元最強、王都への道を急ぐ
「ほぅ……?」
端的に言ってしまうのであれば、それは予想外というものであった。
色々と試した結果それなりに慣れてきたとは思ったものの、まさかこんなものが釣れるとは、さすがに予想出来るわけもないだろう。
とはいえそれは、複数の意味で、だ。
それは一見すると、ただの人間に見えた。
年齢で言えば十代中頃といったところか。
成人したとはいえ、一人前と言うには程遠い、そんな年頃の男である。
だがあくまでもそれは、見た目だけの話だ。
ソレが見た目通りの存在ではないことぐらい、わざわざ確認するまでもない。
自分の呼びかけに応じた、ということもそうだが――
「ふんっ……随分と懐かしい相手だが、その姿はどうした? あまりにでかすぎて邪魔になったか?」
「……なるほど。懐かしい気配がしたから何者かと思ったが……貴様か」
まるでこちらの言葉を無視するような態度であったが、別に気にはならなかった。
むしろ面白そうに、口の端を吊り上げる。
否、実際に面白かったのだ。
どういうことであるのか、大体のところを察したがゆえに。
「なるほど、そういうことか……つまり、俺と同じだということだろう?」
確信を持ってそう告げ、今度はそれも反応を示した。
こちらに顔が向けられると、睨みつけるように目を細める。
いや、本当に睨みつけていたのかもしれなかったが、特に不快にはならなかった。
逆により面白くなり、くつくつと笑みが漏れる。
「……我が黄泉の淵より這い上がったのは、強き想いがゆえだ。貴様と一緒にするな」
「同じだと思うがな。まあだが、そんなくだらぬことでお前と言い争うつもりもない。違うというのならば、受け入れよう」
「……どういうことつもりだ? 貴様の懐はそこまで広くはなかったはずだが」
「ふんっ、なるほど……分かったうえでの暴言か。だがよい、今の俺はすこぶる機嫌がいいからな。その程度のことは許そう。何せ……アレだけ人間嫌いだったお前が、そうして人間となっているのだからな」
「――っ!?」
瞬間、物理的な力をも伴った殺意が、その場に溢れた。
並の者どころか、それなりの力を持った者ですら、その前では呆気なく消し飛んでいただろう。
だがそれを前にしても、当然のようにその場に変化はない。
ただ口元の笑みが、さらに深まるだけだ。
「ほぅ……てっきり弱体化しているとばかり思っていたが、どうやら衰えてはいないようだな」
「……見え透いた世辞は不要だ。見ての通り、我の力は衰えている。貴様と同じように、な」
「ふんっ……確かに俺の力は衰えているが、弱くなったわけではないぞ? それどころか、新しく宿した力により、昔よりも強くなったと言えるだろう。お前をここに呼び寄せる事が出来たのも、その証拠だ」
「……なるほど。戯言ではないようだな」
今の間で何かを測っていたのか、呟きと共に、僅かに変化していた瞳孔が元に戻った。
全身からほとんどの名残が消えた今、そこだけがかつての面影を感じさせるものであり……いや、とふと浮かんだ思考を否定する。
纏っている気配こそが、最大の名残か。
「さて……色々と話すべきことはあるだろうが、ここで続けるのも何だ。こちらに来るがよい」
「……何故我が貴様の言うことを聞かねばならぬ」
「呼びかけに応えておきながら、今更ではないか?」
「あれは興味があってゆえのことだ。別に貴様に従う理由にはならぬ」
「なるほど……確かに、この力はお前達を縛るものではないからな。本来ならばそんな不遜な物言いなど許さぬところだが……まあ、他ならぬお前相手だ。特別に許そう」
「……偉そうに言うものだ」
「ただの事実よ。まあ、何にせよお前の好きにすればよいが……後悔するなよ? 何も俺はお前を勝手に使おうとしているわけではない。協力してくれるのならば、相応の対価を支払うと約束するが?」
「対価、だと……?」
「ああ。わざわざそんな姿になったということは、何かお前にも目的があるのだろう? 俺に協力すれば、早道となると思うが?」
「……」
それは口からのでまかせというわけではなかった。
これからやることを考えれば、戦力が多いに越したことはないが、敢えて嘘を吐いてまで取り込む必要もないのだ。
目的を聞いてはいないが、どうせ昔から変わっていないのだろう。
ならば結果的にはこちらのやろうとしていることと同じなはずだ。
もっとも、それが対等な協力関係となるかは、また話が別ではあるが――
「……一つだけ、条件がある」
「ほぅ? 言ってみるがいい」
「我を人間と呼んだことを、取り消せ。我は、人間などというものではない……!」
「ふむ……それぐらいならば容易いが……なら、お前は一体何だというのだ?」
「簡単だ……我は我である。それ以外の何物でも、ありえぬ」
