元最強、森神と相対する
眼前で文字通り粉々に吹き飛ばしたそれを眺めながら、ソーマは舌打ちを漏らした。
剣を通して伝わってきた手応えが、あまりにも軽すぎたためだ。
まるで中身がスカスカな木材でも叩き壊したかのような感覚だったのである。
無数の破片と化したそれらに目を細めれば、視界に映るものの大半が実際に木片であるようだ。
だがだからといって、それらが本当に本体の一部であるならば、このような手応えは覚えまい。
つまりは、それらは本体とは程遠い何か、ということである。
おそらく大したダメージは与えられていないだろう。
むしろまったく与えられていないと言われても驚きはしない。
見た瞬間に何となくそうなのだろうと思ってはいたが、やはり『コレ』は概念的な存在に近いようだ。
姿形に大した意味はなく、故にそれを壊したところで同様。
それを打ち倒すには、物理的な攻撃以上の何かが必要なのだ。
神などと呼ばれているのは伊達ではない、というところか。
まあとはいえ、先ほどはそんなものを探ってる暇もなかったので、とりあえずその形を壊すことを優先したわけだが。
襲われている相手を助けるには逆にその方が都合もよく……しかしその肝心な助けた相手は、何故だかこちらのことを呆然と眺めていた。
地面に叩きつけられる前に抱え、そっと下ろしたし、ざっとではあるものの怪我がないことは確認したのだが――
「フェリシア? どうかしたのであるか?」
「……ソーマ、さん……ですよね? え……どうして、ここに……?」
そして問いかけてみれば、そんな言葉が返ってきた。
呆然としたまま、信じられないものでも見るかのような目で見てくるフェリシアに、ソーマは肩をすくめる。
むしろそんな目で見られ、そんなことを言われることの方が心外であった。
「何を不思議そうな顔をしているのである? 助けを求められた時は、助けに行く。そう約束したであろう?」
まあタイミング的には正直割とギリギリだったのだが、敢えてそれを知らせる必要もあるまい。
わざわざ相手を不安がらせる必要は何処にもないのである。
「……確かに、そんな約束ともいえないようなものは交わしましたが……もしかして本当に、それだけで……?」
「まあそれだけが理由かと言われると、少し違うかもしれんであるが……」
最初から怪しいと思ってはいたし、途中からそれは確信となった。
そもそもだからこそそんな約束をしたわけでもあり――だが。
「別にフェリシアを助けに来るのに、それ以外の理由は必要ないであろう?」
助けると約束した。
だから、助けに来た。
結局のところは、それだけの話なのだ。
そして、助けを求められたから、助けた。
本当に、それだけのことなのである。
まあ、助けを求められなければ助けなかったのかと言われれば、それはまた別の話だが。
「何ですか、それ……そんな……こんな……馬鹿なんじゃないですか……っ?」
「ふむ……まあ正直、馬鹿なのかと言われたら、そうなのかもしれんとしか答えられんであるなぁ……」
少なくとも、利口ではないのは確かだ。
もっと幾らでも利口なやり方はあっただろうし、賢い者ならばそもそもこんなことに首を突っ込んでいないのかもしれない。
だがそれならば、馬鹿で結構だった。
「まあ、我輩が馬鹿かどうかは一先ず置いておくとして……とりあえず、まだ気を抜くには早いようであるぞ?」
「っ……そう、みたいですね……」
身体を強張らせるフェリシアを横目に、ソーマは周囲へと視線を向ける。
先ほどから感じ続けている森神の気配が、明らかに濃くなってきているのだ。
どうやら諦めるつもりは微塵もないどころか、お怒りですらあるようであった。
しかしそれは、こちらも望むところである。
どちらかと言えば、そのまま引かれてしまった方がどうしたものかと悩んだことだろう。
それは即ち逃がしてしまうということと同義であり、そのような結末を迎えさせるつもりは毛頭ないのだ。
と、そんなことを考えているソーマの視線の先で、それは再び形を取り始めた。
ただし先ほど見たそれとは、まるで違う形で、だ。
先ほどのはまだ、人の形をしていた。
上半身だけではあったし、色々と不恰好でもあったものの、両腕や頭の形状などからまだギリギリ人型と呼べなくもなかったのである。
だがそれは――
「ふむ……本性を表したと言うべきか、何と言うべきか……よくこんなものを神と呼べたものであるな?」
「わたし達に恵みを与えてくれていたことに変わりはありませんしね。……それに、神とは敬うだけではないでしょう?」
