不穏の王都
ふと、目が覚めた。
しかし直後にヒルデガルドが疑問を覚えたのは、直前の記憶と繋がっていない気がしたからだ。
ここが何処かの家の一室だということは分かるものの、そんなところで寝ている意味がよく分からないのである。
確か――
「ふむ……ラルス達と見回りをしていたのは覚えているのじゃが……」
新しい村に来て、しかしそこでもやはり村人の姿はなく……そして。
……そして?
「むぅ……何故か妙に頭がすっきりとしないのじゃ……」
寝起きだということを差し引いても、どことなくだるさのようなものが残っている気がする。
まるで、何かと全力で戦った後のように。
と、その思考が引き金となったかの如く、不意に思い出した。
そうだ、新しい村にやってきて、そこで誰かと会ったのだ。
それは多分、自分にとってそれなりに繋がりのある人物でもあり――
「うむ……少しずつ思い出してきたのじゃ」
会ったのは、リナだ。
だが何故かリナは殺気立っており、さらには剣を突きつけられたりもしたのである。
いや、それどころか――
「斬りかかってくるとは、さすがに予想外だったのじゃが……アレはいくら何でも肝が冷えたのじゃぞ?」
言葉は、外に向けたものであった。
瞬間、外の空気が僅かに揺れる。
しばらくはそれだけだったのだが……無意味だということに気付いたのだろう。
はっきりと溜息が吐き出される音が聞こえ、開きっぱなしだった扉の前にその姿が現れた。
「むー……ですからあれはこちらが悪かったのですと、ちゃんと謝ったのです!」
「確かに謝られたし、許しもしたのじゃが、アレは本気で驚いたのじゃからな。もう一度ぐらい口にしたところで、許されてしかるべきじゃろう?」
「むー……反論できないことが分かっててそういうことを言うあたり、意地が悪いのです」
「ま、恨むのならば、やむをえなかったとはいえ、迂闊なことをしてしまった己を恨むのじゃな。いくら魔物ではないかと疑っており、その場に四つの気配があったとしても、じゃ」
確かにアレの性質を考えれば、あの場に姿を現していた中に潜んでいたとしてもおかしくはない。
そういう意味では、剣を構えるまでは当然の対応だが、突きつけるというのはさすがにやりすぎである。
もっとも、近くにもう一人が潜んでいる、ということに気付けなかったヒルデガルドにも、十分な非はあったのだが。
とはいえ、それはそれだし、正直それに関しては魔物を――シャドウイーターを褒めるべきですらある。
いくら元よりシャドウイーターの知能が高く、さらには数百人という村人を食らった後だとしても、あの隠形は見事としか言いようがなかった。
何せヒルデガルドも、リナが斬りかかってきた瞬間になって、ようやく気付けたのだ。
あそこでシャドウイーターが動揺し隠形が乱れなければ、ヒルデガルドはともかく、ラルスかヘレンのどちらかは先に食われてしまっていたかもしれない。
「そういう意味では礼を述べるべきなのじゃが、まあ、やはりそれはそれ、じゃしな」
「むー……ずるいのです」
「ま、このことに関しては、後でソーマにも話しておくのじゃ。お褒めの言葉は、ソーマから貰えばいいじゃろう」
「ならいいのです!」
「現金じゃなぁ……」
膨れていたかと思えば一転して笑顔になるのだから、この娘は相変わらずであった。
ソーマが戻ってくることを欠片も疑っていないことも含めて、だ。
まあその点に関しては、自分も他人のことは言えないが――
「さて、と……とりあえず、気付いたらなんか夜になってるんじゃが、その間になにか変わったことでもあったかの?」
「いえ、今のところは特にないのです。シャドウイーターも、あれ以来見つかってないのですし」
「そもそも一体見つかっただけで本来ならば大問題なんじゃがなぁ……って、ああ、何で我倒れたのか思い出したのじゃ。そうか……視すぎたせいじゃったな」
リナが背後にまで迫っていたシャドウイーターを斬り倒した後で、今回の件に関する話は大雑把にではあるが、聞いていた。
今まで見て回った村で村人達がいなくなっていたのは、シャドウイーターに食われてしまったためだったのだ。
そして国はそのことを、知っていた。
だからこそ、ヒルデガルドに頼んできたのである。
ヒルデガルドならば、シャドウイーターが何に化けていようとも、一目で見破る事が出来るからだ。
その情報が伝えられる事がなかったのは、これは本当にどこかに漏れてはまずい話だからだろう。
それはそうだ。
災害級の魔物が王都のすぐ傍にまで来ており、既に被害が出てしまっているなど、万が一にも知られてはならない話である。
とはいえ、いくらヒルデガルドでも、シャドウイーターがいるということを想定の上でなければ、今回のように見逃しも発生してしまう。
