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魔神の力

 何が起こったのかを咄嗟に理解することが出来なかったのは、単純に痛みが原因であった。

 あまりにも唐突すぎたそれに、思考がそれ一色となってしまったのだ。


 送られてくる情報を受け取るだけの状態であったのも、それに拍車をかけた。

 痛みが送られてきた瞬間、反射的にそれにのみ意識を向けてしまったため、必要以上に痛みを認識することとなってしまったのである。


 それはまるで全身を鈍い刃物で滅多刺しにされたかの如き痛みであった。

 スティナがそれによって受けた衝撃は凄まじく、同時に襲ってきた物凄い倦怠感が気にならないほどだ。

 身体の自由が利くのであれば、その場でのた打ち回りながら絶叫していたことだろう。

 いや、あるいは、そもそも意識を保っていることすら出来なかったかもしれない。


 だが今のスティナには、意識を失う自由すらもなかった。

 痛みから逃れるには、他のものへと意識を向け、僅かにでも誤魔化す以外になく、この状態でその対象となりえるのは、目と耳だけである。


 そしてその時になってようやくスティナは周囲の変化に気付き、それで初めて自分の身に何があったのかを理解した。


「ちっ……魔神なんてものがただで力を貸すなんて思っちゃいなかったが……本当に嫌な予感ばっか当たりやがる。お前、それを動かすのにスティナの命使ってやがるな……!?」

「ええ、その通りです。即座にそこに思い至るとは、さすがですな」


 そう、この痛みは、魔神によってスティナの命が強引に引き出され、奪われているからこそ起こっているものなのだ。

 その結果起こっていることが周囲の変化であり、即ち、先ほどまでとは比べ物にならないほどの勢いで燃え盛っている炎である。


 先ほどまでの攻撃も強力だったとはいえ、魔神であることを考えれば明らかに足りていなかった。

 スティナの命を代償とすることで、さらに力を引き出せるようになった、ということなのだろう。


 しかも気のせいでなければ、スティナの感じている魔神の気配というか、存在感のようなものも増しているような気がする。

 何と言うか……奪われ欠けてしまったスティナの一部が、魔神によって埋められているというか、そんな感じがしているのだ。


 そしてどうやらそれは、気のせいではないらしかった。


「しかも少しずつ魔神の存在が明確になって……いや、これは受肉し始めてるのか? 状況から考えれば、これはつまり……」

「ふむ……そこまで分かりますか。いや、本当にさすがですな。そしておそらくは、あなた様が察した通りです。はい、魔神はスティナ様を食らうことにより、この世界へと受肉を果たすのですよ。今回私達が交わした契約は、そういうものですからな」


 その言葉になるほどと頷いたのは、痛みと共に襲ってきているこの倦怠感を、そういうことなのかと納得したからだ。

 自分という存在を削られているのならば、そう感じるのも当然だと、どこか他人事のように思う。


 そんな風に考えてしまうのは、現実味を感じられないということと……現実逃避も兼ねているからか。

 このままでは自分がどうなってしまうのかなど、話の流れからすれば想像は容易であり、しかもそれに対して自分は何一つ抵抗することは出来ないのだ。

 そうなってしまうのも、仕方のないことだろう。


「っ……やっぱりか……。っていうか、人の義娘使って勝手にそんな契約結んでんじゃねえよ……!」

「おや、勝手に、とは心外ですな。これはスティナ様も望んでいたことなのですぞ?」

「は……? なにでたらめなことを……!」

「いえいえ、あなた様相手に嘘を吐くなど、とてもとても。これはただの事実です。何せ、そもそも魔神を復活させるための素材を集めていたのは、スティナ様なのですから。もちろんこういったことも、承知の上だったのでしょう」


 それは、単純に嘘とは言い切れないことであった。

 少なくとも素材を集めていたのは事実であるし、魔神復活の儀式に関してもある程度知っていたので……そういったものも必要だろうと、ある程度の推測が出来ていたのも事実である。


 ついでに言えば……そのつもりがまったくなかったと言ってしまえば、それは嘘になってしまうだろう。

 ニコラウス達を裏切ることなく、それ以前の自分のままであり……魔神の力を使うのに自分の命が必要だと言われたのならば、それに頷いていた可能性は、決して否定しきれないものであった。


