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魔神達の終焉

 眼前の光景を前にして、スティナは何とも言えない不思議な感情を抱いていた。


 おそらく最も近しいのは、夢を見ている時のそれだろう。

 炎が踊るのも、それを斬り裂き剣閃が舞うのも、何処までも現実味がない。

 自分の身体が炎を操っているのは分かっていても、それも含めて他人事にしか感じられなかった。


 もっとも、それはある意味で正しくもあるのだろう。

 何せ相変わらず意識はあっても、瞼の開閉すら出来はしないのだ。

 どれだけ当事者に近く、むしろ当事者そのものであろうとも、そこに現実感を覚えろというのは無理な話である。


 それでも、先ほどまでのように痛みを感じるのであればまだマシだったのかもしれない。

 いや、全然マシではないのだけれど、現実味に限って言えば、その方がまだ感じられただろう。


 だが今ではそれがまったくないのだ。

 しかも、ずっと続いていた倦怠感のようなものすらも、なくなっている。

 これが夢ではないと証明できる証拠は存在していない、と言ってしまっても過言ではないのだ。


 それに何よりも……相対している相手が問題であった。

 その手に持つ剣を振るい、放たれる炎を斬り裂いているのは、見知った姿の少年だ。

 剣を振るうたびに漆黒の髪が翻り、漆黒の瞳はこちらをジッと見つめて離さない。

 まるで先ほどまで思い描いていた光景そのままであった。


 そしてだからこそ、これはきっと夢なのだろうと、そうに違いないと、スティナは思っている。

 何らかの理由で意識を失ってしまったか……あるいは、既に死んでしまったのだろう、と。


 だってそうでなくてはおかしい。

 それ以外では、道理が合わない。


 現実はいつだって無慈悲で残酷だ。

 世界は優しくできてはおらず、奇跡は起こらない。

 理不尽なまでに、現実という名の世界がそこには広がっているだけなのだ。


 そういう意味で言えば、スティナはむしろかなり幸運な方だったのだろう。

 生まれこそ、魔王の肉体の代替品となるべく造られたホムンクルスであり、それが果たせないと分かるや、色々と試された後に捨てられたものの、最終的には養父に拾われ、人並みの生活を送ることが出来たのだ。

 自分には過ぎたほどの人生である。


 それでもこうなってしまいはしたが、それは結局は自分のせいだ。

 そんな人生を与えてくれた恩を捨て、勝手に責任を感じて下手を打った。

 それだけのことであり……自業自得であることを考えれば、この結末はどこまでも相応しい。

 本当に、それだけのことなのだ。


 だからこそ、そこに助けが来るのは有り得ない。

 ましてや、こんなところにいるはずもない人物がやって来るなど、都合のいい空想以外に有り得るわけがなく――


「は、はははっ……! なんだ……威勢がいいのは口先だけでしたな」


 と、そんな声が聞こえてきたのはその時のことであった。


 それは確認するまでもなくニコラウスのものではあるが、その姿は近くにない。

 ソーマの様子に怯えたのか、後方に下がっていたのである。


 それから今までは一言も口を利いてはいなかったのだが……どうやら現状に気を取り戻したようだ。

 得意げに、その声に優越感を滲ませながら、言葉を続ける。


「魔神の攻撃を抑えることは出来ているようですが、それが精一杯のようですかな? どうです、我らが魔神の力は? 侮っていいものではないと、お分かりいただけましたでしょう?」