「なるほど……承知した。ならば、名も同じもので呼ぶとしよう。――なあ、ファフニールよ」
「……名など所詮は記号でしかないが、あの方よりいただいたものでもある。好きにするがいい」
口ではそう言いながらも、その口元ははっきりと緩んでいた。
意図したものではない、というか、おそらくは単純に慣れていないのだろう。
姿形と同様、随分と人間らしくなってしまったものだ。
だが使えさえすれば、後のことはどうでもいいことである。
これでまた一歩、先に進めたと考えれば、他は些細なことだ。
そうして、自身もまた口元を緩めながら、かつて邪龍と呼ばれた存在を引き連れ、魔王はその場を後にするのであった。
「なんというか、魔王城からこっち、忙しない日が続くわね」
そんな呟きがふと聞こえたのは、街道を急ぐ先でのことであった。
おそらくそれは、単純な感想だったのだろう。
あてつけだったりするわけではない、率直な想い。
だがだからこそ、きっと皆の気持ちの代弁でもあった。
「うむ……正直すまんと思っているのではあるが……」
それは本音ではあるが、かといってどうにかしようもない。
ここでのんびりとするわけにはいかない以上は、足を止めるわけにはいかないのだ。
ちなみに急いでいるのに馬車などを使っていないのは、そちらの方が早いからではなく、単に馬車が使えないからである。
どれだけ使いたくとも、存在していないものは使う事が出来ないのは道理であろう。
というのも、ヤースターに人がいなかったのは、ヤースターの住民もまた既に避難していたからであり、その時馬車も全部持っていってしまったらしいのだ。
まあ、ドリスしか残っていなかったことを考えれば、当然のことでもある。
一応一つぐらいは残していくかという話もあったようだが、馬の世話なども必要となり、面倒なだけだからと断ったらしい。
そうしたわけで、ソーマ達はこうして走り続けざるを得ないのであった。
「あー、その、別にあんたを責めようってわけじゃないんだけど……」
「いや、それは分かってるであるが、その上で申し訳なく思ってるわけであるからな。特にフェリシアに関しては……」
ちらりと後方に視線を向ければ、フェリシアは何とかついてこれているものの、顔は俯き息は荒い。
今朝からずっと歩きっぱなしとはいえ、昨日の夜はヤースターで休んだことを考えれば、そろそろ限界が近いのだろう。
いや……限界など、とうに来ていたに違いない。
それでもここまで頑張ってついてきてくれているのだ。
ソーマはそれをやめろということは出来ない。
そもそもソーマが連れ出したのだ。
ならば最後まで面倒を見る義務と責任があった。
「……姉さん、大丈夫?」
「そう、ですね……さすがに少し疲れましたが、まだ大丈夫ですよ? 皆さんの足をこれ以上引っ張るわけにもいきませんし……」
「……ん、分かった。……でも、無理そうなら言って。……その時は、私が背負う」
「……ありがとうございます。ではその時は、頼らせてもらいますね」
「……ん」
そんな会話を聞くともなしに聞きながら、小さく溜息を吐き出す。
「やれやれ……これは王都に着いて一段落したら、報いる必要がありそうであるな」
「そうね……ちゃんとあの頑張りに応えてあげなさいよ? あんたの責任なんだから」
「分かってるであるよ」
正直、ヤースターに一旦置いてくるという選択も、あるにはあった。
ドリスにはフェリシアが魔女だということはまだ伝えていなかったが、ドリスならばきっと受け入れてくれただろう。
ドリスは街の後片付けというか、自分のやったことの後始末をつけるために街に残ったため、そのままフェリシアを守ってくれたに違いない。
だが、母がいない今、あそこが最前線ということになる。
ドリスはとりあえずしばらくは留まっているつもりだとは言っていたが……そうなると、万が一ということもあるだろう。
そうなると結局、こうしてフェリシアを連れて歩くのが最も安心出来ることとなるのだ。
とはいえそれは所詮ソーマの都合でしかないし、フェリシアのことを一番に考えるならば、そのままソーマ達もヤースターに留まるべきであった。
後のことは全て母達を信じ任せるべきであり、そうせず王都に向かうというのはソーマのわがままでしかないのである。
いくら魔王城を出てからこちら、ずっと嫌な感覚がこびり付いて離れないとは言っても、気のせいだと言われてしまえばそれまでであるし――
「……そういえば、今まで何となく聞く機会がなかったから聞けてなかったけど、あんたはどうして何かが起こってるかもしれないと思ったのよ? 今はその根拠となるような情報を得たわけだけど、これまであったのはただの状況証拠で、それ以前に至ってはそれすらなかったでしょ? それなのに、あんたはまるで何かを確信してたみたいに、一貫して急いでたわけだけど……それって、何か理由があったからなのよね? 何でそんなことが分かったのよ?」
