少女と子供 前編
陽光に照らされた森の中を、リナは一人歩いていた。
その足取りに迷いがないのは、一度来た事があるからだ。
今から二年ほど前、ソーマが朝早くに屋敷を抜け出して何処かに行っていることを偶然知ったリナが、ひっそりとその後をつけたのである。
逆に言えば、二年も経っているというのに、未だあの時のことを鮮明に覚えているということだが……それだけ鮮烈だったということだろう。
高鳴る胸の鼓動すらも、はっきりと思い出すことが出来た。
もっとも或いはそれは、今もその胸が高鳴っているからなのかもしれないが。
あの時は未知への好奇心と、屋敷を抜け出したことによる背徳感によって。
今日のそれとはかなり違うが、共通しているのは、この先に向かうことで何かが起こると、そう確信していることだろうか。
とはいえ二年前のことであることを考えれば、そもそもあの時と同じ場所に居るとは限らないのだが……どうやら、賭けには勝ったらしい。
歩んだ先に見えた姿と、聞こえた声。
記憶が正しかったということを、証明した瞬間でもあった。
ただそこでリナが首を傾げたのは、目に映った光景が、予想していたものとは違ったからだ。
てっきりあの日のように剣舞を行っているのかと思えばそうではなく、そもそも一人ではなかった。
ソーマの傍で寄り添うようにして立っているのは、一人の少女だ。
年の頃はソーマと……或いはリナと同じぐらいであり、鮮やかな赤の色が目に入る。
その髪を頭の両脇で留めている少女は、それを振り回すようにして何事かを叫んでいた。
「だから、何でそういうことになるのよ……!?」
「いや、だってもうこうなったらこれしか考え付かなかったのである。魔力を感じられないのであれば、そこに直接突っ込むしかない、と」
「それで魔法を使おうとしてるところに本当に頭突っ込むとか馬鹿じゃないの!? もう少しタイミングが遅かったらあんたの頭燃えてたわよ!?」
「いや、その心配は無用である。その時はその時で、その前に我輩が斬ったであるからな」
「尚更不安になったわよ……!」
ソーマと一緒になって騒いでいるその光景は……何と言うか、妙にイラッとくるものであった。
自分の部屋からソーマの顔を見下ろしていた時に感じていたものとはまた違い……というか、そもそもそれはソーマに対して感じているものではない。
それは少女に対して感じているものであり……立っている位置がソーマに近すぎないかとか、ソーマにちょっと馴れ馴れしすぎではないかとか、そんなものであって――
「――あ」
瞬間、目が合った。
気のせいではない。
そして、少女とではない。
睨み付けるように少女を見つめていると、それを遮るようにソーマが頭の位置を変え、それからこちらを振り向いたのだ。
それはまるで、あの日のようであった。
あの日もソーマは、リナが予想だにしていないタイミングと方法で、リナを驚かせたのである。
まるで最初から、全てを知っていたかのように。
「……いえ、そんなことはないのです。きっと偶然……偶然なのです」
だってそうではなければおかしい。
ソーマには、何のスキルもないのだ。
音と気配を完全に消し去っていたリナに、気付けるわけがない。
――気配遮断中級:隠遁。
屋敷の人達も、だから今日リナがこっそり屋敷を抜け出したのに気付けなかったのだし……だが偶然だろうと何だろうと、気付かれてしまったのならば仕方がない。
本当はあの日のお返しに驚かせようと思っていたのだが……またこちらが驚かされることになってしまった。
そのことに不満はあるが……まあ、この後のことで、まとめて返せばいいだろう。
「ちょっと……? 突然どうしたのよ……?」
そんなことを考えながら、それでも半ば意地になってそのまま進むと、少女がソーマにそんなことを尋ねていた。
どうやら少女はリナに気付いていないらしく、やはり自分が何かミスをしたわけではないと分かりホッとする。
もっともそうなると、ソーマは何故気付けたのか、ということになるが……いや、偶然なのだから、理由などあるわけもない。
ふと浮かんだ思考を、リナは頭を振って否定し――
「ふむ……さて、どうやって説明したものであるか……」
「え、ちょっと本当になに……何なのよ……?」
「まあ口で説明するよりも見た方が早いと思うであるし、とりあえずあっちを見るがいいである」
「あっち……? って言われても、別に何も――え!?」
ソーマに言われるまま、とりあえずといった様子でこちらを向いた少女の目が見開かれたのを眺め、思わずリナは口元を綻ばせていた。
そうそう、そういう反応が欲しかったのであり、それが当たり前なのだ。
何せ気配遮断の中級とは、一流の暗殺者が身につけているようなスキルである。
真横を歩いていたとしても、意識されなければ気付かれることはない。
そういったものなのだ。
勿論リナはそういったことを専門に学んだことはないため、多少隙はあるだろうが……それでも、早々気付けるものではないのである。
しかし言ったところで仕方がなく、知らない少女相手とはいえ、欲しかった反応をもらえ、リナは幾らか自尊心が回復していた。
「嘘……さっきまであそこには誰もいなかったじゃない……!」
そんな反応を心地よく思いながら、二人へとさらに近付き……ふと、そこで気付いた。
今も緩んでいる口元を意識しながら、思い出す。
そうだ、笑顔を忘れてはいけない、と。
挨拶をする時には、まずは笑顔からだと、母から教わったのだ。
だからリナは、笑みを浮かべた。
これから何をするつもりでも、まずは笑顔が必要なのである。
笑みのまま、二人の顔がはっきりと見え、声が届くところまで近付くと、口を開いたのであった。
「おはようございますなのです」
――さてどうしたものかと思った。
だが思ったところで、どうしようもなかった。
だから、小さく溜息を一つだけ吐き出すと、仕方がないかと呟く。
それもきっと兄の役目なのだろうと、そんなことを思ったから。
ちょっと短いですが、ここで切らないと逆に長くなりすぎてしまうので一旦分割。
続きは夜に。