 それにスティナが心の中で歯噛みし、溜息を吐き出したくなったのは、やはりこれは夢に違いないと、そう思ったからである。


 実際のところ、魔神の攻撃は確かに凄い。

 養父に向けていた以上の炎が周囲では暴れ、それが一斉に叩き込まれているのだ。

 スティナではもちろんのこと、特級持ちでもあの中ではまともに生きていけはしないのではないだろうか。

 ソーマ達は色々と言っていたものの、やはり神という名を名乗るだけはあると思う。


 それを全て斬り裂いているソーマもさすがだと思うも……しかしソーマが出来ているのはそれだけである。

 向かってくる炎を全て斬り裂いているだけで、こちらに攻撃を加えることは出来ていない。

 つまり互角ということであり、ニコラウスの余裕もそれが理由だろう。


 だが、ソーマの実力はその程度ではないはずだ。

 ソーマが本気で戦っている姿を見たことはないものの、逆にその事実からソーマの本気は想像も付かないようなものだと推測が出来る。

 この程度と互角なわけがないのだ。


 なのに互角なのは、きっと夢の中とはいえ、ソーマをここで勝たせるわけにはいかないからだろう。

 それではスティナが助けられてしまう。

 救われてしまう。

 それだけは、駄目だ。


 ここまでで、十分都合がよすぎる。

 だから自分の理性が、ここまでだと言っているのだろう。


 夢なのか何なのかは分からないけれど、勝手に救われた気にならずに、ちゃんと最後まで責任をもって惨たらしく死ねと、そういうことなのだろうと――


「ふむ……まあ、そうであるな。確かに若干の訂正が必要そうである」

「ええ、ええ、そうでしょうとも。そもそも、見ての通りスティナ様の身体はそのほとんどが既に魔神のものへと置き換わっています。例え攻撃が届いたところで害すことなど出来ず、また出来てしまったとしたら、それはスティナ様を傷つけるのと同義。あなたがスティナ様のことをご存知かは知りませんが、元勇者様のご友人ということは、そんなことはお望みではないでしょう? 分かりましたら、もう諦めて――」

「――まさか予想を遥かに下回る程度でしかないとは、さすがに思ってもみなかったのである」

「……はい?」


 言った瞬間であった。


 少なくともスティナには、何が起こったのかは分からなかった。

 ただ何かが光ったように感じたのと、それが自身の右肩のあたりを通り過ぎたような気がしたこと。

 それとその直後に右腕に違和感を覚えたことと……視界の中を、見覚えのあるものが飛んでいたということぐらいだ。


 そして見覚えのあるそれは、気のせいでなければ、自分の右腕であった。


「なっ……!?」


 それを見て真っ先に声を上げたのがニコラウスであることに、スティナは少しの面白味を覚えた。

 まあ、声を上げようにもスティナは自分の意思で口を開く事が出来ないわけだが、開けたところでスティナが先に何かを言っていたかは微妙なところだ。

 何せそれが自分の腕だということが分かってはいても、特にそれ以上のことを思わなかったのだから。


「ば、馬鹿な、今何を……いえ、それよりも正気ですか!? まさか傷つけることを厭わないどころか、積極的に害するなど……! それとも、もう助かりそうにないからと、諦めたということですかな……!?」


 さらには焦ったような声で早口で言葉を並べ、それがやはり面白い。


 そもそも先ほどからそうだが、まるでこちらのことを考えているかのようなことを言っている事自体がおかしいのだ。

 ニコラウスがそうさせたくせに、何を言っているのかと。


 保身のための言葉であるのが、バレバレなのだ。

 そりゃあソーマも気にするわけがないという話である。


 尚、そうして他人事のようにスティナが考えていられるのは、相変わらず現実味がないからだ。

 何せ腕を斬られたといっても、その大元を見ることが出来ないし……何よりもやはり、痛みがないのである。

 夢だという思いは増すばかりであり、なるほど魔神に取り殺されるのではなくソーマに殺されるのならばまだマシでありだが、それはそれで救いになってしまうのではないかと……そんなことを、思った時のことだ。