「…………ちっ。くそっ、そこの馬鹿娘だったらやりかねないから、迂闊に否定することも出来ないじゃねえか……」

「そもそも事実なのですから、否定出来ないのは当然ですがな」

「ちっ……自分の身を犠牲にする義理なんてないだろうに、本当にあの馬鹿は……!」


 可能性がないわけではなかった、というだけであり、実際には既にそのつもりはなかったというのに、酷い言われようである。

 とはいえ……義理がないと言われれば、きっとそれに関しては否定していただろうが。


「おや、義理がないとは、これまた異なことをおっしゃいますな? スティナ様は魔王様の娘ですぞ? 仇を討つのに、何よりも我らのために身を捧げるのは、不思議でも何でもないことでしょう?」

「そうだな……確かにそうなのかもな。その魔王に、不要だって捨てられたんじゃなければな」


 それは事実であった。

 不要だと、こんな出来損ないは必要ないと、スティナは魔王に捨てられたのだ。

 魔法が使えないことで、アイナは出来損ないなどと呼ばれていたらしいが……本当に出来損ないだったのは、自分だったのである。


 魔王の娘として……否、魔王として、必要なものを受け継ぐことが出来なかったから。


 その後イオリや姉に拾われたことで、何とかこうして生きていることが出来て……しかし、それでも。

 やっぱりスティナは、誰がどう言おうとも、魔王の娘なのである。

 そこに違いはないのだ。


 だからこそ、義理も義務もあると思ったのである。

 前魔王派から旗印となってくれるよう頼まれ、それを承服したのも、それが理由であり……その結果、沢山の仲間の命が失われた。

 きっと、そうでない人達の命も、数えられないぐらいに。


 ゆえに、今度は自分の番だと言われれば、それに頷いていた可能性はあったのだ。

 あの頃の自分は、それを望んですらいて……いや、それに関してだけならば、今も変わっていないのかもしれない。

 自分がやったことの責任は、取らなければならないのだ。


 ただ、ここで魔神に身を差し出してしまうのは、違うだろう。

 むしろ、この程度のことであっさり死のうとするなど、虫が良すぎだとすら言える。

 自分でやってしまったことの責任は、しっかり取らなければ。


 ……もっとも、このままでは、それも無理そうだけれど。

 自分が死へと向かっているのを、スティナははっきりと理解していた。


「さて……スティナ様がどうお考えであったのかなどは、私共には理解できるわけがありませんからな」

「なら、聞けばいいだけの話だろ? 一度やってみようぜ? その契約とやらを一度破棄すればいいだけなんだから、簡単なことだ」

「さすがにそういうわけにはまいりません。その場合、儀式はまた一からやり直しとなってしまいますからな。まあ、可能だというのでしたら、私もやり直したいぐらいなのですが……このままでは、受肉したところで、大した時間顕現することは出来ないでしょうし。というのもですな、実は魔神が顕現可能な時間というのは、受肉するのにかけた時間と比例するのです。即座に受肉させてしまえば、すぐに強力な力を使わせることが出来ますが、その分顕現していられる時間が短くなってしまう、ということですな。……まったく、あなた様が大人しく倒されてくださるか、余計な真似をしなければこんなことをせずとも済んだのですが。スティナ様もきっとかなりの苦しみを受けているでしょうし……本当に、困ったものです」

