元最強、街の様子を知る
「失敗した、だと?」
たった今耳にしたばかりの言葉を反芻しながら、男は眉根を寄せた。
目の前で下げられている頭を眺めながら、有り得ないはずのその結果に目を細める。
「どういうことだ……まさか邪魔でも入ったというのか?」
「申し訳ありません……そのまさかです。やつの注意が逸れた隙に攫うことは出来たのですが……路地裏に入り込んだところで、偶然冒険者と思われる女に遭遇してしまいまして……」
「ちっ、それはまた運の悪い……ん? いや、待て……相手は一人だったのか? 女達、ではなく?」
「はい……一人でした」
そこで男が驚いたのは、こちらは少なくとも三人は向かわせたはずだからだ。
しかも目の前の人物は中級スキル持ちであり、他も下級スキルは持っていた。
この街にろくな冒険者がいないことは確認済みなため、相手が一人であれば負けるはずはない。
いや、それは相手が同数以上いたところで同じだったはずだ。
だが騒がれるのは避けようがなく、それを嫌って諦めたのかとばかり思っていたのだが――
「まさか……」
「……手も足も出ませんでした。こちらは私含め五人いましたが、瞬殺です。少なくともアレは、上級スキル持ちだったと思います」
「そんな冒険者はこの街にいないはずだが……偶然来ていた、ということか? ちっ、本当に運がない……」
とはいえ、本当に相手が上級スキル持ちだったのであれば、こうして逃げ出せただけでも僥倖といったところか。
下級スキル持ちが四人いようが、それは上級相手では何の役にも立つまい。
「というか、よく無事に逃げ出せたものだな。傷を負っているようにも見えんが……」
「咄嗟に荷物を放り投げたのがよかったのでしょう。アレはそっちの保護を優先したようで、その隙に逃げることが出来ました。もっとも、私以外は重症とは言わずとも、それなりの傷を負ってしまいましたが」
「上級を相手にしておきながら、全員逃げ延びられただけでも十分だろうよ」
「はっ……ありがとうございます」
その言葉は本心からのものであった。
確かに失敗してしまったのは痛いは痛いが、部下を失うよりはマシだろう。
それに、完全に失敗したとも言い切れない。
「まあ、いい。失敗したとはいえ、こちらの意思は十分に伝わったはずだ。そのうえで今の今まで姿を見せていないということは、交渉は決裂したと考えていいだろう。愚かなことだ」
「まったくですね。血の繋がらない子供など、さっさと渡してしまえばいいものを。夫婦揃って本当に愚かなものです」
「妻の命を犠牲にして逃げ出しておきながら、結局こうして我らに見つかってしまったあたりも含めて、な。ふん、そういう意味では、やつの方が余程運がないか」
「逆に実験のためにここに来たというのに、偶然にもやつらを見つけた我々は運がいい、ということですね」
「これが偶然使えたということも含めて、な」
そう言いながら男は懐から黒い球体を取り出すと、それを掌の上で弄ぶ。
反乱に失敗した時点でもう終わりだと思っていたが……人生分からないものだ。
これを使い、さらにアレも手にすれば、まだまだ幾らでもやりようはある。
「まあとはいえ全てが順調にいくわけもない。今回の失敗は、その教訓を得たと思えば悪くないだろう。あいつらには悪いがな」
「いえ、確かに最近順調で私達の気が抜けていたのは事実です。気を引き締めるのに、ちょうどよかったかと」
「そうか……あいつらの傷は、どれほどで癒える?」
「そうですね……三、いえ、二日もあれば十分かと」
「分かった。では今から二日後に、やつのところへと仕掛ける」
「……よろしいのですか?」
意外そうに聞いてきたのは、それが下手をすればこの街どころか、ギルドをすら敵に回しかねない行為だからだろう。
街の住人を襲撃するということは、そういうことだ。
だが。
「なに、何の問題もない。二日後はオレも出る。仮にその女がまた現れたところで、同じ上級ならばオレが負ける道理があるまい?」
「それはとても心強いと同時に有り難いのですが……よろしいのですか?」
「構わん。さすがにあと二日もあれば実験は十分だろうし、アレさえ手に入れればもうここに用はない。ある程度のかく乱をするにしても、オレが一緒の方が都合もいいだろう」
「……ありがとうございます。しかしそうなると、やつには少し気の毒になるほどですね」
「ふん、我らを裏切り、温情すら無視したのだ。その程度のことは当然だろう」
「それもそうですか。……そういえば、やつは確か今宿をやっているはずですが、客がいた場合はどうしますか?」
「気にする必要はない。邪魔をするようならば殺して構わんし、逃げるならそのまま放っておけ」
状況次第では派手なことになるかもしれないが、それも気にする必要はない。
コレを使い適当な魔物を配置しておけば、この街の連中ではどうしようもないのだ。
むしろ多少派手にやった方が、後々逃げやすくなるかもしれない。
