ヒルデガルドが加わることで何とか均衡を作り出している状況だ。
向こうの攻撃が当たればただでは済まないだろうが、リナはそれを上手く捌いており、逆に反撃を叩き込んでいる。
しかし。
「っ……やっぱり、何度やっても斬れているという気がしないのです。まあというか実際に斬れていないわけですが……何であんなに硬いのです? 特別な防具を身につけていたり、魔法を使ってたりしてるようには見えないのですが……」
「ふんっ……何を当たり前のことを。その程度の剣と腕で、龍の鱗が切り裂けるわけがないだろう」
「鱗って……え? それ、鱗なのです? 普通にわたし達と同じ皮膚にしか見えないのですが……」
「いや、概念的な話なのじゃ。龍人はかつて使えた力をある程度引き継いでいるものじゃからな。どれだけ引き継げたのかはさすがに分からんのじゃが……とりあえず今使えるのは鱗と爪というところじゃろう。目には見えずとも、それを身体の表面に覆っていると考えれば大体間違ってはいないのじゃ」
予測というよりは、確信を持って言った言葉に、こちらに向けられていた目が細められた。
そこに込められている感情は、苛立ちだ。
「貴様……だから何故それを知っている? 理解出来る? ただの人間に理解出来ることではないはずだ」
「ならただの人間ではないということなのじゃろう」
「……貴様」
さらに苛立ちが濃くなるが、こちらとしては事実を言っているだけだ。
同時に全てを言っているわけではないものの、そこまで教えてやる義理はない。
とはいえ、それの言っていることは正しくもある。
先ほどからヒルデガルドが口にしていることは、普通の人間が知ることの出来るものではないし、ましてや理解など不可能だ。
ならばそこからヒルデガルドの正体に辿り着けそうなものだが……それもまた難しいことである。
何故ならば、龍にとっての龍人というのは、御伽噺のようなものだからだ。
人が人の身のまま神へと至るようなものであり、相手もそうなのではないかという思考には普通ならないのである。
それはヒルデガルドも例外ではない。
では何故ヒルデガルドは気付けたのかと言えば、ヒルデガルドには他の世界で神として過ごした記憶があり、その時に得た経験があり、知識がある。
何よりも、ヒルデガルドが引き継いだ力は、この『目』と権能だ。
そのせいで戦闘能力は大分落ちてしまったものの、その分視ることに関してはかなりの自信がある。
リナのことに気付けたのもそれが理由だし、上手く使えば相手が龍人だろうとその正体を看破する程度わけないのだ。
もっとも、それに気付いてしまったから、ヒルデガルドは前衛に出て相手と正面から戦うことが出来なくなってしまったわけだが。
「ふーむ……龍の鱗、なのですか……さすがにそのままの硬さ、ということはないのですよね?」
「さすがにそのままということはないと思うのじゃが、それでも大差ないであろうな。元より龍に攻撃が効かなかったり効きづらいというのも、概念的な理由じゃし。龍を斬るぐらいの気持ちでいかねばあの守りは突破出来ぬと思うのじゃ」
言いながら、互いに動くタイミングを計り合う。
ちなみに喋りながらなのは、主に情報交換のためだ。
ヒルデガルドは知識があると言っても、やはり実際に戦っている者の意見は重要だし、実際に戦っているからこそリナには情報が必要である。
とはいえ、戦闘が始まってすぐの頃はやっていなかった。
その必要がないと思っていたからだ。
おそらく相手は、まだ龍人として目覚めたばかりなのだろう。
明らかに力に振り回されており、強大ではあるが隙も多かった。
総合的にはリナとヒルデガルドが力を合わせて同等というところだが、その分明らかにこちらが有利だったのだ。
さらには、ヒルデガルドだけが分かっていたこともあった。
それらのことを合わせて考えれば、問題なく勝てると思っていたのだが――
「龍の鱗を斬る、なのですか……」
「なんじゃ、自信がないとは言わんじゃろ?」
「まあ、斬れるか否かで言えば、斬れるとは思うのですが……」
「……ほぅ? 龍の鱗を斬れる、だと? 貴様程度がか……?」
それはおそらく半ば挑発目的ではあったのだろうが、同時に半分程度は本気なのだということが、その目を見れば分かる。
