虚空を掴む手
早朝、夜が明けてすぐの時刻、ソーマ達は宿を後にした。
昨日立てた予定通りである。
ただし朝食は食べていない。
他の場所でとるのではなく、戻ってきてから食べるつもりだからだ。
グルリと街を一周し、問題がなければ朝食を食べに戻り、食べ終わったらまた出る。
そういう予定であった。
ちなみに昼は、昨日もそうだったのだが、宿側で持ち運びが出来るようなものが用意され、渡されることになっている。
やはり昨日と同様、途中のどこかで食べることになるだろう。
ソーマは昨日はギルドに併設されている酒場の隅を借りて食べたが、今日はどうするかは不明だ。
おそらく適当なところで食べることになるとは思うが。
ともあれ。
昨日と同じように二手に別れながら、ソーマ達は予定通りに動き始めた。
街の南側を、一見怪しげにも見える男達が歩いていた。
顔は隠されていないものの、五人もの男達が全員黒いローブを纏っているのだ。
怪しく見えるのも当然というものである。
それでも男達が見咎められることがないのは、単純に今の時間が時間だということもあるが、どちらかと言えばその場所であるということの方が大きいだろう。
南に居るのは冒険者を始めとして、似たり寄ったりな者達が多いのだ。
気にするほどのことではなく、気にするとなれば自分達も怪しいということになってしまう。
そういうことだ。
故に男達の歩みを妨げるものは何もなく……だがその足が、唐突に止まった。
目の前にあるのは十字路であり、左へと続いている道からは僅かなざわめきが届いてくる。
大通りの手前で立ち止まりながら、先頭を歩いていた男が振り返ると、その口を開いた。
「さて、それじゃあ最後の確認だが……全員、分かってるな?」
問いかけの言葉に、四人は等しく頷いた。
その顔に緊張がみなぎっているのはこれからやろうとしていることを思えばこそだろう。
いや、あるいは、そのさらに先のことを考えているからか。
今回のことは、余程のへまをやらかすか、余程予想外のことでもない限り失敗のしようがないものだ。
ならばこれが終われば……という思考へと至ることは、ある種当然のことでもある。
とはいえ、今回のことはまだ終わっていないのも事実だ。
見方によっては浮かれているようにも見え……だが男は、敢えてその指摘をするのをやめておいた。
これで気を抜いているのならば話は別だが、そこにあるのは適度な緊張だ。
プラスとなりこそすれ、マイナスになることはない。
そういった判断によるものだ。
だから男も頷きだけを返すと、前方へと向き直る。
自身にも程よい高揚と緊張があるのを自覚しながら、口の端を少しだけ吊り上げると、目的の場所へと向けて駆け出した。
端的に言ってしまえば、今日のギルドは非常に忙しく、喧騒に包まれていると言ってしまってもいいぐらいであった。
未だ朝日が昇ったばかりの、早朝と呼ぶべき時刻なのにも関わらず、だ。
建物の扉は硬く閉じられたままではあるものの、関係者はその中で慌しく動き回っていたのである。
それはもちろんと言うべきか、昨日から続いている街の封鎖が原因だ。
今日も引き続き行う予定であり、そのために必要なあれこれや、発生するだろうトラブルへの事前準備。
昨日発生しまだ解決していないことへの対処など、やらなければならないことが山ほどあるのだ。
こうなるのも必然と言えよう。
そしてそんな中で不意に、嘆きとも呻きともつかないような声が上がった。
「うあー、疲れたー。……よし、今日はもう終わりにしよう!」
「何馬鹿なこと言ってるにゃ。終わりも何もそもそも始まってすらいないにゃ」
そろそろだろうと思ってはいたが、予想通りの展開にエミリは溜息を吐き出す。
だがそれが予想していたことであるならば、その程度の言葉でそれが動こうともしないのもまた予想出来ていたことだ。
今日起こるだろう出来事に関しての予測と対処法を纏めているこちらへと、不満を隠そうともしない視線が向けられる。
「ぶー、確かに今日はそうかもしんないけど、わたしは昨日……いや、一昨日からずっと頑張ってるんだぞー?」
「それはこっちも同じだし、むしろここにいる全員がそうにゃ」
「ならもういっそ皆で休もうよー。あとは放っておいても誰かがいい感じにしてくれるってー」
本当にそうならば、どれだけいいことか。
というか、そう出来るのならば最初からそうしているという話だ。
何が悲しくて、夜遅くまで働いた後、早朝からも働かなければならないのか。
「ま、別にうだうだ言ってても構わにゃいけど、後で大変になるのは自分自身にゃよ? 代行の仕事なんて、誰も手伝えにゃいんだから」
「くっそー、久しぶりにやる気出してみたと思ったらこれだよー。やっぱり仕事なんて真面目にやるべきじゃ――」
瞬間、愚痴を放っていた口が唐突に閉じられたのは、そんな場合ではないということを咄嗟に悟ったからだろう。
おそらくはその場にいた全員がそれに気付いたのだ。
どれだけ呆けたふりをしていようとも、ギルド職員代行が気付けないはずもない。
それは、音であった。
しかも巨大な……こんな場所で聞こえるはずのない、爆発音である。
判断が下されるのは早かった。
「――全員、今の業務を引き続き行うように。その上で、戦闘の心得があるものは周囲の警戒も」
「……また面倒なことを気軽に言ってくれるにゃ。ま、でも酒場のこと考えなくていい分まだマシかにゃ……で、代行はどうするにゃ?」
「とりあえずは周辺の警戒と様子見、かな? さすがにギルドに喧嘩売ってくる身の程知らずがいるとは思えないし……となれば、これは何らかの陽動の可能性が高いしね」