「ちっ、こっちに責任転嫁しようとしてんじゃねえよ……!」


 そんな会話をしている間も、攻防はずっと繰り広げられていた。

 炎は踊り続け、イオリはそれをかわし続ける。


 先ほどまでと比べ、炎の勢いは倍以上になっているが、それでもイオリはまだ問題はなさそうであった。

 しかしそこに焦りのようなものを感じるのは、今の話を聞かされたからか。


 それが事実ならば、魔神は時間と共にその力を増し、それが頂点へと達すると共に完全な受肉を果たすこととなる。

 それは魔神が魔神の肉体で活動可能だということを示しており、さらにはスティナが死を迎えるということだ。

 そのどれもが問題であり、焦るのも当然で……それでもやはり、スティナはそれを他人事のように考える。


 嘆き悲しんだところでどうしようもないし、それは誰にも届くことがないのだ。

 何よりも、こうして色々と思考し続けているのは、痛みから逃れるためであった。


 未だ痛みは続いているし、それをなるべく意識しないために無駄に考え続けているのだ。

 なのにそれを助長するようなことを考えるのは、本末転倒でしかない。


 そもそも……あの義父でさえ、どうすることも出来ていないのである。

 どうしようもないことを考えて、一体どうするというのか。


 そういったことが分かっていながらも、スティナが完全に全てを投げ出さないのは、そうしたところで痛みが続くことに変わりはないのと……あとは、義父がまだ、諦めてはいないからだろう。

 もっとも、それもいつまで続くか、というところではあるが。


 今もまさに、踊っていた炎が狭まり、逃げようとしていたイオリの逃げ道を塞がんとし――


「っ……ちっ……! ――堕ちろ、天の雷!」


 だが瞬間、イオリが腕を天に突き出すと、その言葉に応えるように、天から数多の雷がその場に降り注いだ。


 それは迫っていた炎を貫き、消し去り、ばかりかこちらにまで及んできた。

 魔神が憑いたスティナにも、ニコラウスにも、それらは等しく降り注ぎ……しかし、何の意味もない。


 その身へと届く前に、やはり呆気なく消え去ってしまったからだ。


「ちっ……やっぱりお前にも魔神の影響があるのか……しかも、まったく同じように」

「おや、もしや今のはそれを確かめるのが本命でしたのかな? もし違っていたら、今頃私は黒焦げでしたでしょうに」

「それを狙ってたんだから、当たり前だろうが。まあ、無駄な気はしてたけどな……」


 それを確かめようとしていたのは、スティナにも分かっていた。

 攻撃の際に時折、ニコラウスを狙ったようなものがあったからだ。


 あれは牽制の意味もあったのだろうが、どちらかといえば確認の方が本命だろう。

 もっとも、その度に魔神が庇っていたのだが、さすがにあの広範囲では不可能だったようだ。


 というよりは、それを見越したからこそ、イオリはあれを使ったのだろうが――


「やれやれ、折角ここまで誤魔化してきたのですが……まあ、これ以上はその必要もありませんかな。なす術がないと開き直られ、本気で逃げに徹されてしまった場合はどうなるか分からなかったのでそうしてきましたが……もうそうすることは不可能でしょうし」


 その言葉の意味するところは、そのままだろう。

 最初の頃はまだ余裕の感じられたイオリだが、今ではそれも大分感じられなくなってしまっている。

 今ならば逃げに徹したところで、魔神がどうにか出来ると、ニコラウスはそう思ったということだ。


 しかも魔神の力は、今も少しずつ増しているし――


「ここでさらにスティナ様の命を注ぎ込めば、問答無用でどうにか出来そうですな。とはいえそれはスティナ様にさらなる苦しみを与えることと同義でありますし……それはあなた様もお望みではありませんでしょう? 正直なところ、出来れば大人しく抵抗をやめて欲しいのですが……」