唯一気になることがあるとすれば……この街のギルド職員代行と、部下達を瞬殺したとかいう女が一緒に来てしまった場合ぐらいか。
さすがにその場合は男でもどうなるかは分からず……しかしそんなことは幾らなんでも起こらないだろう。
悪いように考えすぎである。
何より今や自分達は乗りに乗っている状態なのだ。
一度や二度の失敗で臆すなど、馬鹿げた話である。
自分にそう言い聞かせると、男は立ち上がった。
「さて、二日あるとはいえ、やることは多い。お前にも働いてもらうぞ?」
「はっ、お任せください。失敗した分は働きで以って返させていただきます」
「ふんっ、そうか。では、期待しておくとしよう」
「はっ」
そうして歩き出すと、部下を伴いながら、その場を後にするのであった。
明けて翌日。
朝食を摂った後で街へと繰り出したソーマは、そこに流れている空気に首を傾げた。
昨日よりも、何処となく街全体がピリピリしているように感じられたのだ。
しかしそれを気にしながらも、ソーマは街の中心とは逆の方角へと足を向ける。
今日こうして一人でいるのは昨日話し合った結果であり、自分の役目はそういったことを気にするのとは別にあるからだ。
だが意図せずして、ソーマはすぐにその理由を知ることとなった。
街の東側から外に出ようとしていたのだが、そこは武装した二人組みによって封鎖されていたからだ。
もちろんそれが不当なものであるならばソーマが一蹴するだけなのだが、そうではないことも即座に分かる。
彼らは自分達の方へと向かってくる者達のことを眺めると、次のように叫んだのだ。
「現在この街から外に出ることは基本的に禁止されている! どうしてもという者、理由を知りたいものは冒険者ギルド支部へと行ってくれ! そこで今回の件に関する説明や、必要と判断された場合は許可証の発行が行われている! 許可証がない者はここを通ることは出来ず、これに例外はない!」
あまりに唐突且つ理不尽な内容に、そこかしこから反発の声が上がるも、彼らは同じ言葉を繰り返すだけだ。
朝ということもあってか、そこそこ外に出ようとする者はいるようだが、その誰もが本当に通ることを許されていない。
急いでるんだと叫び、強引に外に出ようとした者の前に、槍の穂先が突きつけられた。
どうやら見た目通り、武力行使も辞さないという構えであるようだ。
「ふむ……」
今叫ばれた内容からして、これはギルドによって行われたものだということが分かる。
とはいえ、ギルドは基本的には国からの出向機関だが、その職務は端的に言ってしまえば冒険者の管理だ。
当然のように、街の自治権などは与えられていない。
特にここには明確な国が存在していない以上、尚更だろう。
こんなことをする権限も、存在しているわけがない。
だがそこには幾つか例外もある。
街がギルドへとそうするよう依頼するか――ギルドがその必要があると判断した場合であった。
もっとも、前者にしろ後者にしろ、そうそう行われることではない。
特に後者は、責任は全てギルドが負うことになるのだ。
余程の緊急事態とでも判断されない限り、起こることではなく……だが、起こすべきことだと判断された、ということなのだろう。
そして何を以ってそう判断したのかは、考えるまでもないことであった。
「思ってた以上に迅速であるな……」
もちろんと言うべきか、それは昨日のシャドウテイカーとやらが出たのを発端とすることが理由だろう。
つまりギルドはそれをある程度の持続性のある脅威だと判断したのだ。
それは正しいことではあるが、昨日の今日で判断されるとは思わなかった、というのが正直なソーマの感想だった。
てっきり二、三日はかかるかと思っていたのだ。
しかも今の時点でここまで対応出来ているということは、もしかしたら昨日の時点では既に判断が終わり、冒険者へと依頼をしていたのかもしれない。
そう、あの武装している者達は、明らかに冒険者だったのだ。
気のせいか、昨日見たことのある顔のような気もする。
ギルドが使える者など限られているし、武力を必要とする場面もあることを考えれば正しくはあるが――
「これはちと、見くびってたかもしれんであるなぁ」
あの代行、大分やる気がなさそうな様子ではあったが、並の者では今の段階でここまでのことは出来るものではない。
さすがは代行として認められるだけはある、ということか。
「ま、とりあえずは……」
このままではソーマも外に出られないことだし、一度ギルドに向かうべきだろう。
本来は一度外に出て周囲を確認し、またあのシャドウテイカーやそれと同等の魔物が出現していたら叩いておこうと思っていたのだが、この調子ではすぐにやらずとも大きな問題は起こらないはずだ。
ギルドが何か新しい情報を得ている可能性もあるし、無理に通るほどのことでもない。
まあ、外を見回った後でギルドにも行くつもりだったので、多少順番が前後するだけだ。
問題はない。
そう判断すると、未だ騒ぎが聞こえるそこへと背を向け、ソーマは一路ギルドへと足を向けるのであった。