「何かするにしても冒険者達が来てから、かにゃ?」
「だねえ。その頃には、終わってそうだけど」
「そうにゃねえ……」
わざわざこの時間を狙ったのだとすれば、余計な面倒が発生する前に全てを終わらせようとするのは当然だ。
今の音はかなり大きかったし、周囲にその情報が届けば冒険者達も時間前だろうと関係なくギルドへとやってくるだろうが……それまでには相応の時間がかかる。
何をしようとしているのかは分からないが……その何か次第では対処が間に合わない可能性は十分に有り得るだろう。
特に今は別のこともやっているのだから、尚更だ。
「で、そんな悠長なこと言ってていいのかにゃ?」
「かといって何をするにしても、こっちは人手も戦力も足りないからね。ま、でも多分大丈夫だよ。何とかなるって。ただの勘だけどね」
それは何の気もなしに言われた言葉であったが、瞬間この場に満ち、張り詰めていた空気が緩む。
この代行の勘というものがどれだけ頼りになるのかを、皆は知っているからだ。
それは何だかんだでエミリも同様ではあったが、それでも溜息を吐かざるを得ない。
「確かに何とかなるのかもしれないけど……結局他人任せなことに変わりはないにゃ」
「ま、別にいいんじゃないかな? それで解決するならさ」
それはそうなのだが、やはり釈然とはしない。
とはいえ言ったところで仕方ないということも知っているので、もう一度溜息を吐き出すことでその想いを押し流す。
それと同時に思うのは、代行の勘に引っかかったのだろう誰かのことだ。
多分それは、あの人達なのだろうが――
「問題は、今回のことに関係があるのか、ってことかにゃ」
「あるんならもう余計なことはしないで済むからありがたいんだけどねー。今までやってた分は無駄になるけど」
「代行は今日はあんまやってないから関係ないけどにゃ」
それと、問題があるとするならば、もう一つ。
代行がそう言ったということは、確かにこのことは放っておいても解決はするのだろうが……それは結果的にでしかないということだ。
代行の勘は、半ば予知めいたものであり、それで以って代行の地位を得られたなどと言われるほどに、その信頼性は高い。
だからそれは信頼がおけるものではあるのだが……それでもそれは先に言ったとおり、結果的にそうなる、ということでしかないのである。
確かに結果的には解決するものの、それは何事もなく終わるということと同義ではない。
途中で誰かが傷ついたり、死んでしまうようなことも、十分に有り得るのだ。
とはいえ、それが分かったところで、エミリに出来ることは何もない。
出来ることと言えば精々が、この騒ぎが今回街を封鎖していることと無関係な可能性を考え、自分に割り振られた業務を進めるだけである。
それでもせめて、何事もなく全てが終わるようにと、祈るように溜息を吐き出した。
北方の硝子亭の主人であるハンスがその音を聞いたのは、朝食の準備をしている時であった。
その手を止める事がなかったのは、それがゆえだ。
聞いている通りであれば、四人が戻ってくる予定の時刻まであと三十分もない。
ハンスの作る朝食は、簡素ではあるが手抜きではないのだ。
無駄に手を止めてしまい、間に合わないなどという事態を起こすわけにはいかないのである。
もちろんまったく気にならなかったと言ってしまったら嘘になるだろう。
自分の認識が正しければ、聞こえた音は何かが爆発するような音だったのだ。
しかもそれはそれなりに近かったような気もするのだから、気にならないわけがない。
だが今は仕事が残っているし……それに、例え何か起こっているのだとしても、自分達には関係のないことだ。
……一つだけ懸念があるものの、それは気のせい……ただの気にしすぎのはずである。
そうだ、彼女も言っていたはずだ。
娘は偶然迷子になっただけで、誰かに連れ去られかけたわけではないのだ、と。
だから――
「……うん?」
と、そんなことを考えていると、不意に小さな鈴の音が鳴った。
それは宿の受付に設置してある、客の訪れをこちらに告げるためのものだ。
一瞬彼らが戻ってきたのかと思ったが、それにしては早すぎるし、何よりも彼らならばわざわざそれを鳴らす意味がない。
かといってこの状況で他に客がやってくるとも思えず……首を傾げながらハンスは、一旦朝食を作る手を止めると受付へと向かった。
……そこで見かけた姿に驚きがなかったのは、何となく予感があったからだろう。
ああそうだ、何だかんだ言って……否、何だかんだと言い訳を言い連ねていたことこそが、事実を半ば確信しながらも、それを受け入れたくはなかった証拠だ。
本当は最初からそうなのだろうと思っていて……だからこそ、この街を出ようと思っていたのである。
しかし結局全ては遅く、無駄な足掻きでしかなかったようだ。
「よう、久しぶりだな。何の用件で来たのかは、言うまでもないだろう? ……オレ達が創った兵器、返してもらうぞ?」
それでも咄嗟に振り返り、駆け出すも、やはり無意味でしかなかった。
一瞬後には自身の身体が浮き上がると、そのまま壁に叩きつけられる。
全身に走った衝撃と痛みに、喉の奥から赤黒い液体を吐き出し――
「……っ、ぱぱ?」
聞こえた声に視線を向けると、そこには娘の姿があった。
彼女達を見送った後で寝直したはずだが……いつの間にか目覚め、やってきてしまったらしい。
何とか逃げろと伝えたいが、口を開いたところで、そこからはただ小さな息が漏れるだけ。
後方から足音が迫ってくるのを感じながら、腕を伸ばし……だがその手が何かを掴む事はなく、ただ虚しく虚空をかいただけであった。