と、まるでこちらの思考を読んだかのような質問に、つい笑みが漏れた。
それは予想外のシンクロっぷりが面白かっただけなのだが、アイナは別の意味に捉えたのだろう。
睨み付けるような視線を向けてきた。
「……何がおかしいのよ?」
「いや、別におかしかったわけではないのであるが……まあ、それはともかくとして。理由、理由であるか……あるにはあったであるが、半ば以上は勘であるぞ? だから何故分かったのかと言われてもであるな……」
「でも、半ば以上勘とはいえ、理由もあるにはあったんでしょ? まあ、話せないようなことが理由だっていうんなら、無理に聞きはしないけど……」
「そういうわけではないのであるが……ま、隠すようなことでもないであるか。そもそもの発端は、あれであるな。スティナの話である」
そこで一瞬アイナが眉根を寄せたのは、そこに何か思うところがあったわけではなく、あれから多少の時間が経過しているからだろう。
内容を思い出すのに多少の苦労が必要だったというだけであり、自信はあまりないのか、そのままの様子で口を開いた。
「あの時した話の中であんたが気にするようなことってなると……あれのこと? 魔神は確かに滅ぼされたけど、滅びる間際にその力の一部が何処かへと持っていかれるような感覚がした、とか何とか言ってたけど……」
「うむ、まさにそれである」
「……それだけで?」
言いながら訝しげな視線を向けられるが、ソーマとしては肩をすくめるしかない。
その通りだからだ。
「まあ、あとは我輩がアレを斬った時に、確かに変というか妙な感覚を覚えていたであるから、それで余計に気になったというのはあるであるが……だから言ったであろう? 半ば以上勘である、と」
「それはそうだけど……」
いまいち納得していない様子ではあるものの、それ以上言えることなどはないのだから、仕方がない。
事実それを勘の理由として、ソーマは何かがあるのではないかと思い、屋敷にまで急いで戻ったのだし……きっと今も抱いている漠然とした嫌な予感も、それが理由だ。
どうにも、この状況に続いているような気がしてならないのである。
「……もしかして、あんたがソフィアさん達だけに任せようとしないのも、それが理由?」
「まあ、否定は出来んであるな。母上達が後れを取るとは思わんであるが……」
それでも、嫌な予感は消えないのだ。
フェリシアに無理をさせることを、是としてでも。
「……ま、あたし達はあんたについていくだけだし、好きにすればいいんじゃないの? あんたが行く必要がなかった、ってなったとしても、その時はその時だろうし。少なくともやらなくて変な後悔するよりはマシでしょ」
「うむ、そう言ってくれると助かるのである。……そういえば、無理をさせていると言えば、アイナにでもであるし、報いる必要があるのはアイナにでもあるか」
「……は? ……別にあたしはそういうの、必要ないわよ。無理なんて、してないし」
「いや、してるであろう?」
フェリシア程とは言わないまでも、アイナも身体を動かす事が得意というわけではないのだ。
しかも、アイナは魔法も使っている。
自分達の補佐と、フェリシアの疲労回復などをするために。
確実に無理はさせてしまっているだろう。
「……あたしなんかよりも、シーラのことを気にかけるべきなんじゃないの? 移動そのものはともかくとして、フェリシアのことでかなり無理してそうだし」
「まあ、確かにそれはあるであるな……」
無理と言うべきか、張り切っていると言うべきかは何とも言えないところではあるが、フェリシアに無理をさせている分、シーラもかなり気を使っているのは事実だ。
その大元の原因がソーマだと考えれば、確かにシーラにも報いるべきかもしれない。
「とはいえ、やはりアイナに無理させてることにも変わりはないわけであるしな。シーラはシーラとして何か考えるであるが……ま、何かあれば考えておいて欲しいのである。もちろん、我輩が出来る範囲内でのことであるが」
「だから無理してないって言ってるんだけど……」
そんなことを言い、ジト目を向けてはくるものの、そのまま視線を逸らすあたり、きっと何かを考えてはくれるのだろう。
しかし何はともあれ、王都に戻り……そして、全てを解決してから、だ。
解決出来なければ、ここまで皆を無理させた意味はないのである。
ふと遠くへと視線を向けてみるも、当然のように王都は影も形も見えない。
だがこのまま進んでいけば、いつかは必ず辿り着くのだ。
その時まで、何事もないよう祈りつつ、ソーマは一歩一歩を確実に前へと進めていくのであった。




