元最強、故郷の現状を知る
「ああ、それはお前さん達の考えすぎってやつさね」
語って聞かせた後、ドリスから開口一番に返ってきた言葉は、そんなものであった。
さすがに一瞬理解が追いつかず、目が点になる。
「ま、そう考えるのも無理ないことではあるんだろうけどね」
「それは……どういう意味である?」
「どういう意味も何も、そのままさ。確かにシャドウイーターはノイモント領の方からやってきたみたいだけど、ノイモント領自体に被害はない。何せシャドウイーターが来るって警告があったのは、そのノイモント領の住人達の避難が行われてる最中だったんだからね」
「警告に……避難……?」
つまり、こういうことらしい。
そもそも災害級の魔物の襲撃があってもドリスが多少の傷を負うだけで済んだのは、事前に警告を受けていたからである。
ただし警告を発してきたのはギルドではなく、国の方だ。
より厳密には、一度国からソフィアへと連絡がいき、そこからさらにドリスへと連絡が伝わったことになる。
そして同時にそれは、救援要請でもあった。
「救援要請……それはつまり、先ほどおっしゃられていた避難に関して、ですか?」
「広義の意味ではそうともなるかもしれないけど、正確には違うね。アタシにされた要請は、シャドウイーターの撃退さ」
「ふーむ……それは複数人いるうちの一人として、ということであるか?」
「いんや? アタシ一人で、さね」
「それは……さすがに無謀じゃないの? 結果的にはこうして上手くいったわけだけど……」
「……ん、いくらドリスでも……それは、死ねと言われたのと同義」
そう言ってドリスへと顔を向けるシーラは、一見普通の様子に見えるものの、割と静かに怒っているようだ。
ローブ越しにすらはっきりとそれが分かるというのは、かなり珍しい。
まあ、今口にしたように、ドリスは国から死ねと言われたも同然の状況だったのだ。
そこに怒りを覚えるなという方が無理という話だろうが。
だがドリスはそんなシーラの様子に苦笑を浮かべると、肩をすくめた。
「ま、災害級の魔物相手だってことを考えれば、そう考えるのが普通だろうね。だが、ことシャドウイーターに関してだけはそうじゃないのさ」
「……どういうこと?」
「シャドウイーターは、さっき言ったように食らった相手だけじゃなく、傷を与えただけの相手でさえ、その姿形や能力を模す。つまり、下手に数を揃えたら逆にやりにくくなっちまうのさ。仲間だと思って近づいたら既に食われてた、なんてことも有り得るわけだしね。そんな状況じゃあ、他人が近くにいるってだけで警戒しなくちゃならない」
「ふむ……なるほど。だからこそ、確実に倒せるだろうと思われる一人で待ち受けることこそが最善、というわけであるか」
「誰の姿も模していない状態のシャドウイーターの戦闘能力は、大体中級の上位相当。上級のアタシなら何とかなる、ってわけさね」
「でもそれなら、より確実性の高い手段を取るべきだったんじゃないの? それこそ、ソフィアさんが撃退するとか」
「確かに……ソフィアさんという方は特級で、かつ七天の一人なんですよね? ならその方が安全だったと思うのですが……」
「確かにその通りではあるんだがね、そう出来なかった理由は二つある。一つ目は、万が一のためさ。シャドウイーターは知能すら模倣するらしいけど、模倣してなくとも元々も知能は高い。ま、そのせいでアタシは不覚を取ったわけなんだが……これが万が一、あの人だったらどうなってたと思う? そしてシャドウイーターがそのまま、逃走してしまったら……どんなことになると思うさね?」
「それはまた……考えたくない事態であるな」
「災害級の魔物に相応しい光景が誕生してしまいそうね……」
来るのが分かっているのであれば、母ならば不覚は取らないだろうとは思うものの……ドリスだって油断はしていなかっただろう。
それなのに不覚を取って傷を負い、姿と能力、それに記憶の一部を盗られてしまった。
ならば確かにその判断は、間違ってはいなかったのだろう。
「ま、あとはそもそもそうしようと思っても出来なかった、というのもあったみたいだがね。二つ目の理由でもあるんだが、どうもあの人は王都の方でやることが出来ちまったらしいのさ。さすがに詳しいことは聞けなかったけど、かなりの急務で、長期に渡る可能性もあるんだとか。そしてさっき言った避難ってのは、これが理由さね。シャドウイーターが襲ってくるってのと、しばらくは領主代行としての仕事が果たせないってことで、領民を一旦別の場所へと避難させたのさ」
「うーむ……そういうことであれば、あの光景も納得ではあるか……」
ノイモント領は公爵領だけあってそこそこの規模を誇るが、魔の森と面しているということもあり、領民の数は少ない。
避難という手段を選択したのは、それも理由の一つなのだろう。
「ちなみにそれって、いつぐらいの話なのである?」
「そうだねえ……アタシが話を聞いたのは三日前だったかね。避難そのものは一週間前以上に開始されてたみたいだけど」
「当然というべきか、あたしが出発したのよりも後ね。というか、その時期って……」
意味ありげに視線を向けてきたアイナに、小さく肩をすくめて返す。
言いたい事は分かる。
その時期とは、つまり魔王城でゴタゴタがあった時期とほぼ同じだからだ。
あれと関係があるのか、ないのか……今の段階では何とも言えないところだが――
「ともあれそうしてノイモント領がガラ空きになっちまえば、ここが最前線だ。アタシに連絡が来たのも、そういう理由だろうね。ま、近場にもっと強いやつがいれば別だったかもしれないけど、生憎とここら辺ではアタシが一番強いからねえ」