 当然のことではあるが、ニコラウスはそれを本気で言っていたわけではないだろう。

 考えていたとしても、多少の時間稼ぎが出来ればいい、程度ではないだろうか。


 何故ならば、放っておけば魔神の力は増していき、そのうち終わるのだ。

 不確定要素があるとはいえ、そこまで焦る必要もない。


 スティナですらそう思っていたのだから、きっと間違いなく……だから。

 本当に抵抗を止めて地面に降り立ったイオリの姿は、予想外のものでしかなかったはずであった。


 もちろんそれは、スティナにとっても、である。


「…………はい? それは一体、何のまねでしょうかな?」

「何のまねも何も、お前が抵抗をやめろって言ったんだろ? ま、確かにこれ以上は無理っぽいしな」


 そう言って肩をすくめる姿は、完全に力を抜いているようにしか見えなかった。

 それでもニコラウスはそこに警戒の視線を送り……同時に、困惑している様子を隠しきれていない。


 だがそれは、仕方のないことだろう。

 やはりスティナも、同感だったからだ。


 そして。

 それ以上にショックを受けている自分がいることを、スティナは自覚していた。


 最初はそれに自分でも驚いたものだが、すぐにその理由へと至る。

 それは、義父があっさりと諦めてしまったから……では、ない。


 実のところ未だにスティナの意識は朦朧とし続けており、そのため視界もどことなくぼやけて認識されているのだ。

 はっきり認識出来ているものの方が少なく……その一つが、炎に照らされる漆黒であった。


 それは義父の色ではあるが……同時に、どこかの誰かの姿をも思い描かせる色だということに、今更ながらに気付いたのだ。

 しかも自分の心を探ってみると、どうにもその認識は、義父を目にした直後ぐらいからあったようである。


 つまりスティナは、常に視界に映っていた義父のことを、どこかの誰かと重ねてみており……だから、ショックを受けたのだ。

 今の状況と合わせて、助けられた時のことまでを思い起こさせ、諦められてしまったと、そんなことを思ったから。


 幾ら痛みを誤魔化すために思考を続けてるとはいえ、あまりの身勝手さに自嘲する。

 色々な意味で、どうしようもなかった。


 それは義父に対しても……彼に対しても失礼だ。

 大体彼を遠ざけるようにしたのは、自分ではないか。

 こちらに関わることがないように、敢えてそういった道順を教えたのだから。


 だから彼がここに現れることは、助けに来ることは有り得ない。

 そんなこと、分かりきっているのに……勝手に重ねて見て期待した挙句に落胆するなど、あまりにも無様すぎた。


 ああ、そういう意味では、義父の判断は正しかった。

 義父はこんなところで死んでいい人間ではない。

 今からでも本気で逃げれば逃げ延びるのは可能だろうし、そうすべきである。


 こんな間抜けにこれ以上付き合うことなんて、何一つとしてないのだ。

 もちろん死にたくはないし、このままでは責任を取ることも出来ないが……それはどちらにせよ変わらないだろう。


 自分のことだからこそ、よく分かる。

 スティナの身体は、きっともう限界が近い。


 何をしようとしまいと、スティナは死んで、魔神が顕現してしまう。

 それは変えようのない未来だ。

 ならば、足掻くことすら出来ないものなど放っておくのが、正しい選択というものだろう。


 そしてどうやらニコラウスも、こちらの状況に気付いたようだ。

 未だ戸惑いは抜けずとも、余裕を持った笑みを浮かべる。


「ふむ……どういうつもりなのかは分かりませんが、まあもうどうでもいいことですかな。おかげさまでこちらの準備は完全に整いました。これで――」

「ったく……色々と言われて、俺ももしかしたら、何て思ったんだが、やっぱ俺じゃ無理だったか。こういう時のために残ってた、なんて言っておきながら、不甲斐ない限りだが……ま、俺にはこういうのは向いてないってことだな」


 しかしそんなニコラウスの言葉を、イオリは聞いていないようであった。

 いや、それどころか……そもそも、こちらの様子を気にしている気配すらない。


 それはまるで、自分の役目は終わった、とでも言うかのようであり――


「というわけで、後は任せたぞ?」

「……はい? あなた様は先ほどから何を言って……いえ、ちょっと待ちなさい。一体、誰に向かって……!?」


 その言葉は、自分に向けられていたものではなかった、ということにニコラウスが気付いた時には、既に遅かった。

 咄嗟に魔神を動かそうとし、だがそれもまた遅い。


 その時には、周囲で暴れていた炎が、結界ごと斬り裂かれていたからだ。


 直後にその場に降り立ったのは、小さな影。


 それは見知った姿であった。

 それはこんな場所に現れるはずのない姿であった。


 それは有り得ざる事態のはずであり――


「やれやれ、色々と言いたいことはあるのであるが……ま、とりあえず任されたのである」


 いつも通り、どこか不敵な様子で肩をすくめたその姿を――ソーマの姿を。

 スティナは、身体を動かせようといまいと関係なく、ただ呆然と眺めていることしか出来ないのであった。

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