「確かに畏敬などとも言うではあるが……それでもこれは正直どうかと思うであるがな」
ソーマ達の居た場所は、森の中でも開けた場所であった。
その中央に祭壇のようなものが置かれていたのだが……今やその様子は刻一刻と変わり続けている。
それはもう見た目の時点で明らかだ。
何せその開けた場所の範囲が、一目で分かるほどにはっきりと広がっていっているのだから。
もっとも、正確に言えばそれも正しくはない。
何故そんなことが起こっているのか……周囲の木々が地面に飲み込まれるようにして消えていっているのかは、視線の先のそれの姿によって、明確に示されていたからだ。
既に十メートルを越し、それでもまだ大きくなろうとしているその身体は、土と砂、それと数多の植物によって形作られていた。
「森神とはよく言ったものであるな。まるでこの森全てが自分のものとでも言わんばかりであるが……」
或いは、実際にその通りなのかもしれない。
ソーマの感覚がおかしくなったのでなければ、森神の気配は今や森中に広がっているように感じるからだ。
しかもそれはどちらかと言えば、元から存在していたものが眠りから覚めた、というような感じなのである。
普通であれば信じがたいようなことではあるが、相手がどんな存在なのかということを考えればそう不思議なことでもない。
それにかつてシーラから聞いた話も、その考えを肯定している。
エルフは森の外に文字通り一歩でも出たら、その瞬間にそれまでの力を振るえなくなると、そんなことを言っていたのだ。
それらのことから考えるに、森神というのはエルフの森そのものか、ほぼ等しい存在である可能性が高い。
なのにソーマ達を直接どうこうしようとしないのは、存在そのものが大きすぎるからだろう。
人で例えるならば、細胞一つ一つを自分の意思で操れるか、ということである。
だからああして、その時その時に適した身体を作り出している、というわけだ。
そしてそれはつまり、それだけのものが必要だと判断した、ということである。
「或いはその程度で十分、ということなのかもしれんであるが……ま、やってみれば分かることであるか」
「えっ……? も、もしかして……アレと戦うつもりなんですか?」
「うん? 当然であろう? というか、ここまで来て今更な気がするのであるが?」
「それはっ……そう、かもしれませんが……」
そんなことを言っている間もそれは大きさを増し続け……五十メートル程になったところで、ようやく止まった。
それがただ大きくなったわけではない、というのは、そこから伝わってくる濃厚な気配からしても明らかだ。
おそらくは、先日の邪神の力の欠片、アレの半分程度の力はあるだろう。
だが侮ることは出来ない。
クルトはそれをまったく使いこなせてはいなかったが、あっちは元々自分の力である。
どっちが手強いかは、考えるまでもないことだ。
その強大さを、フェリシアも感じているのだろう。
顔は青ざめ身体は震え……しかし、何かを決意するかの如く口元を引き締める。
それを見ていたソーマの口から、自然と呆れの溜息が漏れた。
「フェリシア、やっぱり自分が生贄になって封印する、とか考えていないであろうな?」
「っ……だって、仕方がないじゃないですか。確かに先ほどは死にたくないと思いましたし、助けていただけて感謝もしています。ですがっ、あんなの……勝てるわけがありませんっ。ならっ……」
震えながら、それでもフェリシアは決意に満ちた目でソーマのことを見つめ……だがソーマとしては、やはり溜息を吐き出し、肩をすくめるしかない。
まったく――
「もう少し我輩のことを信じてくれてもいいと思うのであるがなぁ。あの程度の相手に、我輩が負けるわけがないであろう?」
確かに相手は強大だ。
先日とは違い奥の手を悠長に構えている暇などないだろうし、油断など以ての外である。
しかし。
それだけであった。
なるほど確かに神と呼ばれるだけの力はあるのだろう。
だがあくまでもそれは、普通の人類と比べれば神に近しい、という程度でしかないのだ。
本物の神には、程遠い。
神は神でも、所詮は紛い物だ。
精々が粗悪な模造品といったところだろう。
おそらくは、厳密には亜神などと呼ばれる存在だ。
かつて出会った天使モドキ、あれの同類である。
まあ何にせよ――
「安心してそこで見ているがいいのである。どちらが上か、今からアレに叩き込んでくる故な」
そう告げると、ソーマはそれに向け、一直線に駆け出した。