「そもそもそうでなければギルド職員代行などは勤まらんわけであるしな……ところで、国の方から警告が来たという話であったが、国はどうやってそれを知ったのである?」
「さてね。そこまではさすがに教えてくれなかったしねえ。あの人も案外知らされなかったのかもしれないさね」
「それでもこうして実際に襲撃があったわけですから、何らかの手段で知ったのは確か、ですか……」
「ま、そこら辺はあたし達にはどうでもいいと言えばどうでもいいことね。っと、そういえば、襲撃で思い出したんだけど、この街がこんなになってるのって、もしかして……」
「不覚を取った、って言っただろ? その傷は致命傷でも何でもなかったんだけど、直後にアタシの姿を模されちまったからねえ。自分と同じ能力を持った相手と戦うのは不毛だってのはよく分かったよ。ま、それを受け入れるにはちょっとばかりカッとなって暴れすぎちまったけどね」
「……ちょっとばかり?」
「なんだい、シーラ? 文句があるんなら受け付けるよ?」
「……ん、何でもない」
そんなやりとりをしているシーラは、話を聞いて納得したのか大分怒気は収まったようであった。
そんなシーラを、どことなく複雑そうな顔で眺めているフェリシアを横目に、ソーマは一つふむと呟く。
ドリスの話で、あの光景の意味するところは判明した。
ドリスが嘘を吐く理由もないし、不安は杞憂だったということになるだろう。
なる、はずなのだが――
「そういや、色々とドタバタしてたからすっかり聞くのを忘れてたけど、そっちの娘は誰なんだい?」
「あっ……そういえば、確かに自己紹介もしていませんでしたね。えっと、フェリシアと申します。それでその、本当でしたらこのフードを取って顔を見せるべきなんでしょうが……」
「ああ、別にアタシはそういうの気にしないから大丈夫さね。何らかの理由があるんだってことぐらいは分かるし、そもそもそこにもフード被りっぱなしなのはいるしね。それに……何よりフェリシアってのは、聞いてた名だからね」
「……ん、話したことがある」
「……そうでしたか」
「ま、名乗られる前から何となくそうだと思っちゃいたけどね。……シーラ」
「……ん?」
「そういうことで、いいのかい?」
「……ん、いい」
「そうかい……そりゃよかったさね」
「……ん」
意味ありげに、言葉少なに言葉を交わしている二人の間には、何処となく優しい空気が流れているようであった。
何についてのことなのかを察したのか、そんな二人のことをアイナは笑みを浮かべながら見守っている。
フェリシアは察しきれてはいないようで、その顔に浮かんでいるのは何とも言えないようなものだ。
それでもそこに流れている空気のことは分かっているらしく、アイナと同じように二人のことを見守っていた。
当然と言うべきか、ソーマも大体のところは理解していたものの、視界に二人のことを収めつつも、頭で考えていたのは別のことだ。
話を聞いたところで、胸騒ぎが収まることはなかったからである。
王都で母がやらなければならなくなったこととは、一体何なのか。
災害級の魔物よりも優先されるようなことは、そうは思いつかない。
最低でも同規模……長期に渡る可能性もある、ということを考えれば、それ以上のことでも不思議はないだろう。
それに気になるのは、シャドウイーターがどこからやってきたのか、ということだ。
ノイモント領の方かららしい、ということだが、当然のようにノイモント領にそんな魔物は生息していない。
突然変異で、という可能性も否定は出来ないが……それならばそれで、母が処理していたと思うのだ。
ならば考えられるのは、何処からか、ノイモント領へとやってきたということ。
そしてこちら側でないとするならば、ノイモント領が面しているのはもう一つだけ。
魔の森の向こう側からだけだ。
魔王が侵攻してきたということは有り得ない。
だが魔族は一枚岩ではないのだと、ソーマは知ったばかりだ。
かといって、魔族に魔物を操るような力はないはずだが……いや、と一つの可能性を思いつく。
似たようなものを、最近目にはしなかったか。
アレは魔物を操るものではなかったが、魔物に関わる力ではあった。
考えすぎな可能性はもちろんある。
しかしこれが意図的なものであったとするならば……王都の方でも似たようなことが起こっている可能性が高い。
王都を魔物が襲うなど、色々な意味でほぼ不可能であろう。
だがつい先ほど、その可能性がある魔物を目にしたばかりである。
仮にシャドウイーターが何らかの理由で王都を狙おうとするならば……決して不可能とは言い切れない。
それに王都には、リナを始めとして強力な力を持つ者が揃っている。
それは安心にも繋がるが……そこをシャドウイーターが襲ったらと考えると、強力な分、相手にも力を与えてしまいかねない。
何らかの方法でそれを知って、母が警戒のために向かったとなるならば……一応、辻褄は合う。
考えすぎな可能性は、やはりあるが――
「……ま、これ以上は考えたところで結論は出ないであるか」
そして今はこの懸念を話して、邪魔をすべきでもないだろう。
何にせよ、そろそろ夜の帳が下りる頃合だ。
今日のところはここで泊まりとなりそうだし、急いだところで意味がない。
そう考えると、ソーマは四人から視線を外した。
藍へと近づきつつある空を眺めながら、さて本当は向こうはどうなっているのだろうかと、小さく溜息を吐き出すのであった。