その話をリナから聞いた時は、本当に驚いたのだ。
しかしゆえにそれらのことは、後で知らせるつもりだったらしい。
ヒルデガルドが村の調査を行なっている最中に、情報を持った者が合流することで。
だが今までそうならなかったのは、それが不可能になったからだ。
これは完全な推測なのだが……多分、その者は合流前にシャドウイーターに食われてしまったのである。
リナが倒した一体が、そういった旨のことを言っていたらしい。
そう、別にリナは、そのための人員ではなかったのだ。
シャドウイーターのことを探っていたのは同じだが、別口であり、しかしそういった理由により、ヒルデガルドにそのことを伝えようとしたとか。
嘘を吐く理由もないし、本当のことなのだろう。
少なくとも、それに関しては。
ともあれ、シャドウイーターに関してだが、その話を聞いた時点でリナはシャドウイーターを二体倒している。
つまりリナが先に倒したのと、ヒルデガルドと会った直後に倒したのは、当たり前と言うべきか別であり……それこそが、未だに王都へと帰還しておらず、ヒルデガルドが倒れた理由だ。
どうやら王都周辺に現れたシャドウイーターは、一体や二体では済まず、さらに複数体いるらしいのである。
そしてだから、ちょっとヒルデガルドが全力で周辺を『視た』のだ。
権能も使用した、本当の意味での全力である。
今までやらなかったのは、対象を絞り込む事が出来なかったからだ。
しかし下手人が分かり、それが非常に危険だという事が分かったのであれば、出し惜しむ理由はない。
もっともそのせいで、一時的に記憶が混乱してしまうほど疲労してしまったわけだが――
「そういえば……今更なのですが、もう大丈夫なのです?」
「本当に今更じゃなぁ。ま、全快とは言えんまでも大丈夫だと言える程度には回復したから問題はないのじゃ。そもそも――」
「……そもそも? 何なのです?」
「……いや、何でもないのじゃ。ちょっと意味深に言ってみただけじゃからな」
「むー、何なのですか、それ。こちらは真面目に心配してるですのに……」
「悪かったのじゃ。まあ本当にただのお茶目じゃから、気にする必要はないのじゃ」
――嘘だった。
一瞬言いよどんだのは、そこにちゃんとした理由があるからだ。
さすがに本人の目の前で、お前を視たからだ、とは言いづらいだろう。
特に、隠している素振りがあるのならば、尚更だ。
まあ、問題がありそうならば話は別だが、今のところはそういった気配は感じない。
一先ずは、少しずつ探っていく方向のがよさそうである。
「とりあえず、伝える前に倒れてしまったから今伝えるのじゃが、ざっと周囲を見て回ったところ、シャドウイーターはこの近くにはいなそうじゃな。そもそもこの近くにやってきたことがあるのは、あの一体だけのようじゃったし」
「そうなのですか……なら、周辺を引き続き探ってたのは完全な無駄足だったってことなのです」
「そういうことになってしまうのじゃな……ところで、ラルス達はどうしたのじゃ?」
「多分まだ周辺を探ってると思うのです」
「……もう夜じゃぞ?」
「わたしもそう言ったのですが、学院長が休んでる間は自分達が頑張ると言うことを聞いてくれないのです」
「ふむ……」
今までは若干そういった傾向がありながらも、問題はなかったのだが……ここに来て何の成果も出せていないことに焦りを感じ始めたのだろうか。
あるいは、シャドウイーターに襲われかかった時、ろくに反応も出来なかったことが理由かもしれない。
どちらにせよヒルデガルドもそれは同じではあるのだが……ヒルデガルドにはこの『目』があり、これからが本領発揮だというのはほぼ確定である。
そういったことも、焦りを助長させてしまったのかもしれず――
「うーむ……少しでも気を晴らす事が出来れば、と思ってのことだったのじゃが、逆効果だったかもしれんのじゃなぁ……。まったく、慣れんことはするもんではないのじゃ」
「ああ……なるほどなのです。そういえば、あの二人は……」
「まあ、そういうことじゃな。色々と気に病んで頑張っているようなのじゃが……おそらくあやつが戻ってこないことには、空回りしかせんじゃろうからなぁ」
本当に、難しいことだ。
そして今まではともかくとして、何が起こっているのかが分かってしまった以上は、これから先はあの二人にあまり気を使うことは出来ないだろう。
ままならないものである。
「ま、とりあえず我も目覚めたことじゃし、止めに行くとするのじゃ。その後で色々と話すべきこともあるじゃろうしな」
「なのです」
そんなことを言いながら家を出ると、ヒルデガルド達は一先ず二人が調査に向かったという方角へと向かっていくのであった。