「ぎっ――――――!!!!」


 その場に響いた叫び声が誰のものであったのかを、スティナは一瞬理解する事が出来なかった。

 そして理解した直後、視界に映った光景と感触に、再び理解が遠のく。


 声は、自分の口から放たれたものであった。

 即ち魔神が絶叫したということであり……だがそれはまだいい。

 腕を斬り飛ばされたのだから、魔神だって痛みを感じることはあるだろう。


 だから問題なのは、叫んだ魔神が、左手で右手を掴んでいたことであった。

 そう……斬り飛ばされたはずなのに、何故か右手はそこにあったのだ。


 しかも、全身の感覚がないはずのスティナは、右腕が掴まれているという感覚を得ていたのである。


「なっ……み、右腕が……!? 確かにあそこにあるというのに、何故……!?」


 遅れてニコラウスもそれに気付き、騒ぐが、今度はさすがにスティナはそれどころではなかった。


 今まで他人事でいられたのは、実感を得られなかったからなのだ。

 こうして感覚が与えられてしまえば、もうそういうわけにもいかない。

 今までの分とでも言わんばかりに、スティナは混乱の真っ只中にいた。


 これは夢のはずなのに、一体どういうことなのか。

 いや、これはつまり……まさかではあるのだけれど――


「うむ、何やらいい感じに場が混乱しているようであるが……まあ、どうでもいいことであるか。狙い通りにいったようであるし、しばらく様子見に徹していた甲斐があったというものであるな」

「ね、狙い通りだと……!? 貴様、一体何をした……!?」

「喋りが完全に素になってるであるぞ? そもそも、何をしたと言われても、別に難しいことはしていないであるしな。スティナが魔神とやらに取り付かれているのは見れば分かったであるし、ほぼ同化してるも同然だということも同様である。とはいえ、完全に同化していないのであれば、どうとでもなるであるし、実際今我輩がしたのは魔神とやらだけの腕を斬り飛ばした、というだけであるしな。むしろ同化しかけているからこそ、狙いやすかったぐらいであるぞ?」

「そ、そんな馬鹿なことが……!?」

「ああちなみに、斬り飛ばされた腕がスティナの腕とほぼ同じ外見だったのは、多分同化しかかっていたからであろうな。いや、我輩も一瞬やらかしたかと思ったのであるが、見た感じ問題ないようで何よりである」


 まるでそれが当たり前で、何でもないことであるかのようにソーマは言っているが、もちろんそんなわけはない。

 ニコラウスの反応こそが真っ当であり……だがだからこそ、ソーマらしかった。


 そしてゆえに、未だ混乱から立ち直ることは出来ていなかったが、スティナはそこに一つの納得を覚えた。

 こんなでたらめなことを、自分が思いつけるわけがない。


 要するに……信じられることではないけれど、どうやらこれは夢ではなく、現実で起こっていることらしかった。


『――――――――!!!!』


 しかし直後、それを認めないと言わんばかりの咆哮が轟いた。


 魔神である。

 右腕をだらりと垂れ下げながら、それでも鋭い視線をソーマへと向けていた。


 その闘志は衰えるどころか、より増したらしい。

 視線には憎しみすらこもり、それに呼応するように周囲の炎の勢いも増す。


 不思議なことに、スティナはそれらのことをはっきりと認識できていた。

 今までは魔神の意思すらろくに感じたことはなかったのに……それだけ魔神にも、はっきりと分かったということなのかもしれない。


 眼前にいるその少年は、魔神にすら容易に死を届ける存在なのだと。


「ふむ……元気なのはいいことではあるが、生憎と我輩これ以上付き合うつもりはないのである。向こうがどうなってるかも気になるであるしな。このまま終わりにさせてもらうのである」


 言いながら、だがソーマは構えるでもなく、ただこちらを見つめ……それだけだというのに、酷い悪寒がした。

 しかもそれを感じたのは、魔神だ。

 同化しかけているからこそ、その強大さを肌に感じられる魔神が、見られただけで恐怖を覚えたのである。


 本当に、何という出鱈目。


『――――――――!!!!』


 それでも、魔神としての矜持がそうさせるのか、魔神が引くことはなかった。

 吼え、今までの規模を遥かに上回る勢いの炎を燃え上がらせ、一斉に叩き込み――


「――閃」


 それが、終わりであった。

 やはり何が起こったのかは分からず、分かったのは何かが光ったような気がしたのと、それが首元を通り過ぎたような気がしただけ。


 そして。

 次の瞬間、全ての炎が消し飛ぶのと同時、呆気ないぐらい簡単に、魔神の首が宙を舞っていたのであった。

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