だからこそ、リナも黙ってはいられなかったようであった。
「む……? わたしには斬れないとでも言うつもりなのです?」
「実際我に手傷の一つも負わせることが出来ていないだろう? なのに斬れるつもりでいるなど、笑止千万よ」
言葉と共に、その口元が嘲りで歪み……瞬間、リナの纏っている空気が変わった。
こう言ってしまうと語弊が生じるが、今までのリナは本気でやってはいなかったのである。
一目で相手の方が自分よりも力量が上であると理解したがゆえに、本気の一撃を防がれてしまったら、その時点で勝敗が決してしまうということを分かっていたからだろう。
それはその後でどれだけヒルデガルドがサポートをしようとも、同じことである。
龍人は龍の要素を引き継いでいる――その半分ほどは概念的な存在なのだ。
そして概念とは、突き詰めていけば理の同義語である。
つまり法則であり、定まった事象だ。
強固な概念を壊すのはほぼ不可能であり、一度勝ったという事実を与えてしまえば、それを覆すのは生半可な手段で出来ることではないのである。
リナにはそのことを教えてはいなかったが、裁定者の知識からか、本能的なものからか、それとなく理解していたようであった。
しかし今のリナはどう見ても本気を出そうとしており――
「これでも兄様の後を追いかけるため、必死で頑張ってるのです。だからこそ、そんなことを言われたら引くことは出来ないのです……!」
そう言ったリナはどうやら本気のようであり……だが、一瞬こちらに向けてきた視線に、小さく頷きを返す。
その意図を理解していたからだ。
おそらくリナは相手の言葉にちょうどいいと乗っただけで、最初からそのつもりだったのだろう。
何故ならば、ヒルデガルドもそう思っていたからである。
会話を続けていたのは主に情報交換のためではあるが、同時に相手が挑発してくれないかと思っていたからでもあるのだ。
理由は単純で、このままでは勝てそうにないからである。
厳密には、このまま凌ぎ続けることならば出来るだろうが、それでは意味がない。
かといって下手に攻めようとすれば、きっと何処かでリナがやられてしまうだろう。
その原因は、主に相手側の学習と対応である。
相変わらず力に振り回されてはいるが、リナを倒すのにそこまでの力は必要ないと学習されつつあるのだ。
事実その通りであり、振るう力が少なくなれば、あまり振り回されなくなるというのは道理である。
だが最も問題なのは、対応の方であった。
それはヒルデガルドに対してであり……しかしそれは有り得ないことなのだ。
そもそも対応出来るのであれば、とうに自分でやっている。
しかし対応されつつあるのは事実であり……ゆえに、結論として、これ以上時間をかけるわけにはいかない、ということになったのだ。
多少無理をしてでも倒さなければ、ジリ貧になるだけである。
そして多分、相手もそれには気付いているはずだ。
気付いていないわけがない。
ならばこそ、わざわざ挑発などをする必要はないはずである。
「……リナ」
「……分かってるのです」
小声で名を呼べば、小声での返答と共に小さな頷きが返る。
ほぼ間違いなく罠ではあるが、分かった上で飛び込むということだ。
実際のところ、それ以外に道はない。
或いは持ちこたえていれば誰かがやってきてくれるかもしれないが……さすがにそれは楽観的に過ぎるだろう。
こんな時タイミングよく助けに来てくれそうなソーマは、いないのだ。
そしてだからこそ、こんなところで、これ以上足止めされるわけにはいかないのである。
互いに言葉がなくなり、ピンと張り詰めた空気が漂う。
向こうも迎え撃つ気なのか、やはり纏う雰囲気が先ほどまでと異なる。
互いの呼吸する音までが聞こえてきそうな静けさであり……不意に、遠方から轟音が響いた。
瞬間、それを合図にしたかの如く、二人の身体が動き――それより先に耳に届いたのは、後方からの、草木を踏み締めるような音だ。
「――学院長さん!?」
悲鳴のようなリナの声が聞こえた時には、ヒルデガルドもそれの姿を捉えていた。
一見すると影のようなそれは、見覚えのあるものである。
シャドウイーター。
攻撃した相手の能力を取り込むその腕が、ヒルデガルドへと向けて振り下ろされた。




